第33話 二章 ―劣妖と人外と追跡者と― 20
当然、彼がシエラに対して急に冷たくなったのは言うまでもない。久しぶりに再会したジャック先生と話している間、シエラは機嫌を時折伺うかのように視線を向けた。
だがキサラは気付いて無視した。当然、食糧ももう分けない。というより、話も視線を合わせる事もしなかった。ジャック先生と話しているキサラの視線の先には、先ほど電撃が顔を掠めた男の子がいる。彼は元気に飛び跳ねている。だが、もしシエラの電撃が直撃したら命は無かっただろう。
ジャック先生は現地で見聞きした事を教えてくれた。居場所が少ないために、立ち話になってしまっているが。
「キサラ、気をつけろ。どうやら、あの怪物は実体が無いようだ。剣や弓矢といった物理的な攻撃がまるで効いとらんようであった。だが直接傷を与えるわけではないような魔法ならば効果があるように見えた。魔法の戦力が比較的弱いベルクラント騎士団が全滅した理由の一つにそれがあるだろうな」
「なるほど」
どうやらロードオブバーミリオンの時とはまるで違った相手のようであった。そして、キサラが一人で向かったとして相手にならない事は明白。戦力で言えば――。
「チッ」
横目でシエラを睨み付ける。丁度機嫌を伺おうと視線を向けた時に目と目が合う。シエラは気まずそうに先に反対側を向いた。
「ベルクラント国王は賢明な人物だった。怪物の復活を事前に察知し、国民を海外へと逃がすための対応をいち早く取ったのだよ。だから、被害は思った以上に少なかったはずだがな」
「それでも、首都は壊滅なんでしょう?」
「うむ」
ジャック先生の答えは声を濁していた。
「狂獣ロードオブミストラル……と言ったか。あまりにも強大すぎる。だが、放っておけば確実にベルクラント公国だけではなく他国へも侵攻して被害を拡大するだろうに」
「あの……」
「何だよ」
会話に割り込んできたシエラに、冷たく刺し返す。
「わたしを飛ばして。そいつやっつけてくる」
キサラは吹き出した。
「今更、正義の味方気取りか? おめでてぇ女だな。それとも、頭沸いて怪物と一緒に暮らしたくなったのか。憧れの怪物との共同生活嬉しいな、ってか」
普段は絶対に怒るであろうそんなセリフにも、彼女は耐えて見せた。
「ねぇ、あなた飛ばせるんでしょ」
ジャック先生に詰め寄り、ただ強い覚悟を見せた。
「わたしを飛ばしてよ。ベルクラント公国に」
若い女に詰め寄られて嬉しいような照れるような、複雑な表情を浮かべながらどう対応して良いか困る様子だったが、厳しい言葉を投げかけた。
「その前に、謝ったらどうなんだね」
キサラに視線をちらと向けた。先ほどの話を聞いているのだろう。だがシエラは素直になれない様子で、手いじりをしながら不貞腐れて視線を床に落としている。
「ま、直接謝るのが恥ずかしいなら仕方ねえな。それがお前の性分なんだし」
やれやれと言った様子で、肩を竦める。
「けど、そういう態度を少しでも示すって事は負い目を感じているって事なんだろ」
そんなキサラに茶々を入れる先生。
「お前は昔から、かわいい女の子には優しいからの」
「それは余計です」
眉をぴくつかせながらキサラは返した。だが本当の事であり、その中途半端な優しさのお陰で女がらみのトラブルに何かと巻き込まれやすい性格をしている。
「分かったよ。好きなだけ暴れて来い。力、有り余ってるんだろうからな」
シエラは何だか納得したらしく、少しだけ笑顔が戻った。
「ま、俺が見ててやる。それが終わったら、腹持ちの良い料理の作り方を……教えてやるよ」
「えへへ」
目を閉じて、「ふん」と嘲るように鼻で笑い、宿屋を後にする。屋外の吹き荒れる雨風は前髪を飛ばしそうなくらいに横殴りだが、二人は飛ばしてもらうまでの数秒間背中合わせにくっ付き合った。
「じゃあ、お願いしますよ先生」
「送りはしよう。だが、無理だけはするな。危なくなったら隠れろ」
誰の応援も無かった。二人同士の仲も良くなかった。それでも、どこか互いが互いを気にせずにはいられないような、そんな不思議な関係が芽生えていた。
手にした矛槍は聖なる魔法の力を帯びているため、不思議と気体を斬り裂く事が出来た。実体は無いはずであった。だがその手には、斬った動物の肉のような感触が伝わってくる。確かな手応え。ぶっちりと引き裂かれるあの繊維質、臓器、皮。まるで生きている動物。だがその怪物は全く怯む様子を見せない。
「キリが無い!」
首都に一足先に辿り着いた二人は、交戦を開始していた。残っていた現地の戦士と共に共同戦線を張り、魔法を主体にしての抵抗が繰り広げられていた。
「セシル、補助を!」
「やってるわよ」
肉弾戦が苦手な彼女は、戦士達にひたすら補助魔法を掛け続けていた。攻撃手段を持たないために厳しい立場である。リィンに催促されるも、肩で息をしている現状は体力の限界も近かった。
首都は文字通り壊滅状態であった。建物のほとんどが倒壊し、火災が起きた跡がある。燃え尽きた家屋が多く見られた。だがそれも、狂獣ロードオブミストラルの起こした猛吹雪によって掻き消された後であった。
まるで氷の矢が降ってきているといったように、氷柱に似た小さな粒が怪物の合図と共に上空から激しく降り注ぐ。地面に突き刺さったそれは、恐らく冷下であろう気温の低さにより急速に固まってゆく。今や首都ベルクは、狂獣の吹き荒らした吹雪によって極寒の地となっていた。
目の前数メートルでさえまともに見る事が出来ない。うっすらと怪物の影が映るだけだった。
「リィン、どこなの」
「ここにいる!」
走り回っている内に、互いの姿すらも見えなくなっていた。手で合図を出しても、猛吹雪のために姿が見えない。
「このままでは遭難するぞ」
「この吹雪じゃ、まともに歩き回れないわ。一旦どこかに隠れて怪物の機嫌を伺う方が――」
顔についた雪を手甲で拭う。だが濡れ切っていて拭けるようなものではなかった。余計に顔はしっとりとしてしまう。そうこうしている間にも、怪物の放った小さな水の塊のようなサイズの小さいモンスターが襲ってくる。四方八方から、まるで粘体質のスライムのようでもあった。
「あの怪物から生み出されているのか。斬っても斬っても終わらない」
「もしかしたら、ロードオブバーミリオン以上に厄介な相手になるかもしれないわ」
人間の女性を象った狂獣が、薄ら笑いを発していた。