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不死鳥の嫁入り  作者: 丹㑚仁戻
第四章 裏切りの日
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〈六〉自由に生きる・後

「あの状況で殺されない方法など、あなたを裏切ること以外にはないのでは?」


 やっと己火の言わんとしていることが朱華にも分かった。宵藍は裏切り者の子孫だから、彼もまた我が身可愛さに自分を裏切るのではと己火は言いたいのだ。


「なんで……そんなことを言うの……」


 朱華の目に涙が浮かぶ。悲しかった。宵藍が裏切るかもしれないと言われることも、味方である己火が宵藍を貶めるようなことを口にすることも。

 それなのに滲んだ視界の中にいる己火は自分も悲しいのだと言いたげな顔をして、じっと朱華を見つめている。


「私はもうあなたに悲しんで欲しくないだけです。本当なら過去のことだって教えたくはなかった。記憶を手放したあなたの命令もそうですが、私自身も、あなたがあれを知ってしまうのは避けたかった。あなたが苦しむのが分かりきっているからです」


 一歩、己火が朱華に近付く。思わず後ずさろうとした朱華の足は、足元に咲く花を踏みそうになったせいで動かすことができなかった。


「私と暮らしましょう、朱華様。私も人間を学びました。あなたが何度赤子として再生したとしても、きちんと育てることができます。何も知らないあなたに、人間の生活を教えることができます。二人で生きていきましょう。誰にも利用されず、誰にも縛られず。あなたが望むままに足を動かして、あなたが望むままに世界を知りましょう」


 自分を自分で作り上げながら生きていく――己火の言葉はそういうことだ。朱華にはそれが魅力的に聞こえた。自分のことを他人から知らされることしかできなくてこんなにも不安になるのなら、自分で自分を作れたらどれだけいいだろう。そうやって生きていけば、この不安から解放される。自分がおかしいのかもしれないと感じなくて済む。


 けれど、一つだけ気になることがあった。


「そこに、宵藍様はいるの……?」


 問いかけたが、朱華は答えを知っていた。宵藍はそこにいない。自分が己火と歩む世界に、彼の居場所はない。

 もしかしたら最初はいるかもしれない。だが、最初だけだ。人間の寿命はそう長くない。


「それはどこで生きても同じです。あの者はあと五十年程度で寿命を迎えますよ」

「っ……」


 宵藍が、いない。そう思うと、魅力的に思えた生き方が途端に色褪せたように感じた。


「あなたと同じ時間を生きられるのは私だけです。私ならあなたを悲しませない」

「でもあなたはわたしでしょ。己火がわたしのために生きてくれるのは、わたしがあなただから。自分で自分の身を守っているのと同じ……あなたは……」


 わたしの家族にはなりえない――その言葉は、流石に本人には言えなかった。だが感じるのだ。己火は朱華(自分)に縛られているだけだと。

 彼もある意味では自分と同じなのだ。自由もなく、ただ役目のために生きるだけ。そんな相手に甘えたところで、先へ進めることなどあるはずがない。


『ここにいてはいけません、朱華様。もう人間に利用されてはいけない。あなたは自由になるべきだ』


 朱華はやっと、宵藍の言葉の意味が分かった気がした。しがらみは人を不自由にする。そして、盲目にもする。見たいもの以外見えなくなってしまうのだ。

 己火と話していてよく分かった。彼は〝朱華(自分)〟だ。人間に騙され囚われた自分と同じ。そんな自分を守るためと信じて同じように囚われ続けている。

 己火のそんな姿は見たくなかった。いつも傍にいてくれた彼のことは大事だ。できることならそんなことに縛られず、自由に生きて欲しいと思う。心の赴くまま、好きな場所へ行って好きなように生きて欲しいと思う。


 恐らくこれが宵藍の気持ちなのだろう。目の前で自由を失い、それすらも自覚していない人がいたら――やはり自由になって欲しいと思う。そしてその人が自分の意志で自由になってくれたなら。


 こんなに幸せなことはない、と思う。


 何故なら、その人が大切だから。大切な人が自分自身を大切にしてくれるようになったら、心の底から嬉しく感じるだろう。

 もし己火が自由を選んでくれたなら――朱華は想像しただけで胸の中が暖かくなった気がした。彼を大切に想っているから、彼が自由に生きてくれたら嬉しい。何にも囚われず、ありのままに生きてくれたら嬉しい。


 宵藍も同じなのだろうか。宵藍も、自分と同じように感じているのだろうか。

 もし彼が同じ気持ちで言ってくれていたなら、自分が自由になることが宵藍の――


「っ……!」


 考えて、朱華は待て、と自分に言い聞かせた。それは飛躍していないだろうか。それは流石に、都合が良すぎるのではないか。

 だって彼は、自分を嫌っていたのだから。


『俺はあなたを嫌っていない』


 あの時の言葉が、甘美な響きを纏う。そんなの考えすぎだ。自分に都合のいいように考えているだけで、きっと宵藍の意図したものではない。


 けれど、勘違いじゃないのなら。


「……こんなに幸せなことはない」


 何故ならそれは、宵藍が自分を大切に想ってくれているということなのだから。


 熱が上がる。同じ言葉なのに、全身を溶かすような幸福感を朱華に与える。

 だが、まだ駄目だ、と朱華は内心で首を振った。甘えてはいけない。これは自分の思い込みかもしれないのだ。自分と宵藍が同じ考えだなんて、本人に聞かずしてどうして分かるだろう。確信を得たいのなら、宵藍から話を聞かなくてはいけない。


 けれどそのためには、今のままの自分では駄目なのだ。


「決めた、己火」


 俯いていた顔を上げる。真剣に自分を見てくる己火に、真っ直ぐに向き合う。


「わたし、自由になる。方法は分からないけど、自由になる努力をする。自由になって、それで……今度こそちゃんと、自分のことを知っていきたい」


 たとえそれが、酷く残酷な記憶だとしても。

 その過去も自分の一部なら受け入れなければならない。それができなければきっと、宵藍から何を聞いても意味がない。

 自分に自信が持てなければ、自分に向けられる優しい言葉すべてが同情に思えてしまうだろうから。

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