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イノセント・ランド  作者: ふぇにもーる
三章 消え行くもの
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第42話 三章 ―消え行くもの― 3

 翌朝、二人分の朝食を店で調達するためにキサラは街の雑貨屋へと向かっていた。まだ朝の生まれたての太陽が小鳥達を目覚めさせ、それを合図にするかのように人々が動き出したばかりの時。

 早朝だというのに、既に街には人が出ていた。それも静かに、皆が何かを話している。ただならぬ雰囲気があった。

「何かあったのか」

 道行く老夫婦に尋ねた。こんな早朝から、まるで真昼間のように大勢の人達が街に繰り出している様子は異様である。昨日までとは空気が変わっていた。

「号外を見とらんのか」

 おじいさんは、それだけを言い残すと婦人と共に歩いて行ってしまった。

「号外?」

 過ぎ去りし老人の手には、良く見れば紙切れが握られていた。キサラもそれを入手しようと、街中をしばらく歩き回った。大きな街路樹のある十字路に出ると、その下で何か鎧に身を包んだ兵士のような人物がチラシを配っているのが遠目から分かった。

(まさかあの鎧は)

 近付けば近付くほどその正体ははっきりする。タナトス王国の兵士が着ている鎧だった。無骨な青銅で出来た、タナトス王国騎士団の下級騎士が着用している鎧だ。所属は違うものの、しょっちゅう見慣れている。見間違うはずがなかった。

(何でこんな所にタナトス王国騎士団が。もしや、夕べ闇に紛れておぼろげに見えたあの鎧たちか)

 キサラは兵士にずかずかと近寄ると、配られるのを待たずにひったくるようにして手からもぎ取って奪った。兵士が呆気に取られた表情をした後にむっとしたが、キサラはそれを射抜くように睨み返した。

 号外には、予想できた事柄が書かれていた。このセント・ベルクラント公国を占領しに来たのはやはりタナトス王国であった事。そして、既にこの土地はタナトス王国の手に落ちた事が、号外によって国民に知らされ始めていた。

(宿敵ベルクラントの地は、やっぱりタナトスが奪う事になったか)

 号外には、無闇な抵抗が無ければ元ベルクラント公国民を無碍に扱う事は無い、と書かれていた。本当かどうかは分からないが。

 兵士に向き直ると、キサラは唾を吐きかける勢いで言った。

「俺はタナトス王国自警団の副隊長、キサラ・L・シグムントだ。聞きたい事がある」

「何を。貴方が、あのキサラ殿と申すのですか」

「そうだ」

 兜も被っていない、新米らしき騎士であった。信じられないといった様子である。確かにこの敵地では仕方ないかもしれないが。キサラの名は、タナトス王国関係者ならだいたいの人間は知っている。名を騙る事も不可能ではない。

「ならば証拠を見せていただきたい」

 キサラは面倒くさそうにやれやれと溜息をついた。

「ある任務のために、俺は今この地に隠密で来ているんだ。そのための身分を証明するために、マドレーヌ国王が直々に手書きで発行した、身分を証明する紹介状を持っている。疑うのなら見せようじゃないか」

 荷物を纏めたバッグの口に手を掛けようとした瞬間、兵士は声を上げた。

「わ、分かりました。お収めください」

 国王直々の、という所が逆に驚いてしまったらしく、兵士は両手を胸の前で振って慌てた。ここでちゃんとチェックをしない所が新米故なのだろう。

「分かりゃいいんだよ」

 タナトス王国内では、自警団と騎士団は両方とも独立した全く別の機関であり、どちらが偉いなどという事は基本的に無い。だがそれでも暗黙のルールというものはやはり有り、自警団隊員や騎士団員は互いの身分をきちんと弁えて接していた。

 分かりやすく言うならば、自分が騎士団の下級騎士なら、自警団の副隊長は弥が上にも上司的な立場にあるという事であった。どんなに若造であろうとも。

「で、質問とはいかがなものでしょうか」

 堅物な兵士は、冗談を言うこともなく本来の任務を全うし続ける。

「あぁそうそう。騎士団がこっちに来ているって事は、自警団もいるのか? レム隊長がもし来ているなら取次ぎを願いたいんだが。ちょっと久しぶりに話しがしたくってね。仕事のことで」

「レム隊長とは、自警団隊長、レムネス殿の事でよろしいのでしょうか。でしたら、本土より御出でになられています。ですが、今は軍の会議などで忙しいご身分。謁見は無理に等しいかと」

 事実上のタナトス王国の領土化。完全に民衆にそれを分からせるため、それなりの兵団を率いてきているはずだ。だったらそのリーダー格である隊長クラスの人間は来ている事であろう。今後の事を踏まえて、キサラは一度レム隊長と相談をしたいと考えていた。

「レム隊長とは会えないか。まぁ、確かにしょうがないな。けど、こんな形で領土拡大とはな。俺には嬉しいのか、良く分からないよ」

 首都ベルクの惨状は一言で表せなかった。溺死体が無数に累々と打ち捨てられ、建物という建物ほとんど全てが倒壊して街としての機能は全て失っていた。

 その様子を直に目で見てきたキサラ。心の中は複雑であった。主君倒れし国は亡びるのが定め。だが、こういった形での占領など、キサラは望んでいなかった。戦争によって亡ぼされたのではない。強大な怪物による一方的な虐殺。タナトス王国の時の被害の比ではない。

(いや待てよ、今レム隊長に会うのはまずい)

 シエラの事だった。オーブ盗みの犯人がこの街に居る事が分かれば、今すぐにでも捕らえられてしまうだろう。しかも彼女は今、怪我をして弱っている。

(今、シエラを失うわけにはいかないんだ)

 夕べ、回らない舌でシエラが話していた事を思い出した。張り詰めていた心が、怪我をした事でたゆんと緩んでしまったのかもしれない。

『この世界を支配しているのは神。だから、この世界を守るためには奴らを倒さなきゃならない。エルフィール族は、神の眷属――』

 最初、キサラには何を言っているのかさっぱり理解できなかった。だが、以前のキサラと今は違う。どこかシエラの言う事をまんざらでもなく信じる気になった。あの心身ともに弱りきった状況下で、いい加減な事を言うような女には思えなかった。

 その後すぐにベッドに入って眠ってしまったため、詳しい事情は聞けなかったが。キサラにとって、あの飄々としたいい加減な女が、いつの間にか大事なものに変わっていたのは確実であった。

「悪い。俺、宿に戻るわ。ちょっと財布忘れてきちまった。やべぇやべぇ」

「え、それはまずいですね。早くお戻りになった方がいいですよ」

 号外を握り締め、キサラは宿へ向かった。ここで選択肢は二つ現れた。レム隊長に会い、シエラの事を含め相談する。それともシエラを最優先に考え、保護する。

 表と裏の六つのオーブ。オーブにより封印されている狂獣。世界を支配する神の存在。そして大事な事は全く話さないシエラ。

 キサラには全てが無関係には思えなかった。

(だが、この選択は――)

 築き上げたものを全て捨てる意味があるのか、それは今は分からなかった。

(いいや、俺は国を裏切るわけじゃない。真実を知るために俺は動く。恐らく、それが一番正しい)

 宿に戻ると、いつの間にかリィンとセシルが待ち合わせしていたロビーにまで戻ってきていた。一晩経ってだいぶ疲れているようであったが、戻る所といえば旅仲間の居る場所しか無い。

 特にリィンは表情からして疲れが伺えた。故郷を失い、帰る場所を失ってしまったのである。それは当然とも言えた。掛ける言葉が上手く見つからず、キサラは上辺だけの安っぽい労いの言葉を唇で紡いだ。

「残念だったな」

 鎧姿から覗くカールしたクセ毛も、今日ばかりは元気が無かった。元々硬い性格をしていてあまり社交的とは言えない性格のようであるが、この状況はそれに輪を掛けている。

 がっくりとロビーの椅子に腰を落とし、うな垂れる。そんな様子を、一日ぶりに再会したセシルと顔を見合わせて何とも言えない暗い面持ちで見守った。

「私の両親は、行方不明であった。遺体すら見つからない」

「そうか……」

 地割れに飲み込まれてしまったのか、瓦礫の下に埋まったか。国を脱出して生き延びている可能性も万に一つは残っている。それが少ない希望であった。

「もう、帰る場所は無い」

 彼がセント・ベルクラント公国に居たという痕跡は、手にした矛槍だけになってしまった。亡んでも尚、国の宝であった物には変わりない。

「怨むか? アイツを」

 リィンの拳は、無言のままに壁に打ち付けられようとした。だがやりきれない思いで気力を失い、そして拳は力を失った。

「怨んで全てが戻ってくるのなら、私はシエラを一思いに殺してやるだろう。だが、それをした所で戻ってくるわけではない」

 歯軋りをしているのは分かっていた。

「そういえばキサラ」

 よどんだ空気を破壊するかのように、唐突にセシルは話を変えてしまった。

 彼女の白いレーススカートも、少々汚れていた。一度水没して崩壊した街の中を歩いていたのだ。まともに歩を進められる場所は少なかったであろうし、瓦礫を押しのけて乗り越えてといった様子が想像できた。自然と汚れが付着するのは仕方の無い事であろう。

「皇都ミュールスレスト、知っているでしょう」

 キサラは二つ返事で頷いた。

「あぁ、知ってる。首都ベルクと隣接してる、ベルクラント公国が政治のために設置した中枢機関だろ。普段王族は首都に住んでるけど、実質この国の政治はミュールスレストで行われる」

 この女まで表情は硬い。元々あまり明るくないこの面子が、更に暗くなっていくようで気が滅入りそうになるキサラ。腕を組みながら、セシルの話を聞いた。

「やっぱり、シエラがミュールスレストからオーブを盗み出したのは本当みたいね。仕舞ってあったと思われる厳重な金庫が破壊されていた。この際だから徹底的に調べてきたから、間違い無いわ」

「まぁ、オーブはシエラが持っていたわけだしな。それは信じる他無いな。結局、奪われたけど」

 それは疑いようの無い事実であった。だが、重要なのはそこではない。今更、犯人が誰かなどというのは知った所でどうなるという話である。今シエラが「犯人は自分だ」と言って皆の前にのこのこ出てきて、処刑されればそれで終了。なわけがない。

「俺が知りたいのは、今後だよ。タナトス王国軍がもうやってきているのは知ってるだろ」

「えっ」

 セシルの表情は口を小さく開けたまま少し固まった。

「昨日の夜に首都を出たから、行き違いになったのかしら。私達はタナトス王国軍とは出会っていないのだけれど。その代わり、私達が会ったのはアルデバラン聖皇国軍よ。しかも、あのアルタイルって男にもまた会ったわ。ほら、あの古城で襲い掛かってきた大男よ」

「何だと。あのホムンクルスとかいうヤツを作ったって言ってたアイツか。魔法も使うくせにリーチのある馬鹿でかい剣使いやがって、アイツ反則だぜ」

 どうも話が食い違っている。この街で号外を配っていたのはタナトス王国軍。そして首都に現れたのはアルデバラン聖皇国軍。二つの軍が同時に現れたという事か。だが、予想できない事ではなかった。相手がアルデバラン聖皇国というのはあまりにも分が悪すぎたが。

「その話が本当だとしたらまずいな。二つの軍が、誰のものにもまだなっていない、この土地で出会ったりなんかしたら」

「まず間違いなく、領土争いの戦争になるでしょうね」

 涼しげな顔のセシル。

「さらっと言ってんじゃねぇよ! やべぇっての。まだレム隊長はこの街に居るはずだ。何としても会って話をしないと。もしアルデバランと戦争なんかしてみろ、絶対勝てないのは目に見えてる。世界一の超大国だぞ」

 国土面積で言えば、タナトス王国が一だとしたらアルデバランは十。物資も人も、雲泥の差がある。しかもアルデバランには魔法に長けた戦士が多い。武術、剣術を主に考えるタナトス王国では勝ち目は薄い。

「リィン。辛いのは分かるけどよ、戦争が起きちまったら俺達まで巻き込まれるぞ。何としてでも阻止しないと」

「そ、そうであるな」

 俯いていたリィンであるが、事の次第を頭で理解できたのであろう。逃げ出す事すらも出来なくなる。タナトス王国に引き下がるように進言するしかない。まだ間に合う内に。

 恐らく、タナトス王国側も気付いてはいるだろう。同じ大陸の中にアルデバラン軍が駐在している事を。このままでは衝突は避けられない。

(シエラの事は、黙っていれば分からないだろう)

「アイツまだ上で寝てる。今の内に三人で行くぞ。セシル、お前だって故郷が戦争する場面見たくねぇだろ」

「故郷、ね。分かったわ、私も行ってあげる」

 二人の視線は、腰の重いリィンに向いた。だがリィンはそんな様子すら気付かず虚ろに、咲き誇る花が刺さっている花瓶を見詰めていた。

「お前は、ここで待ってるか?」

 数秒して、ようやく彼は顔を上げた。

「い、いや、私も行こうじゃないか。戦争など起こさせてたまるか」

「おし、行こうぜ。レム隊長の居場所は、さっき外に居た兵士が知っているはずだ」

 三人は宿を出ると、先ほど号外を配っていた兵士の方向へと足を向けた。

「キサラ、順調ね……」

 独り言を漏らすと、セシルは小さく哂った。

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