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イノセント・ランド  作者: ふぇにもーる
三章 消え行くもの
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第41話 三章 ―消え行くもの― 2

 二人が入ったのは、一番最初に見つけた店。ランプの明かりが、薄汚れた窓の外まで漏れるバーだった。奥のテーブル席が丁度二つばかり空いていたため、二人はそこに向かい合う形で座った。入った後でキサラがどことなく感じたのは、あまり柄が良くない店である事。

 カウンター席には大勢の男達がひしめき合い、どうやら国の行く末について誰もが酒を煽りながら雄叫びに似た声を上げている。要するに喧嘩腰であった。

 彼らを纏め上げているかのようなマスターは白黒のバーテン服を着ており、物腰は柔らかそうな印象を与えるが眼光鋭い。入ってくるなり射抜くような視線で二人を睨み付けたかと思うと、すぐに視線を外した。そして手に持ったナプキンで棚に並べられた上物の酒瓶を掃除し始める。

 座席にも座っている客は男達ばかりで、女性客の姿は無い。下品な笑い声ばかりが響いてくる。壁に掛けられた血のように赤い花の絵が無性に不気味に見えた。どうも嫌な予感がキサラの脳裏に過ぎり、静かに耳打ちした。

「店、変えようぜ」

 二つ返事で返ってきた。

「わかった」

 こんな店では落ち着いて食事など出来そうに無い。どうやらシエラも嫌な気がしていたようで。

「何だと、お前」

「あぁ、やんのかオラ」

 二人が席を立とうとした瞬間、カウンター席に座っていた男達二人が取っ組み合いの喧嘩を始めた。二人が入って来た時から大声を上げて話に花を咲かせていたのだが、次第に雲行きが怪しかったために周りの人達も怪訝そうな様子で距離を置きながら見ていた時だった。

(遅かったな)

 男二人は立ち上がり、とうとう手を出し始めた。キサラ達の方から見て手前に居る小太りの男が拳を作り、右手でもう一人の長身の男の頬に抉り込んだ。なぜかその様子を凝視してしまったキサラには動きが妙に遅く感じ、頬が歪んでひしゃげる細かな様子までくっきりと見えた。

(ん、何だこの光景は)

 目の前で殴り合いの喧嘩を見ている最中、キサラは今まで味わった事の無い新しい感覚をつかんでいた。本来早いはずの動きが遅く感じる。それは、まるで格闘技が上達したかのような動体視力であった。

 だが、キサラの身に起こっている新感覚は、実はこれだけではなかった。昼間、シエラを除いた三人で首都ベルクへ行った時、それを彼は自覚した。

 どうも身体能力自体が上がっているような感覚。歩きが速くなり、少し抑えて歩かなければ周りの人間を置いていってしまうようなスピード。そして疲れにくくなった。速足で歩いていれば、筋肉の疲労が早いに決まっている。だが彼の筋肉は、リィンとセシルの二人を置いてハイペースで歩いて尚、ちっとも疲れた様子を見せなかった。気持ちの方は落ち込んでいても、体力的には全くもって健全だ。

 何も考えずに歩くとリィンとセシルを置いていってしまうので、途中からわざとペースを落として歩いた。それでも二人からは「速すぎる」と言われた。キサラにとってはそれで加減しているというのに。

 同時に上がった能力は、腕力だった。従来より遥かに重い物を持っても苦にならなくなった事に気付いたのだ。昼間、瓦礫を手で退けようと持ち上げた所、あっさりと持ち上がってしまうのだ。普通なら男性の大人二人がかりで持ち上げるような大きな瓦礫であった。

 理由はさっぱり分からなかった。だが、キサラの身に何かが起きている事は確実であった。

「お前ら、揉め事なら外でやれ!」

 大人しく見ていたバーのマスターが遂に怒鳴り声を上げた。カウンターからホールへと大股で歩き、二人の間に割って入る。男達二人の肩をどつき、店の外の方へと背中を押した。

「他の客の迷惑だろうが。俺の店で暴れるんじゃねえよ」

「何だと!」

 逆上した長身の男が、今度はマスターに向かって拳を振るった。一番してはいけない事なのは、見ている周りの人間ならば誰しも分かっただろう。男の拳はマスターの左のこめかみを直撃し、頭をのけぞらせた。

「テメェのシケた店なんかもう二度と来ねぇよ。オラ、もう一発これでも食らいな!」

 長身の男は、他の飲んでいた客のタンブラーをテーブルからもぎ取ると、それを振り下ろしてマスターに殴りかかった。

 だが完全に酔っ払っていたらしく、タンブラーは手をすり抜けてあらぬ方向へと飛んだ。

「あ、危ねぇ」

 思い切り振り抜かれた手から放たれたタンブラー。中身をこぼしながら、運悪くキサラの顔面へと迫った。だが、昼間実感した身体能力の上昇が功を奏した。

 寸での所でキサラはタンブラーの弾丸を見切り、すっと顔を逸らした。目の前をゆっくりとした速度で弾丸が通過してゆく。だがそれは実際には、人間の頭部で受け止めるには危険極まりないスピードと威力を伴っているはずだ。

 そして、キサラの向かいから上がった。女の悲鳴が。タンブラーは衝撃を受けて地面へと落ち、心まで割りそうな音を立てる。椅子が崩れ落ちる。キサラの目線から、金髪が消えた。鈍い音を立てて、女は崩れ落ちた。

「お、おい……」

 店内から客達の声が上がった。キサラは何が起きたのか一瞬理解できなかった。だが、慌てふためく客達の様子を見て頭の中を素早く整理する。そして、シエラの姿が床に倒れているのを確認した時、キサラの表情は激変した。

「大丈夫か!」

 呻きを上げるシエラの上半身を起こす。額からは顔を伝って大きく血が流れ落ちて、キサラの手まで塗れた。目は開けているが虚ろになっており、脳震盪を起こしているような様子であった。

「だいじょ、ぶ。ちょっと視界がぼやけてるけど」

 口は利けるようであったが、視線が定まらずぐったりとしていた。

「大丈夫じゃねえっての。ほら、店出るぞ」

 周りの客達はその様子を見守っていた。シエラの肩に手を回し、ふらつきながら歩く様子を見て、客達は出口の方に視線を向けた。マスターとシエラに危害を加えた長身の男は、逃げようかとそろりそろり足を忍ばせていたが、周りの客達によって呆気なく捕らえられた。

「このまま帰れると思うなよ。法の裁きを受けてもらうぞ」

「やめてくれ、離せよ!」

 手に縄を掛けられる男を尻目に、キサラは早々に店を出た。

 もはや外で食事をするどころではなくなってしまった二人は、宿へと向かった。シエラの様子は次第に回復して、一人で歩けるようになったが、脳にかなりの衝撃を受けたようで少し舌ったらずな喋り方になっていた。

「おな、かすいたってば」

「お前がこんな状態で店なんかに行けるかよ。とりあえずお前は戻って、傷の手当てして寝てろ。俺が何か買ってきてやる」

「わかった。それでが、まんする」

 思うように喋れないシエラ。自分の喋り方に苛ついてきたようであった。

「なん、でちゃんとしゃべれな」

「ゆっくり休めば喋れるようになる。頭が疲れちまってるんだよ」

 入港してくる船の警笛が遠くに聞こえる。灯台の明かりに照らされた薄闇の中には、無数の鎧達の姿がぼんやりと見えた。

 だがキサラにはどうでも良かった。とりあえず今はこの満たされない腹を何とかさせる事と、やりきれない思いを拭い去るための惰眠を貪りたい気分であった。

「それにしてもお前、腹減ったばっかりうるせえよ。ちょっとは我慢しろ」

「だって」

 シエラは不貞腐れた顔で、漏らした。

「あんたと一、緒に行動するよ、うになってから、何でかやたらおなかへるように、なったし」

 ただの気のせいだろうと、キサラは笑ってやり過ごした。

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