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イノセント・ランド  作者: ふぇにもーる
三章 消え行くもの
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第55話 三章 ―消え行くもの― 16

 その男は、シエラよりも遥かに大きな図体をしていた。身長は二メートル近くあるのではないだろうか。人間換算するとおよそ三十五歳くらいであろう見た目だ。身体もまともに洗っていないのではないかと思えるほどに酷い臭いを振り撒き、筋骨隆々とした男は、シエラを見下している。

 恐ろしげな太い腕からは剛毛が生えており、その丸太のような腕でシエラの肩をつかもうとしてきた。咄嗟に

嫌悪感を示し、歯軋りしながら後ろ退った。

「近寄んないで。触ったら殺す」

「強がりも一丁前になりやがったな。分かってんたぜ、弱虫なお前が生き物一つ殺せねえ事なんざ。あんな化け物なんて放っておけ。お前じゃ倒せねえよ、街の連中に任せるんだな」

 不快感を催す笑いをこぼしながら、シエラを見ていた。

「どうせ人間の世界にも居場所が無ぇから、逃げ帰ってきたんだろ。情けねえなぁ、だから混血児っつーのは。人間とも暮らせず、エルフィールの間ではいじめの対象。哀れな奴だなぁ。

 へへへ。仕方ねえ、今度は俺がお前を食わしてやるよ。あの仕事の無かったババァみたいに、毎晩俺に抱かれればいいだけだ。そうすりゃ、三度の飯くらいはくれてやる。どうだ。ま、俺もレッサーエルフィールを家で飼ってるなんて知れたらまずいから、ずっと奥の部屋で小さくなっててもらう必要があるけどな。

 こんな辺鄙な街じゃ、ロクな女もいなくってよぉ、ウズウズしてんだよ。お前みたいな奴でもそのくらいは利用価値があるってこった」

 つまりそれは、半分この男のペットになるのと同じという事であった。無理矢理に身体を抱き寄せようとする腕を振り払う。

「最低……」

 シエラの声は怒りのあまりに上ずっていた。

「どうして、エルフィールはわたしをいじめるの。わたしが一体何をしたってんだよ」

「何をしたかって、レッサーエルフィール自体が汚ぇ存在だろうがよ。人間との間に生まれた子供なんて汚れてるに決まってらぁな。ま、安心しろ。もし俺との間にデキちまっても殺――」

 思わず、ザックの身体を思い切り蹴り飛ばしていた。大した威力ではなかったが、ザックは思ってもいなかった攻撃に対して大柄な体躯を怯ませた。

「あんたさえいなければ、お母さんが殺される事も無かった。誰があんたなんかに抱かれるか。あんたなんかに――お前に犯されるくらいならバラバラにして殺してやる!」

 右手を男に突き出し、こみ上げた怒りに任せて全身の毛を逆立たせた。

「俺様を殺すだと。どんな魔法で殺してやるってんだ。笑っちまうぜ、この混血児風情がよ!」

 ザックの丸太のような腕は、シエラの右腕を軽く鷲づかみしていた。

「痛っ」

 まるで細枝をへし折ろうとするかのように、つかんだ右腕に力を込めて痛め付けていた。ザックはシエラを無理矢理集団から引きずり離し、森の茂みの中へと連れ込んでいった。そんな事は全く気付かず、キサラ達はロードオブヴェノマスと戦っている。誰も気付く様子は無かった。

「や、やぁ……痛い」

 皆の前では強がって決して見せないような姿。弱々しいか細い声で懇願するも、ザックの足は止まらなかった。次第に森は入り口が見えなくなってゆく。深緑が濃くなり、誰の声をも聞こえなくなった。

「ほら、抵抗してみろよ。じゃないとどうなるか――」

 その時、シエラの右腕は一瞬にして自由になっていた。彼女の腕をつかんでいたザックの腕が、赤い液体で虹のような弧を描きながら軽やかに空を舞った。巨木の枝に引っかかり、落ちてこない。自らの腕が飛んでいったのを、ザックは呆然と見守っていた。

 そして気付くと激痛が襲ってきて、千切れた二の腕から激しい出血を伴いながら、転げまわった。

「うはぁっ、あひぃっ。俺様の腕が。て、てメェ何しやがった、このくそ女がよおぉ」

 逆切れしてシエラに怒鳴りつけると、そこには全く目付きの異なった彼女が居た。いや、それが本当に『シエラ・エタートル』といえるのかどうかも怪しい存在であった。

 空の色をした瞳は光が灯っていなく虚ろで、焦点が定まらないでいる。それは目の前の転げ回る男を見ているのか、遥か遠くの木の枝に止まっている小鳥を見ているのか。一種の恍惚状態とも言えるような『シエラ』はぶつぶつと声にならない声でずっと口で何かを呟いている。全身からは全ての魔力を解放したかのような禍々しい気が上り立っており、目に見えるオーラのように足元から光が吹き出していた。それは目の前の男にとっては女神とも悪魔とも言える力をその身に抑え切れずに溢れさせてしまっている、一種の爆弾のようにも思えていた事だろう。

 そこに立っていたのは、『シエラ・エタートル』の姿をした別の怪物のようであった。ただのエルフィールでも瞬時には出ないような魔法力。足元の草は全て一瞬で枯れた。足元から出るオーラに触れるもの全てが灰になった。

「お前、何者だ」

『シエラ』は、ゆっくりと光の宿らない瞳を這いつくばるザックへと向けた。溢れ出した魔力により、『シエラ』の頭上に魔力で作り出した電撃の剣が出現してゆく。

 一本、二本、三本……その数、十本超。



 ロードオブヴェノマスの力は、やはり強大である事に間違いは無かった。武器でいくら斬っても歯応えが無く、魔法の効力も芳しくない。街が壊れてゆく。王都スレンスブルグ、首都ベルク、そして次はアルズヘイム。どこも人の集まる地域に限って、怪物の被害に遭っている。

スレンスブルグは壊滅せず、甚大な被害を受けるに留まったが、ベルクは文字通り街自体が消滅してしまった。いくらいけ好かない連中の住む場所とはいえ、消滅を許してしまうわけにはいかない。

 弱点が何なのか、それすらも分からない。触ればどんな物でも腐食させてしまう。隙を狙う以外、近付く事も危険。だが交戦をしている最中、一つだけ皆分かった事がある。

『動きが鈍い』

 そしてもう一つ分かったロードオブヴェノマスの進路。それはユグドラシルの幹だった。徐々に鈍い速度であるが、確実に怪物はユグドラシルへと向かっている。あの木を腐食させられるわけにはいかない。

 世界樹の名の通り、イノセント・ランドはユグドラシルの生み出す膨大な魔力によって多大な恩恵を受けている。木は世界中に根を張り巡らせていると考えられ、この世界全土に渡って土壌へ魔力を注いでくれているのだ。そのお陰で地域によっては作物が豊富に取れるようになっている。

 昔より遥かに土地は失われて狭まれ、その上世界樹ユグドラシルを失ってしまえばこの世界の均衡は崩れてしまう。作物は実らず土地の面積に反比例して増え続ける人口に、弥が上にも食糧危機の時代がやってきてしまうだろう。それだけは何としてでも防がねばならない。

 森が燃えてしまうリスクがあったが、強力な火の魔法を連続して浴びせる事により、徐々にだがロードオブヴェノマスの身体は融解していった。泥の中に含まれている有機物が熱せられる事により燃え出している。

 怪物の身体が赤みを帯び、内側から溶け出している。溢れ出した有毒性の泥は、付近の植物をことごとく枯れ果てさせていた。

「弱ってるぞ、このまま押し切れ!」

 ユグドラシルへ到達させるわけにはいかない。もはや物理攻撃など効かないに等しい相手だ。エルフィール達は強力な火の魔法を連続して叩き込んでいた。身体全体が激しく燃え出すも、泥の水分によりすぐに消えてしまう。

 怪物の咆哮が響いた。苦しみ、悶えている様子であった。がむしゃらに腕を振り回し、建物を倒壊させ、悪あがきを見せる。けれども勢いをつけた民衆は、味方の居ない孤立した怪物よりも強固だった。やがて火の熱によって泥の中の水分が蒸発しきったらしく、泥は次第に固まっていった。

 動きが更に鈍くなり、次第に怪物は完全に動きを止めてしまった。最終的に止めの如く、火の魔法により巨大な炎の槍が怪物の頭上から召喚されて易々と貫いた。

「ふぅ。何とかなったな」

 今回は味方が多かった。強力な魔法を扱える者達が大勢サポートしてくれたお陰で、キサラ達は街を壊滅させる事無く勝利に結び付けた。

「皆、助かった」

 エルフィール達も疲れ切っている様子であった。壊滅はしなかったものの、街の被害が甚大である事には変わりない。怪物を倒した後は、復興に向けて長い仕事が待っていた。

「結局、村長はどこに行ったのであろうな」

「さぁね。セシルやリゲルの行方も分からねぇままだ。あ、そういやシエラは何処に行った」

 先ほどから二人とも、シエラの姿を全く見ていなかった。怪物と戦い始めた時には確かに居たはずなのに、いつの間にか戦いの場から居なくなっているのに気付かなかった。周りに魔法を扱う者が大勢居たので、逆に目立たなかったからであった。

「ん、居た! っておい」

 遥か遠く、森の中から姿を現したシエラは、何かが違っていた。身体中が、赤い飛沫に塗れていたのであった。

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