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不死鳥の嫁入り  作者: 丹㑚仁戻
第三章 葬られた過去
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〈一〉眠りの上に

 静かで薄暗い部屋の中、朱華は読んでいた書物を開いたまま隣に目をやった。

 そこには人ひとり分ほどの幅を空けて宵藍が座っている。背もたれにしているのは枕、朱華と同じだ。ここは夫婦の寝室だから、他に座る場所はない。

 宵藍(しょうらん)は朱華と同じように読書をしていた。黒い前髪の隙間から、長い睫毛を持つ目が覗く。朱華はいつもと変わらないその様子を見届けると、すぐにまた自分の読んでいた書物へと目を戻した。


 二日に一度、二人で夜を過ごすようになってから二週間以上。最初は慣れなかったこの時間も、もうだいぶ朱華の生活の一部となってきていた。緊張で全く頭に入らなかった文章はするすると読めるようになったし、宵藍の立てる小さな物音にも動じなくなった。むしろそこに、心地良さすら感じる。用がない限り会話はないのに、それが嫌ではない。ただ隣にいて、同じ時間を共有する。今までになかった他人との過ごし方に、朱華は自分の心が安らぐのを感じた。


 強いて不満を挙げるならば、読書には少し暗すぎることだろうか。周りに怪しまれないようにするためには仕方がないことだが、最低限の明かりしか付けられないせいで目が疲れるのが早い気がする。

 それから、昼間眠いこと。この時間に寝ないのだから当然だ。朱華の侍女達はゆっくり休めと昼間寝かせてくれるが、宵藍は大丈夫なのだろうか、と少し不安に思う。いつでも休める自分とは違い、宵藍には軍の仕事がある。この時間に仕事をする様子はないから、きっと昼間いつもどおりの仕事量をこなしているのだろう。睡眠不足でそれは大変ではないかと心配だったが、そこまで立ち入っていいものか、となかなか聞けずにいた。


「――何か?」


 不意に宵藍の声が聞こえて、朱華は「え?」と聞き返した。そして、気付く。顔が宵藍の方を向いている、と。


「ずっとこちらを見ているようだったので」


 続いた宵藍の言葉に、朱華の顔がかあっと熱を持った。うっかり見てしまっていたのだ。それも、不思議に思われるほど長く。

 朱華が「ぁ……ぅぇ……」と言葉にならない声を発していると、宵藍が「眠りたいですか?」と首を傾げた。


「いや、ちがっ……!」

「無理なさらなくていいですよ。これは私の我儘のようなものなのですから、希望があれば言ってください」

「あ、ありがとうございます。じゃなくて!」


 朱華が声を上げれば、宵藍が目をまんまるに見開いた。


「ごめんなさい、わたし大声を……えっと、本当に眠くないんです。ただ、宵藍様は大丈夫なのかと思いまして……」

「私ですか?」

「はい。いつも朝まで起きてらっしゃるでしょう? そこからお仕事に行くのって、無理しないとできないんじゃないかと……」


 朱華がもごもごと言えば、宵藍は「問題ありません」と答えた。


「出る前に少し寝ていますよ。仕事の後も軽く仮眠を取っています」

「両方とも少しなんですか……?」


 そんなに少ないのかと朱華が悲痛な面持ちで眉尻を下げる。すると、それを見た宵藍がふっと笑みをこぼした。


「そんな悲しそうな顔をしないでください。一日置きですから大したことじゃありません」

「でも……寝れないのって悲しくないですか? 眠るとあんなに幸せになれるのに……」


 朱華の言葉に、とうとう宵藍が小さく吹き出した。


「な、なんですか!? 何か変なことを言いましたか!?」

「いえ……ふっ……」


 宵藍の肩が小刻みに震える。顔を背けているせいで表情は分からないが、笑われていることは否定しようもない。

 朱華の顔が再び熱を持つ。自分の行動が笑われている。恥ずかしい。しかし同時にそんな宵藍を見たことへの満足感もあって、恥ずかしいのか嬉しいのか、どうにも感情が落ち着かない。

 そのまま少しすると、宵藍の笑いは治まったらしい。彼は「すみません、つい」と言いながら朱華に顔を向けて、「しかし、」と話を続けた。


「そんなに眠ることがお好きなら、この状況はかなり辛いのでは?」

「う……でもわたしは昼間寝れますし……」

「人がいると眠れませんか」

「……多分大丈夫だと思います。内廷にいた頃は寝る時も侍女が室内にいましたから」


 今でこそ部屋で一人になることがあるが、この館に越してくるまではそんな経験はなかった。朱華が眠る時だって侍女は同じ室内で控えていたのだ。

 だから人がいたところで眠りに影響はないはず、と朱華が考えながら答えると、それを聞いた宵藍の顔が僅かに曇った。しかし、考え事をしている朱華は気付かない。


「眠れそうなら眠っていいですよ」


 宵藍が朱華に言う。その表情はもういつもどおりだ。


「……宵藍様は眠れないのでは? あなたが起きているのにわたしだけ寝るのは申し訳なくて……」

「奇遇ですね。私もそう思って起きていたんです」

「っ!」


 朱華が目を瞬かせる。それはいけない、と宵藍ににじり寄ると、「寝ます!」と勢い良く答えた。


「わたし、たくさん寝ます! ですから宵藍様も眠ってください!」

「なら、朱華様が眠ったら寝ます」


 苦笑混じりで答えた宵藍に、朱華はうんと大きく頷いて布団の中に潜った。枕を整え、顔の下半分まで布団を被る。

 自分が早く寝ればその分宵藍も多く寝られる。そう思って意気込んだものの、変にやる気を出してしまったせいで眠気が全く来ない。


 どうしよう、早く寝なければ。しかし眠くない。では寝たふりを――頭の中で必死に思考を巡らせる。これでは到底寝られないと困ったが、最悪宵藍が自分は寝たと信じてくれればいい、と目を閉じる。


 そうして寝たふりしていた朱華から寝息が聞こえ始めたのは、それから間もなくのことだった。



 § § §



 朱華は眠ったと宵藍が分かったのは、彼女が顔にかかっていた布団を邪魔そうにし始めたからだ。顔を左右に動かして布団から逃れようとしている。手を使わないのは何故だろうか、と様子を見ていると、手どころか目も全く開く気配がないことに気が付いた。

 だから邪魔そうな布団をどけてやれば、すぐに朱華からは穏やかな寝息が聞こえ始めた。しきりに顔を動かしていた時は不機嫌そうだったのに、今はもう眉と眉の間を大きく広げて、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。


 随分人間らしくなったなと、最近朱華を見ていてよく思う。と同時に、もしくは自分が見ようとしなかっただけかと、少し心苦しさもあった。

 初夜の時に見た朱華は、お役目こそ全てといった心持ちを体現しているようだった。全身に糸が絡みついた操り人形そのものなのに、当人は糸の存在に気が付いていない。むしろ全て自分の意志と信じて疑わず、その()()()()意志に従って生きようとしていた。

 しかし、今はどうだろう。ころころと表情がよく変わる。屈託なく笑って、時折思い詰めた顔をして。かと思えば宵藍のことを心配する。

 これは元々彼女が持っていたものだろうか。それとも自分と過ごすようになって得たものだろうか――できれば後者であればいいと思った自分を誤魔化すように、宵藍は朱華の寝顔を見つめた。


 朱華の見目は整っている。まだ少女らしいあどけなさの方が目立つが、いずれ美しい大人の女性になるのだろう。不死鳥という神性に見合うように。男達が朱華を抱きたいと思うように。


「ッ……」


 自然と浮かんだ考えに嫌悪を抱く。男達が好むように、というのは自分の勝手な想像だ。〝朱華〟の役割からそうと考えてしまっただけ。本当にそうなのかはきっと誰にも分からない。

 何せこの姿となった朱華自身の記憶がないのだ。どういった経緯でこの姿を選んだのか、彼女以外に知る由もない。


「……選んだ、のか?」


 考えてから、疑問に思った。朱華は不死鳥だ。不死鳥は神だが、(あやかし)でもある。神というのは人間が勝手にそう呼んでいるだけだ。人が畏怖するものが神で、害獣と見做しているものが妖魔。


 では、妖の人間としての姿はどうやって決まるのだろうか。元となる人物がいて、それを真似ているのだろうか。それとも人間になろうとした時点で自然と形が決まるのか。

 宵藍は他の妖はどうだろうかと考えようとしたが、朱華と己火(きか)以外に人の姿になれる妖は見たことがないことを思い出した。記録にはいくつか残っているが、この疑問を解決してくれる情報はなかったように思う。


 であれば、朱華と比較できるのは己火だけ。その己火をまだ間近で見たことはないが、同じ目の色をしているのは話に聞いて知っていた。髪色も似ている。己火は燃え上がるような赤色で、朱華はそれよりもだいぶ黒が強い。

 朱華の赤みがかった髪色は、火の鳥たる不死鳥だから当然だと思っていた。であれば、それよりも強い赤を持つ己火もまた火を司る妖なのだろうか。もしや不死鳥の眷属だろうか。だとすれば彼が朱華に仕え続ける理由も分かるが、しかし確かめるすべはない。己火は朱華以外と関わらない。


「…………」


 そっと、朱華の髪を撫でる。いつか思ったとおり、柔らかく気持ちの良い手触りだ。炎のような熱さはなく、夜の空気で程良くひんやりとしている。

 頬も、柔らかかった。滑らかな肌質だ。傷や痛みを知らないような、ふっくりとした頬。時折朱が差して、朱華を一層可愛らしく見せる。控えめな大きさの唇は、いつだって鮮やかな紅梅色(こうばいいろ)

 そこに己のそれを重ねたら、さぞ気持ちが良いだろう。意外と初心な少女はきっと頬を赤らめ、その金色の瞳でこちらをじっと見つめるのだ――そこまで考えて、宵藍ははたと動きを止めた。


「っ!」


 朱華の唇が、すぐそこに。無意識のうちに食らいつこうとしていたのだと気が付いて、慌てて、しかし朱華を起こさぬよう身体を離した。


「何をやっているんだ、俺は……」


 朱華をそういう目で見てはならない。彼女は妻だが、子作りはしないと言い出したのは自分だ。それにその約束がなくとも、今のままではとてもではないが朱華に手を出すなどあってはならない。


『ッ……血を分けるのは、不死鳥の意志ではない?』


 少し前に浮かんだ考えが、頭から離れない。その考えを否定すべく過去の記録を調べ始めているが、未だ収穫はなかった。

 もしかしたら朱華は、不死鳥は、自分の意志で人間の子を産むようになったわけではないのかもしれない。だとしたら、朱華がこうして人間と契るのは彼女の望みではないのだ。記憶がないとはいえ過去の〝朱華〟が受け入れていれば朱華の意志と言えなくもないが、そうでないのであれば、朱華は望んでもいないのに人間の子を産み続けていることになってしまう。


 その疑いが晴れるまで、決して朱華にやましい想いを抱いてはならない。


 もし今の状況が不死鳥の望みではないのなら。何も知らない朱華に触れることは、幼気な少女を虐げることと同じなのだから。

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― 新着の感想 ―
思うんだけど、この国は政略結婚の類はゼロなのかな?中華な話っぽいけれど。もしかして、予想に反して自由恋愛推奨派な国風なのかしら。 それなら夫(仮)が初対面の時嫌悪感を抱いたのも分かるのよ。 ただ、も…
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