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不死鳥の嫁入り  作者: 丹㑚仁戻
第二章 不死鳥の心
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〈七〉鳥かごの外側・参

『私は……――っ』


 今は以前ほどではない、と言いかけて、宵藍は口を噤んだ。朱華に抱いていた嫌悪感は、彼女自身を知ってきたことでもうだいぶ薄まっている。しかし〝朱華〟という存在に対してはどうかと言われると、やはりまだ気持ち悪い。

 朱華はまだ、〝朱華〟なのだ。それなのに混乱させるようなことを言っても彼女を困らせるだけだろう。

 ならば謝罪をと思ったが、それを口にするのは違う、と宵藍は小さく首を振った。その件はもうおあいこということになっているし、そもそも彼女を悩ませるきっかけとなった暴言を吐いたのは自分。慰められるような立場でもない。


「私はあなたに、色々なことを知ってもらいたい」


 代わりに言葉にしたのは、〝気持ち悪さ〟を軽減するための案だった。もしくは願望かもしれない。先日見つけた朱華自身の小さな欠片を、もっと育てて欲しいと思っているのかもしれない。


「色々?」

「周りに聞かされるものだけでなく、それ以外のものも自分で見聞きして欲しいのです。宮廷で話されることには偏りがありますから、こうして町民の声を聞くというのは良いことだと思います」


 そこまで言って、宵藍は出過ぎた真似だったか、と少しだけ後悔した。朱華を理解すると言っておきながら、彼女を自分が理解しやすいような人間に変えようとしているかのようにも思えてしまう。

 それがなんだか後ろめたくて、気付けば「あくまで私の考えです」と責任逃れするような言葉が出ていた。


「いいえ、わたしもちょうど同じことを望んでいました。間違ってはいないのだと背中を押してもらえたように感じます」


 朱華が宵藍に笑いかける。その笑みを見て宵藍が安堵する一方で、朱華は頭の中で彼の言葉を反芻していた。

 そして、うまくできているだろうか、と今日を顧みる。


 町の中を歩いているだけでも、町民の想いは朱華の耳に届いていた。彼らは皆朱華の結婚を祝い、そして、子を望んでいる。

 それは朱華が聞かされてきたものだと同じだった。だから朱華は自分の認識に間違いはないのではと思い始めていたが、この宵藍の言葉を聞いて、まだ早い、と考えを改めた。


 朱華が聞いている声は宵藍にも聞こえているはずだ。だが彼は〝宮廷で聞かされることには偏りがあるから、町民の話も聞くべきだ〟と言った。

 つまりこれが全てではないのだ。しかしまだ、他の言葉が聞こえてこない。


「……今日だけで足りるでしょうか」


 不安げに朱華が呟く。これだけ準備をして連れてきてもらったのに、何も収穫がなければ申し訳ない。だからと言ってもう一度と頼めるほど、朱華の神経は図太くはなかった。


 翳る気持ちと共に視線を落とせば、少し離れた地面の上に切り花を見つけた。どこかの飾りが落ちてしまったのだろう。既に萎れ、踏まれた形跡がある。

 まるで少し未来の自分を見ているかのようだった。もし何も得られなかったら、自分の気分もきっとああなってしまうのかもしれない――朱華の気持ちが暗くなる。その表情もまた、曇っていく。


 朱華の隣にいた宵藍は、そんな彼女の様子に首を傾げた。理由を探るために朱華の視線を目で追えば、その先で萎れた花に行き着く。

 その花と朱華を見比べて、やや顔を左下に向ける。表情は面で見えない。少しして宵藍は顔を上げると、朱華を連れてその花の方へと歩いて行った。


 萎れた花を、宵藍が拾う。赤い花びらは踏まれたせいで変色し、お世辞にも綺麗とは言えない。

 宵藍は花を持ったまま、今度は近くの水飲み場に向かった。水甕いっぱい溜まった水を柄杓で掬い、花を持っていない方の手を皿にして受け止める。宵藍はそこに萎れた花を乗せると、空いた手をかざして何やら小声で呟いた。


「えっ……?」


 宵藍の手の下で、花が美しさを取り戻す。萎れきっていた茎は瑞々しくふっくらとして、変色していた花びらも鮮やかな赤となった。


「いりますか?」

「っはい!」


 朱華は差し出された花を受け取ってまじまじと見つめた。何の変哲もない花だ。たった今切られたかのように生き生きとしているが、それ以外に変わったところはない。


「水を戻してやっただけなので普通の花と変わりません。少し傷は治しましたが」

「凄い……さっきまであんなに元気がなかったのに……」

「方術を見るのは初めてですか?」

「はい! 話には聞いていましたが、こんなことができるだなんて……」


 朱華が花を見つめたまま答えれば、宵藍が「聞いた話では、どんな?」と問いを重ねた。


「えっと……気の流れを読み、操ることで、妖魔退治から治療まで様々なことに用いられるものだと。私も健康状態を方士の方に診ていただいていますが、風邪も引いたことがないものですから、治療というのは未経験で」


 だから朱華はこうして目に見える変化のある術を見るのは初めてだった。健康状態の確認は方士が朱華を見るだけだし、詳しく診る時はその箇所に触れられることもあったが、特に何か変化があるわけでもない。


「実際に見てみた感想は?」


 宵藍が確認するように問う。朱華は今しがた感じたものを思い出すと、「近く感じました」と答えた。


「近く?」

「はい。方術って、なんだか遠いものに感じていたんです。特に優秀な方士の一族はみな国主の血筋……方術は尊いものなんだろうなと思っていたんです」

「尊いというのなら、あなたは国主と同等かそれ以上の存在ですよ」

「みんなそう言ってくださるけど、わたし自身はただの小娘です。それに普段は侍女とくらいしか話しませんから、あまりそういうのは感じないんですよね」


 侍女は皆、朱華のことを尊い存在だと言う。実際に聞かされてきた伝説や文化は不死鳥を神と崇めるものだから、その言葉に矛盾はない。

 矛盾はないが、朱華には自分が不死鳥だという実感があまりなかった。見た目も能力も普通の人間と変わらない。子を成せばその子はかつて国主一族が受けた呪いを打ち消してくれるというが、その変化を見る前に朱華は命を落とし、別の国で生まれ直す。

 これからもきっと見る機会はないのだろう。そう思うと自分を取り巻くもの全てが、遠くに感じられてしまう。


「それに、(すい)王陛下もそうです。以前は同じ建物内で暮らしていましたが、顔を合わせたことはほとんどありません。話したことも……。そういう、そこにあることは分かるけれど遠い存在……それがわたしにとっての方術でした」


 だが、それが普通だった。だから気にしたことなどなかった。空が青いことを疑問に思わないように、いつでも空気を吸えることが当たり前であるように。


 けれど、もう違う。


「今使ってくださった術は手で触れられます。花という身近なものに施されたというのもそうです。それなのにこんなにも美しい……見られて本当に良かった。ありがとうございます」


 顔は笑顔になるのに、何故か胸は苦しくなった。目もまた、熱くなる。

 朱華が慌てて顔を背けると、その反動で頭巾がずれた。「あ……」咄嗟に頭巾に手を伸ばす。それより先に、宵藍の手が布を奪い去る。


 しかし宵藍は何も言わなかった。その表情も面に隠されて見えない。無言のまま朱華の頭巾を整えて、確認するように彼女の顔を見つめる。「あの……?」朱華が、宵藍に声をかけようとした時だった。


「――紅胡(こうこ)様?」


 聞き慣れぬ声が、近くから聞こえた。

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