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イノセント・ランド  作者: ふぇにもーる
三章 消え行くもの
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第52話 三章 ―消え行くもの― 13

 広大な樹海を抜けた先、陽もだいぶ傾いた頃に一行はアルズヘイム付近まで歩を進めた。薄闇の中での行軍は街道を外れずに進んでいても、整備されていないために歩きにくく、体力はかなり消耗している。何の準備も無いまま皆歩かされているのだからそれは当たり前の事であった。休むわけにはいかないのだから。

 街が見えてきたことでタナトス王国騎士団員達からは喚起の声が上がり始めた。鎧は泥だらけ、汗まみれ。担いでいるに等しい武器達が彼らの体力を等しく奪っているのは間違いない。

 アルズヘイムには背の高い杭で作られた柵が街中をすっぽり囲うように張り巡らされており、外敵の進入を頑なに拒んでいた。物見やぐらなども遠目に存在するのが見え、外界に対して敵対心剥き出しの様子であった。おまけに、魔法での侵入を拒むためであろう魔法陣が壁にはびっしりと不気味に描かれている。それは常に効力を発揮しているらしく、うっすらと魔法陣自体に光が灯って明滅を繰り返していた。

「この調子で、ユグドラシルを抜けられるのだろうか」

 不安な様子で、後続のリィンは呟く。人間どころか、他の種族でさえもまともに受け入れてもらえるかどうか怪しい。街の入り口には守衛らしき二人の人影も見える。一行の行軍が進むに連れて、だんだんとその姿ははっきりとしてくる。先頭を進んでいたタナトス王国騎士の数名が守衛に駆け寄って行った。

 エルフィールの守衛男性二人は、人間の成人男性とあまり変わらない容姿をしていた。二人とも色の濃い革の鎧を身に纏い、槍を携えている。外見から分かる人間との相違は、髪は二人とも金髪である事と、耳がシエラと同じようにやはり細長く尖っている事であった。二人の守衛は身動き一つせず、近寄ってくる人間達にも動じない。険しい表情のまま崩さなかった。

「何者だ貴様ら。人間か」

 槍を突き出され、タナトス王国騎士達は立ち止まった。疲れ果てた所に文字通り思わぬ横槍が入り、彼らはいきり立った。

「見ての通り、俺達は疲れてるんだ。街に通してくれ。宿が取りたい」

「エルフィール以外、長の許可が無ければここは通せない。お引取り願おう」

「何でだよ!」

 守衛に当たる騎士達だが、エルフィールの二人は頑なであった。身体能力的には人間とあまり変わりはないらしく、屈強であった。守衛を務めるほどである事から、恐らく武術などにも精通しているのだろう。

 遅れて後続のキサラに続いてシエラも引っ張られてきたが、騎士達が入り口の守衛と揉めている声を聞いて特に驚きはしていなかった。まるで当たり前の光景だというかのようであった。

「あいつら何やってんだ。早く中に入ればいいのに」

「思った通り、ゴネてるみたい。あいつらまともに人間なんか通さないもん」

 キサラはしばらく後ろで様子を見ていたが、一向に事態が進展する様子は無かった。このままでは日が暮れてしまう。この樹海の中で野営の準備もしていないのに野宿するのは危険すぎた。野生のモンスターの格好の餌食になってしまう。せめて火を焚く道具さえあれば、一晩中誰かが番をしている事でモンスターを遠ざけられるのだが。

「力ずくでここを通ったとしても、村長の協力は得られないだろうしな」

 剣に手を伸ばしかけるキサラだが、思い止まった。先ほどのシエラの言葉を思い出す。ユグドラシルへは村長の施している封印を解かないと進めない。ここで彼らを敵に回してしまっては、出来る交渉も出来なくなってしまう。

「坊主、何か妙案は」

 筋骨隆々のリゲルはあまり考える事無くキサラに聞いてくる。頭を掻き、その掻いた指先をフッと息で吹く。何だか頭を使う事にかけてはあまり頼りになりそうにない。

「妙案はありません」

「そうかそうか」

 あくまでも同行者であってあまり真剣ではない様子であった。だが、ただの同行者にしては協力的とも見える。その時、無言で列の真ん中ほどにいたセシルが音も無く先頭へと歩み出た。

 守衛二人は、何か感じ取ったようにすぐに道を開けた。槍を引っ込め、門の脇に無言で立ち尽くす。

「は、入っていいのか」

 守衛二人は何も言わない。拒否もしなかった。恐る恐る街の土を踏み出し、騎士達はアルズヘイムへと入ってゆく。後ろでその様子を見ていたキサラ達は、何がどうなっているのかさっぱり分からなかった。

「どういう事だ。シエラ分かるか」

「さぁ……」

 キサラには理解不能だった。何故守衛は道を開けたのか。何はともあれ、街へと入っても大丈夫なようであった。だが守衛の第一関門を突破したのも束の間、次に待ち構えていたのは髭を伸ばして杖を突いた老人であった。

 頭には何か呪術的な意味合いがあると思われる紋章入りの帽子を被っており、着ている衣服も守衛などとは一線を画している模様が入っていた。帽子と同じように呪術的な模様が刺繍されたローブを着ている。明らかに一般人よりも位は上だろう。隣には二人、槍を携えたエルフィール男性が付いてきている。補佐か何かだろう。恐らくこの老人が例の村長であろうと思われた。

「今は交易の時では無いはずだが。何用であるかな、人間方」

 重い口ぶりで声を発した老人は、乱暴な口調ではないものの威圧感は大きかった。まずは相手の事情を聞こうという事か。

「俺達は神界へ行かなきゃならないんだ。通してくださいよ」

 若い騎士団員の一人は身振り手振り自分達の状況を伝えた。包み隠さず全てを正直に話すのもどうかと思われるが、話してしまったものは仕方が無い。先輩団員が落ち着けといった具合に肩に手を置いて諌めるが、既に後の祭りであった。

「あい。事情はだいたい分かった。だが貴方がたは私どもがその神の眷属であり、入り口を守護する立場という事を知っての上でオーディン神を倒しにいこうと言うのか。

 確かに貴方がたには大切な人を守るという事情があるのだろう。だが私どもには関係が無いのだ。お引取り願おう」

 老人は最初から通す気など無いようであった。主神である神を倒しに行く連中を通す理由は無いだろう。当たり前の事であった。

「ん、穢れた血を持つ者が紛れておるな」

 鋭い眼光が、大勢の後ろに一人だけ存在する女へと向けられた。針の穴を通すように、人々の間から少しだけ見える姿を認めていた。

「貴様。何故、この地に戻ってきた」

 それは明らかにシエラに向けられた言葉であった。

(人物の持つ『空気』だけで種族が分かるのか。このジジイ)

 シエラの姿を自身の体で隠すキサラ。だが本物のエルフィールの前に小細工は利かない。魔の力を根幹とする一族だ。目に見えないものを感じ取るのは十八番といった所か。

「お前だ、シエラ・エタートルよ。一族の面汚しめ。ここには貴様の居場所は無い。人間の世界へ戻るがいい」

「あんたなぁ、その言い方は無いだろ」

 キサラは咄嗟に叫んだ。あまりに一方的な態度に対し、一気に頭は沸騰してしまっていた。

「聞けばシエラの故郷はここだって言うじゃないか。なのに、帰ってきちゃいけないのかよ。だいたい、俺達はここに住むわけでもない。ただ通り抜けるだけなんだっての」

 脇に控えるエルフィールの一人がくすくすと笑っていた。

「何がおかしい」

「そうか、そういえばシエラは知らないんだったな。人間はユグドラシルへの門を通れないことを。だから村長はそれを知った上で気を利かせて、人間どもに帰れと言っているのだ。ここへ入る事が許される人間は、我々との交易が目的の者のみ」

 シエラは黙りこくった。恐らくアルズヘイムで彼女の味方は誰も居ないのだろう。普通のエルフィールが当たり前のように知っている事すらも教えてもらえなかった。

「では私は通れるのだな」

 そこで前に歩み出たのはリィンであった。今は人の姿であるが、皆の前で徐々に獣の姿へと変化してゆく。槍が小さなおもちゃに思えるほどに体格も良くなり、エルフィールの長を高みから見下ろした。タナトス王国騎士達も驚きを隠せず、思わず手にした槍を構えそうになるが、リィンはそれを手で制した。

「私はこんな格好をしているが、モンスターなわけではない。レッサーウルフェンだ。もちろん人間並みの知性も持っている」

 エルフィール達はやはり人間の姿に化けている事を最初から分かっていたらしく、無言でその姿を見上げていた。

「エルフィールの長よ。先ほど、人間はユグドラシルへの門を通れないと仰ったな。この姿ならどうだ。私は人間ではない」

 屁理屈を通しているのはリィン自身も分かっているだろう。神界への道を開けるためには屁理屈だって武器になる。長は困った顔をしていた。

「……駄目だ。確かに貴方ならば通れはするだろう。だが通すわけにはいかない。我々には神界を守護する義務がある」

 その様子をセシルがじっと黙って見つめていた。何か村長に訴えかけるように。村長もそれに気付いたようであるが、生唾を一つ飲み込んで視線を逸らした。

「参ったね。俺達も乱暴な事はしたくないからなぁ」

 さすがのキサラも溜息をつく。もしここで剣を抜いて暴れたとしても、このエルフィール族全体を敵に回して勝てる気はしなかった。相手は魔法に精通した者達だ。大集団で掛かってこられたら、こんな統制の取れていない小規模部隊など簡単に壊滅してしまう。

 それに加え、無理な行軍により体力も消耗しているこの時に、これ以上の無茶は出来なかった。頭をぽりぽりと掻きながら何か考え事をする。そして次に口を開いたとき、皆の想像を超えた言葉が出てきた。

「なぁ、出直さないか」

 キサラは皆に向かって叫んだ。皆は『何を言っているんだ』とばかりに振り向く。

「エルフィールのみんなも、俺らを通す気は無いみたいだし。正式な手続きを踏んでこようぜ。力ずくで行くわけにはいかないだろ」

 諦めに似た顔付きのキサラ。セシル他大多数の騎士団員が納得行かないという表情を見せていた。

「いいから戻るんだよ。諦めの悪い奴らだな」

 渋々、皆は樹海の中へと戻っていった。



「どういうつもり」

 セシルは問い詰めに掛かった。

「あそこまで行って逃げ帰るなんて」

「夜を待つぞ。侵入の方法を思い付いた」

 キサラは切り株の上に乗り、周りを見渡す。何かを探している様子であった。

「なぁシエラ、お前さっき言ってたよな。ここら辺にはドギツイ臭いを出す植物が生えてる事があるって」

 目隠しをしたままであったが、答えた。

「ラフレシアンでしょ」

「そうそう、それだ。で、エルフィールの特徴の一つとして鼻が良く利くってのがあるらしい。こいつもかなり臭いには敏感なんだぜ」

 皆がシエラの姿に注目する。目隠ししたまま、小さくなって岩の陰に座っていた。どうもアルズヘイム周辺に来てから萎縮してしまっていた。元気そのものを失っているようにも見える。

 ラフレシアンの花というのは、この地方の樹海の中にのみ咲いているグロテスクな花であり、動物の糞尿が腐ったような臭いを強烈に放ち続けると知られる植物である。見た目は赤黒い大きな花弁だけで構成されており、まるで動物肉の切り身のような質感を持つ。見た目も触り心地も酷似しているらしい。普通の人ならば触ろうとは思えないグロテスクさのため、見かけても近寄られる事はほとんど無い。実際には食虫植物なわけでもなく、ただ臭いと見た目が酷いだけの無害な花である。

「ラフレシアンの花をみんなで夜更けまでに集めるんだ。で、頃合を見計らって風の魔法に乗せてアルズヘイム全体にラフレシアンの花粉をばら撒いてやろうぜ。奴ら、鼻がもげるかもしれないぞ」

 キサラはいつの間にか、いたずら小僧の顔になっていた。ただの子供のいたずらではなく、悪意の篭ったいたずら。キサラ自身も、アルズヘイムを目の前にしてエルフィールの連中を良く思っていないようである。

 騎士団員の一人が言った。

「けど、街の入り口の柵には魔法陣がびっしりだったぞ。魔法なんか全部防がれるんじゃないのか」

「だからキサラは花粉を飛ばすと言っているのだろう」

 リィンは既に人間の姿に戻り、冷静に反論した。

「魔法的なものでは全て弾き返されてしまうのが目に見えている。だが間接的に魔法を使って、物理的に攻撃を仕掛けるのはどうなのだ。魔法でなければ弾き返されないだろう」

 誰もそこには突っ込まない。

「いいんじゃないの。それ以外にいい方法も思い付かないし。仕方ないわね、私も付き合ってあげるわ」

 セシルもやっと乗り気になったらしく、立ち上がった。一人二人とそれを皮切りに、頷く者が出てきた。

 皆が散り散りになってゆく中、キサラもラフレシアンの花を探しに樹海の中へと入ってゆく。シエラが一人、アルズヘイムから少々離れた所にある木々の開けた場所を集合場所とするために位置取りをする事になった。

 キサラは一つ気になる事があり、花を探す最中に元来た道を逆戻りしていた。来る時に脇道にあった石碑のようなものが気に掛かり、こっそりと調べてみる事にしたのだった。

 草を掻き分けて進んだ先、トンネルのような穴が掘られている。奥行きは無い。ただその入り口を閉じるかのように石碑は建てられていた。そして隣にもう一つ小さな墓標のような石碑があったが、真ん中から二つに割れて壊れている。

「これは墓なのか。誰のなんだ、こんな所に。いや、これは……」



 日も暮れた頃、皆は元の集合場所へと戻ってきた。そこには大量のラフレシアンの花が山積みにされており、目を背けたくなるほどグロテスクな場面が現実にあった。

「くっさー」

 いい加減目隠しを取ったシエラは、どんどん集められてくるラフレシアンの山を見て鼻をつまんだ。人間にはまだそれほど臭わない量でも、エルフィールの血が混じっているシエラには敏感に感じられるらしい。僅かな臭いの違いでリィンが人間ではない事を察知しただけあって、鼻が利くのは本当だった。

 素手で触るのは躊躇われるほどの醜悪な外見をした花だ。皆は手近にある何かに包んで持ってきていた。

「ま、こんだけありゃいいだろ。それにしても徹底的に気持ち悪いな。これだけ集めると」

 目の前に広がる悲惨な光景に、苦笑しながらキサラは腕を組んだ。

「あなたが集めろって言ったんでしょう」

 すかさず突っ込みを入れるセシル。続いて小さく誰にも聞こえないような声で呟いた。

「本当はこんな事したって無駄なのに」

「ん、何か言ったか」

「いいえ」

 空を見上げれば、今夜は三日月であった。実行するにはもう十分な時間である。

「貴様ら、一体その花をどうするつもりなのだ」

「ん、誰だ!」

 どこからともなく、聞いた事の無い声色が降ってきた。右に左に皆は視線を逸らすが、夜のために視界は利かないし、樹木が密集している樹海の中のために相手の位置の把握は困難であった。

「やはり帰ってなどいなかったか。見回りに来て正解だった」

「上か!」

 周囲ではなく、上方からであった。木の上に無数のエルフィール達が存在している。いつの間にか囲まれていたようだった。

「我々の鼻は、そこの出来損ないよりも敏感なのでな。ずいぶんと前から街の中にまで臭いが漂っているのに気付いていたのだよ。我々を侮ったな」

 出来損ない。それを聞いたシエラの両目は堪えるように閉じられていた。

「もはや我々に危害を加えようとしている事は明白だ。皆まとめてご同行願おう。馬鹿な奴らめ。何も企てなければこのまま本国へ帰れたものを」

 次の瞬間、タナトス王国騎士達の足元から気体のようなものが噴き出した。一瞬にして数名がばたりと崩れ落ち、次々に倒れてゆく。

「くっ、眠気が襲ってくる……。何だこれは」

 リィンまでも倒れた。シエラも。そして、いつの間にかキサラも意識を失っていた。糸の切れた人形の如く、力が抜けて眠りこけてしまった。エルフィール族の強力な催眠魔法は、魔法の力を知っている者だとしても防ぎきれないものであった。

「全く、手間を掛けさせてくれるわ」

 大勢のエルフィール達は、まるで猿のようにするりするりと木から降りてきた。足元で眠りこけるタナトス王国騎士達を見下ろすと、担ぎながら街の門を潜ってゆく。

「一体どういうつもりで私を拒否したのかしら、村長。話を聞く必要があるわね」

 一銀髪の女は最後に一人、不穏な顔をしながら門を潜っていった。

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