第2話 一章 ―白亜の栄光― 2
王女はやはり今年も美しかった。亜麻色の流線型を描いたウェーブヘアーは出で立ちの上品さを弥が上にも際立たせている。胸元の大きく開いたピンクのドレスを身にまとい、首からは真紅に輝くガーネットのブローチ。彫りの深い顔立ちはこの国の王家の血筋そのものであり、他国の権力者達の目を一身に奪い続ける。本人が望んでなくとも。
壇上に国王、王妃、王子と共に姿を現した末っ子の王女は外見こそ美しいのに、今年も去年と全く同じ、ツンとして他人を寄せ付けない膨れっ面をしながら席に着いていた。
「ほれ、王女様のお出ましだぞキサラ」
「そうっすね」
緊張で心音が高鳴る。席にはワインが配られてゆく。十七歳になり今年で成人したキサラは、ワインを口にするのはこの席が初めてであった。怪しく光を反射する暗い赤紫色の液体。キサラは緊張からか憧れの的であった壇上の王女の顔を直視できず、注いであるワイングラスをカタカタと震える指でつまんでいた。
「キサラ。まだ飲むなよ」
「はい。分かってますよ、レ、レム隊長」
向かいの席に座るレムは、肩を落としてその様子を呆れてみていた。普段は気さくに物事を話すキサラだが、身分が上の者を前にすると別人のように緊張してかしこまってしまう。キサラの悪い癖だった。
決して変な性癖を持っていたりだとかいう事は無く、むしろ荒くれ者揃いの男達の集団の中では、少々浮いているごく普通の女受けする端麗な男だった。偶然訓練で剣を振っている姿を見た街の女子が、『カッコイイ自警団員がいる』と噂にして流した事がある。その結果、詰め所の裏にある訓練施設に女子の見学者が一時期殺到してしまった。キサラ本人も「騒がせてすいません」と悪くも無いのに謝らざるを得ない結果になってしまった。首都の人間なら大抵の人は知っている逸話である。
と、キサラの緊張がピークに達し、考え事をしている内にパーティーは間もなく始まろうとしていた。
パーティーは立食形式だった。始まれば皆、好きに移動して会話と料理を楽しむ事が出来る。だから、王女と会話する機会があるのはこの立食の時だけがチャンスだった。料理も会場内の大テーブルに揃い、いよいよ宴の準備が完了しつつある。ふかし立ての芋。ビーフシチュー、ローストビーフにグラタン。山盛りのサラダに、海の幸をこれでもかというくらいに放り込んだパエリア。もちろん世界各地から取り寄せたワインやビールを始め、ウィスキー等といった酒も用意されている。ジンにウォッカ、テキーラ、ラム等のスピリッツを好みのカクテルにして出してくれる城専属のバーテンダーも付く。
「であるからして、今日は存分に――」
国王の話をキサラはまるで聞いていない。そっぽを向き続ける王女にちらちらと視線を合わせた。御身を盗み見るような背徳感。だが正面切って見据える事が今のキサラには出来なかった。
「キサラ、グラスを持て」
レムの声ではっと現実に帰る。周りの皆はグラスを右手に携えている。慌てて滑る手で何とか握り締める。割れそうなくらいに。
「は、はい」
「では、一同乾杯!」
国王の言葉で、皆は一斉にワインで喉を潤した。長年熟成された記念物のワインを毎年生誕式典で使う。初めて飲んだワインの味は、キサラには渋くて良く分からなかった。
皆が席を立ち始め、立食は開始された。気後れするような感じがしながら、キサラも立ち上がり皿を手に取った。まず目に留まったのはシェフが今まさに切り落としたローストビーフであった。湯気が立ち昇り、白の合間から覗くミディアムレアの肉の切り身。笑顔が眩しいシェフの目に負け、切り身を一枚もらってその場でぱくついた。
「美味い!」
肉は舌の上でエキスを放出した後、とろとろに溶けていった。濃厚な肉汁が、舌を甘美な世界に連れて行ってくれる。普段食べている安い細切れ肉などとは格が違った。比べる事すら失礼であった。
「おうキサラ、酒だ。酒飲め」
頭の禿げ上がったロバートが近寄ってきた。既に口からはたっぷりとアルコールを引っ掛けた形跡があった。早くも出来上がっているという事は、相当度数の高い酒を初っ端から身体に流し込んでいるに違いない。
「ロバートさん、まだ開始十分ですよ」
「ん、まだそんなもんだったか。今日は無礼講なんだぜぇ、飲まなきゃソンだろうが」
と、隠していた左手からはグラスが出てきた。無色透明のアルコール、ウォッカか何かだろう。もしかしたらカクテルにしたり割る事をせず原液のまま飲んでいるのかもしれない。
(さすがに飲みすぎだろう……。このペースはヤバイんじゃないのか)
目の前でグラスを開けてしまった。既にとろんとした視線で、ロバートはぷらんぷらんしていた。
「ひっく、ああもう酒がねぇ。もう一杯だ」
と、背を向けて行ってしまった。キサラの目は付いていけないという風に、苦笑していた。
料理を見ながらふらふら歩いていると、やはり王女の姿が目に留まった。席にずっと座ったまま、腕を組んで身動き一つしない。目も口元も拗ねたようにツンとしており、去年と何ら変わりなかった。テーブルの上には、手付かずのワイングラスが乗っている。恐らく乾杯の際に飲まなかったのだろう。
キサラは皿をテーブルに置くと、王女を見据えた。肝心の相手はというと、キサラの事など眼中に無くどこか窓の外を見ているようであった。取ってきた料理をしばらく口に運びながらも、その最中王女が気になっていた。
(一体、何で食事もせずにずっと席に座っているんだ)
去年もそうであった。そして今年も。誰とも話そうとせず、食事すらしようとせず。ただ何か気に入らないといった不平不満の態度だけを表に出して。明らかにパーティーに参加する意思が見えない。
城に来るまでは王女の事が憧れの的だった。だが城に来て実際に御身の拝謁に賜ると、その憧れが疑問の形に変わった。
「キサラ、そんなに王女様が気になるのか」
レムが食事を手に取り、席に戻ってきた。恐らく、ちらちらと王女の姿を気にしているキサラの事を遠目から見ていたのだろう。レムは髭を揺らしながらピッツァの切れを口に運んでいった。
「えぇ……気になります」
「なら、勇気出して行ってこい。お前の疑問もその勇気で解決できるかもしれんぞ」
「そうですね」
キサラは食べかけの皿を見ながら右手のフォークを置いた。何かを決意したように頷くと、立ち上がった。
「ん、王女様が」
立ち上がった。顔は拗ねたままだが。小股で人混みを避けるように、会場の端を通ってテラスの方へと向かっていった。何か食べるわけでも、誰かと話すわけでもなく。キサラは無意識の内に、足を向けていた。
潮風に流れる亜麻色の髪は、一層王女の魅力を引き立てていた。胸元だけでなく、肩甲骨まで大きく背中も開いたドレス。ただ艶やかだと、一言では語りつくせない。
王女は手すりに肘を乗せて寄りかかり、ひたすら海を眺め続けていた。
「誰?」
振り返らず、王女は敵意をむき出しにした高い声で問いかけてきた。キサラは片膝を着き、名乗った。
「失礼致しました。私、スレンスブルグ自警団所属、キサラ・L・シグムントと申します。アリエル王女様」
アリエル・F・T・レニングラート。王女の本名だ。かしこまったまま頭を垂れているキサラの元に、アリエルは振り返ってゆっくりと歩み寄ってきた。
「自警団……。なるほど、貴方が話に聞いた自警団員ね。で、貴方が一体私に何の用?」
「いえ、パーティーの最中お一人でお考え事をされていたように見えまして。そして先ほどテラス付近へと来た所、アリエル王女様のお姿を窓越しに確認致しました。パーティーは最高に盛り上がってきた所です。王女様も是非ご参加いただければと思いまして」
するとアリエルは、高いヒールを折りそうな勢いで右足の踵を地面に叩き付けた。
「余計なお世話よ」
「……何か、お悩み事でも?」
アリエルは膨れた顔のまま、再び手すりへと寄りかかって海を眺め始めた。