015『見えない現実』
誰もが認める王道に。
されど、確かな【違和感】は残されていた。
いつも、小さな家で目が覚める。
それは、貴族としてはあまりにも小さな住処で。
朝起きてまず考えるのは、今日は何を喰らって生きるか。
狩人として、どの命を戴くか。
我ながら物騒ではあるけれど、生きる上では必要不可欠な思考だ。
仕方ないと割り切りつつも、ふと思う。
転生前の僕からしたらありえない生活、思考だな、と。
どこにでもいるサラリーマンで、凡人で、ただ我慢強かっただけの男が。
今では、いっぱしの狩人としてこの両手を血に染めている。
……まあ、相も変わらず殺しは嫌だし、なんだったらやりたくないが。
生きる上で、喰う上で必ず何かを殺しているのが人間で。
今では、その事実から目を逸らしては負けだとも思っていて。
不思議と、今はこんな物騒な生活が清々しくて心地よく感じている。
「……ん?」
自分の思考に、首を傾げる。
わずかな違和感。
なにか、僕は変なことを考えてはいなかったか?
あまりにも自然に流れた、思考の矛盾。
そんなものが紛れていた気がして、自分の考えを遡る。
「なん……だったかな」
ただ、違和感を覚えた時点で過去の思考は消し飛んでいて。
僕は頭を抱えてため息を漏らす。
――転生してから、もう八年になるか。
たまに、こういった自己矛盾に悩まされる。
気づいたときには何もかも忘れているような、小さな違和感。
その積み重ね。
一つ一つは小さなものでも、積もれば壁となり目の前へと立ちふさがる。
……いよいよ、見て見ぬ振りも出来なくなってきた。
「勘弁してくれよ」
現実に向き合うときだと突き付けられて、心の底から嫌悪が零れる。
見たくないモノに蓋をして。
見たいものだけに、意識を留めた。
だって、シュメル・ハートが望まれているのは従順だから。
だから、ありのまま、好きなように生きてきた。
やりたいように生きてきた。
確信こそなかったから、気にしないことにして生きてきた。
「……小僧、起きたか」
「あ、あぁ、爺さんか」
ふと、声がして意識を切り替える。
オルド……爺さんは、目を細めて僕を見つめている。
「ごめん、まだ朝ご飯作ってないや」
「いや、それはよいのじゃが……ふむ」
彼は少し悩んだ様子で顎髭を掴む。
「……悩み事、があるなら聞くが?」
ぶっきらぼうな、お悩み相談。
あまりにも不器用な『気遣い』に、僕は吹き出し笑ってしまう。
「い、いや、大丈夫だよ。いつも通り元気いっぱいさ!」
「ならば、よいのじゃがな」
爺さんは少し納得いってなさそうな顔をしたけれど。
別に、相談するような悩みでもなし。
僕は先ほどまでの思考に蓋をして、立ち上がる。
さあ、今日も修行だ。頑張るぞ!
☆☆☆
「ぐぬぬぬぬ……ッ!」
『グラアアァァァァァァ!!』
緑竜の体当たりを、真正面から受け止める。
衝撃による内臓の負傷は、負ったそばから反転させる。
両足に思っきり力を込めて、重心を落とし。
僕の体を押し続ける緑竜の頭を、その角をしっかりと掴み、抑え込む。
全身全霊を全身へと込め、ぎりりと、歯を食いしばる。
徐々に緑竜の勢いは失せ。
そして数秒、完全に緑竜の歩みは停止した。
「おらァ!」
『グ!?』
同時に、その角を掴んで投げ飛ばす――!
尋常ではない負荷が両腕にかかり、ブチブチと嫌な音が聞こえる。全身に痛みが走るのを堪えながら、歯を食いしばってぶん投げる。
数瞬後、背中から地面へと叩きつけられた緑竜。
あまりの衝撃に大地が揺れ、見下ろした緑竜の目には悔しさが浮かんでいる。
「よし、今日の運動おわり。明日も頼むぞ」
『グルルルル……!』
ひっくり返ってる緑の顎を叩いて、僕は歩き出す。
身体強化訓練を始めて、既に一年。
十一歳になった僕は、それなりに身長も伸び、肉体もごらんの通り、緑竜を投げ飛ばせる程度には成長した。
「君は……いつの間に竜と仲良くなってるんだい」
「あ、フォルス。久しぶり」
爺さんの家へと戻っていると、白い少女が見えた。
フォルス・トゥだ。
またこっちに来てたんだな。
彼女は先程のやり取りを見ていたのか、僕の背後でひっくり返ったまんまになってる緑竜を見ている。
「いいの? まだ普通に生きてるけど」
「……ま、殺す必要も無いからな」
最初の数年は、竜種は命懸けで倒すべき敵だった。
けれど、毎日のように竜を倒して、いつしか、竜より強くなってしまって、ふと思ったんだ。
『別に、竜って殺す必要無くないか』、と。
そもそも、狩人が獲物を狩るのは生きるためだ。
命を奪って、その肉やら皮やらで生活するためだ。
ならば、僕たちはどうだ?
生活するだけなら、緑竜一匹で一週間は食べていけるだろう。肉の保存だって、氷魔法を扱うフォルスに氷室を作ってもらえば済む話だし。
そうして考えれば考えるほど、一日一匹というのは竜の命が勿体なく感じてしまった。
「そもそも、不必要な殺しなんてのは……狩人以前に、人間として失格な気がするんだ」
フォルスや爺さんがどう考えているかは別としても、少なくとも僕はそう考えている。
ただ、言ってて少し不安になった。
だって、彼女はそうじゃないかもしれないから。
僕は彼女から視線を逸らして言葉を重ねる。
「……ようは哀れみだよ。偽善的だろ?」
「でも、強者の特権だ。とても健全な思考だと思うよ」
予想外の肯定に、彼女へと視線を戻す。
その目は、真っ直ぐに僕を見つめていた。
「生死をかけて争って勝ったのならば、相手の命は君のものだろう。生かすも殺すも自由ってものさ。仮に、哀れみ生かされたことが不満なら、それは勝ってから示すべきものだよ。敗者にはそんな権利すらない」
「……僕以上の暴論だったな」
フォルスの返事を聞いて、苦笑する。
だけど、そう言って貰えたんなら、爺さんに頼み込んで修行内容を変更してもらった甲斐があったよ。
――不要な殺しはやらない。
狩人として定めた自分ルール。
それが少しだけ肯定されたような気がして、ほっと胸を撫で下ろす。
「そもそも、竜種はどいつも頭がいいからな。ある程度上下関係を叩き込んで、こっちに殺す意思がないって示せば、そう悪い関係にもならないさ」
……ま、何事も例外はいるものだけど。
そう内心で呟くと同時に、僕とフォルスは一斉にその場を飛び退いた。
上空から襲ってきたのは、真っ赤な巨体。
この数年で更に大きく成長した個体だ。
「えぇ……まだシュメルを狙ってたんだ、こいつ」
「さっき、森の中で身体強化使ったからね」
緑竜の中にも、顔見知りが増え。
あの隻眼の銀竜でさえ、最近だと出くわしても逃げることはなくなった。その他にも色々とこの森での『不殺協定』を進めているわけなんだが……その中でもぶっちぎりの不協和音が、こいつだ。
「今日も元気いっぱいだなぁ、赤竜」
『ガァァァアアアアアアアア!!』
巨大な腕が、僕目掛けて振り下ろされる。
背筋に冷気が走るのを感じた。
思わず苦笑すると同時に、突如としてその場に氷壁が生まれた。分厚く高い巨大な壁は、揺らぐことなく赤竜の一撃を受け止める。
『ガァ!?』
一瞬だけ驚き固まった赤竜の隙。
見逃すことなく、僕は駆け出した。
ひょいと赤竜の腕へと飛び乗る。
そのまま腕から肩へと駆け抜けると、少し遅れて赤竜が再起動する。
けど、ちょっと遅い。
「ふんッ!」
拳骨、一閃。
赤竜の横っ面を思いっきりぶん殴る。
衝撃が弾け、木々が揺れる。
僕の数十倍はくだらない大きさの赤竜の体が浮かび、そのまま勢いよく後方へとぶっ倒れた。
『グルァ……ッ!?』
「まだまだ修行が足りないな、お互いに」
戦闘中に固まっちまった赤竜も。
純粋な膂力勝負では、お前に勝てない僕も。
互いに未熟もいいところ。
もっと精進するから、お前も強くなってくれよ。
せめて、狩人として戦わなきゃ死ぬ、ってくらいは思わせてくれ。
じゃないと、修行相手としては物足りない。
「よし。逃げるよフォルス」
「……君、強くなりすぎじゃないかい?」
「僕より強いお前が言うな」
そう言い合いながら、僕らはオルドの家へと向かった。
背後では赤竜が苛立ちと憎悪の絶叫をあげていたが、そこら辺は無視しておくことにする。
☆☆☆
「で、今日はどうしたのさ」
十数分後。
爺さんの家に辿り着いた僕は、改めてフォルスに今日来た理由を訪ねていた。
え、お客さんにお茶菓子?
竜の庭にそんなものはないよ。
竜の干し肉ならあるけどね。
「いつもの定期的な様子見、って言ったら?」
「いきなり一年以上も来なくなって、また唐突に姿を見せたんだ。そりゃ、なんかあった、って考えるべきじゃないの?」
主に貴族関係で。
頬杖をついてそう問うと、彼女は眉間に皺を寄せた。
その反応が、何よりの答えだった。
「……そうだね。シュメルが姿を隠して数年、さすがにそろそろ隠し通すのも難しくなってきたんだ」
「まぁ、一回も外出てないからね」
だから、父上や母上とも会えていない。
だが、それだけ繋がりを絶ってるわけだし、今更僕の居場所がバレたって訳じゃないんだろうが……。
そんな思いが表情に出たのか、フォルスは言葉を重ねる。
「君がここにいることがバレた訳じゃない。というか、そこはバレたところで問題ないんだけどね。だってここまでたどり着けないから」
「……そういえば、人類未到達区域だもんな、ここ」
「うん。だから問題になってるのは」
「『反転の魔法使いを何年間も隠し続けているのはどういう了見だ』、といったところかの」
声の方へと視線を向けると、ちょうど爺さんが森から帰ってきたところだった。
「あ、オルド。久しいね」
「誰じゃったかのぉ。最近は物忘れが激しくて……」
「はいはい。じゃ、話続けるね」
爺さんの挑発をサラッと無視し、フォルスは僕へと視線を戻した。
そんな彼女の無視すらスルーし、近くの椅子に座る爺さん。
この人たち……ほんと仲悪いよなぁ。
なんでなんだろ。
僕は内心首を傾げつつ、話の続きを聞いた。
「オルドの言った通り。この国上層部の総意としては、反転の魔法使いシュメル・ハートは国の宝であり、正しく強く育て、導かなければならない……って感じなのさ」
「素直に『他国に渡さないため、幼い頃から教育と称した洗脳を進めたい』と言えば良いじゃろ。……実に腐った思想じゃな」
「……ま、オルドの言った通りの意味だね」
洗脳……か。
いろんな意味で頭の痛くなる、嫌な響きだな。
思わず顔を顰める僕を、爺さんがじっと見ていた。
「物心つかぬうちより、自国は正義で他国は悪。そういう風に言い含められておれば、いずれソレが常識となり、しまいには疑うことすら忘れてしまう」
「……たしかに、それは『洗脳』だね」
……つーか、なに。
国の上層部、そんなことしようとしてたわけ?
そりゃ、フォルスも両親も、僕をこんな危険地帯に閉じ込めようとするわけだ。
教育に悪い、なんてレベルの騒ぎじゃない。
僕が転生者でなければ。
フォルスと出会って、弟子入りしてなければ。
一生懸命修行せず、未だ領地の中でぬくぬくと暮らしていたら……もしかしたら、本当に洗脳されていた可能性だってあるだろ。
……まぁ、竜の庭の方が教育には悪いと思うけど。
「ハート男爵家は数年間にわたってそういった意見を無視していたのさ。ただ、君が治療院に篭ってた頃はまだしも、君の行方がしれなくなってから……そういった声がさらに強まってきていてね」
「……」
「シュメル・ハートの行方不明。それに危機感を煽られた貴族共が、ハート男爵家に責任を取るよう声を上げ始めたんだ」
シュメル・ハートはどこに行った。
彼の育成は順調に進んでいるのか。
進んでいるなら、その証拠は。
それが出せないのなら、責任問題だ。
このままでは、国の宝を台無しにしかねない。
シュメル・ハートは国で管理する。
ハート男爵家は責任を取って潰すべきだ。
そう、大まかな主張をフォルスから聞いて。
僕は、心を落ち着かせるため大きく息を吐いた。
「……ムカつくでしょ?」
「正直言うよ? ……めちゃくちゃムカつく」
そいつらの名前も顔も、僕は知らない。
もしかしたら、本気でそう思ってる奴もいるのかもしれない。善意から心配してる奴もいるのかもしれない。
けど、悪意があってそう言ってる奴が、居ないとも思えない。
総じて『黙ってろ』と吐きたいね、僕は。
ま、貴族ですし?
男爵家の長男ですし?
そういったことは、心の中でしまっておくけどね?
いくら森で顔に泥を塗ろうとも、貴族社会で父の顔に泥は塗れない。
僕は何度か深呼吸して。
気持ちを切り替え、最初の話題に立ち返る。
「で、フォルス。今日はどうしたの?」
その話をしに来ただけ?
そろそろ男爵家に戻れって?
貴族たちの不安を鎮めるために、そいつらに無事な姿を見せてくれって?
……まさか、そんなわけが無いだろ?
僕の内心に呼応して、フォルスは笑った。
その笑顔は氷のように冷たく、震えるほどに恐ろしかった。
「もう面倒くさくなっちゃってね。そろそろ、アイツら黙らせてやろうかと思ってるんだ」
「というと?」
「アイツらが手を出すまでもなく……いや、手を出せない程に、シュメル・ハートは順調に育ちすぎている。そう、改めて大陸全土に知らしめる」
フォルス・トゥは立ち上がる。
彼女は懐から一枚の紙を取り出した。
それは、何かの登録用紙。
その紙を見つめる僕を、彼女は誘う。
「大陸最大の武闘会が開かれる。ここで、世界に『君』を刻んで来なさい」
……目的は、うるせぇ貴族共を全員黙らせること。
お前らの心配なんざ無用だって分からせること。
ついでに、手を出したくない相手として、これ以上なく『わかりやすい強さ』を見せびらかすこと。
なるほど。
ようは、『発表会』ってやつだ。
いいねぇ、子供らしくて。
なら、僕は年相応の無邪気な子供として。
見る目の腐った大人たちに、分かりやすーく『僕』を刻んでくるよ。
「はっ、一生忘れられなくしてやるよ」
そう答えた僕は、いつになくやる気に燃えていた。
――そして、物語は動き出す。
誰かに守ってもらってばかり。
そんな生き方は、もう止めだ。
今の少年は、守ってもらうほど弱くない。
人の身で竜をも超える膂力を宿し。
堂々、表舞台へと登壇する。
その果てで、【見てこなかった現実】と向き合うだろう。




