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不死鳥の嫁入り  作者: 丹㑚仁戻
第二章 不死鳥の心
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〈二〉おあいこ

 保留が決定した二日後のことだ。いつもは朱華が起きるより先に館を出ていってしまう宵藍(しょうらん)が、朝食を食べていた彼女の前に現れた。


「夕食を一緒にとりませんか」


 その言葉に、慌てて口の中のものを飲み込もうとしていた朱華が喉を詰まらせたのは言うまでもない。咽る彼女を見て「驚かせて申し訳ない」と謝った宵藍は、「仔細は後ほど。返事も誰かに言付けてくだされば結構」と言って、仕事に出かけてしまった。


「――……今のは、何?」


 呼吸を落ち着けた後、朱華は呆然と宵藍のいた場所を見つめた。用件のみ伝えて去ってしまったのは実に彼らしい。そこに特に不服はないが、しかし内容が彼らしくない。


「お食事のお誘いですよ! ふふ、朱華様が旦那様と仲良くされているようで良かった」


 林杏(りんあん)が嬉しそうに笑う。他の侍女達も微笑ましそうに朱華を見ている。そんな視線を向けられた朱華はなんだか恥ずかしくなって、そこからは目の前の朝食のことだけに集中してやり過ごした。



 § § §



 宵藍との食事は館ですることになった。この館は朱華と宵藍二人のためのもの、彼もここで暮らしているためよく考えると普通のことなのだが、二人が同じ場所で食事をするのは婚儀以来これが初めてだ。

 宵藍も朱華と同時にこの館に居を移したはずなのに、ほとんどその気配を感じさせない。朱華が起きる前に出て、眠りに就いた後に帰って来るからだ。


 だから朱華は、宵藍と長時間向かい合ったことすらなかった。婚儀の最中は横並びだったし、初夜は一瞬。その後の会話もすぐにあしらわれてしまっていたものだから、顔を突き合わせてゆっくりと食事をするだなんて考えただけでも身構えてしまう。


 宵藍の誘いに承諾を返し、詳細を聞いてから半日。朱華は全く気が休まらなかった。結婚前の教育は子を成すことに関するものばかりで、それ以外の夫婦の交流についてはほとんど教えてもらっていない。それなのに突然こんなことになれば、たった十八年分の経験しか持たない朱華が緊張してしまうのも仕方のないことだった。


 そうして臨んだ、約束の食事。朱華の身に襲ったのは緊張と、そして感じたことのないほどの気まずさだった。


「…………」

「…………」


 食事を始めて、そろそろ四半刻。順番に出てきていた料理ももう全部出揃った。

 その間、全く会話がない。宵藍から誘ったのだから何か話があるのかと思ったのに、彼は何も言わずに黙々と箸を進めている。


 気まずい。気まずさで全く味を感じない。


 朱華はとうとう耐えきれなくなって、意を決して口を開いた。


「……お口に合いませんか?」

「いえ」


 短い返事に、ひぇ、と朱華は眉根を寄せた。思い切って始めた会話がもう終わってしまった。しかも次の話題も浮かばない。食事中の会話と言えばその食事の内容が無難だ。だが口に合うかどうかの問いに単語で返され、その上特に補足もないものだから、朱華だってなんと返したらいいか分からない。

 これはどうしようか、と朱華がおろおろしていると、意外にも宵藍が「どうしました?」と問いかけてきた。


「えっ?」

「お加減が悪いのですか?」

「わ、わたし、ですか?」

「他に誰がいます?」


 なんだか責められているようだ。どうしよう、と身が縮こまる。宵藍に威圧する雰囲気なんてまるでないのに、淡々とした問いが朱華にそれまで以上の緊張を与えた。

 しかも彼の美しい顔は冷たさを感じさせるし、返事をする時に一瞬だけこちらを向く目はすぐに離れてしまう。それが不機嫌の表れのような気がして、居心地が悪い。「ご、ごめんなさい」思わず朱華が謝れば、宵藍は彫刻のようにきれいにせり上がった眉を怪訝そうに顰め、直後に「ああ」と思いついたような声をこぼした。


「怒っているわけではありません。機嫌が悪いわけでも。私の態度はどうも人にそういう印象を与えてしまうらしい」


 ふう、と宵藍が息を吐く。決まり悪そうに少し逸らされた目線を見て、朱華は「そうだったのですか?」と肩の力を抜いた。


「ごめんなさい、わたしったらてっきり……」

「あなたが謝る必要はありませんよ。この態度に関しては悪いのは私なので」


 どうやら本気で言っているらしい、と朱華は宵藍の様子から悟った。悪いのは自分だと言いつつもそれを改める気はなさそうだが、少なくとも彼に朱華を責め立てるつもりはないようだ。


「では、少しだけお話ししても?」

「ええ」


 呆気ないほど簡単に返された了承に肩透かしを食らう。短く、しかし問いに対しては正確な答えだ。朱華はもしや、と気が付くと、そのまま「もしかして……」と思ったことを言おうと口を開いた。


「宵藍様は、その……食事中に会話をするのはお嫌いですか?」

「いえ」

「では……食事中にご自分が話されるのが苦手?」


 宵藍はすぐには答えなかった。朱華の問いを受けて、考えるように視線を下に向ける。顔もやや左下を向けば、彼の黒髪がさらりと揺れた。


「そうですね……苦手な方かもしれません。周りが話しているのを聞く方が楽ですし、わざわざ食事中にまですべき話題も大抵ありませんので」

「なんだぁ! ――あっ」


 しまった、と朱華は慌てて口に手を当てた。そんな彼女を宵藍が見ている。いつもよりもやや大きく開いた目は驚いているのだろう。

 朱華はかあっと顔を赤くすると、「し、失礼しました!」と慌てて謝罪を口にした。


「わたしったらつい……! お行儀が悪かったですよね? ご気分を害されたようでしたら――」

「いえ」

「――わたしはこれで失礼しま……『いえ』?」


 言葉の途中で聞こえてきた声に首を傾げる。すると宵藍は「気にしませんよ」と言って、朱華と目を合わせた。


「軍に長いこと所属しています。今でこそ人の上に立っていますが、そうでなかった頃は同僚と大勢で食事をしていましたし、周りはお世辞にも行儀が良いと言える人間ばかりではありませんでしたから」

「……あ、はい」


 これは気を遣ってくれているのだろうか――朱華が迷ったのはその内容のせいだ。宵藍が気を遣ってくれていると取れなくもないし、しかし一方で、お前は行儀の良くない人間と同じだと言われているようにも思えてしまう。

 そして、これまでの宵藍の言動から考えて後者の方が現実味があった。気を遣ったように見せつつも、遠回しに釘を刺してきたのだろう。


「お、お作法、ちゃんとしておきますね」


 朱華の背にだらだらと冷や汗が流れる。仮にも相手はこの(すい)国随一の名門・(ごう)家の人間だ。朱華とて幼少期から国主と同等の礼儀作法の教育を受けてきたものの、自分と対等、もしくはそれ以上の立場の相手と接する機会などほとんどなかった。そういう意味では宵藍の方がよっぽど実践的な礼儀作法は身についているだろう。


「勘違いをされているのか」


 ぼそり、宵藍がこぼす。朱華が聞き返すように視線を送れば、宵藍はやや左下を向いた後、確認するように話し出した。


「朱華様の作法を指摘したつもりはありません。私が言いたかったのは、そこまで肩肘を張らなくて結構だということです」

「……それはつまり、少しくらい素が出てしまっても良いと?」

「問題ありませんよ。私も言葉遣いは気を付けていますが、だいぶ失礼なことを何度も言ってしまった自覚はありますし」

「自覚あったんだ……あ」


 今のは流石にまずい、と朱華は慌てて顔を背けた。ちらりと宵藍の様子を窺えば、彼もまた同じようにしているのが目に入る。しかし彼がそうする理由はないはずなので、おや、と内心で首を傾げた。

 意外な光景だった。これは怒っているようには見えない。むしろ気まずそうだ。ということは、宵藍なりにこれまでの態度には罪悪感を覚えていたということだろうか。

 考え至った結論に朱華は恐る恐る顔を戻して、「お気になさらないでください」と声をかけた。


「わたしも宵藍様には大変なご迷惑をおかけしたと反省しているんです。ですから、宵藍様さえよろしければおあいこということにしませんか? わたしの行動が釣り合いの取れるものなのかは、宵藍様次第ですけれども……」

「……いえ」


 宵藍が箸を置く。元々姿勢良く伸びていた背筋を改めて整えるように正し、真っ直ぐに朱華を見る。


「私もあの夜は勝手な思い込みであなたに心無い言葉を吐き捨ててしまった。わざとあなたを傷つけようとした。その事実は変わりませんが、先にあなたの話を聞くべきだったと反省しています」


 そこまで口にして、顔をやや下に向ける。

 真摯な謝罪だった。しかし、重くなりすぎないように言葉は選ばれている。


 謝意と気遣いという意外な宵藍の言葉に朱華の時が止まる。それはほんの少しの間だったが、その間に朱華の心は軽くなった。己火(きか)と話した時よりも、はっきりと。


「朱華様?」


 呆けた朱華に、宵藍が不思議そうに名を呼ぶ。その声に朱華ははっとすると、「いえ」と笑顔を作った。


「これはおあいこということで良いですか?」

「ええ」


 すかさず返された答えに朱華の笑みが深くなる。口元に勝手に力が入ってしまうのだ。

 行儀の悪い笑い方になっていなければいいけれど――侍女から教育係に伝わらないように、それとなく両手の指先で覆い隠す。その下にある唇は、胸の奥から湧き上がる感情でしばしの間言う事を聞かなかった。

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