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不死鳥の嫁入り  作者: 丹㑚仁戻
最終章 終わり、そして蘇る
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〈四〉裏切り者の血・前

 己火(きか)によって連れてこられた山頂の景色に、宵藍が圧倒される暇はなかった。


「――宵藍様!」


 地面に降り立つと同時に胸元に感じた衝撃。思わず腕を伸ばして抱き止めてから、それが朱華だと理解した。


 良くない、と思ったのは一瞬のこと。自分を力いっぱい抱き締めてくる朱華に、宵藍の胸が騒ぐ。嫌われていなかった。待っていてくれた。その喜びが、まだ駄目だと踏み留まろうとする自制心を弱らせる。

 そんな己の心に気が付くと、宵藍は眉間にぐっと力を入れた。こんなことでは駄目だ。まだ朱華は自由になっていない。そんな彼女にこの気持ちを知られてはいけない。そう自分に言い聞かせながらさり気なく朱華を離れさせようとした時、宵藍の胸元で朱華がもぞりと動いた。


「よかった……来てくれた……」


 これはずるいだろう、と宵藍は天を仰ぎたくなった。朱華に他意がないのは分かっている。だがこんなにも震える声で言われてしまえば応えないわけにはいかない。胸元にある朱華の顔は見えないが、しかし不安に震えていると分かる彼女を突き放すことなど自分にはできやしない。


「すぐに追いつくと言ったでしょう?」


 朱華を抱く腕に力を込めながら余裕を装う。我ながら自制心が仕事をしていない自覚はあったが、今だけだ、と自分を納得させた。


「そんなことをしている暇はあるのか?」


 己火の呆れ声は、まるでそんな宵藍の心持ちを見透かしたようだった。それに居心地の悪い思いをしながら、宵藍がゆっくりと朱華から身体を離す。その間にどうにか平静を取り戻し、背中の存在を意識して状況を思い出した。


 そうだ、今はこんなことをしている場合ではない。自分は朱華から全てを奪ったのだ。その上、麓には追手がいる。のんびりとしていたら朱華を更に苦しめることになる。


「朱華様、不死鳥に戻りたいですか?」


 真剣な面持ちで問う。その声は、宵藍が意図したものよりも一段階重たくなった。


「わたし、ここにいる間に決めたんです」


 宵藍から離れながら、朱華が顔を上げる。その表情に宵藍は息を呑んだ。こちらを見る強い目は、これまでの朱華に見たことがないもの。つい今しがたまで声を震わせていた少女のものとは思えない眼差しが、宵藍を射抜く。


「わたしは自由になります。もしわたしが宵藍様の立場なら、わたしもあなたにそうして欲しいと思うだろうから」

「……朱華様」


 最後に会った時とは別人のような声の強さだった。宵藍を苦しませないために宵藍に従うと言っていた少女が、自分の言葉でその望みを語っている。

 思わず宵藍が固まっていると、朱華が不安そうに「駄目でしたか……?」と眉尻を下げた。


「いいえ。あなたが自分の意志で決めてくださって嬉しい」


 本心だった。かつて気持ち悪いと思った少女はもうそこにはいない。自分を構築する全てが他人に与えられたものだと知って、酷く不安だっただろう。それなのにこうして自分のことを自分で考え、決めることまでできた彼女を誇らしくすら思う。

 宵藍は朱華に微笑みかけると、名残惜しさを感じながら「時間がありません」と表情を元に戻した。


「急いでやりましょう。己火様、少々お手をお貸しください」


 背中の筒を下ろし、地面に広げながら宵藍が言う。再生の間にあった三枚の札だ。古く大きな紙は気を付けないと破れてしまうだろう。それを防ぐために宵藍は己火に声をかけたが、しかし己火はそこから動かなかった。


「無理だ」

「何故?」

「私は朱華様の一部だ」


 その言葉に宵藍がはたと動きを止める。だが、妙に納得感があった。先程見た火の鳥も、これまで己火が朱華に仕えてきたという事実も。彼が朱華の、不死鳥の一部だと言われればそういうものなのだろうと思えてしまう。

 ならば己火にとってこの札は毒だろう。既に封じられている朱華とは違い、己火はまだ自由。そんな身で不死鳥を封じる札になど触れればどうなるか分からない。


《――……上まで乗せてやる。だがそれを私に触れさせるなよ。落ちて死ぬぞ》


 外で己火に言われたことを思い出す。あれはそういうことだったのだと、宵藍はやっと理解した。


「……なるほど。では、見張りと時間稼ぎをお願いします」


 宵藍が言えば、己火は心得たとばかりに頷いた。くるりと踵を返して麓が見える方へと歩いていく。そんな彼を見送りながら、朱華が「あの、」と宵藍に声をかけた。


「これは一体……?」


 朱華の視線の先には地面に広げられた札があった。宵藍にはこれが札としか思えないが、方術を知らない人間からすれば〝古そうな大きな紙〟にしか見えないだろう。宵藍は朱華の疑問に納得すると、「方術で使う札です」と答え始めた。


「そして、あなたを人間の肉体に封じた術でもあります。恐らく不測の事態に備え、常にあなたの傍に置くようにしていたのでしょう」

「これが……。ということは、これを使って術を解くのですよね? 破る、とか……?」


 自信なさそうにしながらも、それくらいなら手伝えるぞとばかりに朱華が胸の前まで手を上げる。宵藍はそんな彼女に苦笑を返すと、「これは破ったら駄目ですね」と言いながら札の位置を整えるように手を動かし続けた。


「単純な術ならそれでもいいですが、今回は無理そうです。術同士が複雑に絡み合っていて、そんなことをすれば朱華様が無事では済まない」

「少しくらいなら我慢できます!」

「その肉体が裂けるかもしれないと言っても?」


 宵藍が朱華に問う。すると朱華はうっと顔を強張らせ、「……それは、駄目です」とぽそりと呟いた。


「これは紅胡(こうこ)からの大事な預かりものです。できれば傷つけたくない」

「紅胡……(はい)国の大巫女ですね」

「知っていたんですか?」

「名前だけ。その身体がそうだということは今知りました」


 なんとなく色々なことが繋がってきた、と宵藍は記憶を辿った。朱華のこの身体が紅胡のものなのであれば、杷国での不死鳥の呼び名が紅胡なのも理解できなくはない。神と人を同一視してしまったのか、それとも故意に同一視しようとしたのか――宵藍には分からなかったが、今となっては知る由もないだろう。


「紅胡はわたしを守ろうとしてくれたんです。だから、できればこの身体には傷付けずに返してあげたい」



 * * *




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