〈五〉鳥かごの外側・壱
活気溢れる大通り。至る所に飾られているのは、火の鳥たる不死鳥を模した赤い羽飾りだ。組み合わされる青色の石は川を現す江家にちなんだものだろう。その二つの調和を取るように混ぜられた白色は、この彗国では国主一族、寉家を示す色だ。芸術品と言えるほど精巧なものから子供が作ったような拙いものまで、様々な形の祝飾りが町中に飾られている。
「わぁっ……!」
初めて見る光景に朱華の口からは感嘆の声が漏れた。きょろきょろと周りを見渡せば、髪色を隠す頭巾が後ろに落ちかける。
それを、宵藍の手が受け止めた。「あっ」しまったという顔をする朱華に、宵藍が「気を付けて」と頭巾を直しながら言う。淡々とした声だが、特に機嫌を損ねているわけではないと朱華にはすぐに分かった。
「ごめんなさい、楽しくって」
そう宵藍に困ったように笑うと、今度は頭巾が落ちないように気を付けながら、朱華は周りの観察を再開した。
§ § §
「――実は町に出てみたいんです」
それは二人で取る、三度目の食事のこと。他愛のない話として発されたであろう朱華の言葉に、宵藍は目を瞬かせた。
と同時に周りを見れば、朱華付きの侍女達がぎょっとしているのが分かった。その理由は考えるまでもない。本当であれば朱華を諌めたいのだろうが、今は宵藍との食事中。彼女らは立場上、理由がない限り二人の会話に入ることはできない。そのせいで侍女達はお互いに顔を見合わせて、はらはらとした様子で事の成り行きを見守ることしかできなかった。
「お一人では駄目ですよ」
宵藍が朱華に言うと、侍女達がほっとした表情を浮かべた。感謝するように宵藍に頭を下げている者もいる。
しかし宵藍にはどうでも良かった。今の言葉は侍女達のためではなく、ただ事実を述べただけだからだ。
そして当の朱華本人と言えば、視界の外にいた侍女達の様子に気付いていない。「それは分かっています」一人では駄目だという宵藍の言葉に頷いて、「ただ、」と続けた。
「その……どういうふうに出かければいいのか、宵藍様ならご存知かと思いまして」
「どういうふう、とは?」
「町中の道には人がたくさんいると聞きます。そこを大勢でぞろぞろ歩くのは迷惑かなと……宮廷内でもわたしが外を移動する時は侍女が二人付きます。町に出るのであれば護衛も必要でしょうから、どのくらいの人数になるのやら……」
はて、と朱華が頬に手を当てる。その背後では、侍女達が何かを願うような目で宵藍を見ていた。
彗国では原則として、朱華が宮廷の外に出ることはない。禁止されているわけではないが、これまでほとんどの〝朱華〟が望んでこなかったのだ。だから宮廷外の人間は朱華の顔を知らないし、一応存在する〝朱華〟外出時の決まり事もここ百年以上日の目を見たことはないらしい――ということを宵藍が知っているのは、彼が朱華の夫で、同時に〝朱華〟外出時に付く護衛候補でもあるからだ。
夫として妻に関わる決まり事は把握しておかなければならないし、護衛候補は軍人。それも一定以上の階級の者だけ。彗国軍ではその一定以上の階級となる時に、昇級条件として〝朱華〟の護衛に関する試験合格が必須なのだ。
青軍大将である宵藍も、当然その試験を受けている。そして受かったからには内容も全て頭に入っていた。
確か、〝朱華様〟外出時には――宵藍は記憶を辿ると、「人数だけならかなりの大所帯になりますね」と口を開いた。
「とは言っても、心配されているようにぞろぞろと連れ立って歩くわけではありませんが」
「そうなんですか?」
意外な答えに朱華が首を傾げる。侍女が傍に付くのだから、護衛もすぐ近くにいるものだとばかり思っていた。だから行列よろしく大所帯で歩かねばならないのかと心配したのだが、宵藍のこの口振りではどうも違うらしい。
一体どういうことだろうか――朱華が不思議そうな顔をしていると、宵藍が「ええ」と頷いて話を続けた。
「まず朱華様のおっしゃるとおり、お傍に侍女が二人付きます。これはいつもと変わりません。しかし護衛はその周りに目立たないよう配置されるんです。すぐ近くでお護りする者もいれば、少し離れたところから全体を見渡して護衛する者もいます。ですが誰も朱華様の同伴者に見えるような動きはしません。何せ〝朱華様〟のお姿を民は知りませんから、尊い方だと分からないようにする必要があるんです」
「ああ、なるほど……。でもそれだったら、あまり町民の迷惑にはならないということですよね」
「そうですが、今の時期の外出は許可が出ないかと。まだしばらくは〝朱華様〟の婚姻を祝して町はお祭り騒ぎですから」
「ええ!?」
思わず出た悲痛な声に、朱華がはっと口を押さえる。そんな彼女に宵藍も少しだけ驚いたような顔をして、「どうしました?」と理由を尋ねた。
「実は、今が良くて……」
「何故?」
「そのお祭りの様子を見たいんです」
「遠くから見るだけでは駄目なのですか? それくらいでしたらどうにか許可が出そうなものですが」
「いえ、それだと……えっと……」
そこまで言って、朱華は目だけをしきり動かして周りを見た。侍女達を気にするかのような仕草だ。
その朱華の様子に、隠し事があるのか、と宵藍は理解した。かと言ってこの流れで侍女を下げれば、後で一人になった時に聞かれてしまうだろう。正直そうなったところで宵藍はどうでもよかったが、しかしこれまでの仕打ちの罪悪感はまだ残っている。
仕方がないか――宵藍は小さく息を吐くと、「こちらへ」と向かい側に座る朱華を手招いた。「なんでしょう?」不思議そうに朱華が立ち上がる。困惑しながらも何も言わずに隣まで歩いてくるのは素直さゆえか、それともただ人を疑うことを知らないのか。どちらだろうかと考えながら宵藍が朱華の腰を引けば、「ひゃあっ……!?」と小さな悲鳴が上がった。
「ああああの、しょ、しょしょ宵藍様!?」
「……あれだけ抱けと迫ってきたのにこれだけで驚くんですか」
「やっ、えっ、それは、あの……!」
朱華が真っ赤にした顔を手で必死に隠す。あまりにも初心な反応に、宵藍は自分まで調子が狂わされるのではと身構えた。
これはさっさと終わらせてしまった方がいい、とこっそり深呼吸をして、「少しだけご辛抱を」と言いながら未だ慌てる朱華の耳元に口を近付ける。
「侍女達に聞かれたくないのであれば、これで」
「っ……!」
宵藍の膝の上で、朱華はきゅっと身を縮こませた。悲鳴を上げそうになったのを、咄嗟に口に手を当てて抑え込む。
宵藍の言わんとしていることは朱華にも分かった。これは気遣いだ。こうして内緒話にしてしまえば侍女達は聞きづらいし、この後別の話題で誤魔化すこともできる。なんだったら誤魔化し方の相談もできるかもしれない。
だから、これが良い手だというのは分かっていた。分かっていたのだが、身体が何やらおかしな反応しかしてくれない。
ばくばくと心臓がうるさい。今にも胸から飛び出そうだ。こんなにも心臓が騒いだことなど、今まで一度も経験がない。
「無理そうならやめましょうか」
宵藍の囁き声が耳を撫でる。「ひぇっ……」変な声が出て、朱華は慌てて「待って……!」と否定を返した。
もう少し、もう少しなのだ。もう少しでこの状況にも慣れるし、そうなれば自分はちゃんと話せる。折角宵藍が気遣ってくれているのだから、それを無下にしたくはない。
規則正しい宵藍の呼吸を聞きながら、深呼吸を繰り返す。そうしてある程度心臓が落ち着いてきた頃、朱華は意を決して「実は……」と小声で話し出した。
§ § §