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イノセント・ランド  作者: ふぇにもーる
三章 消え行くもの
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第51話 三章 ―消え行くもの― 12

 北方のエステート大陸には果てしなく樹海が広がっていた。イノセント・ランドは北の方に進むにつれて、暖かな気候に拍車が掛かる。汗を垂らしながらの行軍は、皆の足を鈍らせた。

 この広大な樹海を抜けた先に、エステート大陸で唯一の街がある。そこまでが通常、人間の踏み込める最後の領域とされていた。その街こそが、エルフィールの住むアルズヘイムと呼ばれる場所であった。人間の前には滅多に姿を現さない、森の一族。人間の間では、生態すらも良く知られていない。

 自分達以外の種族との関わりを一切禁じているとか、卓越した弓の技術を持っているとか、世にも恐ろしい魔術の研究に余念が無いだとか。閉鎖的で、偏執的な噂ばかりを耳にする種族。

 ユグドラシルベリィを出荷しているのはアルズヘイムからであるのは間違いなく、人間並みに産業を持っている事も予想は出来た。人間の世界での貨幣が、エルフィールの間で使われているのかどうかは分からないが。もしかしたら物々交換の可能性もある。

 足元には見た事の無い植物達がちらほらとある。色とりどりの美しい花が多い。ヘンテコな渦を巻いている草や、変種であろう六つ葉のクローバーが生えていたりする。この辺は世界樹ユグドラシルから発せられている強い魔力により、土壌が潤っているようであった。植物の成長力が良い。皆、生き生きとしている。

 森を歩きながら、ふと前を歩いていたシエラが立ち止まり、腰を下ろした。そこには何輪かの花が咲いていた。橙色で下向きをした鈴型の花弁が数個ぶら下がっている。明るく、力強い花であった。

「シエラ、花が気になるのか」

 花を愛でる所に意外さを感じ、キサラも立ち止まる。だが他の皆の足は止まらない。二人を置いて、少しずつだが距離を離してゆく。少しの距離ならば追いつける。リィン一人だけが二人を気にかけて足を鈍らせたが、キサラは大丈夫だという風に一つ小さく頷くと、リィンは了承して皆と同じく歩いていった。

「これ、わたしの一番好きな花。サンダーソニアっていう百合。また今年も咲いてた」

「へぇ、お前の場合は花よりオムライスって感じに見えるけどな」

 キサラは皮肉って言ったが、シエラは怒りはしなかった。

「ん、オムライス好きだし」

 意外な反応で、少し調子が狂うような感じであった。

「ねぇ」

 しゃがんだまま、首だけ向けてきた。

「わたし、このままココに居たい」

「何言ってんだ。もうすぐ、お前の故郷――」

 キサラは気付いた。はっとした表情になるが、遅かった。シエラが恐れているのは、まさにそれだったから。

「ユグドラシルへはね、アルズヘイムを通らないと行けない。村長が掛けてる封印を解かないと、入り口が開かない。エルフィールの民は神の眷属だから。封印は代々、村長が守ってる」

「だったら、アルズヘイムへ行かないとお前の目的も果たせないぞ」

「……こわい」

 首を背けた。

「ココに来るまでは、大丈夫だと思ってた。けど、この森に足を踏み入れてから、ずっとわたし震えてる。身体が嫌がってる。戻りたくないって」

「何を、言ってるんだ」

 苦し紛れにサンダーソニアの花をいじるシエラの手付きは、小刻みに震えていた。気を紛らわそうとしているのが分かるが、顔色が悪い。医者でなくても分かるほどに青ざめた目元は、色白の肌を一層際立たせた。今にも吐いてしまいそうなほどに見る見る具合は悪化し、よろめいた。背中から地面に倒れそうになる身体を両腕で支える。

「駄目だ、やっぱりわたしココにいる……」

 駄々っ子とは違った。瞳は右往左往している。このままでは本気で泣き出してしまいそうで。ただの子供のわがままではなかった。ずっと話さなかった故郷の事。キサラは聞いた。

「お前は何で故郷を捨てて旅に出た」

「そんなの、なんでもいいじゃん」

「もう目の前まで来ているんだ。今更引き返せないんだよ」

 空気を読まずにキサラは問い続けた。次第にシエラの表情は険しくなってゆく。

「理由なんかなんでもいいの! わたしは行けない」

「お前おかしいぞ。オーディンを倒すんじゃなかったのか。それが目的なんじゃ」

「そうだよ、目的だよ……」

 矛盾しているのは分かっていた。恐らく本人が一番。オーディンはこの先に居る。街を通らなければユグドラシルの門を通れない。だが、行く事を拒否している。キサラはだんだん苛々してきていた。

「もう一度聞くぞ。お前は何故、故郷を捨てた。帰りたくないのは何故だ」

 キサラの冷たい言葉が、シエラの心を抉っていた。純真な心は、簡単に折れた。普段の彼女からは想像も出来ないほど弱った表情で、シエラはぺたんと尻から崩れ落ちた。

「だって」

 まさかこの程度でとは予想だにしなかったかもしれない。キサラの目の前で、彼女は初めての顔を見せた。痛々しいほどにぐちゃぐちゃに目元を腫らして。

「わたしのお母さん、あいつらに殺されたんだもん」

 はっと気付いても遅かった。聞いてはいけない事を聞いてしまった事に。

「お前……」

「あの街にわたしの居場所なんて、最初からどこにも無かったんだよ」

 キサラは何も言わずに耳を傾けた。感情のままに言葉を吐き出す少女は、ただ聞いてくれる存在を頼った。

「人間との混血児だってだけで、仕事もくれなかった。お金も無くて食べ物も無かった。だからゴミを漁って毎日を凌いでた」

 シエラの顔を直視できなかった。目を瞑り、ただ全てを聞いた。

「お母さんと暮らした家だって、留守中に荒らされた。お母さんとの思い出も全部盗まれて捨てられた。家の周りのサンダーソニアも全部毟られた」

 鼻をすする音が聞こえる。聞く心も締め付けられた。

「わたしにはなんにも残ってない。お母さんと暮らした家はあいつらに燃やされたから。ただこの身、ひとつだけ……」

 無防備なシエラの体は、何の抵抗も無くキサラの腕の中に収められた。ただ力の限りに、締め付けたら壊れてしまいそうなほどにやわらかなものを包み込んでいた。あたたかな胸に抱かれ、シエラはか細い声で啜った。子供のように喚かなかった。全ての感情は言葉に出さずとも、流れ出るものに収められていた。吐露した汚いものを全て受け入れたキサラは、ただそのまま泣き止むのを待った。

「すまなかった。俺、お前の事ちっとも考えられていなかった」

 何も答えなかった。ただただ辛さと悔しさを込めた涙が、冷たい皮の鎧を濡らしてゆく。ずっと人に話す事の出来なかった痛みが、一気に解放された。

「お母さんだけはさぁ、いつでもわたしの味方だったんだよ」

 金髪を優しく撫でてやる。少しずつ、シエラの気持ちも落ち着いてきた。

「わたし弱かった。だからあいつらに復讐したかった。言い伝えにあるオーブを全て集めれば、怪物達の消滅と引き換えに、膨大な魔力が手に入るって聞いたから。今のわたしみたいなもんじゃない。一瞬であんな街なんか蒸発させられるほどの力が手に入るんだ」

「でもよ、アルズヘイムを消滅させたって、お前の母親は……」

「そんなのわかってる」

 シエラの答えははっきりしていた。

「わかってるんだよ……」

 キサラの心には、痛いほどに伝わっていた。復讐を遂げたところで母親は生き返りはしない事なんて、シエラ自身理解している。それでも、失う痛みを分からせてやりたい。同じ思いをさせてやりたい。人としてある意味真っ当な考え。

 おとぼけと飄々さ、図太さは、人間の世界で生きていくために彼女が身に付けた処世術だった。それでも、レッサーエルフィールの血が邪魔して、人間の世界にも溶け込めなかった。だから、彼女は行き場を失ってしまった。

「エルフィールは嫌い。あいつらには会いたくない。顔を見たら、きっと殺してやりたくなると思う。でも、殺せないの。わたし一人の力じゃ、あいつらには勝てない。だから、強くなりたかった」

「安心しろ。例えお前一人じゃ勝てなくったって、お前にはみんなが付いてるだろう」

 シエラの頬は少しばかり紅潮していた。何だか急に小っ恥ずかしさが湧き上がってきたようだった。遠慮がちにキサラから離れると、涙を拭いた。

「あ、はは……。こうやって一緒に居るとさぁ、なんか人間もエルフィールもあんま変わんないみたいじゃん」

「そうだな。俺ら、あんまり違い無いな。両手両足付いてる所とかそっくりだもんな」

 涙で頬を腫らしたまま、シエラは笑っていた。こんな泣き顔など彼女には似合わないといった風に、キサラは、あえて笑わそうとジョークをかましていた。

 キサラは都合良くハンカチをポケットに入れている事に気付いた。ここぞとばかりに差し出す。

「これ、やるよ」

「あ、ありがと」

 何か照れたようにそれを受け取り、腫れた目に押し当てる。

「顔を合わせたくないなら、それでずっと目隠ししとけ。アルズヘイムを抜けるまで、俺が手を引いてやる」

「え」

 男が持つにしてはどこか似合わない、花柄のハンカチ。一度くしゃくしゃに丸めたが、やはりシエラは思い切れなかった。

 ゆっくりと瞼を覆い、暗闇が視界を遮る。現実から目を背けるための目隠しは、今の彼女にとっては唯一心の平穏を守るための手段であった。目に映る全ての物を見られる事が幸せとは限らない。

「ほら、ちゃんと引っ張ってってよ……。言うとおりにしたんだから」

 腕に抱き付かんと歩み寄り、勢い余って背中にぶつかった。普段いかに視覚に頼って歩いているのかが分かる。見えるのは、布を通して分かる光の明暗だけ。唯一それが、昼間である事の証であった。

 キサラの腕に抱き付きながら、目が見えない事で急に心細くなったのか、がっしりとしがみつき始めた。歩きづらい事を気にしたキサラは、不器用な手付きでシエラの右手を握り直して引いた。

(こいつの手、こんなに冷たかったんだな)

 普段の大食からは想像も出来ないほどの華奢な手の平。温暖な気候に包まれているというのに、まるでかじかんだように冷え切っていた。

 皆に追いつこうとシエラの手を引きながら歩いていると、草むらに隠れて分かりづらいが確かに脇道がある事に気付いた。明らかに森の中の街道ではないために、普通に通っていれば気付かないだろう。ゆっくりと周りを見ながら歩いていたために偶然発見した。シエラはこの道を知っているのだろうか。

 脇道は森の斜面へと続いており、小規模なトンネル状の穴が掘られているのが遠目に見える。中には薄暗くてこの距離からでは詳しくは分からないが、石碑のようなものがあるようだ。

(ここからでは何が書かれているのか見えない。まぁ、関係無いだろ)

「それにしても、何かさっきから俺も気分が悪いんだが……」

「うん、なんか地面が揺れているような気がする」

「やっぱりお前もそう感じるか。俺、自分が眩暈でもしてるんじゃないかって思ってた所だったんだよ」

 風が木々をざわつかせた。木漏れ日が左右に揺れる。大きな振動ではなく、小さな揺れがずっと続く。止まる事無く。

 嫌な予感だけはキサラの心にしつこく付き纏った。

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