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不死鳥の嫁入り  作者: 丹㑚仁戻
第四章 裏切りの日
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〈一〉変わらぬ故郷

 三国のある島には、中心部に霊山がある。かつてはここに不死鳥がいた。周りを豊かな森林に囲まれた、自然溢れる場所だ。

 しかし、霊山だけは岩肌が剥き出しとなっていた。気候の影響か、森林限界が低いのだ。高く聳え立つ霊山は、遠くから見るとまるで草原にぽつんと置かれた大きな岩のように見えた。


 そんな霊山の麓に朱華はいた。己火(きか)に抱えて連れて来られたからだ。人のやり方ではない、不思議な方法で。まるで空間と空間を繋いだかのように、どこへ行くのかと疑問に思う間もなくここに辿り着いていた。

 周りに道はない。来た道も分からなければ、進むべき道も見当たらない。それは今が夜で、見通しが悪いせいだけではなかった。垂直に近い岩肌には登れそうな道がないのだ。


 来る者を拒むかのような景色だった。けれど、()()()はない。朱華はそんな自分の()()を見つめながら、不思議な感覚に包まれていた。


「ここ……知ってる、かも……」


 初めて来る場所のはずなのに、妙な既視感がある。朱華をここに連れてきたのは己火で、事前に相談などはしていない。それなのに、自分もここに来たかったかのような気がする。話でしか聞いたことはないはずなのに、ここしかないのだという気持ちになるのだ。


「…………」


 だが同時に、悲しくもなった。自分はこれ以上先へは行けない。行きたいのはもっと上、霊山の山頂付近。

 だがそこに、道はない。見つけられない。どうやって帰ったらいいのか分からない。


「っ……帰れない……」


 帰れないのだ。翼を持たない自分はかつての住処にすら帰ることができない。宮廷に居場所がなくなったのに、もうこれ以上進むことができない。


「帰れますよ」


 己火の声が、朱華を救う。「でも、どうやって……」朱華が泣きそうになりながら問えば、己火の全身を炎が包んだ。


「っ……何!?」


 熱くはない。だが強烈な光が朱華の瞼を閉じさせる。その光が収まってきた気がして恐る恐る目を開けば、そこには真っ赤に燃える炎を纏った鳥がいた。


「己火……?」


 火の鳥だ。人間の背丈をゆうに超えるほどの、大きな火の鳥。

 火の鳥とは不死鳥ではないのか。不死鳥とは自分ではないのか。何故己火がそんな姿をしているのか――混乱に思考がまとまらないでいる朱華に、己火が乗れとばかりに背を差し出す。


《少々乗り心地が悪いかもしれませんが、どうかご辛抱ください。この先は神域ゆえ、ここまでと同じようには行けないのです。私に触れても熱くはありません。この炎はあなたに害を成さない》


 頭の中に直接響いてくる声だった。しかし、それまでの己火の声と変わらない。そのことに朱華は安心感を抱いて、相手の外見が変わったことへの不安が消えたのを感じた。「そう、なの……?」いつものように返しながら、そっと己火の背に触れる。


「柔らかい……」


 それに、温かい。程良い弾力もある。不思議な感触だった。火に触っているはずなのに、感じるのは羽毛のような柔らかさ。ゆっくりと体重をかけながらよじ登れば、その背はしっかりと朱華の体重を支える。「捕まっていてください」己火の言葉に朱華が身構えると、その瞬間、ふわりと浮遊感が朱華の全身を包んだ。


「っ、わ!」


 飛んでいる。火の鳥の背に乗って飛んでいる。速すぎず、しかし遅くもなく。少しだけ強い風が心地良く朱華の全身を撫でつけていく。


 あっという間だった。己火に運ばれ、驚いているうちに地面が遠くなって。岩肌の緑が消えて雲を抜けて。そうして気付いた時にはもう、焦がれた山頂が目の前にあった。


「すごい……」


 感嘆の声を漏らしながら、着地した己火から降りる。そこには小さな池があった。池の周りには山頂だというのに色とりどりの花が咲き、冷たいはずの空気が暖かく感じる。

 ここだ。自分はここにいたのだ――確信が、朱華の心を軽くする。


「あなたの力の残滓が残っていたみたいですね。景色が変わっていなくて良かった」


 己火はいつの間にか人の姿に戻っていた。見慣れたその顔で、懐かしそうに周囲を見つめている。


「己火もここを知っているの?」


 朱華が問えば、己火は少しだけ悲しそうな顔をした。つられて朱華の顔も暗くなる。

 彼が悲しむ理由は知らない。けれど、確信があった。自分は今の質問の答えを()()()()()のだと。知っているのに知らないから、それが己火を悲しませているのだと。


「……己火も、そうだったんだね」


 彼の表情は、いつか朱華を紅胡(こうこ)と呼んだ男と似ていた。朱華が何も覚えていないと知っていたのに、本当に覚えていないのだと実感した彼は悲しんだ。……そして、嫌悪した。


「己火も、わたしが気持ち悪い?」


 問いながら、朱華は宵藍の言葉を思い出していた。彼は朱華を逃がそうとした。朱華に真実を伝え、その上で選べと選択を迫ってきた。


 宵藍はきっと、もう待てなくなってしまったのだろう。朱華がいつまで経っても分からないことを見つけられないから。このままでいいと思って立ち止まってしまったから、付き合いきれなくなってしまったのだ。


『俺はあなたを苦しめたくない。嫌がるあなたに、お役目を強要したくない。……ですが実際は、俺が苦しみたくないだけです。あなたのためと言いながら、自分が苦しみたくないからあなたにこんなことを教えてしまった。あなたを苦しめたくないと言いながら、他でもない俺が今あなたを苦しめている』


 これは自分が言わせてしまったのかもしれない、と朱華は目を落とした。優しい宵藍は優柔不断な朱華に呆れつつも、朱華が自分を責めなくていいように宵藍自身に責があると思わせようとしてくれたのかもしれない。

 だとすればそれは、同情の優しさだ。欲しくないと思った、宵藍を苦しめる優しさ。


『……分かりました。ここを出ます』


 すぐに答えを決められたのは、その同情に苦しんだ宵藍に嫌われたくないと思ったからだ。


『わたしは宵藍様に、わたしのことで苦しんで欲しくないから』


 これは本心だった。だが、相手のことを想った言葉ではない。宵藍の自分への同情がこれまで以上の嫌悪に変わるのが怖かった。宵藍に嫌われたくないから、彼の望みを叶えることにしたのだ。


 本当はまだ、答えなんて出ていないのに。


「朱華様」


 己火の声が、思考に沈んだ朱華を引き戻す。


「私はあなたのことを気持ち悪いと思ったことなどありません」

「……嘘、吐かなくていいよ」

「嘘じゃありません。……朱華様さえよろしければ、私の記憶をお見せします」

「己火の記憶……?」


 そんなことができるのか――その疑問はすぐに消えた。真剣な己火の目が全てを物語っていたからだ。そして、はたと気付く。


「もしかして己火は宵藍様の言っていたことも知っているの? あなたはそれを見ていたの?」


 その問いに己火が顔を強張らせる。「……ええ」後ろ向きな声で答えた彼に、朱華は「なら!」と詰め寄った。


「その記憶も一緒に見せて! わたしに何が起こったのか教えて!」

「しかし、」

「知りたいの! 宵藍様が来る前に、わたしはわたしを知っておきたいの……!」


 答えはまだ、出ていない。けれど知ることはできる。自分のことなのに他人に聞かされたことしか知らないという現実を、変えることができる。

 その希望に縋らずにはいられなかった。朱華が鬼気迫った表情で己火を見つめる。己火は何かに耐えるかのようにその視線を受け続けている。

 だが、己火はいつまで経っても自分を見たままの朱華にどうしようもないと悟ったのだろう。しばらくするとふうと息を吐いて、「分かりました」と朱華の頬に手を当てた。


「私が見たままを、あなたに」


 言って、朱華の額に自身のそれを合わせる。己火が目を閉じるのに倣って朱華も同じようにすれば、朱華の瞼の裏に鮮やかな光景が浮かんできた。

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