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イノセント・ランド  作者: ふぇにもーる
一章 白亜の栄光
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第8話 一章 ―白亜の栄光― 8

 謁見の間を後にしたキサラは、城内を疾走した。狂獣の起こした大揺れにより、ホールの天井からシャンデリアが落下して階段を使用不能にしていた。そのため、別の使用人が使っているルートを辿ってホールを迂回したのだった。

 城内も激しい振動が定期的に襲ってくる。狂獣の暴走は多大な被害をもたらしていた。壁の絵や調度品はほとんど全てが損壊し、城の中も壁にヒビが入り始めている。このままでは建物自体がもたない。一刻も早く狂獣を倒さなければ。

(だが、一体どうすればいい。あんな怪物相手に。剣が通用するのか)

 近接戦闘武器の代表格である剣。元々、人間を相手にするために作られた武器だ。人外の怪物相手などを想定した代物ではない。

(弓矢はどうだ。あとは投石。あれなら対抗できるかもしれない)

 キサラは一つ、こんな時だからこそ役に立つであろうキーワードを一つ忘れていた。超常現象、魔の力だ。

 だが所詮彼らは人間である以上、王都にもそれほどまでの魔の使い手はいない。せいぜい出来たとして、森の中の狩猟で獣を打ち倒すのが精一杯だというレベルだろう。騎士団や自警団には強力な魔法を操れる者は存在しない。あくまでも己の力のみで戦う事が基本になる。そのため魔法というのは彼らにとって、それそのものがある意味歪な考えなのだ。

(とにかく、早く戻るしかない)

 廊下の曲がり角に差し掛かり、スピードを緩めないままキサラは曲がった。突然、目の前に人の顔が現れ、避けきれずに二人は衝突した。

「痛ってぇ!」

「あ痛たた……」

 どうやら互いに走っていたらしく、曲がり角でごっつんというある意味お約束的な出会いになった。

 キサラは鼻を強打し、地面に倒れ伏したまま少しの間痛みで身動きが出来なかった。相手はふらふらとよろめきながらも立ち上がる。どうやらキサラの鼻に額をぶつけたようだった。

「全くもう、お気を付けなさい!」

 女。喋り方は丁寧だが、どこか高飛車。キサラには聞き覚えのある声だった。そして漂ってくる果物のような香り。香水か何かだろうか。

「王女様、っすか……。痛ってて」

 鼻をさすりながら立ち上がる。見るとそこには、生誕式典の時とはまるで違う、まるで王女ではない容姿をしたアリエルが存在した。

「何ですか、その格好は。とても王女様の召されるような服ではありません。それは、街に住む者達の一般着です」

 アリエルの姿はまるで、少々お金持ちである良家のお嬢様であった。黒いレース生地のシャツ。上着に、赤と白の格子模様をしたワンピースのような物を着ていた。丈が長く、膝下くらいまである。腰の辺りからスリットが入っており、黒のハイソックスを履いたその姿は年齢相応の可愛らしさが滲んだ。

 彼女は腰に手を当ててポーズすると、自慢げに鼻で笑った。

「ふふ、似合うでしょう。いつかこういう日が来ると思って、侍女に準備させてましたのよ」

 キサラは首を傾げる。

「お言葉ですが、あんな怪物が出現する日を待っていたとでも仰るのですか」

「違いますわ。勿論、城を抜け出す機会が訪れる事ですのよ」

 良く見ればアリエルの足元にはバッグが転がっている。恐らくアリエルは相当前から、城を抜け出す計画を一人練っていたに違いない。でなければこんな手早く逃亡の支度が整うはずがなかった。見かけによらず強かで用意周到だ。

「王女、一体城を出てどうなされるおつもりですか。この国を出たら、誰も王女を守ってくださる人間はいないのですよ」

 アリエルは髪を掻き上げ、仄かにシトラスの匂いを振りまいた。そよ風に似た流麗な亜麻色。その姿は城から一歩出るだけでも目立つだろう。

「大丈夫です。私、こう見えてパトロンがいらっしゃいますのよ。隣国の街、クレセントレイクへと行きます」

 だがそれは危険な事が分かっている。クレセントレイクといえば、敵国ベルクラント公国の中の都市だ。治安も良いとは聞かない。世間知らずな王女を一人放り込んだらどんな末路を辿るか、身の毛もよだつ思いだ。

「駄目です、馬鹿な事を言わないでください。あなたはこの国の王女です。どんな事情があるのかは存じませんが、王に仕える私の身分で王女の逃亡を見逃すわけにはいきません」

 アリエルの目付きが変わった。口元を固く結び、睨み付けてくる。だがその瞳はまるで子供のようで、キサラの強い意志には届かない。

「だぁっ!」

「ひっ」

 こうしている間にも揺れは酷くなる。城の天井もみしみしと言い始め、砂埃が立ち込める。このままでは城がもたない。

「とりあえず、王女様は自室に! 私はもう行きます」

「嫌ですわ。このまたとない機会なんだもの、私は意地でも――」

 すると荷物を持ち上げた。身体を斜め四十五度にし、半身になって駆け出そうとする。

「この分からず屋が!」

 右脇を駆け抜けようとする王女を、キサラは力ずくで押さえ込んだ。左の肩を押さえ込むようにして腕力で疾走を食い止め、腕を振り抜いて王女を投げ飛ばした。想像以上の力によって押し倒される形でアリエルは吹き飛ばされ、仰向けに床へと倒れ込む。

 何が起きたのか分からないまま、呆然と目をぱちくりさせて天井を拝む。

「あ、貴方……」

「っ――申し訳ありません、やりすぎました」

 感情の篭っていない声で謝罪の言葉を述べる。アリエルもまた、唖然として何も考え付かないまま上半身を起こした。今日のためにあつらえたのだろう、皺の一つも付いていなかった街娘の服は、天井からの埃を一身に受けた床に転がった事で汚れてしまっていた。

 王女に手を上げるなどと、キサラは許されない行為をしてしまったと後悔をしたかもしれない。アリエルの瞳は一度ゆっくりと閉じる。その隙間から見えた涙目は脳裏にしっかりと焼き付いた。

「いいのですわ、もう」

 何か冷めた様子で、アリエルは立ち上がった。地面に落ちたバッグを右手で拾い上げると、埃を払う。そのままキサラに背を向けて来た廊下を戻っていった。

「王女?」

 もうキサラに振り向く事は無かった。背中越しに呟く。

「別に投げ飛ばされた事は怒りませんわ。投げ飛ばされる原因を作ったのは私なのですから。貴方は貴方の役目を全うするために、結果的に私に手を上げてしまった。立派ですのよ。だからもう、いいのですわ……私のわがままなど」

 王女は揺れる城内に足を取られながら、とぼとぼと一人自室へと戻っていった。残されたキサラの感情には、何か食べ残したような、大事な物を失ってしまったような後味の悪い気持ちだけが残った。

 確かに投げ飛ばしたあの時、アリエルは本気であった。そしてうっすらと涙を浮かべていた。一体何を悲しんでいたのか。それは彼女にしか分からない。そこまで考えた上で行動できるほど、長く生きてはいなかった。

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