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不死鳥の嫁入り  作者: 丹㑚仁戻
第三章 葬られた過去
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〈十二〉苦しまないために・後

「ここにいてはいけません、朱華様。もう人間に利用されてはいけない。あなたは自由になるべきだ」


 それは朱華から全てを奪うことと同義だった。人間が利用するために必要な情報しか与えられてこなかった朱華に、その全てを捨てろと言っているのだ。


 朱華の呼吸が浅い。揺れる瞳にはどんどん涙が溜まっていく。それでも泣かないのは気丈さゆえだと、楽観的に考えることは宵藍にはできなかった。


「酷なことを言っているのは分かっています。まだ状況を飲み込みきれていないことも。ですが、考えてください。自分はどうしたいか、朱華様自身はこのままでいいのか、どうか考えてください」

「なんで……なんで、そんなことを言うのです……」


 朱華の震え声が、夜闇に落ちる。


「ッ、こんな話をされてすぐに受け入れられるとでも!? なのになんで今すぐ選ばなければならないようなこと……!」

「今すぐ選んでいただきたい」

「っ……」


 とうとう朱華の目から涙が零れ落ちた。混乱や不安、それ以外にも様々な感情が見て取れる。自分がそんな気持ちにさせてしまっているのだという後ろめたさが、宵藍の中に募る。

 弱った朱華を抱き締めてやりたい。どんなことがあっても自分は味方だと安心させてやりたい。……愛していると、伝えてしまいたい。


 だが、今じゃないのだ。今はまだそんなことは言えない。今の朱華は己を知らず、そのことに不安を抱いている。そんな状態の彼女に自分が安心感を与えてしまえば、朱華はそれを愛か何かだと勘違いしてしまうかもしれない。

 それだけは避けたかった。そうしたいという下心はあれど、朱華が自分で考えなければ意味がないのだ。でなければ自分は、自分の都合の良いように朱華を変えようとしてしまうだろうから。


「私が過去を知ったと、彗王に悟られました。今後はもうこれまでのような誤魔化しは効かない。だからと言って離縁をする気はありません。しかし私もまたあなたにお役目を強要する立場になる。あなたが泣いて嫌がろうが、お役目のためにその気持ちを無視しなければならない」

「……なら、教えなければよかった。何も知らなければ、こんな……」

「それでいいのですか?」

「っ……」

「分からないことが不安だと言っていたのに、それでいいのですか?」


 朱華が息を呑む。真一文字に引き結んだ唇が、ふるふると震える。


 罪悪感が宵藍を襲う。本当はこんなこと言いたくなかった。己火(きか)の言うように何も知らせないまま過ごさせてやりたいとも思った。たとえそれで自分がこの歪んだ仕組みの一部として取り込まれてしまうことになろうとも。そうするだけで朱華を苦しませずに済むのなら、その鳥かごの中で憂いなく一生を終えさせてやりたいとも思った。

 朱華に自分の知った全てを教えたのは正義感からではない。未来が怖かったからだ。このまま朱華に何も教えず過ごせば、二十五歳で彼女は生を終える。そうしてまた赤子となって蘇り、今度は(かい)国で玲緋(りょうひ)となって、数多の男達にその身を(まさぐ)られる――そんな、幾度も繰り返してきた未来が受け入れられなかったからだ。


「……申し訳ありません。俺の勝手であなたを追い詰めるようなことを言いました」


 謝ったところでもう遅いと分かっているのに。幼稚な独占欲が、朱華を苦しめると分かっているのに。


「何故、こんなことを……」

「俺はあなたを苦しめたくない。嫌がるあなたに、お役目を強要したくない。……ですが実際は、俺が苦しみたくないだけです。あなたのためと言いながら、自分が苦しみたくないからあなたにこんなことを教えてしまった。あなたを苦しめたくないと言いながら、他でもない俺が今あなたを苦しめている」


 独白にも似た懺悔が口から出ていく。こんなことを言ったところで自分の罪は消えない。それどころか余計に朱華に気を揉ませるだけだ。

 だが、言わずにはいられなかった。朱華には正直でありたいという願望が、嘘を吐くことで彼女に失望されたくないという恐れが、宵藍から冷静な判断を奪う。


 自分は我が身可愛さに朱華を苦しませるようなことを言っているのだ――今の言葉はそういうことだ。だから朱華が同行を拒んでも無理はないと納得していた。一緒に来て欲しいと思うのに、軽蔑されてもおかしくないことを言ったのだと自覚していた。


 もし朱華が拒んだ時、自分は彼女を無理矢理連れ出さずにいられるだろうか――宵藍がぐっと目を瞑ると、朱華が息を吸い込む音が聞こえてきた。


「……分かりました。ここを出ます」


 想定外の答えに宵藍が目を開く。「いいのですか?」信じられないまま問えば、朱華は「ええ」と首肯した。


「わたしは宵藍様に、わたしのことで苦しんで欲しくないから」

「ッ……」


 そんな決め方は駄目だ――そう思うのに、宵藍の口は動かなかった。ずる賢い自分が嫌になる。だがやはり、朱華に考え直せとは言えなかった。それは本当に本心なのかと問いかけることすらできない。


 これでいいのだ。まずは朱華を自由にして、その後でどうしたいか改めて考えてもらえばいい――そう自分に言い聞かせる。乱暴に首を振って、余計な思考を追い払う。幾分かすっきりとした頭で今すべきことを考えれば、自然と口が動いた。


己火(きか)様」


 その名を呼ぶ。すぐ近くにいるのだろうということは分かっていた。だから確信を持って呼べば、案の定己火が窓の外に姿を現した。


「朱華様をどうか、安全な場所まで逃がしてください」


 木の上にいる己火に向かって宵藍が頭を下げる。


「お前、自分が何をしているのか分かっているのか」

「分かっています。だからこそ俺は俺の責任を果たします。朱華様を解放する手段を絶対に見つけてみせる」

「…………」


 己火は信じられないと言わんばかりの目で宵藍を見ていた。しかし宵藍は彼から視線を逸らさない。

 しばしの沈黙の後、己火はふうと溜息を吐くと、「期待しないでおく」と言って朱華に目を向けた。


「参りましょう、朱華様。夜明けが近い。皆が起き始めれば、すぐに事は明るみに出る」

「待って、宵藍様は来ないのですか?」


 朱華が混乱したように宵藍を見る。すると宵藍は一歩下がって、「後から追いかけます」と頷いた。


「私はここでやるべきことがあります。朱華様は先に己火様とできるだけここから離れてください」

「でも、一緒にって……」

「ええ、一緒です。すぐに追いつきます」


 そう言って、宵藍が朱華を抱き締める。だが朱華が腕を伸ばすより早く、宵藍は身体を離した。


「己火様。朱華様を、どうか」


 朱華の背が押される。朱華が振り返ろうとした時にはもう己火に抱き留められていて、朱華は宵藍を見ることはできなかった。

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