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不死鳥の嫁入り  作者: 丹㑚仁戻
第二章 不死鳥の心
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〈三〉夫の頼み事

 軍部の訓練所で宵藍は一人、鍛錬をしていた。本当であればもっと身体を動かしたいが、体調不良で朱華と閨を共にしないことになっている以上、下手に元気すぎる姿を見せるわけにはいかない。人の目はどこにあるか分からないのだ。軍部だからといって油断していると、〝朱華様〟の子を望むお偉方にすぐ嘘を見破られてしまう。


 今日はこれくらいにしておくか――物足りないが、怪しまれるよりはずっといい。そう思って宵藍が切り上げようとした時、訓練所の入口の方からの視線に気が付いた。


 ここには不釣り合いな、貧弱そうな体つきの男がいる。しかも白衣だ。そのせいで男の正体はすぐに分かって、宵藍はとうとう来たか、と眉を顰めた。


(ごう)宵藍しょうらん様、少々よろしいでしょうか」


 男の方へと近寄った宵藍に、相手が声をかける。軍部では珍しい呼び方に予想が当たったことを悟ると、宵藍は無表情で男に首肯を返した。



 § § §



 宵藍との初めての食事から数日後の夜、朱華は夫婦の寝室にいた。ここで待つようにとの宵藍からの言伝を侍女に聞いたからだ。


 しかし、はて、と疑問に思う。宵藍とは和解したとも言える状態にはなったが、初夜以降一度も二人でこの寝室に入ったことはないのだ。

 子作りはしない約束になっているのに、これは一体どういう風の吹き回しだろう。先日夕食を共にしてから一度だけ昼食に誘われたが、その時は何も言われなかった。だからこれまでの話が変わったわけではないだろうが、宵藍が理由もなしにこんな場所に自分を呼び出すとも思えない。


 そうして朱華が頭を悩ませながら寝台に腰掛けて待っていると、半刻ほどして宵藍が「遅れました」と寝室に入ってきた。


「すみません、身支度をしろと捕まりまして」


 身支度というのは閨を共にするにあたってのものだろう。朱華も今日は張り切った侍女達に念入りにされたため、謝罪と共にそれを口にした宵藍の意図は分かる。

 だがやはりこの分では()()()()つもりはなかったのだろうなと確信すると、宵藍が来てから立ち上がっていた朱華は少し横にずれて、寝台に彼の座る場所を作った。


「そんなことだろうなと思っておりました。座る場所なのですが、生憎ここしかなく……」


 ちゃんと分かっているぞと言葉に込める。夫婦の寝室には椅子がないからここに座っていただけで、約束を忘れたわけではないのだと宵藍に念を押す。

 すると宵藍もそれは承知していたのか、小さく頷くと、朱華の空けた場所に腰を下ろした。


「――実は今日、医官に呼び出されました」


 二人で腰を落ち着けてすぐ、宵藍が話を切り出した。


「どこか体調が悪いのですか? ……あっ」


 朱華が気付いたように声を上げれば、宵藍が「そうです」と少し険しい顔で頷いた。


「至って健康ですが、私は体調不良ということになっています。ですが、それももう難しくなってきたようです」

「ああ、なるほど」


 それでここに呼び出されたのだ、と朱華は理解した。朱華と夜を共にしないための言い訳として、これまで宵藍は自分の体調が優れないからだと周りに報告していた。しかしその期間が長くなってきたため、痺れを切らした医官が直接彼に話を聞こうとしたということだろう。この寝室に呼び出したのは、そういった周りの者達を誤魔化すために違いない。


「私のところに来た以上、次は朱華様に事情を聞きに来るでしょう。それが医官かどうかはともかくとして」

「つまり、わたしに口裏を合わせろということですね」


 朱華が何の気なしに言えば、宵藍が目を丸くした。明らかに驚いていると分かるその反応に、朱華が「どうされました?」と首を傾げる。


「いえ……てっきり子作りの話をされるかと。あなたに嘘を吐く義理はないでしょう?」

「ですが宵藍様はまだお嫌なのでしょう? 時間が欲しいと言われて承諾している以上、それに協力するのが筋かと思いましたが」

「……不思議な人だ」


 そう呟くように言って、宵藍が小さく笑った。これまで一度も朱華に見せたことのない、柔らかい表情だ。

 初めての反応に、朱華は驚いてぽかんと口を開けてしまった。朱華の知る宵藍と言えば、無表情か険しい顔しかしていない。それは朱華に対してだけでなく、他の者に対しても同様だ。宵藍が夫と決まった時に彼の話を色々な人から聞いてみたが、誰もが口を揃えて〝宵藍大将は無愛想だ〟と言っていたのだ。


 そんな人が、笑った。あまりの出来事に朱華の理解が追いつかない。しかも、とんでもなく美しい。

 元々の麗しい顔立ちは、普段の無表情のせいもあって冷たい印象が強かった。しかしながらこうして笑うと、目がくっと弧を描く。そしてその目が長い睫毛に縁取られているものだから、睫毛が瞳を覆い隠すことでうんと目を細めて笑っているように見えるのだ。

 それが、存外に可愛らしい。にっこりとした非常に優しく、愛想の良い笑みに見える。これまでの無表情との差も相俟って、朱華はまじまじとそこから目を離せなくなってしまった。


「朱華様?」


 宵藍の声に、朱華がはっと意識を取り戻す。いけない、完全に見惚れていた――美しい人はこうも容易く人の目を奪うものかと感心しながら深呼吸すると、「少しぼんやりとしてしまって」と苦笑を返した。


「遅い時間ですから無理もありません。話はすぐに済みますから、もう少しお付き合いください」

「ありがとうございます。もし眠っていそうだったら叩き起こしてください」


 朱華が意気込みながら言えば、宵藍が「叩き起こすのは避けたいですね」と肩を竦めた。


「早速本題に入りましょう。今日ここにお呼びしたのは、今後のことを話したいと思ったからです。流石に食事の場でする話ではありませんし、ここなら邪魔も入りませんから」


 宵藍の前置きに朱華がしっかりと頷く。そんな彼女の様子を見ると、宵藍は言葉を続けた。


「先程も言いましたとおり、あなたに私の嘘に付き合う義務はありません。時間が欲しいというのは私の我儘で、あなたはそれに付き合ってくださっているだけだ。ですから、周りに嘘を吐いてまで私の我儘に付き合うのが嫌なのであれば、どうぞありのままを報告してくださって構いません」

「でもそれじゃあ、離縁の話が持ち上がるのでは……?」

「ええ」


 すんなりと返された答えに、朱華は心臓がきゅっとなるのを感じた。離縁の話は保留だったはずなのに、これではその保留がなくなるようなものだ。しかも宵藍はそれを気にも留めていない。そう思って朱華が視線を落としかけた時、宵藍が「ですので、」と話を続ける声が聞こえてきた。


「朱華様に一つ、お願いをしようと思っておりました」


 改まってなんだろう、と朱華が顔を上げる。するとそこには真剣な宵藍の顔があった。横並びなのに真っ直ぐとこちらを見ているのは、彼が身体ごと朱華の方を向いているからだ。


「あなたを理解する努力をすると約束した以上、今ここで離縁となってしまえばそれができなくなります。ですのでどうか、時間を稼ぐ協力をしてください。私があなたを理解するためには、まだもう少し時間が必要なのです」


 真っ直ぐな言葉だった。そこに彼の誠意を感じ取ったが、しかしその内容がよく分からない。


「……それは、口裏合わせと何か違うのですか?」

「いえ、同じことです」


 宵藍が苦笑いする。また別の表情だと朱華は一瞬だけ心躍らせたが、やはり話は見えない。


「やることは同じですが、本当はこういうことなんですよ。ですがあなたは私が頼むより先に自分から提案してくださった。それに飛びついても良かったのですが、きちんとお互いの立場を明確にした上で、こうしてお願いするのが()だと思ったんです」


 少し前の朱華の言葉を借りるように宵藍が言う。ここまで説明されてやっと、朱華は相手の言わんとしていることを理解することができた。


 要するに、宵藍は律儀な人間なのだ。朱華としてはどちらであっても気にしないが、宵藍はきっちりと自分が無理を言って頼んだということにしたいらしい。

 ならばここでそれを断るのはおかしいだろう――朱華はそう思い至ると、「分かりました」と言って宵藍の言葉を受け入れた。


「では宵藍様から頼まれましたので、わたしは周りに嘘を吐くことにいたします」

「はい、よろしくお願いします」


 そう軽く頭を下げて、宵藍は再び笑みを浮かべた。あの可愛らしくも美しい笑い方だ。今度は朱華も驚かなかったが、代わりに何故か緊張を感じた。緊張するようなことなど何もないはずなのに、宵藍の笑みを見ると身体のあちこちに変な力が入るのだ。


「えっと、あの……あ! 嘘というのは、具体的にどのように……?」


 緊張を誤魔化すように話題を探し、肝心なことを思い出す。宵藍に口裏を合わせると言ったものの、体調不良という手が使えなくなった彼が次にどんな嘘で周りを欺くのかが分からない。

 それに正直なところ、朱華は嘘を吐いた経験がなかった。周りはいつだって朱華の意向を優先してくれるから、そんなことをする必要がなかったのだ。


 だから自分は一体どうすればいいのかが全く分からない。困ったぞ、と答えを求めるように宵藍に視線を送ると、彼は「難しいお願いはしません」と言って、朱華に目を合わせた。


「このまま朝まで一緒にいてください」

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― 新着の感想 ―
思慮深いって、主人公の方でしょうよ。どう考えても、夫(仮)よりも記憶も情報も制限されている割に、他人の感情の機微やら情報把握能力とか理解力とか諸々上だって!
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