第25話 二章 ―劣妖と人外と追跡者と― 12
中に足を踏み入れると、ねっとりと何かが足にまとわり付くような感覚を覚えた。目を落とすと、それは石造りの床を貫いて生え伸びた雑草だという事が分かる。元々は回廊であったのだろう果てしなく続いている細長い通路は高い天井で、左右には窓のように所々石のブロックが抜け落ちて雨風が吹き込んで来ている壁が聳え立っていた。
天井からは割れたシャンデリアが今にも落ちそうな朽ちた鎖に吊るされている。一定間隔でそれが並んでいるが、中には床に落下して鋭いガラス片を散らしているものもあった。転んだりでもすれば怪我は確実だろう。床の絨毯は雑草により侵食され尽くしており、既に絨毯が敷いてあった事すら良く目を凝らさなければ分からない。
「この中に、あいつがいるのか?」
三人は入り口で立ち止まり、闇に支配された奥の様子を窺った。だが明かりも何も残っていない廃墟の中は、進まなければ全く分からない。一応、タナトス王国から持ってきた荷物に携帯用の小型カンテラがある。キサラから荷物を受け取ったセシルが手馴れた様子で、火口箱から石英(火打石)を取り出した。
普段からランプなどに火を灯す事は、タナトス王国民にとっては食事を摂るくらいに当たり前にする事である。幼少期から誰しも火打石の扱い方を習っており、男女問わず仕込まれるのだ。そのため、見ている側から火花が散ってゆく。それは次第におがくずへ火が移って火種に。子供のような火はすぐに大きく燃え広がる。おがくずが足りなかったため、絨毯を侵食して生えている草の中から水気の少なそうなものを一掴みして引き抜く。それを床で焚かれている火に放り込むと、餌をもらったかのように喜んで踊り舞った。
「見事な手付きであるな」
「当たり前よ。このくらい出来なきゃ恥ずかしいわ」
長時間持つであろう太い蝋燭を鷲掴みし、火を移す。丈夫なカンテラの中に固定すると、立派な明かりとなっていた。床で踊っている火は足で揉み消す。外は既に横殴りの雨が地を叩きつけている。火の小さくなったおがくずを蹴飛ばし、雨の中へと押しやると瞬く間に火は元気を失い消えてしまった。
「さぁ、幽霊屋敷探検と洒落込もうじゃねえか」
「恐らくここはモンスターの住処になってるわ。気を付けないと」
直接戦う事はしないセシルは明かりと補助係。武器を持った二人が両隣に着き、いつでも振れるように構えながら並んで歩き始めた。
「それにしても、不気味な城だな……」
天井に穴が開き、所々雨が漏れている。そこからの隙間風がモンスターの咆哮のように建物内に響いていた。それに加えて目を凝らさないと何も見えない薄闇が続く。何かが突然飛び出してきてもおかしくない。
「壊れかけの古城、という以外は特に何も感じぬが」
リィンはこういったものには疎いのだろうか。
「頼もしいこって」
奥に進むほど、ぬめぬめとした気味の悪い草が完全に床を多いつくしている。どうやら湿っている暗闇に生える特性の草らしく、屋外では見かけない。キサラとリィンは持っている剣と矛槍で道を切り開きながら進んだ。
「剣はこういう事に使うもんじゃねえんだぞ、って」
「全くだ。芝刈りに使っていたのではせっかくの聖槍が台無しであるな。水気を含んで切れ味が悪くなる」
今更ながら、荷物に鎌も用意しておくべきだったかとキサラはぼやいた。
「これ、シエラはどうやって進んだんだ? こんだけ生い茂ってんだから火で燃やしたわけでも無さそうだしな」
「空を飛んだのであろうか」
「いや、あいつは移動系の魔法は使えないみたいだ」
と、切って進んだ背後でもぞもぞと音がする。何かが這うような。中央を歩くセシルが振り向き、カンテラの明かりを当てた。
「ちょっと、この植物たち……」
「あん?」
皆が振り向くと、そこには切り口から再び生えてくる驚異的な再生能力があった。ツタが床を這い、切り口からもぞもぞと見ている内に元以上に成長してゆく。
「これは、まさかモンスターであるのか?」
ツタがズルズルと四方八方から集まり、まるで意思を持ったかのように絡み合ってゆく。こんな植物は皆見た事が無い。口を開けて唖然とするも、その内にツタは筒状を成し、巨大な口のようなものを形成した。その姿はまるで植物の芋虫。身体自体をくねらせてゆっくりと動き回る。複数の植物に見えるが、もしこれが一体のモンスターが持つ触手のようなものであるとしたら。キサラ達はモンスターの巣の中に文字通り飛び込んでしまっている事になる。
「迂闊だった。これは逃げられそうにねえぞ!」
背後には無数の触手状のツタがうねうねとしている。背後に下がれば確実に捕らえられるだろう。
「まずいのではないか。ここには火の魔法を扱える者はいない。強力な火さえ使えれば焼き払えるのだが」
キサラはセシルをちら見するが、彼女は思い切り首を横に振っている。
「ダメダメ。私は攻撃魔法なんか使えないの!」
「なら、お前は補助を頼む。明かりを絶やすな。周りが見えなくなったら全員お仕舞いだ」
筒状のツタが身体をくねらせ、頭上から襲い掛かってくる。恐らくあの口のようなもので餌を捕らえ、獲物を食い殺すのであろう。暗闇の中、筒状の中に刃のような緑の葉が見える。葉ではなく、刃かもしれない。
「来やがったな!」
キサラは横っ飛びで回避し、剣を空中で構えた。中央を分断するかのように筒がキサラの居た床を食い千切る。泥まみれの削れた石の欠片を咀嚼していた。筒状の口の内側にびっしりと生えた刃は思った以上の破壊力であった。頭からかぶり付かれれば、首どころか上半身そのものをバッサリと持っていかれるだろう。
動きは遅い。次の行動に移るまでがもたもたしている。リィンが矛槍を振り降ろし、筒状の身体を切断しようとする。そこにセシルは素早く魔法を唱え、リィンに力を付与した。
「な、軽いっ?」
まるで玩具のように武器から重みが消える。突然の事に矛槍は狙いを外し、身体の一部である別の触手を切り落とした。触手はピクピクと神経が通ったかのように床に落ちた後も動き回り、しばらくして止まった。
「何だか武器が軽くなったぞ」
「違う。私の補助魔法でリィンの腕力を一時的に上げたの。今なら思い切り振り回せるわよ、その重いの」
ついでにキサラにも掛けると、重い剣を片手で持って飛び始めた。
「気色悪いモンスターめ!」
本体の筒に切りかかるキサラに、別の触手が襲い掛かった。一本、二本。まるで攻撃させないとでもいうかのように剣に絡みつく。強靭なしなる触手はなかなか振り解けない。
「離せ、くそっ」
思い切り矛槍を遠心力に任せて振り抜く。鋭く磨かれた聖鉄は剣に絡み付く触手を落とした。落ちた触手を踏み付け、キサラは唾を吐きかける。
「ちょ、ちょっと何こいつら!」
キサラに構っている間に、セシルの右手に触手が絡み付いていた。どうやら知恵があるモンスターのようである。右手に持っている明かり――カンテラを奪おうとしているようだ。他に明かりが一切無い場所のため、失う事は命取りになる。
「リィンは本体を斬れ!」
「任された!」
キサラはセシルの右手の触手を振り解こうとする。右手が人質のようなもので、思い切り剣を振り回す事も出来ない。
「いいか、カンテラは離すなよ」
「分かってるわよ!」
まるでゴムのようにしなる触手を両手でつかみ、全力で力を込めて引き込んだ。抵抗する触手。だが弾け、ゴムがぶつかるように音がしてキサラは千切れた触手をつかみながら後方に倒れ込んだ。そこに今度はキサラの両腕に触手が絡み付いた。引っ張られる。このまま引き裂くつもりだろうか。
「くっそ、いってぇな! 離しやがれ」
ぐいぐいと右に左に引かれる両腕。締め付けられるせいでうっ血し、次第に感覚が無くなってくる。剣は既に右手から取り落としてしまった。
「離しなさいよ!」
まるで清純な姿とはかけ離れた乱暴なかかと落としが触手に叩き付けられる。何度かする内に触手は力を失ってゆく。
「リィン、まだか!」
「やっている!」
このままでは冗談抜きで腕が千切られそうな状態であった。本体を叩いているリィンも、餌を逃さまいとする筒状の物体が思った以上の抵抗を仕掛けてきて苦戦していた。
これがリィンとキサラで逆であったなら早々に決着は付いていたかもしれない。だが未熟な腕前のせいで無駄に抵抗を許してしまっていた。身体全体を振り回し、体当たりに似た猛攻を連続で繰り出している。リィンの身体よりも遥かに巨大な筒は矛槍の攻撃こそ簡単に当たるものの、斬っても斬ってもすぐに再生してしまう。身体が大きすぎるのであった。決めるのなら元を一撃で落とさなければならないだろう。
「俺の事は自分で何とかする。お前はリィンを助けろ! こんな触手くらい、自力で千切ってやらぁ」
「え、わ、分かったわ!」
キサラの言動にどういう意味があるのかは分からない。だがセシルは向き直り、冷静に呼吸を整える。小さく口元で何かを唱え始めた。左手を突き出した先には、筒状のモンスター本体。
「ディレイ!」
モンスターが何か一瞬ブレたように映る。空中をゆっくりと漂い始め、リィンを糧にしようと襲い掛かる口の開閉も途端にゆっくりになる。避けるのも容易になり、リィンは歩いてその攻撃を避けた。
「何だ、魔法であるのかこれは」
「そう。早く止め刺して」
相手の動きを短時間だが極端に緩める魔法。効果時間は相手の抵抗力にもよるが短い。
「早く!」
もたもたしているリィンは、言われるがままに矛槍を振り上げた。
「お、終わりだ。食らえ!」
根元を狙い、セントハルバードをかち降ろした。だが一瞬で矛槍は避けられる。
「何っ」
魔法が切れ、素早く身を翻した巨体がリィンの頭上に襲い掛かる。口をがばっと広げ、食いに掛かった。
「リィン!」
初めてセシルが名前で叫んだ。リィンは咄嗟の事に防御できない。だめだ、とセシルが目を瞑った時、モンスターはリィンを飛び超えて後方へと間抜けに軟着陸して動きを止めた。二度ほどバウンドし、腐ったかのように茶色く変色して枯れてゆく。
モンスターの根元には、剣を一撃袈裟斬りで振り抜いたキサラの姿があった。片膝を付いて薄ら笑いを浮かべている。触手に掴まれていた両手は青紫色に腫れているが、大きな怪我はしていないようだった。
「俺の事を忘れんなよ、っての」
「最後で美味しい所持ってっちゃうのね、貴方は」
足元を覆っていたモンスターの根の部分らしき物体も、すぐに腐って枯れ始めた。恐ろしく生命力の強いモンスターであったようだった。シエラは通る部分一部を火で燃やした後、無視して進んだのかもしれない。
「ふへ、思ったより大した事は無かったな」
剣を鞘に収めた直後、何かが後頭部に押し当てられた。その感覚は恐らく人の掌。
「誰だ――」「動くな」
恐ろしく冷たい声色をした一人の男の声が静かに降りかかった。動いたら頭は吹き飛ばされる。そんな無言の圧力をキサラはひしひしと感じた。