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不死鳥の嫁入り  作者: 丹㑚仁戻
第一章 死なずの少女
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〈四〉不死鳥の一生

『離縁でもなんでも好きにしてください。私は子を作る道具に成り下がる気はありませんから』


 朱華の頭の中で、宵藍(しょうらん)の言葉が繰り返される。初めて聞いた時はなんて心落ち着く声だろうと思ったその音色は、結婚してからというもの朱華を苦しめる言葉しか運んでくれない。


「離縁……」


 自室の窓枠に手を当てて、朱華はその単語を呟いた。開け放した窓からの風が声を攫うのに、喉から伝った音は朱華の耳にしっかりとその言葉を届ける。

 離縁だなんて言葉、口にされるとは思っていなかった。何故ならそんな話は聞いたことがないからだ。不死鳥が人間と交わるようになって数百年、この(すい)国の人間に〝朱華〟が嫁いだのはもうかなりの回数になる。

 過去の〝朱華〟のことは知識として教えられている。それによると、ただの一度も離縁されたことはないらしい。死別や夫の重病によりやむなくということはあったようだが、それ以外の理由で〝朱華〟が新たな夫を迎えたことはないのだ。


 歴代の〝朱華〟と、自分。何か決定的な違いがあるのだろうかと、朱華は溜息を吐いた。


「――冷えるのは良くないのでは?」


 ふと、外から低い声が聞こえた。声の出処は少し上、窓のすぐ近くにある木の上部からだ。


己火(きか)……」


 朱華が名を呼んだ先には男がいた。赤い髪の、美しい男だ。宵藍よりも女性的で、体躯もそれほど大きくはない。

 枝に座っていた彼は朱華に微笑むと、「何か考え事ですか?」と優しく問いかけた。


「……わたしは、どこかおかしいのかな」


 しょんぼりとこぼした朱華に、「というと?」と己火が首を傾げる。


「宵藍様に言われたの。過去の〝朱華〟は間違いなくわたしなのに、わたしはその記憶を持たない。他人から話を聞くことしかできない。自分のことなのにそれはおかしいんじゃないかって」

「…………」


 己火がそっと目を細める。金色の瞳は朱華と同じ色だった。己火はその瞳を瞼で一瞬だけ覆い隠すと、「気にすることはないかと」と朱華に語りかけた。


「人の子に不死鳥たるあなたの考えは理解できませんよ。人は一度死んだらそれきりです。ですがあなたは何度でも蘇る。二十五年という短い周期ではありますが、それを繰り返してあなたは永劫を生きる」

「……だけどわたしには、自分が蘇ったという実感がない」


 暗い朱華の声に、己火が眉を曇らせた。


「わたしには十八年前に(はい)国で生まれ、その後ここで育ったという記憶しかない。生まれた時のことだって聞いただけで、実際は物心ついてからの記憶しかない。自分が不死鳥だと知ってるけど、それは教えてもらったから知ってるだけで、誰も教えてくれなかったらきっと知ることなんてなかった。宵藍様はきっと、それがおかしいって言いたいんだと思うの」


 そこまで言って、息を吐く。溜息のような深い息だ。


「おかしいと思いますか?」


 木の上から、己火が問う。朱華はふるふると首を振ると、「ううん、思わない」と言って顔を上げた。


「だってわたしにはそれが普通だもん。ちょっと心許ないと思った頃もあったけど、そこまで気にすることじゃないってもう納得してるし。それに宵藍様だって(ごう)家の人間として生まれ育ったけど、実は別の血筋だったとしても誰かが教えてくれなかったら分からないわけじゃない? それと同じだと思うのよ」

「そうですね。生まれる前のことは誰にも分からない。知っているのは、その時から既に生きていた者だけです」


 己火の声が風に溶ける。心地の良いその音を聞きながら朱華は視線を落とすと、「あなたは?」と相手に尋ねた。


「私ですか?」

「うん。わたしが人の子と交わり始めた頃からずっとわたしに仕えてくれている己火は、きっと全てを知ってるんでしょ。周りがわたしに教えることは全て本当のこと?」


 朱華の問いに、己火はしばし動きを止めた。人間の国で朱華に仕え始めて数百年、何度か同じ質問をされたことを思い返し、その中から最適な答えを探す。

 何度も聞かれた。何度も答えた。答えられることは変わらなかったが、どの言葉を選ぶかで相手の反応が変わったことはよく覚えている。


「過去について教えるなと、()()()から命じられています」


 一番無難な答えを口にすれば、朱華が少しだけ眉根を寄せた。予想通りの反応だ。


「……それは、嘘があるということ?」


 恐る恐るといった様子で重ねられた問いに、己火はすかさず首を振った。


「とも限りません。〝その時のあなた〟にとっての過去を教えるなというのが命令ですから」


 その答えに、朱華が「そう……」と疑問を飲み込む。それが決して納得でないことは己火も知っていた。知っていたが、これが一番いいのだ。過去の自分が言ったことならば、それが最善だったのだろうとこの少女は納得するから。


「あなたの過去は私がしっかりと預かっています。今のあなたは、今のことだけを考えればいい。私にこれを命じたあなたはそう望んだのです」


 己火が続ければ、朱華は「……分かった」と静かに頷いた。

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