表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不死鳥の嫁入り  作者: 丹㑚仁戻
最終章 終わり、そして蘇る
41/44

〈七〉やるべきこと

 兵達は疲れていた。〝侵入者〟を追って夜通し馬を走らせ、やっと辿り着いた先は高く聳える霊山。かつて不死鳥が住んでいた山だ。

 その山頂に〝侵入者〟は向かったはずだという上からの情報で、登り始めた道は細く険しい。馬は通れず、人間一人でも油断すれば足を踏み外しそうになる。その上ところどころで道が途切れているものだから、そのたびに縄を使って橋を架けなければならないせいでなかなか進まない。


 高所での作業、捗らない進行、すぐ隣に佇む死の恐怖――それら全てが、兵達から力を殺いでいく。それでもどうにか登り続け、雲を越え、山頂まであと少しというところまで来た。


 その時だった。


「帰りなさい」


 女性の声が聞こえた。最初に気付いたのは先頭にいた兵だ。


「……朱華様?」


 そこにいたのは朱華だった。何度か宮廷で姿だけなら見かけたことがある。常に侍女を引き連れて歩き、夫以外の男が近付くことを拒む彼女は、確か赤みがかった髪色をした少女だった。


 不死鳥の、人としての姿。その少女が今、目の前にいる。


「帰りなさい。ここはあなた達の来る場所ではありません」


 強い声で朱華が言う。「しかし朱華様!」兵が自らの目的を告げようと、顔を上げた時だった。


「ッ――!?」


 朱華の背後から炎が上がった。彼女に危機があると思ったのは一瞬のこと。そうではないと分かったのは、朱華の手の動きに合わせ炎が形を変えているからだ。


 そうだ、不死鳥とは火の鳥。火の鳥ならば炎を操れて当然――兵の中で知識が繋がる。繋がった知識はこの状況を把握しようと、更に他の情報と紐づいていく。


 〝朱華様〟が人前で炎を扱ったなどと聞いたことがない。しかし今、現実に彼女は使っている。それも、『帰れ』という強い言葉と一緒に。


「ッ、怒りをお鎮めください!」


 兵が頭を垂れる。すると障害物がなくなったお陰で、後ろの兵にも状況を把握することができたらしい。不死鳥への畏れが列を成して伝搬していく。


 その様を見ながら、朱華の内心は緊張でいっぱいだった。まず、高いところが怖い。今にも落ちそうだ。己火(きか)がいるとはいえ、落ちたらその恐怖を味わうことになるだろう。

 次に、兵が怖い。宮廷にいた護衛は最低限の武装しかしていない。それなのにここにいる兵は重装備で、ここまで必死に登ってきたせいで顔つきも鬼気迫るものがある。

 そして何より、信じてもらえるかが不安で怖かった。うまくいかなければ彼らは宵藍を捕まえに来てしまう。いや、もしかしたら自分のことも連れ戻せと言われているかもしれない。そうならないために必死に創作物の中の神を思い出して、それらしい感じが出るように振る舞わなければならない。


「わたしに怒りを鎮めろと言うのなら、まずあなた達が態度で示しなさい。ここはわたしの土地、あなた達人間が許しなく来て良い場所ではありません」


 これでいいだろうか、と朱華は自分の演技を振り返った。〝神っぽい感じ〟を目指したのに、どうにも口調が宵藍に似てしまっている気がする。いつかの祭りで、朱華を紅胡(こうこ)と呼んだ男を追い払った時の宵藍だ。

 あの時の宵藍は確か、丁寧な物言いとは裏腹に威圧感があったように思う。


『〝朱華様〟は宮廷の外には出られない。彼女は私の妻だ。夫の前で妻に手を出すのはやめていただこうか』


 そう、こんなふうに――記憶を辿って、朱華は顔がばっと熱くなるのを感じた。

 今これは思い出しては駄目だ。あの時は何も思わなかったが、宵藍への想いを自覚した今では感じ方が全然違う。こうして思い返しているだけなのに、顔に変な力が入りそうになる。


『頑張りますよ。妻の願いを叶えるのが夫の仕事です』


 更につい今しがたの言葉まで思い出して、朱華はどうにかなりそうなくらいに自分の体温が上がるのが分かった。

 でも今じゃない。今じゃないのだ。確かにあの時の宵藍の言葉も笑みも嬉しくてたまらなかったが、今はそんなことを考えている場合ではない――朱華はどうにか平静を取り戻すと、無愛想だった頃の宵藍を思い出した。


「早く去りなさい。わたしが怒りを我慢できているうちに」


 冷たく、厳しい声を出す。己火が幻覚で炎を大きくする。

 すると兵達は一歩後ずさった。それ以上は危険があるため動けないようだが、帰る気になってくれたかもしれない、と朱華が胸を撫で下ろす。しかし――


「早く進め! 今の朱華様には我らをどうこうする力はない!!」


 後ろからの声だった。予想外の声に朱華が出処に目を向けるも、細い道で列となった男達の中から声の主を見つけることができない。

 確信を持った声なのは、〝朱華〟のことを他よりもよく知っているからだろうか。大抵の者達は〝朱華〟をよく知らないと言っていたが、もしやそうではない人間もここにいるのではないか。


 どうする? 反論する? でももし()()()人だったら事態が悪化するかも……――朱華が対応を決めかねる。きっと、その態度がいけなかった。


「行け! 朱華様に敵意はない!」


 誰かが叫ぶ。その声と同時に兵達が進み始めて、朱華はもうどうしようもないことを悟った。



 § § §



「――戻ってください、朱華様!」


 周りのざわめきに、宵藍は朱華に向かって声を張り上げた。と同時に、視界が揺れる。動いていないのに息が上がる。纏わりつくような吐き気が宵藍を襲う。


 血を流しすぎたのだ。色褪せていた三枚の札には、今はもう真っ赤な鮮血で所狭しと術式が書き込まれている。改めて見るとぞっとするような血の量だった。妖魔との戦いの中でも、ここまでの血は流したことがない。


「宵藍殿! 準備は!?」


 己火が声を上げる。どうやら朱華を兵から避難させているらしい。目の前が暗くなってきたせいでよく見えないが、二人分の人影があるということはそういうことだ。


「どうにか……!」


 己火に答えて、札に目を落とす。封印の上書きはもうできた。あとは乾くのを待って、暁菫(きょうき)に届ければいい。その前に彼を助けなければならないが、志宇に言えばどうにかしてくれるだろう。だから今はそのことを朱華達に伝えなければ、と宵藍が立ち上がろうとした時、「宵藍大将がいたぞ!」という声が聞こえた。


「方術を使わせるな! 死んでも構わない!!」


 不明瞭な視界の中に、光を反射する何かが見える。……鉄だ。剣か、矢か。とにかく人の命を奪うものだ。


 自分は今ここで殺される――そう悟ると、宵藍は上げかけた腰を下ろした。


「射て!」

「ッ、宵藍様!!」


 ドッ、と身体に衝撃が走る。一箇所二箇所ではない。座り込んだ上半身に、たくさんの何かが刺さったのを感じる。


 しかし宵藍はそこから動かなかった。攻撃を避けようとすらしなかった。避ける力など残っていなかったからだ。

 それに、死ぬと分かったなら自ずとこの後にすべき行動も決まる。


「己火、離して!!」


 遠くで朱華が叫ぶ声が聞こえる。己火が彼女を止めているのだろう。それでいい、と宵藍は口端を上げた。


 そして、前を見る。自分を攻撃してきた追手に笑いかける。


「私の命、貴様らなんぞにくれてやるわけにはいかない」


 刺さった矢ごと上半身を覆う着物を脱ぎ去って、肌を流れた血を指で伸ばす。胸から肩、肩から腕へ。方術独特の文様を描きながら、手の甲まで描き続ける。

 そしてそれが指先まで来ると、宵藍は札にも文様を書き足した。最後にそこに手を置いて文様を繋げれば、術式の完成だ。


「朱華様――」


 最後に声のした方へと顔を向ける。血を流しすぎたせいで真っ暗になった視界では、もう彼女の姿を見つけることはできない。


 だが、それでよかった。顔が見えなければ、笑顔を想像することができる。今の朱華がどんな顔をしているかなんて見なくても分かる。できれば最期に見る顔は笑顔がいい。自分が見せる表情も。


「――あなたが俺の妻になってくれて、本当に良かった」


 喜びと感謝を声に込める。もっとたくさん言いたいことはあったが、もう長々と話す力は残っていない。

 だがきっと、朱華にはこれで伝わったはずだ。彼女は相手の感情を大切にする人だから、発した言葉以上の気持ちを汲み取ってくれる。


「宵藍様ッ!!」


 悲鳴のような朱華の声を聞きながら、宵藍は札に触れた手に力を込めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ