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イノセント・ランド  作者: ふぇにもーる
三章 消え行くもの
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第40話 三章 ―消え行くもの― 1

 久しぶりに、雲ひとつ無い青空であった。こんな空が最後に眼前に広がったのは一体いつの事だったか、人々の記憶からもすっかり忘れられていた。

 そんな青空が隙間から見える窓を閉め切り、レースのカーテンに覆われた薄暗い部屋の中で一人、気だるそうにしながらシエラは先ほど目が覚めた。寝起きだというのにどうやら感覚は妙にハッキリしているらしい。何かを呟いている。だがそれを聞き取る人物はこの場に誰も居なかった。

 ただ一つ、重い空気の中に更に重い溜め息が漏れる。誰かが他に居たとしたら、その陰鬱な女に愛想を尽かすかもしれない。

「おなか、すいた」

 と言うのが早いか。静かな部屋の中に腹の虫が鳴る音が響く。ベッドの脇のサイドボードは、存在感のある暗色系の樹木が材料に使われている。その上には、シエラが食べたのであろうリンゴの種とフォークの乗った皿が一枚。それと、何かを書き殴られたメモ用紙があった。

「キサラ、どこ行ったのかな」

 メモ用紙に手を伸ばすと、そこには男らしさが垣間見えるゴツゴツした文字が。

『首都ベルクへ行ってくる。夕方までには戻る』

 紙を元のサイドボードへそっと戻すと、再び布団を頭から被った。もう何時間眠ったか分からない。シエラの夕べの記憶は曖昧だった。気付いたらベッドの上で高いびきを掻いていたらしく、起きた時には窓から射す日差しが既に頭上へと昇っていた。だが妙に夕べ汗を掻いたらしく、寝巻きの内側は自身のものらしき汗に塗れていた。おまけに被った布団の中からは何かあまり嗅いだ事の無い異臭が漂い、それに気付くと無性に水を浴びたい衝動へと駆られてもぞもぞと動き出す。だが気だるさが勝って身体を起こすのには勇気が要ったようだ。

(なんか、腰が痛い……)

 シエラが今までこんな痛みに襲われた事は無い。長時間眠っていたからであろうか。ふと壁に目を向けると、いつも着ている服が洗濯されてハンガーに掛かっていた。今着ているのは、宿で借りたのであろう薄いピンクのネグリジェが一枚。首元が大きく開いて出ていたり、意外と露出がある。

 妙な感覚を下腹部ら辺に覚え、不意に手を伸ばすと彼女の表情は凍り付いた。



 夕方、キサラは無言で宿へと戻ってきた。その様子は何かを悟ったようで。シエラはロビーで待ち構えており、彼女に気付かないで部屋へと向かおうとするキサラに背後から声をかけた。

「遅かったじゃん。おかえり」

「あぁ」

 非常に疲れた表情で、キサラは振り返ってぶっきら棒に答えた。荷物を置きながら、ロビーの木製椅子に並ぶ形で二人は腰を下ろした。どうもキサラの面持ちが硬い。今までと何か違った雰囲気すら垣間見える。特にシエラと話すのを何か脅えているかのような。

「今日、どこ行ってたの?」

 覗き込むようにして目を合わせるシエラに、視線を逸らすキサラ。少しの溜めの後、彼は重い口を開いた。

「首都は、もう街として機能を果たしてない。生きている人間の数は絶望的だった」

 視線が震え、口をつぐんだ。規則正しい木製床の配列を見ながら、思いを巡らせる。なぜそうなってしまったか。今のシエラにとっては聞かされたくない事であったろう。言う人が言えば、全ての犯人は彼女であるから。

 セルリアンオーブの行方は何処なのか。シエラが盗み、持ち出しさえしなければ狂獣ロードオブミストラルが復活する事は無かったのだろうか。

「王城では、国王と王妃だと思う人物二人が、大勢の家臣の死体に囲まれながら亡くなっていた。どうやら最後は国王が、狂獣の生み出した無数の小さな怪物達に襲われて殺されたみたいだった。王妃はその後を追って自害したようだった」

 キサラも震える声で、それを伝えた。それを起こした犯人に向かって。どのような思いで伝えたのかはキサラにしか分からない。だが、この場でそれを伝える事に意味があるのかどうか。シエラがまともであるならば、罪を自覚させる事にしか繋がらない。

「リィンとセシルは、もうしばらくベルクに居るって言ってる。あそこはリィンの故郷らしいからな、今くらいそっとしておいてやろうと思うんだ。セシルはリィンに付いていてやるって」

 言ってから、次に何を言えばいいのかキサラ自身が迷っていた。待っているのは辛い現実。向き合う事は激痛を伴う。

「どうして」

 シエラの肩を抱き寄せ、耳元で囁く。

「お前は真実を話してくれないんだ……」



 セント・ベルクラント公国の首都ベルクから、半日も掛からず歩きで行き来できる場所に位置する衛星都市、マーチ。海沿いであり、船も出ている活気のある港町である。首都から比較的近い場所に位置しているにも関わらず、偶然にもほとんど狂獣ロードオブミストラルの攻撃を受けなかった事から、現在は避難民達の収容所となっている感がある。人は普段より格段に増えている。

 夜の港には明かりが煌々と焚かれ、夜間の入港が行われている。今までは夜になると船の入港の警笛が鳴る以外は、みみずくの声だけが静かに街に聞こえていた。だが、今は事情が違う。街自体が悲壮な叫びを上げているようで、人々は静まっていなかった。街の至る所から、怒声が響いている。どうやら避難民を受け入れた事で治安が悪化しているらしく、今も何処かで誰かが何かを失い、誰かが何かを手に入れた。そして負の螺旋が繰り返す。誰かがやるから自分もやる。それの繰り返し。

 首都が機能を失い、国王が倒れた。どうやら子息もあの戦いの最中、狂獣の攻撃により命を落としたらしい。国王を失い、後継者も倒れた。事実上、この国は滅亡であった。残った領土の民が辿る道は、どこかの国の支配下に置かれるという事。

 だが、どの国に支配される事になったとしても、占領された方の民が今までと同じように生きられまい事は分かっていた。

「もう身体の方は大丈夫なのか」

「まぁね」

 狂獣ロードオブミストラルに止めを刺したあの時、シエラは力の大半を使い果たしたようでぐったりと意識を失ってしまった。だが回復は早い。一晩眠っただけで割りと元気なようだ。これはエルフィールの血によるものなのだろうか。人間ではこうはいかない。

 繁殖力の弱いエルフィールは、恐らく固体数を増やすのが難しいために身体の方は意外と丈夫に出来ているのかもしれない。一固体減ると、貴重な繁殖源が減ってしまうためと考えられる。

「あれだけの魔力を放出しておいて、よく無事なもんだな。感心するぜ。人間だったらとっくに廃人になってるよ」

「ふふん」

 無意味に得意げになるシエラだが、その様子は普段の元気な様に戻ったようで一安心するキサラであった。抱いていた肩を離すと、立ち上がった。

「さぁて……腹が減っていちゃロクな考えも浮かんでこないな。飯にでもするか。けどなぁ」

 すると途端に目を輝かせる隣の女。食事にはただならぬ執着心を見せる。その旺盛な食欲は元気な証でもあると、キサラは納得したように笑った。

 この宿では食事は付かないらしく、何処かで済ませてくる必要があった。だが夜の街の中をぶらつくのは危険であった。今の治安が悪化した状態では、いつ夜盗が現れるかも分からない。しかも女連れとあっては何が起きるか分かったものではない。

「こんな暗くなってからじゃ、歩き回るのは危ないしな。俺が何か店で買ってくるから待ってろよ」

「やだ、どっか行って食べようよ」

 駄々をこねる。普通の人間の女のように非力ではない彼女なら、襲われても返り討ちにするくらいはできるかもしれないが。その場合、やりすぎないかどうかが逆に不安である。

 本当に、魔法で生き物を傷付けていた過去があるのだろうか。返り血を浴びて空ろな瞳をして歩いていたというのは本当の事なのか。食べ物の事を考えながら満面の笑みで頭を揺らす姿を見れば、とても残虐な一面を持つ少女には思えないだろう。

 シエラと再会してから、キサラの頭の片隅にはずっとそれが、ちらついていた。まだ大事な何かを隠している。しかも人に言えない秘密を。自分の汚くて恥ずかしい部分を曝け出す覚悟が無ければ、話せない事。

 けれども今はただ無垢な姿を見ていたくて、キサラはうずき始める唇を頑なに閉じた。

「ね、どうするの」

 少しの間キサラは反応が薄かったようだ。シエラは不思議な顔をしながら覗き込んでいた。ロビーには誰も居ないのが救いであった。こんな曇り無い蒼穹の瞳に覗き込まれたキサラの顔は、何故だか恥ずかしくて少し紅潮していた。

「んっ……あぁ、分かった。食いに行こう。その代わり気を付けて行くぞ。この混乱に乗じて悪さする奴もいるみたいだからな」

 シエラは答えを聞くなり、きゃっきゃ言いながら先走って宿を出た。ただ食事をしに行くだけなのにここまで嬉しがるのも珍しい。食事するのが生き甲斐の一つであるのかもしれないが。そして、キサラはまだこの時気付けていなかった。

「しょうがない奴だな」

 追って宿を出る。石畳の固い感触を踏み締めながら、遠くで手を振るシエラの姿を認めた。闇夜を照らす明かりは眩しいくらいであった。船の警笛がまた一つ鳴る。その音を耳にしても何も疑わなかった。

 みみずくの鳴き声の中に、金属の鎧を鳴らす音が混じっている事を。

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