〈二〉封じる力・前
宵藍の毎日は、ここのところ以前より格段に忙しくなっていた。
その理由は仕事ではない。お役目に関することでもない。不死鳥のことを彼が独自に調べているからだ。
不死鳥が自分の意志で人と交わるようになったわけではないのなら、他の誰かが彼女を人間にしたということになる。その術者として最初に思い浮かんだのは妖だ。不死鳥という強大な力を持つ存在に対抗しうるのは、同じ妖でしか有り得ないと思ったからだ。
しかし、いくら探せど過去に不死鳥と匹敵するほどの力を持つ妖がいたという記録は見つからなかった。だがそれも当然だと思えてしまう。何せ彗国のあるこの島は、人間がやって来る前から不死鳥が守っていたと伝わっているのだ。
不死鳥の存在のお陰で大地が豊かになり、更にその圧倒的な力でもって他の強力な妖が近寄らなかった。だから安全なこの地に人間が住み着くようになったのだそうだ。そんな土地に強い妖がいるわけがないし、いたとしても人間が来るよりも前のことだろう。
では、不死鳥を人間にしたのは何者なのか――同じ妖が違うなら、残るは人間しかいない。
だが正直なところ、宵藍は人間にそんなことができるとは思えなかった。かつて三国の国主一族を蝕んでいたという呪いは非常に強力で、高名な方士がいくら頭を捻ってもその影響を弱めることすらできなかった。
しかし記録では、三王と不死鳥の間に生まれた子達は全く呪いの影響を受けなかったという。そしてその子供もまた人並みに生きた。不死鳥の血は、いとも簡単に方士一族を悩ませていた呪いを打ち消してしまったのだ。
つまり不死鳥とは、それだけ人智を超えた力を持っている。そんな相手を非力な人間がどうこうできるわけがない。
だがもし、もし本当に人間が不死鳥を人にしたのだとしたら。その場合はきっと、用いた術に関する記録は消すことはできないはずだ、と宵藍は考えていた。
何故なら相手の力が大きすぎるからだ。一度人間にしたところで、不死鳥ほどの力があれば逃れることも容易だろう。ならば逃れられないように、何度も何度も術を重ねがけして強固なものにしなければならない。そうやってどうにか不死鳥の力を抑えつけているのであれば、今もまだその方法は伝わっているはずなのだ。
「……それか、口伝か」
それだけはやめてくれ、と宵藍は心の中で呟いた。口伝ならば自分にはどうしようもない。文字に残すことを忌避して関係者のみに口頭で伝えられているのであれば、こうして過去の記録や方術に関する資料を調べたところで出てくるわけがないからだ。
いや、そもそも何か出てくる保証すらもなかった。宵藍が今こうして調べているのは、人間が無理矢理不死鳥に人の子を産ませている――それを否定するためなのだから。
何も出てこなければ、それでいい。伝説が正しいというだけだ。だが生半可な調査で結論を出すことだけはしたくない。
もし朱華が傷つき続けているのならば、もうそれを終わりにしてやりたいから。
§ § §
「――方術による検査って、どこまで分かるものなんですか?」
夜、夫婦の寝室。朱華が問うと、宵藍がはたと動きを止めた。
これは唐突すぎただろうか――相手の反応に前置きが足りなかったと朱華が気付く。最近では同衾していても眠るようになったため、読書の代わりに話をすることが増えた。それで慣れたせいかつい省略してしまったが、流石に突然こんな質問をしたら困らせてしまうようだ――と朱華が反省しようとした時、宵藍が「何故急に?」と訝しげに問うてきた。
「何か検査をされたのですか?」
「そうなんです。先月妊娠していなかったから、いつもより念入りに気の流れを確認されたみたいで……」
朱華が答えると、宵藍は眉間に皺を寄せた。それを嘘が知られたことを懸念してのものだと判断して、朱華が慌てて「多分気付かれてないです!」と付け足す。
「ただ、いつもは方士の方は一人なのに、今日は二人いたので……しかもなんだか検査の時間も長かった気がして……」
「……方術で分かるのは朱華様が健康かどうかまでです。ここで私達がどう過ごすかまでは知られる心配はありません」
宵藍はそう答えたが、その顔が険しいのが朱華には気がかりだった。「……怒ってますか?」心当たりはないが、恐る恐る尋ねる。久々に宵藍の機嫌が優れないところを見たものだから、どうにも心配になってしまう。
すると宵藍は隣に座る朱華を見て、「いえ」と答えた。しかしすぐに視線を逸らす。だがその顔がやや左下を向いていることに朱華は気が付いた。これは宵藍が考え事をする時の癖だ。一緒に過ごす中で知った、些細な癖。ならばきっとまだ言葉は続く、と朱華は何も言わずに待った。
「……検査は、嫌ですか?」
宵藍が視線を上げながら朱華に問う。「いいえ?」朱華が答えれば、宵藍は「そうですか」と神妙に頷いた。
「何か問題でも……?」
「朱華様が嫌でなければいいんです。……いや、本当はそれも良くないのですが。しかし朱華様が気にしていないのであれば、必要以上に騒ぐ必要もありません」
「もしかして、嫌だと思うべきなのですか?」
朱華の問いに、宵藍はまた動きを止めた。そして、目を伏せる。その反応が全てを物語っている気がして、朱華は「……わたしがおかしいんですね」と小さくこぼした。
「そういうわけでは、」
「いいんです。言ってください。わたしは自分がおかしいと自覚しています。でもどこがおかしいのか、未だに具体的には分からないまま……宵藍様に指摘していただくのはむしろありがたいんです」
「朱華様……」
宵藍がじっと朱華を見つめる。それは朱華が初めて見る表情だった。
苦しげで、切ない。見ているだけで胸が詰まる。思わず朱華も同じように表情を険しくすると、宵藍が「すみません」と指で自分の眉間を解した。
「最近、少し考えていることがあるんです。どうやらそれに気持ちが引き摺られてしまったようだ」
「悩み事ですか?」
「……調べ物、ですかね。分からないことをはっきりさせたいんです」
「宵藍様でも分からないことがあるんですね」
朱華が驚いたように言えば、宵藍は「ええ、勿論」と苦笑を返した。
「私の知らないことなんてたくさんありますよ。今は特に、何を探せばいいかも分からなくなりそうです」
「……どんなことかお聞きしても? あ、言えなければいいんです! それに宵藍様でも分からないことをわたしが分かるとは思えませんし。ただ、誰かに話すと考えが整理できることもあるかなと思いまして……」
出過ぎた真似だっただろうか、と朱華は顔を下に向けた。宵藍は方士で、軍の大将だ。方術のことなんて朱華には分からないし、軍に関することはもっと分からない。宵藍も朱華が何も知らないことは理解しているだろう。そんな人間に手助けを申し出るようなことを言われて、もしかしたら気を悪くしてしまったかもしれない。
そう不安になってこっそりと宵藍の様子を窺えば、意外にもそこに悪いものは感じられなかった。よかった、気分を悪くさせずに済んだ――朱華はほっと胸を撫で下ろした。
「詳細は話せませんが、方術に関わることですかね」
「方術……それは、わたしではお役に立てそうにないですね……」
宵藍は答えてくれたが、案の定自分には何もできなそうな問題で朱華は再びしゅんと顔を伏せた。これで宵藍が方術の素人ならまだしも、彼は江家の人間。江家と言えば彗国の中でも方術の名門として有名だ。そんな家の出の人が悩む内容など、自分には到底理解できそうもない。
と朱華が落ち込んでいると、宵藍が「お気持ちだけありがたく頂戴します」と柔らかい声で言った。
「それに今調べていることは、優秀な方士でもきっと分からないでしょう」
「そんな大変なことを……?」
どんな重大な問題だろう、と宵藍を見上げた朱華の顔が強張る。そんな朱華に宵藍は苦笑すると、「なんだか誤解がありそうですね」と話し出した。
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