第59話 三章 ―消え行くもの― 20
人ならざる異質な存在が敵に回った時、人は知らず知らずの内に恐れを抱くのだろう。キサラの表情は強張った。相手は人間の形をしているが、神だ。決して人間が持つ事の無い力を持つ神。
「最後はこの瞬間が必ず訪れる事が分かっていた上で、何年も側に居て騙し続けていたのっていうのか。随分と俺もコケにされたもんだ。許さねぇ」
セシルの背に、うっすらと両翼が出現したように見えた。透明の光で形成されたそれは、彼女の身体を低空に浮かせた。
「せめて楽に死なせてあげるわ。最も、そこの薄汚い女は別だけれども」
指を差す先には、シエラが居た。憎悪の気持ちを込めた瞳で、セシルを見返す。そこには種族の違う女同士の、決して相容れる事の無い醜い感情のぶつかり合いがあった。
「レッサーエルフィール如きが、私と対等に話の出来る身分であると勘違いでもしたのかしら、部落種族が」
「いやちょっと待て」
リィンが割って入った。
「そこにレッサーエルフィールである事の理由は無いだろう。なぜ混血児ばかりがそのような言われ方をしなければならないのだ。だとしたら私だって同じなはずだ」
同じ混血児であるレッサーウルフェンは、迫害を受けていない。能力の違いはあろうとも、種族としての優位性などは特にあるわけではないのに。なぜレッサーエルフィールである事がいけないのだろうか。
「その理由は、私の口からは話せないわ。神である私達にとって、人間とエルフィールの混血児そのものがタブーであるから」
「説明になってないぞ」
キサラは苛立った様子で怒鳴った。
「説明する理由も無いわ。さぁ、そろそろ行くわよ」
セントハルバードを構え、突っ込んできたセシル。低空を飛び回り、重力など関係なく襲い掛かってきた。一番最初に狙いを定めてきたのは、やはりキサラだった。
矛槍の一撃が振り下ろされる。迎え撃ってひらりと避けて見せたが、地面がぱっくりと割れている。一撃の威力は相当なものだ。まともに直撃を受ければひとたまりもない。
背後からリィンが襲い掛かる。簡素な槍を振り回して背中から迫った。だが空中を漂う剣に弾き返された。相手の攻撃に対し、的確なカウンターアタックを繰り出してくる。しかもその力は強い。
「いっけ!」
シエラの右手から雷撃が放たれた。静電気を伴いながら矢のようなシャイニングバーストがセシルに襲い掛かる。
「痛っ、生意気な」
宙を走り抜ける稲光は彼女の身体を一瞬で貫き、感電させた。だがろくに効いていない様子で、すぐに体勢を立て直す。
「鬱陶しい」
憎悪を含んだ眼。シエラを横目で睨み付けると、小さく口元で詠唱した。セシルの足元からは溢れる紅い光が立ち上る。普通は生き物の目には見えない物だが、あまりの強い魔力にそれが目に見える形となって現れているようだ。
「焦がれし幾千の流星よ、災厄なる者を――」
「やめろ!」
キサラは魔法を妨害しようと正面から斬りかかった。袈裟斬りの体勢でセシルの懐に飛び込んでゆくが、槍と空中の剣でガードされた。その隙に詠唱が続く。
「災厄なる者を灰燼と化せ!」
「駄目だ、その攻撃魔法はやめろ」
言い聞かせるものの、セシルは聞く耳を持たなかった。この場で発動させるわけにはいかない禁術に近いものを、発動させてしまう。
「ファイアースター!」
一気に強力な魔力がセシルから四方八方に放出され、キサラは吹き飛ばされて転がった。
「しまった。やられた」
「あ、熱つつつ。なんか降ってきた!」
直後、シエラの頭上から、炎に包まれた岩石が無数に召喚されて降り注いだ。火の粉が降りかかり、気付いた彼女は前方へ転がり気味に回避する。それを追尾するかのように、次々に炎の岩石が地へと降り注いだ。その炎の岩石が地面へと衝突するたびに炎の柱が巻き上がり、地面は割れ、強烈な揺れと砂埃が舞った。
シエラだけではなく、この場を全て崩壊させてしまうかのようなメテオレイン。地面を割りながら、無差別に降り続ける。
「おい、これじゃここの足場が持たないぞ! 気でも触れたか、セシル」
「私は正気よ。貴方達を神界へ入れさせるわけにはいかない。そのためならば、侵入口であるこの場を崩壊させてしまうのは理に適った妨害法だわ」
「冗談じゃねえって。俺達だけじゃねぇ、お前まで死んじまうぞ」
「私は死なない。飛べるもの」
淡々と喋りながら槍と剣を打ち据えてくるセシル。彼女自身も炎の岩石群をひらりと避けながらの戦いを続けた。降り注ぐ炎の岩石を避け続けている内、シエラは敵の胸元に何か光を見つけた。
「やっぱり。あんたが盗んだんだ。火のカーネリアンオーブと、アルズヘイムにあった地のアンバーオーブを。その胸で光ってる二つの宝石、間違いじゃない!」
「何だと、本当なのか」
キサラも声を荒げた。あの時シエラは、カーネリアンオーブを失くしたと言っていた。だが実際は、彼女が意識の無い間にセシルに盗まれていたのだった。
「気付くのが遅いわね。この宝石はお前なんかが持っていて良い物ではない。お前達の手に渡すわけにはいかないのよ」
元々、セシルは攻撃の魔法を使えないと話していた。だが今、実戦で火と地の複合魔法を放ってきている。自分自身をも滅ぼすかもしれない威力が分かっている上で。もし直撃すれば神といえども死は免れないだろう。
「この魔法はオーブの力を借りて、力を増幅させて放っているわ。私の意識が飛びでもしない限り、この場から炎の雨が止む事は無い」
「つまり、お前を倒さない限りは逃れる術は無いってわけかよ」
キサラの進行方向に炎が落下した。激しい爆風が顔面を襲い、思わず手で覆う。隙を狙って、セシルは更に魔法を叩き込んできた。
「グラビティプレス!」
景色がぐにゃりと歪んだ。過重力空間が展開される、地の強力な魔法。キサラは以前に一度受けた事があった。その時の耐え難い全身の痛みは忘れていない。
思い切り、セシル自身をなぎ倒す勢いで突進しながらその過重力空間を抜け出す。不意打ちで上あごを強打し、セシルは武器を取り落としながら錐もみ状態で転がった。
「危なかった。リィン、頼む」
「任せろ!」
地面に転がった聖槍セントハルバードを拾って奪い返すと、倒れたセシルへと向かう。彼女を拘束するつもりだ。
「くっ、私がお前にしてやれるのはこの程度だ。許せ」
飛び掛かって槍を突き出そうとした所、セシルは素早い身のこなしで上空へと飛び上がった。背中の両翼が彼女の身体を支えている。
「油断したわ。この程度ではやられない」
彼女の胸にある二つのオーブが輝きを増している。宝石自身が力を放出しているかのようだ。見据えた所に炎のメテオレインが降り注ぎ、キサラとリィンはその場を離れた。
「この舞台ごと崩壊させてあげるわ。何人たりとも二度とこの場を訪れる事が出来ないように」
上空からオーブの魔力を解放させると、召喚される炎の岩石の量がますます増え出した。常に走りながら安全地帯を探さなければ、いつでも潰されて死ねる量であった。炎の柱が巻き上がり、既に辺りは火が上がっている箇所だらけだった。煙も酷い。だがこの魔法はユグドラシルの本当の一部分だけで起きているため、全体へ燃え広がる心配は少ないだろう。樹を全て燃やしてしまったら意味が無い。
「いい加減に」
逃げ回っていたシエラが捨て身の勢いで走ってきた。垂れ布をひらひらさせながら、息を切らして。
「してよ!」
シエラは右手を突き出すと、叫んだ。
「うっ」
巨大な剣のような雷撃が、一瞬で油断していたセシルの身体を貫いた。
「こんなもので、げほっ……」
突然、空中を漂っていたセシルが激しく咳き込み始めた。顔が引きつり、呼吸が乱れる。首を手に回し、もがくようにヒューヒュー言い始めた。
「い、息、が」
「セシルの様子がおかしいぞ、キサラ」
前にも見た事があるといった様子で、リィンは声を掛けた。
「降りてくるのだ、これ以上戦うのは無理だろう!」
それでもセシルは左手で首元を押さえながら、右手で魔法を放とうとしていた。
「私、は引けな、い」
顔色がだいぶ悪い。明らかに過呼吸症状だった。以前から起きやすい体質ではあった。恐らく、戦いで緊張が高まったのが原因だ。
「もう、人間界に、は、戻れ、ない。このま、ま進むし、か……」
「何を言っている。戻ってくればいいではないか!」
「うるさ、い」
絶え絶えの呼吸の中、右手に集中させた魔力を解放しようとする。だがその時、背後に自身が呼び出した炎の岩石が降り注いだ。
「あうっ」
直撃はしなかったものの、炎が翼に燃え移った。見る見るうちに煙を上げ、翼は焼け焦げ始めた。辺りは炎の熱が充満し、異様な臭いがする。
遂にセシルの背中から翼が消えた。空中からきりもみで落下する。それでもセシルは往生際が悪く、右手で魔法を放とうとしていた。
「覚悟っ……」
「ちっ、どこまで執念深いんだよ」
剣を構えて止めようとするも、煙と炎が行く手を遮った。思わず顔を覆い、防ぐ。
「私、は……戻らない。神族の姿を晒して、人間界へ戻るわけに、いかない。けほっ、私は……帰るの。アスグルドへ」
「でも、俺達だってやられるわけにいかない」
炎が風に煽られて消えた瞬間、キサラは走り出した。剣を振り抜きながら。
「お前が神界に帰るために、俺達が殺されてたまるかよ!」
剣が無防備な彼女を捉えた。一閃。確かな手応えがあった。斬った瞬間、キサラは顔を背けてしまった。斬った相手を見る事が出来なかった。
「ひっ。や、やだ」
背後から、シエラの悲鳴を上げそうなか細い声が聞こえた。どういう事なのか、キサラは一瞬分からなかった。
「無事、か……。良かった」
キサラの刃には、確かに斬った形跡があった。血糊が付着し、垂れている。その刃の先にあったのは、背中を大きく両断されたリィンの姿だった。彼の腕の中でセシルは口をあんぐりと開け、何が起きたのか理解できないと言った顔をしていた。
「貴方、どうして」
「セシル、お前は苦しそうな顔をしている。私はそんなお前が斬られるのを黙って見てなどいられない。本当は辛かったのだろう、種族の違いゆえに相容れない現実が」
「どうして私を庇ったと聞いているんだ、リィン」
リィンは深い傷により、それ以上は大きな声で喋れなかった。
「お前、最初からこうするつもりでいたんだな。だからあの時俺にあんな事を言ったのか」
「すまない、な。この場所に来る前から、ここにセシルがいるのではないかという気がして、いた」
「全く、手間の掛かる奴だな。とっととこの場から離れるぞ。ここは危険だし、手当てはそれからだ」
キサラは血の付いた剣を捨て、リィンに駆け寄ろうとした。
「あぶない!」
危険を知らせる大声と共に、キサラの身体は強く押された。シエラが自身も転がるように突き飛ばしながら、キサラの身を救った。直後、降り止まない炎の岩石が目の前を直撃した。爆風により、リィンに庇われる形でセシル共々二人は転がる。
遠目から、セシルも頭から出血しているのが分かった。意識はあるようだが、戦う力はもう無いだろう。リィンはそれ以上に重傷だ。
降り注ぐ炎のメテオレインが、足場を脆くしていっている。地震のような揺れが断続的に起き、既にこの場が危なかった。ユグドラシルの樹全体にまで魔法の効果は無いだろうが、ここの足場はもう間もなく崩壊するだろう。
「行け」
リィンが力を振り絞って声を出した。既に声は嗄れている。自身の腕の中にいるセシルの胸元から二つのオーブを引き剥がすと、投げてよこした。
「お前達は行くのだ」
キサラの目と鼻の先に、オーブは転がった。そしてすぐ近くにはセシルに奪われた剣、エーテルセイバーが転がっている。四つん這いになりながらキサラはそれらを自身の手中に収める。
「くっ、もうここは駄目だ。先へ進むしかない。立て、シエラ!」
「で、でも」
傷を負っているリィンの事が気になるのだろう。置いて行けるわけがないと。
「一刻を争うんだよ。早くここを抜けないと足場が崩れ落ちる。俺達、全員死ぬぞ」
「う、うん。わかった」
シエラの手を引きながら、何とか身体を起こす。揺れる地面と降り注ぐ炎を避けながら、何とか歩き出した。
「この門、なんとか開かないかな。先へいける場所はここしかないみたい」
「やってみるしかないな」
石造りの門はセシルが封印を強化してしまっていた。ちょっとやそっとの力では開かないだろう。キサラは揺れに足を取られそうになりながらも石の門の隙間に指を入れてみる。無理矢理に開こうとしても無駄だった。
「そうだ、オーブの力だ。こいつで何とかならないか。封印はきっとこいつらの力で掛けられているんじゃないのか」
キサラは受け取った火と地の二つのオーブを両手に持って掲げた。眩いばかりの紅と琥珀の光が世界を照らす。強大な魔力に反応し、石造りの門はカタカタと震える。震えに合わせて指を掛けて開こうとしても、開かない。
どうやら力が足りないようだった。根本的に魔力が足りていないのだ。この世界を統べる力を持つ宝珠を二つもってしても、それでも封印の方が強固だった。
「どうすりゃいいんだよ! 開かねぇぞ」
「は、早くしないと足場が」
うろたえる二人に、声が掛けられた。
「駄目、よ……」
リィンに庇われたままの姿で、セシルは後ろから声を掛けてきた。
「その門は、私が閉じてしまった。簡単には開かない。その門の封印には三つのオーブの力を使っているわ。今ある火と地だけでは、絶対に開かないのよ。あと一つ、未のオーブがないと」
「未のオーブ? 何だそりゃ。今そんなものを手に入れるのは不可能だろ」
足場が端の方から崩れ落ち始めた。土で出来た地面は割れ落ち、奈落へと落ちてゆく。既に来る時に通った道も崩れてしまっていた。退路も絶たれた。先へ進むしか逃げる術は無い。
ユグドラシルの末端の枝だけで支えられている足場だ。下は空そのもの。遥か彼方の地上に落ちた際には、命は無いだろう。
「未知の属性を秘めたオーブ。イノセント・ランドには存在しない、神界にある七つ目の属性よ。地上のどれにも属さない、謎多きアンノウンの性質。六大属性を支配化に置く、全てを凌駕した属性」
「それじゃ、わたしたち助からないじゃん! そんなオーブなんてどこにあるの」
セシルの声は次第に弱っていた。頭の傷と、戦いの疲労により衰弱しているようだ。
「神界、に……あるのよ。その門の向こうに」
その言葉を最後に、セシルの意識は消えた。気絶したようだった。それと同時に魔法も消える。炎の雨は降り止んだ。
だが、一度始まった崩壊は、止まらなかった。魔法が消えた後も至る所で火は上がり続け、激しい揺れで脆くなった足場は崩れてゆく。
セシルの放った絶望的な言葉に、二人の意気は落ち込んだ。術者もろともあの世に引きずり込む禁術が、この場を落とそうとしていた。
「みんな、死んじゃうんだ……」
「まだそうと決まったわけじゃねえ。諦めるな」
一人、オーブを掲げ続けるキサラだが、心の底から溢れてくる怒りが抑えきれなかった。
「開け。開けってんだよ、こんの野郎。こん畜生」
オーブをしまい、自棄になって剣を抜いた。扉へ叩きつける。
「うらっ」
刃こぼれのしない刃は、火花を散らせながら弾き返された。叫び声を上げながら、狂ったようにキサラは剣を振り下ろし続けた。目は半分血走り、死に物狂いであった。
「やめてよ、もうやめて」
「死んでたまるか!」
その時、願いが通じたのかどうかは分からなかったが、不思議とゆっくり扉が開き始めた。隙間からは眩いばかりの光が溢れ、この世界とは全く違う次元への入り口である事が予想された。
「開いてきたぞ、どうなってるんだ」
「見てよほら、火と地のオーブが光ってる。でもオーブは三つ必要なんじゃなかったの」
「知るか。開くならなんでもいい。早く、早く開け!」
その時、扉の隙間から手が伸びてきた。しわがれた老人のような手だ。
「だ、誰だ」
「間に合ったようじゃな」
隙間から漏れてきた声には、聞き覚えがあった。眩い光の中に、一人の男性らしきシルエットが浮かぶ。老人のようだがたくましい腕には、貫禄が見られる。男性の腕はキサラの細腕をがっちりとつかみ、放さまいとしていた。
「あんたか、リゲルのおっさん。何で扉の向こうに」
消えたと思われたリゲルは、思いも寄らぬ形で姿を現した。徐々に扉が開き、姿が露になる。そこにはたくましい姿を湛えた老人が立っていた。左手には見知らぬ七色の光を放つ宝珠が握られている。
「説明は後にする。来るのだ、キサラ。お前達を助けに来た」
「分かりました。行くぞシエラ」
「う、うん」
キサラは背後を振り返った。
「お前ら」
傷を負った背中が痛々しい。リィンは脂汗を額に浮かべながら、横顔で笑っていた。両腕の中には、頭を打って気を失ったセシルが眠るように眼を閉じている。
「早く来い!」
直後、激しい揺れが足元を襲い、立っている事すら難しくなった。見る見るうちにぼろぼろと地面は崩れ落ちてゆく。抜け落ちた後には、遥か空が広がっていた。
リィン達の足場が全て落ちた。退路も無い。やがて彼ら二人を支えていた箇所もぐらつき始めた。
「後を頼むぞ。キサラ」
不思議なくらい、彼は笑いを浮かべていた。
「生きて祖国の地をもう一度踏めなかったのが、残念だ」
「何言ってやがる。生きてもう一度踏みやがれ!」
フッと一つ、口端を上げると、それ以上は何も言ってこなかった。そして間もなく、彼らは目の前で落ちていった。
それを見ている事しか出来なかった三人は、言葉無くその場を後にするしかなかった。