第24話 二章 ―劣妖と人外と追跡者と― 11
朝食のためにキサラとリィンは既に宿の一階に降りてきていた。二人は男性だという事で相部屋。セシルは一人で小さな部屋を借りた。まだ降りてきていない。最初こそリィンは、キサラの事をいかにも敵だという嫌な態度を取っていたが、一緒に居る内に少しずつ角は取れてきていた。夕べはランプの明かりを消すまで互いの国の事を話した。
互いに敵同士だからと教え込まれて育った。互いの事情を理解しようともせずに。そして話している内に少しずつ理解してきた。争いを始めたのがどちらだったのかなど分からない。気付いたら自国を守るために戦争をしていた。今でこそ本格的な争いに発展せず冷戦状態ではあるが、戦争自体は終わっていない。
キサラも最初の印象ほど、今はリィンを悪く思っていないようである。セシルを待っている最中も、話は少々楽しげであった。小さな宿であるため、朝から女主人が精を出して貴重な客のために玉子を焼いている。引いた油が玉子の身と混ざり合い、そこに載せたベーコンがカリカリに焦げ付いてゆく。空きっ腹には堪える動物性脂の熱せられる匂いが、鼻腔をくすぐってゆく。朝食はもうすぐのようだ。
その内、階段からセシルが降りてきた。昨日までの無残な服装とは打って変わり、別人のようであった。宿の女主人からもらったセシルの服は、細いラインを見事に包み込んでいた。どうやら主人の娘が昔着ていたらしいお古ではあるようだが、デザインは洒落ている。薄い茶のインナーに白いブラウスは良く栄え、そこに純白の長いレーススカートを纏う事でタイトな印象になった。本人が思っているほど腰は太くない。むしろ折れそうにも見える。どこかか弱い印象を持たせる格好に銀髪は清純なイメージを抱かせるには十分であった。
「これは……いい」
翌朝その姿を拝んだリィンは呟く。無表情のままだが、どこか鼻の下は伸びている。大人ぶった喋り方はしているが、どうやら中身はけっこう純粋らしい。考え方が素直である。
「惜しむらくはその性格だな」
「何ですって」
と手が出るが、その拳を見切ったキサラは余裕で左手で鷲掴みして止めた。
「おぉっと、反射神経で俺に勝とうなんて百五十年早いっての」
へらへらと笑いながら、セシルの拳をつかんで脇に放った。身体が少々勢いでふらつく。元々体力などまるで使わないシスターの女が、普段から肉体を酷使して鍛えている戦士に拳で敵うわけがない。
「今から百五十年経ったら死んでます」
ぶー、と言いながら面白く無さそうにセシルは腕を組んだ。
「ほらほら、朝から痴話喧嘩しないの。トーストが冷めちゃうじゃないのサ」
用意された朝食が誘っている。既にリィンは付き合いきれないと思ったのか、いつの間にか先に席に着いてトーストにかぶり付いている。カリカリに焼かれた香ばしいベーコンをフォークで突き刺し、一足先に舌を楽しませていた。
「うむ、美味い」
二人も何か冷めたように無言で席へと向かった。これ以上喧嘩を続けるのも馬鹿馬鹿しいと言った様子で。
遥か昔、このパラスト丘陵地がまだ王政であった頃。この廃墟は豪華絢爛とした煌びやかな城であったという。鉱山都市スコールは今でこそ小さな田舎町だが、その頃は城下街として多くの人々が家を築いていた。年にして既に百年から二百年ほども昔の事だという。
どうして滅んでしまったのか、その理由を今では知る人は少ない。悪魔の仕業だとも、呪いだとも言われている。何しろ、この王城が滅んだのはたった一晩の出来事だったというのだから。
「近くで見るとすげえ不気味だな。本当にこんな所にシエラがいるのか?」
怖い物は割りと苦手であるキサラは、石造りの朽ち果てた門を見ただけで少々怖気付いていた。左右に見た事も無い生物を象った石像が立ち並び、門を潜ろうとする物を通さないとばかりに睨み付けてくるようであった。
「ホント、これはちょっと……」
今更ながらに来て後悔したといった顔のセシル。列の一番後ろを歩く姿はどこか足がすくんでいる。基本変人だが、少々か弱さを持っている所は自然と言えるか。
鬱蒼とした山岳の森に囲まれ、風が吹き付ける度に怪物の鳴き声の如く木々のざわめきが聞こえた。怪物の咆哮のようでもあり、どこか生気の無い女性の金切り声のようにも感じられる。足首ほどまで伸びた雑草が風で揺れるたびに、巻き付いてくるような気持ちの悪い感触を覚える。まるで意思を持っているかのような。
「何を怖気付いている。行くぞ」
「お前、平気なのかよ」
矛槍を担ぎ、平然とした顔で門を潜ってゆく。唖然とする二人は、恐怖をおくびにも出さないリィンに意外な頼もしさのようなものを感じて進んでいった。門を潜った後は左右に巨大な石柱が一定間隔で立ち並ぶ石の回廊になっていた。白亜の朽ちた石で出来た地面は、所々に崩れた後がある。足元を確認しながら進まねばいつ転んでもおかしくない。
「何なのだ、あれは」
先頭を行くリィンが何かを発見した。小走りで先に向かい、しゃがみ込む。二人も急いで近寄ってみると、どうやらモンスターの死体が転がっているようであった。
「死んでる、の……?」
セシルは口元を押さえ、死体まで数歩の距離を開けて足を止めた。キサラはリィンの側まで寄って確認する。
「なぁ、この死体ブルータルハウンドだよな」
「恐らく。ベルクラントにもいるモンスターだ、見覚えがある。間違いは無いだろう」
茶色をしている全身の毛が針のように逆立った獰猛な狼型モンスターの亜種。モンスターの生息数そのものが少ないパラスト丘陵地では、狭小であるこの森の辺り一帯にしか生息できない。人に飼われている犬や猫などのモンスターは大人しい動物ばかりだが、森に住んでいる一部の野生は危険だ。獲物も少ないために、常に飢えている状態が続いている。食糧に満ち溢れた土地に住んでいるモンスターよりも凶暴なために、一般人はこういったモンスターの生息している森へ入る事は無い。どうやら誰かが通った事で、その者を餌にしようとしてこの狼は返り討ちに遭ったようだ。
「しかもこの痕は、武器で斬られたような傷ではないな」
白目を剥いて長い舌を力無く尖った口から垂れ下げている。その口端からは血が滴っており、骨が折られておかしな角度に曲がった左の前足は爪で石の地面を強く削り取っており、最期の時に死に物狂いであった事がその様子から想像が付いた。全体的に身体中の骨がボロボロになっているようであり、石の地面自体もその場所だけ異様に歪んでいる。まるで強烈な力で上から押し潰されて圧死でもしたかのようであった。
「ひでぇ死に様だ。押し潰されたせいで身体中が歪んじまってる。折れた肋骨が皮膚を切り裂いて飛び出してやがるぜ」
「これは、魔法なのだろうか?」
「多分な。地の魔法か。タナトス王国で聞いた事があるんだ、超重力場を一定の場所に集中的に発生させて相手を押し潰す種類の魔法があるってのを。グラビティプレスっていうらしい。普通の人間には扱えないクラス、上級らしいけどな」
普通の人間には扱えない。だとしたらここに来た者の中で、扱える者は――。
「……来てるな。こいつも死んでからまだあまり時間経ってないみたいだ。中に居るぜ、シエラは」
「ちょっと、あれ!」
数歩間隔を開けていたセシルが廃墟の中の一角を指差す。地上何階建てかは想像が付かないが、建物の中ほどの高さの割れた窓から黒煙が噴き出ている。窓からは火炎放射のような直線状の炎が溢れて爆発していた。地響きに似た轟音が建物の外まで伝わってくる。響きに合わせて、周りの植物達がまるで恐れおののくように萎縮するような空気を三人は感じていた。廃墟のこの地に現れた暴君。静まり返った空気を震わせるには十分であった。
「中に居るモンスターを殺しているのか?」
廃墟を見つめると、その異様なまでの炎の威力に唖然とする。建物自体が持たなそうであった。古びた王城は脆くなっている。あまり大きな衝撃を与えれば中に居る者共々飲み込むだろう。
「一体どうしちまったんだ、シエラ。お前、魔法の力で生き物を殺さないってのは嘘だったのかよ」
確かにタナトス王国で、彼女はキサラに言っていた。だが捕まって気持ちが落ち着いていなかったとはいえ、表情は飄々として笑いながらもあの目だけは本物だった。自分の力そのものを憎んででもいるような面持ちさえ読み取れた。
「とにかく、行くぞ。怖がってる暇は無ぇ」
廃墟の前の長い階段を駆け上がってゆく。その間も、骨が砕けたり焼け爛れて炭になったブルータルハウンドの死体が至る所に転がっていた。どこかの怪談話ではあるまいが、三人をあざ笑うかのように雲行きも怪しくなってくる。あまりにもシチュエーション的に出来すぎている。次第に雨の臭いが鼻に付き始め、空は昼間だというのに灰色に変わった。
とにかく敷地内は広い。駆け続けたというのに、廃墟の入り口に辿り着いた時には風に混じって小さな霧雨の粒が顔にうっすらとヴェールのように被さってきていた。
「一体中では何が起きてやがるんだ。ぱったりと爆発みたいなのが止んだぞ」
崩れた王城の大扉からは、湿った空気が流れ出してきていた。