第58話 三章 ―消え行くもの― 19
この現状を見る限り、イノセント・ランドの命ともいえる魔力たちは長年、神界に吸い上げ続けられていたと言えた。疲弊しきった大地で、彼らは少ない土地を奪い合いながら生きてきたのだ。
「冗談じゃねぇぞ。俺達は神にとって何だって言うんだ」
「イノセント・ランドから魔力が消えたら……終わりだ」
大地にとって、宿っている魔力がもたらす恩恵は多大なものだといわれている。作物や緑が育つのには絶対に必要なものだという。養分や太陽の光もそうだが、大地に宿っている魔力が受けた養分を増幅させるのだという。そのお陰で、魔力が豊富な大地では瑞々しくて養分の高い作物が採れる。
逆に魔力が大地から消えてしまったらどうなるのか。魔力は大地同士を結合させる糊のような役割も持っている。魔力が消えれば、大地同士はバランスを保っていられなくなり、崩れ落ちてしまうという。すぐに崩れ落ちるまでは行かなくとも、養分や水を保っていられなくなる。徐々に砂漠化してゆく。そして最終的には不毛の台地になり、遅かれ早かれその土地は崩壊する運命にある。
「わたしみたいに魔法を使える人は、その大地から放出されてる微量な魔力を身体に取りこんで、自分の力として放出する。いわば、大地からあふれ出たおこぼれをもらってるみたいな感じ。魔力が足りなくなったら当然、魔法は使えなくなっちゃう。取り込むための魔力が無くなってしまうんだから」
恐らく、魔力が吸い上げられているのは今に始まった事ではない。遠い昔から既に始まっていた事だろう。台地の崩壊は昔から、現在進行形で続いているのだから。そして誰もがここに近づけないようにされていた。
「もしかすると、アルタイルの野郎はここまで分かってたのか。駄目だ、今の俺には何を信じればいいのか分かんねぇよ」
自らの両手を握り締め、苛付いていた。
「キサラ……」
口をつぐむシエラ。何と声を掛ければいいか迷っている。
「進むしかあるまい。この先に答えはあるのだろうから」
「そうだな」
階層を進むごとに、下層から吹き上げる上昇気流が強くなってきた。魔力の塊はますます速度を増して上空へと吹き上がってゆく。着ている物も、髪もひらひらと風でたなびく。蒸し暑い空気は風により徐々にだが緩和されてきた。もうどのくらい上ってきたのだろうか。外の景色が見えないために、今が昼か夜かすらも分からなかった。恐らく、皆の疲れ具合といつもの身体感覚的には今は夜だと思われる。
一日中歩き続けたために足はもう悲鳴を上げているが、休めそうな所が全く見つからなかった。せめて広い足場があればそこで腰を下ろす事も出来るが。
「それにしても上に向かうほど風が強くなるな。こりゃ、頂上付近は強風なんじゃないか。吹き飛ばされちまうぞ」
「横風ではなく縦風だから落ちる事は無いと思うのだが」
「つかれた」
表情を下に落としながらシエラは一番後ろをとぼとぼしている。
「つーかーれーたー!」
ここに来てまたも駄々っ子に戻ってしまった。恐らくこの姿が本来の彼女なのだろう。
「あぁもう分かった。俺だって疲れたよ! 休もう」
自信の疲労も相まって、半ば自棄になりながら座り、壁にもたれかかった。シエラはとてつもなく嬉しそうな表情をしている。
「お腹すいた。たべよ」
持っていた麻の袋からブラックベリィを取り出し、二人に手渡した。小さな木の実だが、口に入れると絶妙な酸味によって身体が癒されるようであった。
「お前が一番疲れてそうだけど」
「んー、わたし体力ないからね」
先は長い。ここまで来てしまった以上、戻る事も適わない。進むしかないのだ。ベリィは沢山取ってきたとはいえ、食糧も限られている。次にいつ補給できるかも分からない以上、慎重に食べる必要があった。
「俺はいい。もっと食えよシエラ。腹減ってんだろ」
地面に置いた麻の袋を取り、ブラックベリィを取り出す。一粒取り出すと、壁を背にして眠そうにうとうとしているシエラの口へ詰め込んでやった。
「ふもがっ……」
びっくりした様子で口に入ったそれを噛みもせずにごっくりしてしまったようだ。目が飛び出す勢いで反射的に飛び起きる。
「はははは」
「ちょっと、びっくりさせないでよ!」
何だか照れた様子でシエラは少々赤面していた。
「全く。仲が良いのは結構だが、そういうのは二人きりの時にやっていただきたい」
「って、そんなんじゃないってば――」
赤面したままで妬いている男に力説するも、嬉し恥ずかしなのが見え見えで全く説得力が無かった。それを見て呆れた様子で、リィンは目を閉じてしまった。
「私はもう休む。ではな」
キサラも頭を掻き、後味が悪そうであった。
(んー、コイツの前でちっと無神経だったかもな)
彼は失恋したばかりであったのは、分かっていたはずだった。種族が違っても恋愛感情は芽生える。それを証明していた。
(コイツ、最初に思ったほどひどい奴でもなかったぜ。それなのにセシル、お前もお前だな。もう少し真剣に考えてやれなかったのかねぇ)
隣ではシエラも寝息を立て始めた。
(お前、どこに行った。表には出さないけど、きっとお前が居なくなってコイツ悲しんでるぞ)
アルズヘイムに入る直前から、セシルの姿は全く見ていない。同行者として付いてきたリゲルも消えた。彼女らの行方は未だ謎のままだ。
(二人に何か共通点とかあったか? いや、無いはずだ。血縁者にも思えない)
次第にキサラも瞼が重くなり、自然と目を閉じていた。
しばらくして、疲れと首筋に掻いた汗がべとつき、不快感に見舞われながらキサラは突然目を覚ました。すると身体の上に何かかなり重い物が圧し掛かっていた。
「なっ、お前」
シエラが、キサラの胴体を枕代わりにしてすやすや眠っていた。
「重い。暑苦しいわ!」
と怒声を撒き散らすも、ぐっすり眠って起きやしない。よほど疲れているのだろうか。見ている側から寝返りを打ち、顔が向き合う。そして今度は身体の上でうつ伏せになってしまった。
「もう勝手にしてくれ……」
半ば諦めた様子で、キサラは眠れない時間を過ごすはめになった。
最後まで寝ていたのは意外にもリィンであった。朝か夜かも分からない時間帯だが、律儀に「おはよう」と挨拶して起きる所に育ちの良さを実感させられる。
彼の心の中は今、どういった状態なのだろうか。恐らく成り行きだけでここまで付いて来たわけではあるまい。振られても尚、居ついている存在があるように感じられる。
「よし。軽く食ったし、そろそろ出発するぞ」
持ってきた食糧もそんなに多くなかった。現地で手に入れたブラックベリィの他には、アルズヘイムで何とか交渉して譲ってもらった鳥の干し肉と、汲んできた湧き水。汗を多量に掻く気温と湿度なので、水の残りは特に心配であった。
「頂上まであとどのくらいあるのだろうか」
「さぁてね」
一生の内に、雲よりも高い場所へ到達できる生き物など数が知れている。彼らは今、貴重な体験をしている事には変わりない。
「同じ景色ばっかりだから飽きてくるな」
淡い光の中を魔力の塊である白い粒が延々と飛んでいる美しい光景。だが、ずっと見ていれば飽きるもので。
「あそこ、なんか光が出てる」
シエラが指差した頭上には、一箇所だけ強く筋上の光が差している箇所があった。恐らくあそこから再びユグドラシル外周へと出られるのかもしれない。
「そろそろ外の光が恋しいぜ。幻想的な景色もいいけどさ」
しばらく幹の中を上り続け、その穴から再び外周部分へと出ると、強い風が彼らを襲った。そこは既に雲の上で、太陽の直射日光が眩しかった。遮るものが全く無い分、余計に日差しが強く感じられる。若干、空気も薄くなっているようだ。
「見ろよ、あそこ」
キサラは天を見上げ、指差した。青空の中に一箇所、靄の掛かっているような場所が確認できる。そしてユグドラシルの幹はそこへと続いていた。
「世界樹を上った先にある神々の世界。あれが……」
言い伝えが本当ならば、ユグドラシルの先にぐらついた架け橋ビフレフト。そしてその先にオーディンら神々の住まうアスグルドがある。
体も限界に近かったが、何とか気力を振り絞って外周部分を歩き続けた。強風に煽られながらなので余計に体力を使う。そして天に存在する靄へと近付いた頃、突如として違和感のある開けた空間に出た。とてつもなく広いフィールドで、枝の上に積もった土が固まって出来た場所と思われた。
頭上には太陽だけが輝く青空の下。遥か向こうには石造りで出来ているゲートのようなものがそびえ立っていた。
「何か、いるな……」
そのゲートよりも中央、何かの文様が地面に描かれていた。その中央には、人間のような姿が遠目から確認できた。背中を向けて立っている。どうやら姿は人間の女性に近い。
風を浴びて流れるような銀髪に、黒一色のカットソーを身に纏っている。下にはやはり黒単一色のロングスカート。頭には植物の葉で織られた冠のようなものを被っていた。
リィンが一つ歩み出た。
「セシル、こんな所に居たのだな」
振り返った姿は、冷徹な瞳を携えた女だった。セシル・Ⅰ・レーゼ。消えた女がそこに居た。
「来てしまったのね」
低いトーンで、セシルは三人に言い放った。
「来てはいけない場所へ」
右手には、どこかで見た武器が握られていた。銀色の穂先をした武器が。
「お前が奪ったのか。リィンの持ってた聖槍セントハルバードを」
「そうよ」
魔力のようなものを身体から放つと、更に空中に一本の剣が浮かんだ。まるでシエラが魔力を武器の形にして刃とするように。だがセシルのそれは実態のある剣だった。
「俺の剣もお前が持ってたんだな」
青紫の正体不明の剣、エーテルセイバーも今はセシルの下にあった。
「剣を取られちまったからな、お陰でロードオブヴェノマスは苦労したぜ」
「それは悪かったわね。でも、元々これは貴方達の物ではないから返してもらっただけなのよ」
「じゃあ、その理由をお聞かせ願おうか」
セシルは少しずつ歩み寄ってきた。得体の知れない威圧感に、一行は少し後ずさりする。最後に一緒だった時とは服が変わっている。真っ黒な衣装に浮かび上がる銀のシルエットは、寒々としすぎている。
「この武具達は元々神界にあった物。鍛冶師ドヴェルグが作り出した神の武器なのよ。どうやら盗み出されていたようね。どこかの下級神によって。イノセント・ランドにあったのも頷けるわ」
そして今、武具は彼女の手中に握られている。
「お前、何で姿を消した。そして、何故ここで待っていた」
「貴方達が入ってこられないよう、早急にここの封印を強化する必要があったからよ」
アルタイルは言っていた。神界にはゲートがあると。恐らくセシルの背後に存在する石造りのゲート。あれが神界への入り口なのだろう。
「セシル、そこを退いてくれ。私達はこの先へ進まねばならないのだ」
彼女は頑なな態度で、立ちはだかっていた。矛槍を突きつけて。その目に温かな慈悲など無かった。
「それは出来ないわ。だって、私はオーディン様の味方ですもの」
「わたしたちはオーディンに会わなきゃいけないの。何のためにユグドラシルがあるのか。どうしてこの樹をこの世界に植えたのか。それを確かめなきゃ」
だがセシルは首を横に振った。
「その必要は無いわ」
「必要が有るか無いかは俺達が決める」
キサラも強情な態度を示した。セシルは懐かしい物を見るかのような眼差しで、キサラをまっすぐに見つめていた。
「キサラはいつだって強いわね。だから私は、貴方の事が好きだった。キサラに近寄る他の女の全てが嫌いだった。でもそれは許されない恋。私達は決して結ばれない」
シエラはただ単に嫉妬されていただけ。
「私がいるではないか」
リィンが声を張り上げる。セシルは歯を食いしばった。
「貴方は出会った時から私の事を好きでいてくれたのね。でも、駄目なのよ。私にはキサラが全てだったから。それも適わなくなってしまった今、私がキサラに対して出来る事は――」
矛槍を振り上げ、まっすぐに突きつけた。
「貴方を殺して、オーディン様に献上するエインヘリヤルとする事。それが私の表現できる、貴方へのせめてもの愛」
キサラも鈍らの剣を抜き、セシルへと向けた。
「お前は一体、何者なんだ。答えろ」
重い口を開き、セシルは言った。
「私は、ヴァルキリー。オーディン様の僕。英雄の魂を持つエインヘリヤルを集めるのが役目」
「なるほど、俺を殺して魂を回収するってわけか」
薄ら笑いを浮かべながら、キサラは剣を構える。
「ふざけんな!」
耳を劈くほどの大声で、キサラは怒鳴った。
「ここでお前にやられてたまるか。俺にはな、やりたい事も、守るべきものも沢山あるんだよ」
セシルは目を見開き、矛槍を太陽の光でぎらつかせた。
「これ以上は進ませない。覚悟!」