025『隻眼のオルド』
――千年という長い時を生きた。
身体はいつしか錆び付いて。
膂力など、全盛の半分も残ってはいない。
透明だった頭の中は、霞がかかったよう。
記憶は朧気で、もう多くのことを忘れてしまった。
両親の名前も。
共に旅した仲間の顔も。
かつて神を殴った理由さえ、もはや分からぬ。
……そも、人の身だ。
長くを生きるような種族でもなく。
神よりそうあるべしと祝福を受けた訳でもなし。
【限界】
その二文字が、いつしか脳裏をチラつき始める。
そんな折に、ワシは一人の子供を弟子に取る。
そんなつもりはなかったのだ。
本当に、老い先短いこの命。
いつ、その弟子のことすら忘れてしまうか分からない。そんな状態で責任など取れまい。育つまで守ってやるなどど、偉そうなことは間違っても言えまい。
だから、断ろうと考えた。
フォルス・トゥなどという、違和感しかない女の願いなど知ったことかと、ボケた振りで帰そうと考えた。
だが、ワシは結局弟子を取らされた。
シュメル・ハート。
全盛期のワシに届き得る潜在能力を持ち。
自分を犠牲にしてでも誰かを助けようと動き出せる、稀有な子供。
危なっかしいたら、ありゃしない。
弱いままでは、近いうちにこの子供は誰かを救って命を落とす。そんな確信があった。
いくら思想だけ正しくとも、力が伴わなければその道は途絶えてしまう。
それは、なんというかな。
あまりにも……勿体ないと思った。
ワシとて人殺しだ。
何人殺したかなど覚えておらん。
今更、そこらの子供に同情なんぞ覚えはしない。仮に覚えたところで動くことなどありえない。
だが、そんな前提をぶち壊してしまうほど。
シュメル・ハートに、ワシは期待してしまった。
☆☆☆
「小僧。お主は強くなったな」
爺さんは、優しい眼差しを僕へと向けた。
だが、僕は安心なんてしない。
だって、その姿は狩人のソレだったから。
すらりと伸びた背筋。
瞳の奥には理性が灯り。
全身から、隠す気もない闘志が溢れ出す。
腰の曲がった老人ではなく。
腰の伸びた狩人として、師は立ち塞がる。
……キィン、と鋭い耳鳴り。
それは、転生して以来、最大のもの。
感じ取ったのは、無数に枝分かれした死期。
それは、対すること自体が即死であると告げている。
別格も別格。
勝つとか、負けるという段階ではなく。
何秒持ちこたえられるか。
そういう次元の『差』が身に染み、震える。
「まぁ、さほどレベルの高い大会ではなかったが、こうして、大陸中から集った大人たちを相手取り、傷一つ負わずの完勝。……お主も多少は自信がついたのではないか?」
今まさに、その自信を打ち砕かれながら。
僕は静かに、城崩しへと手を伸ばし、握る。
「……答えを貰ってない。何故、こんな場所に?」
「お前の言う、必要な殺しとやらのため、だ」
思わず、肩が震える。
彼の言う、必要な殺し。
その意味を考え、すぐに思い至る。
……いや、思い至ってしまった、が正しいか。
思わず顔を顰めると、彼は満足気に笑った。
「なに、小僧に会いに来たのはオマケじゃよ。お主の出る大会とやらが気になった。……ま、お主が負けるようであれば、ワシも途中ですっぽかすつもりだったのじゃかなぁ」
顎髭を握って、そう微笑んだ爺さん。
それはまるで、孫の成長を喜ぶ老人のような言動。
されどその隻眼は鋭く細められ、威圧感が一気に膨れ上がる。
いつしか、歓声も消えていた。
ただひとりの老人に、全てが飲み込まれていた。
誰一人として動けず。
ただ、喉を鳴らして目を見開く。
「久方ぶりに、授業をしてやろう」
咄嗟に、城崩しを構える。
老兵に動きは無い。
顎髭を握り、一歩として動かない。
だが、背筋は既に冷や汗まみれ。
鼓動は異様に早く、唇が乾く。
……緊張。
戦闘時、久しく感じていなかった感覚だ。
「改めて問おう。小僧、お主は何を望む?」
「……最強になる。今は、ただそれだけだ」
少し考えて。
されど、答えは変わらない。
彼に弟子入りした時から、ずっと。
頂点以外、目指したことは無い。
その過程として、誰かを目標にしたことはあれど。
最終的に望むものは、それだけだ。
僕の答えに、何を思うか。
「なら、尚更じゃな」
老兵は、顎髭から手を離し。
弓も短剣も、なにもなく。
ただ素手で、一歩踏み出す。
「お主はまだ、一番を知るべきでは無い」
その瞬間、強烈な『死の気配』が眉間を貫く。
考える暇などない。
反射的に、首を傾げて死を避ける。
と同時に、彼の手刀が僕の頬を切り裂いた。
「――っ!?」
「便利じゃのぉ、死期の察知とは」
意識を、切り替える。
感情を割り切れ。
今回、爺さんは――オルドは敵だ。
赤竜よりも。
銀竜よりも。
父上よりも。
そして、あの悪魔よりもずっと強くて恐ろしい。
最悪の敵として、目の前に立ち塞がった。
なら、相応の覚悟でここに立て。
意識が、あの森へと逆行する。
常に格上と対峙していた、あの頃の感覚。
心の根が冷えるような感覚と共に。
冷や汗は引き、目を細めて『殺す』ために動き始める。
「それで良い」
合格だ、とばかりに頷くオルド。
それに対し、情け容赦なく全力で城崩しを振るう。
今回は『槌』は使わない。
より殺傷力が高く、より火力の高い『斧』を用いた。
触れれば、竜鱗すらも真っ二つ。
およそ断ち切れぬものなど無いと思えるほどの、全力の一振。渾身の一閃。
オルドは眼前に迫る『漆黒』を、しっかり目視し。
ピタリ、と。
指二本で、斧を掴み止めた。
「な……!?」
真正面から、僕の全力を受け止めた老兵。
その姿に、静まり返っていた会場が騒めく。
……本気だ。
本気の一撃だぞ。
申し訳ないけど、殺す気で放った。
なのに、止められた。
しかも、問題はそれだけじゃない
オルドは、魔法も魔力を使わない。
だからこれは、彼の素の身体能力だ。
「……全く、老化というのも恐ろしい話じゃな。まるで力が入らんではないか」
「ば、化け物かよ……!」
しかも、これで全盛期ではないという。
僕は咄嗟に城崩しから手を離すと、斧を受け止めたオルドへと回し蹴りを叩き込む。
しっかりとした手応えが返る。
……だがそれは、蹴りを掌で受け止められた感触だ。
そのままがっしりと脚を掴まれ、背筋にひゅっと寒気が走る。
「が、は……っ!?」
視界が、ブレる。
凄まじい衝撃と、一拍遅れて全身へ激痛。
ステージ上へと叩きつけられた。理解と同時に全身へと反転を掛ける。
「……遅いのぉ。動きながら治してみせんか」
だが、オルドはそんなの待ってはくれない。
僕の反転は瞬く間に傷を直せる。
だが、言い換えれば『瞬く間』があれば、反転すら許さず僕を殺し切れるということでもある。
そしておそらく、オルドにはそれが可能なのだ。
僕は必要最低限の反転へと切り替え。
直後に迫ったオルドの蹴りを、両腕を防御に回して受け止める……つもり、だったんだけど。
両腕はいとも簡単にへし折られ、勢いなんて殺せずステージを何度もバウンドして吹き飛ばされる。
「……いっそ面白いくらい、手も足も出ないな」
なんとか体勢を整え、着地する。
吹き飛ばされた直後から反転を開始し、腕は着地時点で既に癒えていた。
戦闘続行に支障はなし。
全身に痛みはあるから、多分どっかしら傷ついてるんだろうが、確認してる余裕もなければ直してる暇もない。
即死してない、ならセーフってことだ。
直すだけなら、あとでも十分。
「純粋に力が足りない、判断がまだ遅い、治療速度も遅すぎる。状況把握もまだ未熟……。お陰様で、足りないものしか見えてこないな」
「……相変わらず、可愛くない小僧じゃて。ワシを相手にしながら、平然と次の修行内容を考えおってからに」
そうだな、まずは反転速度を向上させる。
それにより、より長く死なずに戦ってられる下地を作って、その上で身体能力をもう一度鍛え直す。
さらに余裕があれば、意識面での改善だ。
……考えれば考えるだけ、足りないものばかり。
帰って修行したいなぁ。
心の底からそう思うが、叶わぬ願いだ。
「……分かっとったさ。お主は慢心なぞせん。じゃが、満足してしまう可能性はあった」
満足、か。
準決勝までの僕を振り返り。
そして、現実に立ち返る。
「……今は、もう有り得ない話だよ」
「そりゃ良かった。ワシ自ら敗北を贈りに出向いた甲斐があったのぉ」
確かに、僕は強くなった。
世間一般的には、十分に上澄みだろう。
そう、この大会でよく分かった。
そして同時に、この戦いで理解させられた。
まだ、先を目指せば道は長いのだと。
満足なんて、してる暇は無い。
小さな世界の『一番』に喜んでる余裕は無い。
目指せ、足掻け。
その『一番』を取れぬ場所へとひた走れ。
そう、老兵は無言で現実を突き付ける。
「お主はまだ敗北を知らぬ。引き分け、勝つことはあれど、手も足も出ずに殺されることを知らぬ。技量や機転で埋まりようもない隔絶を、お主は知らぬ」
僕は反転を持っていた。
死期察知能力を有していた。
だから、殺されることは無かった。
勝つことは出来ずとも、負けることもなかった。
だが、初めて知った。
いくら強くなろうとも、敗北はあるのだと。
「誇れ、お主は強い」
言葉と共に、オルドの姿が掻き消える。
目を見開くと、ほぼ同時に。
首筋へと、衝撃が走った。
「じゃが、今のままでは足りんのじゃ」
反転する余裕もなく。
僕の意識は、たった一撃で刈り取られた。
☆☆☆
かくして、王都武闘会は幕を閉じる。
優勝、隻眼のオルド。
準決勝、シュメル・ハート。
この日、大英雄が千年の時を経て生存を確認され。
それと同時に、その弟子として『霜の再来』の強さが、大陸中へと認知されたのだった。
シュメル・ハートの英雄譚。
その第一幕を飾る『祭り』は幕を閉じる。
覚醒なんて素敵な展開は起こらない。
実力は急には伸びず。
日々の積み重ねが足りないのなら。
勝てない相手には、勝てないのだと。
まだまだ『不足』と身に染みて、彼はまた走り出す。
しかし、第二幕へと向き合う前に。
再び走り出す、その前に。
見てこなかった【現実】を知らねばならない。
次回【フォルス・トゥ】
王道のようで。
されどこの物語には、違和感が残されていた。




