旅の終わりに、魔女はただ――
それは千年前の物語。
人類史に名を刻んだ『魔王討伐』、その旅路。
勇者による救世の英雄譚。
誰もが認めるその栄光の只中で。
ただ一人、魔女は終わりの夢を見る。
いつから生きているのだったか。
たまに、過去を振り返ることがある。
けれど、永くを生き過ぎたんだろう。
数千年も生きていたら、そりゃ忘れるさ。
自分の生まれた日も、場所も。
自分を育ててくれた両親も。
なーんにも思い出せない。
我ながら、薄情だとは思うさ。
けどね、忘れてしまったものは、もうどうしようもない。
過去を振り返る度。
何度も何度もそういう結論に至って。
私は、まだ覚えている【旅】の始点を思い出す。
『あ、ありがとう! 助かったよ!!』
あてもない放浪の途中で。
私は、一人の少女を魔物から助け出した。
それが、私の思い出せる、最も古い記憶。
特に、目的はなかったと思う。
利用してやろうとか。
お礼に金銭を巻き上げてやろうとか。
そういった考えは、何もなくて。
ただ、『見捨てるのは夢見が悪そうだったから』。
それだけの理由で、私は彼女を助けてしまった。
それが、一人の【魔女】と【勇者】の出会いだった。
出会った頃の勇者は、正直、未熟もいいところだった。
技術も稚拙で経験不足、おまけに弱い。
これなら、そこら辺の兵士でもとっ捕まえてきたほうが強いほどだ。
『よくもまぁ、君みたいなのを送り出す気になったね、国は』
なんでも、選ばれた勇者として彼女を魔王討伐の旅へと送り出した国があるのだそう。
馬鹿か、と私は思った。
だって、魔王という存在を当時の私は知っていたから。
詳しくは覚えていないが、一度、私のもとに会いに来ていたはずだ。
内容としては、たぶん勧誘。魔王軍の一員となれ、みたいな感じだったと思う。
……ああ、その勧誘はどうしたのかって?
たぶん、断ったんだと思うよ。
覚えてないから、想像だけどね。
今にして思えば、我ながら強気の対応だったとは思うよ。
もしかしたら、魔王は当時、私より強かったかもしれないし。
でも、私は断った。
なら、戦えば勝つのは私だ。当時の私はそう判断したのだろう。
格下にこびへつらうのは性に合わない。
断ったことで魔王軍を敵に回したところで、些事だったしね。
だって、仮に全世界を敵に回したところで私が勝つのだし。
今更その半分が敵対しても、勝つのは私だ。
面倒、ではあるにせよ。
生き方を曲げるほどではなかったんだろう。
ともかく、だ。
当時はまだ、人並みには心があった私は、勇者の実力にあきれ果てた。
同時に、こんな雑魚を魔王討伐に送り込んだという国の正気を疑った。
『どっからどう見ても、捨て駒だね』
勇者としての彼女は、あくまでも魔王の目を眩ませるための罠。
私なら、勇者を魔王に殺させて、油断させたところに本命の暗殺部隊でも送り込む。
ああ、そうだね、そうとしか思えない。
目の前に居る弱い勇者を思えば思うほど、そうとしか考えられなくなった。
だから私は……このまま放りだすのも可哀そうだったし、独り立ちできる程度までは勇者の旅に同行することを決めた。
――そして、認識を改めたのはその数日後のこと。
『ねぇ、見てステラ! なんかできた!!』
『………………まじか』
たった数日の旅。
ただ、出会った魔物を倒しながら。
何の気なしに、私が裏技で覚えた『魔法』を見せていただけ。
……ああ、そうさ、教えてなんかいない。
私は彼女に魔法を見せただけ。見せただけ、だ。
……だっていうのに。
後から聞いた話によれば。
勇者に与えられた魔法は【完全模倣】
後にも先にも、彼女だけに与えられた至高の魔法。
能力としては……まあ、名の通りだね。
見た技術を、見た魔法を、そっくりそのまま模倣する。
模倣条件は、ない。
彼女はさも当然のように。
私の見せた数十の魔法を扱って見せたのだ。
その光景には、さすがの私も顔が歪んだね。
だって、生まれつきヒトに与えられる魔法は一つだけだ。
人間は、生涯をかけてたった一つの魔法を使い、研究し、高めていく。
それが当たり前。
それが神の決めた人界のルール。
それを真正面からぶち破るような魔法が、勇者には備わっていた。
私のような例外を除けば、間違いなく、二つ以上の魔法を手にしたのは彼女が史上初だったろう。
歴史の特異点とも呼ぶべき光景を目の当たりにしたんだ。そりゃ、動揺するにきまってる。
私は、とっさに表情を手で覆い隠した。
だって、あんなカオ、勇者には見せられないからね。
【この勇者なら、もしかして……】
心の底に芽吹いた、淡く重く、激しい激情。
それを首を振って打ち払い、私は彼女の成長を見守った。
その後の彼女の成長曲線は、控えめに言っても壊れていた。
私を優に上回る潜在能力を持ちながら。
私みたいな怠け者とは正反対に、彼女は根っからの努力家だ。
もうやめろ、休憩しろと言ってもやめやしない。
それに加えて、稀代の魔女による英才教育さ。
……そりゃ、強くもなるさ。
出会ってから、ほんのひと月。
最初はそこらの兵士よりも弱かった彼女が。
無傷で半人半牛の化生を屠ったのを見て、私はまた、顔が歪んだ。
そして再び、焦って表情を隠すのだ。
勝利した勇者より顔をそむけた先で。
湖に移った魔女の表情は――異様な歓喜で満ちていた。
『ああ、もしかしたら……本当に』
この勇者なら、私を殺してくれるかもしれない。
そう思えば、私は笑みが止まらなかった。
☆☆☆
そして、勇者との出会いより14年後。
勇者は、ついに魔王討伐を成し遂げる。
私?
後衛からの援護に専念させてもらったよ。
だって、私が前に出て戦ったら一人で終わっちゃうしね。
その代わり、勇者一行には頼もしい仲間が増えていた。
隻眼ではあるが、超一流の狩人。
神の寵児と呼ばれる、聖典教会の聖女。
正直、私なしでも魔王討伐を成功させていたことだろう。
そう思えるだけの逸材ぞろい。
ある意味私以上に常識はずれなぶっ壊れ狩人と。
下手をすれば死者すら蘇生させかねない聖女だ。
それに勇者が加わっているんだから……。
まあ、魔王も馬鹿なんじゃないかってくらい強かったけれど、相手が悪かったとしか言えないね。
私は、魔王を討伐して喜んでいる勇者たちを眺め。
その輝かしさに、目を細める。
『……これは、ダメかな』
私は少し、がっかりしていた。
魔王を討伐できたっていうのに。
誰一人失うことなく完遂できたというのに。
誰もが認めるハッピーエンドに至ってなお。
この心は、満たされてはいなかった。
そして同時に、この心を満たす方法を、私は知っている。
けれど、ダメだと思った。
無駄だと理解してしまった。
私が育てたあの勇者。
誰より近くで見守ってきた、あの優しい光は。
絶対に、私を殺してなんかくれやしない。
そう、理解してしまった瞬間。
私は、自分で自分に驚くくらい、がっかりしたんだ。
『なんです、ステラ。随分としけた面ですね』
『……違うんだよ、アルテナ。喜んでいないわけではないんだ』
怪しむ聖女にそう返していると、勇者は私のほうへと歩いてくる。
満面の笑みを浮かべて。
まるで、何もかも見透かしたような目で。
いたずらが成功した子供のような表情で。
『どう? 君の思い通りにはならなかったでしょ?』
その言葉を受けて。
私は少し目を見開いて。
すぐに、すべてを察して目を閉じた。
『……ああ、ままならないね。君ってやつは』
彼女は、きっと最初から知っていたんだろう。
私が死にたがっていることを。
もう、限界だってことを。
そう知ったうえで。
私が、成長した勇者に自分を殺させようとしていると、分かったうえで。
何もかもを承知の上で、私のそばを離れなかった。
……そういう意味では、私の完敗だ。
なんだったら、今から魔王の代わりに人類でも滅ぼせば、彼女は私を殺してくれるかもしれない。
――なんて、思いも最初はあったのだけれどね。
彼女たちと旅をした、この14年間。
長く……本当に、険しく、騒がしく、楽しい日々だった。
もう、後戻りはできない。
彼女たちを、赤の他人で、どうでもいい存在だとは、思えない。
私は今更、人類を滅ぼそうだなんて、思えない。
私は彼女たちを、愛してしまっているんだから。
彼女たちを悲しませるような真似は、絶対にできない。
『君なら、私を殺せるんだよ? 勇者ルミエール』
最後に問う。
殺してくれないか、と。
けれど、答えなんてわかりきっていた。
『殺さないよ。だって、君のこと大切だもん』
わかりきった答えに、私は深く息を吐く。
そして、またわかりきった事実を漏らした。
『……そうか、私はまた、死に損なったのか』
☆☆☆
――かくして、死にたがりの魔女は死に場所を見失う。
本当に、もう生きてなんかいたくないのに。
勇者があの時、殺してくれればよかったのに。
それで私は、救われたのに。
彼女は私を殺さなかった。
何度も何度も、彼女には再三お願いしたけれど。
年を重ね。
いつしか剣を持たなくなり。
顔中が皺だらけになって。
最後には記憶すら無くしても。
彼女は最後まで、私のお願いを聞いてはくれなかった。
だから私は、まだ敗北を知らない。
死の恐怖を知らない。
私はただ、私として生き続けているだけ。
それ以上も、それ以下もない。
分かり合うことも、共感することも。
もう、とっくの昔に忘れてしまった。
ただひたすら退屈で――つまらない、私だけの世界を生きている。
勇者が死んでから、そこら辺の相手にわざと負けようかとも思った。
けれど、それは私の性に合わない。
わざと負けるだなんて、何が面白いのか。
最後の最後まで、私はつまらない人生を送りたくはない。
終わるのならば、しっかりと。
実力不足で、負けて、死にたいのだ。
そんな我がままで、死にたがりの魔女は、今もまだ生きている。
勇者が死んで、1000年を経ても。
今もまだ、かつての旅を思い起こして。
次なる強者の誕生を。
私を殺してくれる怪物の生誕を、待ち望んでいる。
「だから、君には期待しているんだよ。シュメル・ハート」
私と同じ力を持って生まれた、奇跡の再来よ。
どうか君は、私を殺してくれますように。
旅は終わり。
魔女は今でも、『終わり』を夢見る。
ああ、いつか。いつの日か。
誰かが、私を殺してくれますように――と。
☆☆☆
と、いうことで。
新作【異世界転生、ちょっと足りない】、連載開始です!
今回は、ただの幕間。
プロローグとも呼べぬ、既に錆びれた栄光の記録。
そして、千の時を超えて連なる死への妄執。
次回【転生】
本物のプロローグです。
しばらくは毎日投稿予定です。
毎日18:00から、更新となります。
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