不死鳥の嫁入り
彗国にある江家の屋敷に火の鳥が現れたのは、夜明け近くのことだった。
「まさか……!」
暁菫と共にいた彗王が顔を青ざめさせる。暁菫もまた目を見開いていたが、彼の顔には驚きはなかった。
代わりにあったのは、悲しみ。宵藍一人で朱華を解放したのだという事実が、暁菫に弟の顛末を教える。
「宵藍……」
悲痛な声で暁菫が呟いた時、不死鳥の背から予想外の人物が姿を現した。
「……はっ」
思わず笑ってしまったのは嬉しいからか。それともその人物――宵藍を見た彗王が更に狼狽えたのが滑稽だったからか。
暁菫にはどちらでも良かった。弟が生きている、それだけで十分だ。見たところ人とは言い難いものになってしまったようだが、しかしそこにいる宵藍は紛れもなく自分の知る宵藍そのもの。いつもどおりの無愛想な顔を彗王に向けている彼を見て、もっとやってしまえ、と内心で声を上げた。
「――宵藍大将、貴様……自分が何をしたのか分かっているのか!?」
彗王が声を張り上げる。だが、宵藍はひるまない。それは彼の後ろにいた不死鳥も同様だった。巨大な火の鳥はするするとその身体を小さくしていき、やがて少女の姿を形作った。
「〝朱華〟……」
そこにいたのは朱華だった。去る前と全く同じ顔をした、見知った姿。違うのは彼女の髪が見事な赤色だということだろうか。まるで己火を思わせるような髪色、そしてこれまでの〝朱華〟にはなかった厳しい雰囲気を全身に纏っている。
「あなたに他人を責める権利はありません」
強い声で朱華が言う。
「全て思い出しました。力も取り戻しました。あなたを含めた三王の先祖は、わたしを欺こうとした。そのために大巫女を殺し、嘘の歴史を人々に擦り込んできた――」
朱華の金色の瞳が、鋭い光を放つ。
「――お前をどうしてくれようか」
低い声と押し潰されそうなほどの威圧感に、彗王がよろりとその場に崩れ落ちた。
「お、お赦しを……! 私に選択肢はなかったのです! 一族の罪を引き継がねば、この国は立ち行かなくなる……!」
「だからわたしを苦しめてもいいと? 記憶を持たないただの赤子同然だった相手にすら何をしてもいいと?」
「ぁ……それは……」
彗王が言葉を失う。巨大な力を前に、助かるための何かを探そうとするその様は酷く哀れだった。「朱華様」そんな彗王を救うかのように、宵藍が朱華に呼びかける。
「償いの機会をやるべきかと。あなたが自由になった今、三国は平和を維持する柱を失いました。この彗国であなたが自由になったのなら、他二国がこの国を責める口実を与えてしまいます。それでは何も知らぬ民を苦しめるだけ……この者には、それを防がせてはいかがでしょう」
宵藍が言えば、彗王が顔を上げた。そして、朱華を見る。そうされた朱華は彗王を冷たい目で見ると、「そうですね」と宵藍に頷いた。
「彗王、あなたには二国を説得してもらいます。罪というのなら二国の国主達も同じ。かつてわたしを裏切った時のように、今度はこの地の平和を守るために協調しなさい。あなた達自身がどれだけ惨めな思いをしようとも、決して民をむやみに傷付けることは許しません」
「ッ、勿論にございます!」
彗王が地面に額を擦り付ける。一連の流れを見ていた暁菫は、まるで示し合わせたようだ、と宵藍に目をやった。
その視線に気付いた宵藍が、彗王の視界の外で暁菫に笑いかけた。微笑むのとは違う、楽しげな笑みだ。それがいたずらをする時の弟の顔だと気が付いて、暁菫もまた同じように笑い返した。
§ § §
その日、夜明けの空を火の鳥が飛んだ。無数の炎を従えて、歓喜の声を上げながら島中の空を舞った。
最初は何事かと恐れた人々は、その美しさに恐怖心を忘れた。機嫌良く大空を羽ばたく瑞獣を見て、これは良いことがありそうだ、と胸に期待を抱いた。
ひとしきり空を楽しんだ火の鳥は自らの住処に戻って、人の姿になった。赤い髪の少女だ。その少女の傍らには黒髪の男。彼は大事そうに少女の手を取ると、地上を眺めるように岩壁の方へと歩いて行った。
「――これで大丈夫でしょうか」
朱華が宵藍に問う。すると宵藍は「大丈夫でしょう」と頷いた。
「全員にあなたの姿は見せられなくても、人の噂にはなります。兄の目論見通り、民に自分達は不死鳥に守られていると思わせるには十分かと」
朱華が不死鳥の姿で空を飛んだのは暁菫の案だった。〝朱華〟がいなくなったことについて、事情を知る国主一族は納得させられても、何も知らない民は不安に思うだろう。だから彼らを安心させる手段として、不死鳥が人間に寄り添っていると見えるように朱華は大勢の前に姿を現したのだ。
「だけど、本当にそれで足りるでしょうか……」
そう不安げに言う朱華の見る先には、小さな花畑があった。それはこの場に朱華が作った紅胡の、己火の墓。これまで人の世でずっと共にあった肉体と己火を、そこに埋葬したのだ。
自分のせいで誰かが命を落とす――それはたとえ相手が望んでも、もう二度とあって欲しくなかった。自分が解放されたせいで無実の民が苦しみことになるだなんて、考えただけでも辛くなる。そう思って朱華が墓を見続けていると、宵藍が「あなたのせいではありません」と朱華の顔を自分の方に向けさせた。
「王達は〝朱華様〟と方術の才を失うでしょうが、〝朱華様〟はともかく、方術と政治は本来関係がありません。為政者がそれを失った程度で混乱に陥るならば、この地の人間が未熟だったということ……〝朱華様〟の存在にかまけて努力を怠った結果です」
「でも民は関係ありませんよね? それなのに彼らまで不幸になるのは……」
「人は意外と強い。上が無能だと気付けば声を上げる者もいるでしょう。そんなことよりも――」
それまで穏やかに話していた宵藍が、不満げに表情を曇らせる。
「――敬語はいらないと言ったはずでは? 今のあなたは神なんです。俺なんかにへりくだる必要はありませんよ。まあ、それを言ったら以前からですが」
不貞腐れたように言う宵藍に、朱華は慌てて「でも!」と声を上げた。
「宵藍様を敬ったのは旦那様だからです! それに宵藍様だってわたしに対してそういう言葉遣いをなさるじゃありませんか」
「俺は人です。神に乱暴な口など利けませんよ」
「……やっぱり、人で在りたかったですか?」
今の宵藍は人ではない。自分のせいで彼をそうしてしまったという罪悪感に、朱華がしゅんと視線を落とす。
「人ですよ。俺は」
「でも……」
「朱華様も人に見えます」
言われて、朱華は思わず顔を上げた。すると宵藍の手が伸びてきて、朱華の赤くなった髪に指を通す。
「この赤い髪も、金色の瞳も、確かに人では珍しい色かもしれません。でも俺は好きですよ。よく似合っています」
「えっ……あ、ありがとうございます……」
急に褒められたせいで表情筋が混乱する。しかも顔に熱まで感じるものだから、朱華は恥ずかしさで視線を彷徨わせた。
「そうやってすぐに照れるところも、とても人間らしい。俺よりずっと年上だなんて思えないくらいだ」
「っ、馬鹿にしてますか!?」
「可愛がってます」
「は……」
なんだこれは。なんで宵藍はこんなことばかり言うのだ――口をぱくぱくとさせることしかできない朱華に、宵藍が「だからどうでもいいです」と続けた。
「人だとか妖だとか、今この場ではどうでもいいです。もしかしたらいずれ悩む時が来るかもしれませんが、まだその時じゃないので考えても仕方がありません。間違いないのは、あなたに助けられて目覚めた時、俺は生きていて良かったと思ったことです。自由になったあなたに会えて良かったと。他はまだ未経験なので分かりません。ですから、気の持ちようじゃ駄目ですか? 俺は自分を人間と思いますし、朱華様のことも人間と思っています」
「……いいです」
「なら問題ない」
ふわりと宵藍が微笑む。満足げな笑みだ。これまでで一番機嫌の良さそうなその笑い方に、朱華の胸がぎゅうと締め付けられる。
どうやら記憶を取り戻しても、宵藍を美しいと思う心は変わらないらしい。それは嬉しいが、せめて余裕は欲しかった――と考えて、そうだ、と宵藍を見上げた。
「あの、お互い人間ということで……言葉遣いはそのままでもいいですか……? ほら、この方がしっくり来ますし、わたしも落ち着くと言うか……」
「慣れるまで待ちますよ。ただ――」
宵藍が腕を伸ばす。朱華が身構えるより先に、身体が浮いた。「え……」軽々と持ち上げられた身体は宵藍の腕の中へ。横抱きにされて近くなった顔が、朱華を見つめる。
「初夜を仕切り直そうか。それは流石に待ちたくなくて」
「っ、ひ……!」
変な声が出た、と朱華の中で妙に冷静な部分が告げた。人は羞恥が大きくなりすぎると悲鳴を上げるのかと、慌てて両手で顔を覆い隠す。急に動いたせいで身体が不安定に揺れる。しかしそれも、より強い力でぎゅっと支えられた。
逃さないとばかりに、きつく。だが痛みを感じるほどではない。普段であれば心遣いだと思うところだが、何故だか今は緊張を高めるばかりだ。そのせいで朱華が固まっていると、「朱華」と宵藍の声が降ってきた。
「俺の妻になってくれますか?」
丁寧に宵藍が問う。距離が近くなったような話し方をしておきながら、こんな言い方はずるい――そう思ったものの、朱華は文句を言う気にはならなかった。
「――よろこんで!」
満面の笑みで答えれば、宵藍もまた嬉しそうに笑う。そして朱華に顔を近付けて、そっとその唇に自らのそれを重ね合わせた。
不死鳥の嫁入り −了−
―――
最後まで読んでいただきありがとうございます。あまり考えず勢いだけで一気に書いたお話ですが、楽しんでいただけましたなら幸いです。




