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不死鳥の嫁入り  作者: 丹㑚仁戻
最終章 終わり、そして蘇る
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〈九〉終わり、そして蘇る・後

「私は紅胡(こうこ)です、朱華様。あなたがあの時助けてくださろうとした、あなたの巫女にございます」


 不死鳥の炎が、大きく揺らめく。


《そんな……》


 朱華の声が震える。今はもう人間の肉体を持たないのに、血の気が一気に引いたように感じる。


 驚愕だなんて言葉では足りない。何故なら自分は紅胡の肉体を借りていただけでなく、彼女の魂まで外に追い出していたのだ。


 ……いや、違う。これはそれだけじゃない。


『……紅胡は、あなたが封じられた時に死にました。魂が肉体を離れたのです』


 己火の言葉はそういうことだったのだ。自分が力と一緒に紅胡の魂を切り離してしまったから紅胡は死んでしまった。


 紅胡を助けようとして、逆に彼女を殺してしまっていたのだ――あまりにも受け入れ難い事実に、朱華は目の前が暗くなった気がした。


「朱華様」


 言葉を失った朱華に、己火が呼びかける。


「ご自分を責めないでください。私はあなたを恨んではおりません。むしろこれほどの長い時間をあなたにお仕えすることができて誇らしく思っております。私にあなたをお救いすることは叶いませんでしたが、それでも火神(ほのがみ)の無二であれたことは何物にも変えがたい喜びなのです。だからどうか、ご自分が私を殺したなどとは思わないでください。あなたが私を助けようとしてくださらねば、私は無念の中、三王の手にかかり死んでいました。あなたは私を救ってくださったのです」


 己火が訴えかけてきたが、朱華にはすぐに受け入れられなかった。自分が紅胡を殺してしまったことは事実なのだ。

 そして、長い時間この世に縛り付けてしまった。本人はそれで良かったと言うが、紅胡を殺し、その上(あやかし)という人ならざるものにしてしまったのだという現実が朱華の胸に重くのしかかる。


 その時だった。朱華の脳裏に嫌な考えが過った。己火は妖だ。彼はそんな自分をただの力に戻して、宵藍に分け与えろと言う。己火という存在を保っていたほどの力を、宵藍に与えろと言う。


《宵藍様は……人として、蘇るんだよね……?》


 恐る恐る朱華が尋ねれば、己火は「……どちらとも」と首を振った。


《ッ、そんな! そんなことできるわけがない!!》


 何故己火はそんな提案をするのか、朱華には全く理解できなかった。たった今自分が紅胡を妖にしてしまったと知ったばかりなのに、何故同じことを繰り返せと言うのだろう。己火であれば朱華が喜んでやるとは思わないはずなのに、どうしてそんな提案ができるのだろう。

 朱華が信じられないとばかりに己火を見つめれば、己火はしっかりとその目を見つめ返した。


「しかしやらねば宵藍殿は助かりません。彼は命を懸けてあなたを救ってくださった。私はそれに報いる手段をお教えしたまで」

《だからって彼を妖にしてしまうのは違う! そんなことをしたって宵藍様は……!》


 喜ばない――そう言いかけて、朱華はそうだろうか、と動きを止めた。宵藍がどう考えるかなど、自分に分かるはずがない。それなのに決めつけるのはおかしい。だが、だからと言って宵藍が受け入れるはずだと楽観的に考えることもできなかった。


 希望と理性がごちゃ混ぜになる。宵藍ならどう思うか考えたいのに、どうしてもそこに自分の希望が割り込んできてしまう。それなのに、これは違うと、その浅はかな考えを振り払うことすらできない。

 希望に縋りたい。どれだけ理性的に考えようとしても、その欲求が朱華の思考を妨げる。


「宵藍殿がどう思うかは私には分かりません。それは本人が決めることです。しかし少なくとも私自身は、このような形となれどあなた様にお仕えできて幸せでした。彼が同じように思うかは分かりませんが、自分で自分の在り方を決められぬほど弱いお方でもないはずです」


 自分で自分の在り方を決める――少し前に魅力的だと思った言葉が、全く違う意味を持つ。


《それは……妖として生きたくないなら、自ら命を断つよう迫れということ……? わたしが勝手に生き返らせておいて、嫌ならもう一度死んでくれと宵藍様に言うの……?》

「それができぬなら、他者の命に手を出すべきではありません」


 強く、己火が言う。宵藍を生き返らせるならば責任を持てと言っていると、朱華には嫌でも理解できた。


 なんて無責任なのだろう、と思う。己火ではなく、自分が。もし宵藍を蘇らせたとして、そしてそれを宵藍が望まなかったとして。嫌ならもう一度死を選べと、自分は言わなければならない。


 浅ましいと思う。ただ自分が宵藍の死を受け入れられないから、それを覆すなどと。死という自然の摂理を捻じ曲げてまで、自分の我儘を通すことなどと。

 けれど――


『――あなたが俺の妻になってくれて、本当に良かった』


 宵藍の最期の言葉が、頭から離れない。望まぬ結婚だったはずなのに。自分で自分が分からない朱華()のことを気持ち悪いと拒絶していたはずなのに。

 あんなに満足そうな笑顔でこの言葉を紡いだ宵藍の、真意を知りたい。


《……己火》


 小さく呼びかければ、「はい」と己火が答えた。


《わたしは、宵藍様に生きて欲しい。またもう一度、あの方と話をしたい》


 すると己火は頷いて、その身体を炎に溶かした。人間だった己火の姿が、揺らめく炎に変わっていく。《己火……!》急な別れを悟って朱華が声を上げれば、己火は嬉しそうに微笑んだ。


「やっとあなたのお役に立てる」

《ッ……!》


 己火の身体が、完全に炎となった。不死鳥の纏っていた炎と混じり、本体へと還っていく。熱が、記憶が、朱華に流れ込む。

 それら全てを受け入れれば、様々な感情が自分の中に巡るのを感じた。身体が熱くなる。一気に戻ってきた記憶は激情となって、朱華の胸の内で叫びたくなるほど激しく暴れ回る。


 だがそれらは、時間の経過と共に勢いを鎮めていった。そして、あるものに気付く。


《ッ、己火……!》


 己火の記憶だった。彼が一人で知ったこともまた朱華の中に入っていく。それはまるで己火からの贈り物のような、朱華の求めていたものだった。


 そっと、目を閉じる。燃え滾っていた力が徐々に落ち着いていくのを感じる。身に纏う熱はどんどん小さくなって、朱華が再び目を開けた時には見慣れた視界に戻っていた。


 人の視界だ。朱華()として見てきた高さ、世界の色付き。翼を前に出せば、そこには腕があった。人間の腕だ。自らの姿を人に変えていた己火の記憶が、朱華にその方法を教えたのだ。


「ありがとう、己火」


 声も、慣れ親しんだものだった。紅胡の遺体はずっと同じ場所にある。けれど今の朱華もまた、紅胡と同じ容姿をしていた。

 違うのは、髪の色。赤みがかった暗い色の髪は、己火のそれのように燃えるような赤となった。胸元に見える髪を見て、朱華が目を細める。己火の存在を感じながら、噛み締めるように瞬きをする。

 そして、自分のやるべきことを思い出す。


「宵藍様……」


 朱華は宵藍の隣に腰を下ろすと、彼の頬に手を伸ばした。指先に肌の弾力を感じる。触れられている。胸の奥底からたくさんの感情が膨れ上がる。


「っ……」


 嬉しかった。宵藍をまだ、愛おしいと思える。自分の何を捨ててでも助けたいと思える。

 だが、だからこそその身体が動かないことが辛かった。自分のせいで命を捨てさせてしまったのが苦しかった。


 血色を失った彼の胸に、頭を乗せる。しがみつくように両手で触れる。

 冷たい。まだぬくもりは残っているのに、いつもに比べたらずっと冷たい。


 朱華はその事実に涙を一粒流すと、優しく力を込め始めた。

 ひんやりとした宵藍の身体をあたためるように炎で包む。制御を思い出した美しい炎が宵藍を焼くことはない。暖かな熱が宵藍の全身を包み込めば、彼の肌を赤く汚していた傷が癒えていく。自分と宵藍が溶け合うような錯覚に身を委ねながら、朱華は力を、炎を流し込み続けた。


 朱華の放つ炎の熱は、その場全体に行き渡った。いつしか火の雨は止み、彼女の嘆きで焼き尽くされた植物達の下から、新たな生命が芽吹いていった。最初よりもずっと、その場所が生命力で満たされていく。


 これで駄目だったら――朱華が終わりを考えようとした時、トクリと、小さな音が聞こえた気がした。


「ッ、宵藍様!」


 朱華は慌てて身体を起こした。炎を鎮めて、宵藍の顔を覗き込む。……ふるりと、宵藍の睫毛が揺れる。


「朱華様……?」


 宵藍だった。紛れもなく、宵藍の声だ。


「良かった……!」


 もう一度宵藍にしがみつく。「一体……?」混乱したような宵藍の声を聞いて、朱華ははっとしたように身体を離した。


「ごめんなさい……ごめんなさい! わたしのせいであなたは人ではなくなってしまった……! わたしの勝手であなたを……!」


 本当は説明しなければならないと分かっているのに、口から出るのは謝罪ばかりだった。とんでもないことをしてしまったと、宵藍が蘇った喜びと同じくらいの後ろめたさが、朱華の首を締め付ける。


 朱華がそうしている間にも宵藍はゆっくりと身体を起こして、自分の身に起きたことを確認するように手を動かしていた。


「傷が癒えた……にしては、随分と感じ方が違う。それに助かるような状態でもなかった……俺は、死んだのですね」

「……はい」

「そしてあなたが、俺を蘇らせた」


 きゅっと、朱華の胸が締め付けられる。「……はい」小さく頷けば、「俺は人ではなくなったのですか」と宵藍が低い声で言った。


「……そう、です。わた、わたしがっ……あなたと、もう一度話したいばかりに……っ……ごめんなさい……」

「何故謝るのです」

「わたしが悪いから……! あなたは人だったのに、わたしがあなたを失いたくないからこんなことを……あなたをっ……あなたを愛してごめんなさい……!!」


 涙ながらに朱華が言う。自分の勝手で宵藍から人としての生を奪ったのだと、どうか責めてくれと願う。だからどうか、自分を嫌わないで欲しい――その本心は押し隠して、けれどそんな自分が卑しいと感じる。

 朱華の顔が俯いていく。宵藍が生きていて嬉しいのに、素直に喜べない。自分の醜さを見せつけられているようだ。それなのにやはり、自分勝手でも宵藍が生きていてよかったと思ってしまう。

 朱華が己の浅ましさと葛藤していると、「俺も謝らなければなりません」という宵藍の声が聞こえてきた。


「宵藍様は、何も……」

「しましたよ。あなたは何も知らずに生きていくこともできた。そうと分かっていて俺はあなたの過去を暴いたんです」

「でもそれは、わたしのためだと」


 自分に自由になって欲しいからだと宵藍は言っていた。それならば彼が謝る理由はない。彼は自分を想ってくれただけなのだから。


「確かにそれも嘘ではありません。俺はあなたに自由になって欲しかった。ですがそれは、あなたのためだけじゃない。……俺が嫌だったからです。あなたが他の男の妻になるのが耐えられなかった……あなたを、愛してしまったからです」

「っ……」


 はっきりと言葉にされたそれに朱華が目を見開く。まるで自分の発言をなぞるかのような宵藍の言い方に、朱華を蝕んでいた罪悪感が霞んでいく。


「おあいこにしてくれますか?」


 少し悪巧みをするような顔で宵藍が笑う。その千草色の瞳の中にいる自分が、嬉しくてたまらないといった顔をしているのが見える。


 なんて単純なのだろう。なんて浅ましいのだろう。喜んでいい立場じゃないと分かっているのに、しかしその後ろめたさすらも喜びに変わっていくように感じられてしまう。


 いや、実際に変わっているのだ。宵藍が自分の犯した罪さえも受け入れてくれるようなことを言うから、その優しさに甘えたくなる。これで良かったのだと、安堵が喜びと一緒に涙となって溢れ出していく。


 そしてその涙を宵藍が指で掬ってくれるものだから、朱華はもう返事を口にすることもできなくなって、何度も何度も首を縦に振ることしかできなかった。

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