第23話 二章 ―劣妖と人外と追跡者と― 10
三人は頷くと、宿屋を後にして町の中にいる『お客さん』を探しに出た。だがその人物はすぐに見つかった。数少ない民家の裏が小さな崖となっており、そこから崖下を見下ろすようにして腕を組んだまま仁王立ちしていた。女主人から話で聞いたとおり武道家のような出で立ちで、袖の無い白の法衣を纏っている。長身で、背後から見ても短く刈り揃えられた白髪。頬や首筋に浮かんだ皺などから、かなり老齢である事が話しかける前から分かった。
同時に男性から放たれている気も強く、背後に立っただけで首など飛ばされてしまいそうである強烈な殺気に似たものを宿している。かなり気難しい人、というのは話しかける前から予想できた。冗談などまるで通じず、何事にも妥協を許さない。そんな雰囲気を醸し出している。一言で括れば、本来出来るだけ近寄りたくないタイプの人間、であった。
「ほら、早く話しかけて。リーダー」
「そうだ、早く行くのだ」
「んだよ、いつ俺がリーダーになったんだ」
ビビった二人に背中を押され、なし崩し的に先手を切らなければならなくなった。誰かが行かなければならないのは山々だが。大事な役目を押し付けて二人は茂みに隠れる。「お前ら後で覚悟しとけよ」と小さく呟き、男性の背後に近寄っていった。
「あの――」
男性はぴくりとも動かない。まるで立ったまま石像にでもなってしまったかのように。だが夕方の薄寒い風に煽られ、着ている服は波を立てる。
キサラは寒気に弱い。すぐに家の中に入りたくなる。さっさと用を済まして宿に戻りたい欲望が底で燻っている。
「宿のお客さんですか? ちょっとお話を聞きたいんですが」
「何用だ、坊主」
しわがれた声だが、子供ならば怯み上がってしまうような強烈極まりないドス声が辺りに響いた。キサラには背中を向けており正面から声をぶつけられたわけではないが、それでも一気に心拍数は上がるのが本人も感じていた。
「名を名乗れ。まずはそれからだ」
「あ、はい。俺――いや、僕はキサラ・L・シグムントと申します。宿の主人にお伺い致しまして、あなたが目撃したという金髪の女性についてお話を聞かせていただければと思いました」
「ふむ。キサラ……というのか。坊主は」
「はい」
初めて男性は振り向いた。背後の姿から予想できた通りの老齢。深い皺が刻まれた顔は、幾多の死線を潜り抜けてきたといった風格のようなものが漂っていた。老齢ではあるが体格は良く、筋肉の塊である。恐らく歴戦の格闘家なのだろう。
男性は何も語らず、キサラの顔をじっと見つめた。その視線は射抜くようなものではなく、何故か少々驚きや懐かしみといった複数の感情が含まれている様子で、荒々しさや痛いものはそこには無かった。
「あの、何か」
「失礼。昔の若い時の知り合いにちと似ていたものでな、特に深い意味は無い。ワシの名はリゲル。老いぼれの格闘家だよ。今はアルデバランの首都ミアキスで格闘訓練の仕官をしているのだが、久々に休暇が欲しくなってな。ふらりとこんな地まで足を伸ばしてしまった」
「アルデバランの方なんですか。あの世界一の大国の。その仕官だなんて本当に偉い人じゃないですか」
「何、ワシなんざただの老いぼれだよ。あと数年もしたらこのガタついた身体も動かなくなる。そうしたら引退するだけだ。まだ身体が動く内に、やり残した事を片付けておきたいからな」
「そのためにここに? 何か事情があるようですが」
リゲルと名乗った老人は、しわがれた頬を引き上げて心なしか微笑んだ。
「あぁ、坊主には関係無い。これはワシ個人の問題だからな」
一人思い詰めた表情で握った拳を見つめるリゲル。夕暮れの中、力強い拳が老師の哀愁を纏う。絵になりそうな光景はあるが、キサラの目的はそれではない。老人のペースに巻き込まれて目的を見失いそうになる。空気を読んでいたら切り出せるのがいつになるか分からないだろう。
「それで、あの。僕の質問いいですか?」
「なんじゃ」
勝手に自分一人の話だけして終わらせそうなリゲルに切り出す。
「実は――」
簡単に話を聞いたリゲルは「見たぞ」と力強く頷いた。
「あんなにも見事な金髪は久しぶりに見た。それにあの尖った耳。ワシのような普通の人間ですら感じる、強力な魔の気。あの少女、恐らく人間ではあるまい。独特の感覚を漂わせておった。昨日の朝であったな、少女を見たのは」
宿屋の女主人が見たのは一昨日の夕方。リゲルが見たのは昨日の朝。昨日までシエラはこの町にいたのだ。行き違いになってしまった事を今更ながら知り、悔しさがこみ上げる。
「惜しかったな……」
「あの少女を追っておるのか。確かに、おかしな子ではあったが……。少女は発見時、鉱山の方から町に向かってきおったのだ。何やら酷く虚ろな目をしておった。苦しそうにも見えたが。口の端からは唾液を垂らし、ふらふらの足取りで町の外へと向かっていったのだ」
「やっぱり、様子がおかしい」
一体シエラの身に何が起きているのか。タナトス王国で見た時にはもっと元気の良い姿をしていたはずであったのに。はきはきと物事は言うし、意地悪で飄々として。それが、二人から聞いた話ではまるで別人のようだ。理由は、とにかく会ってみなければ分からないだろう。
「極め付けは、その少女……服に返り血を浴びておった。少量だったが。全身からは身の毛のよだつような凶悪な魔力が噴き出していて、近寄る事自体が危険であった。こちらにまで飛び火しそうでな。まるでその、人でも殺めてしまったかのような雰囲気すら漂っていた」
キサラはその最後の言葉にピンと来て、声を荒げた。
「ありえない! あの女は、意地悪で悪戯で飄々としてて人の事小ばかにしやがるけど、俺には分かる。本当は、人間よりも純粋で優しい心を持っている。ただそれが不器用で表に出せないだけなんだ。シエラは自分の力で生き物を傷付ける事そのものを嫌っている」
「ワシは臆病者だ。少女一人に関わる事を恐れ、そのまま町を後にするのを遠巻きに見る事しか出来なかった。この歳にもなって、何故少女一人を恐れたのか。声を掛ける事すら出来なかった。恥ずかしい気持ちしか、今は無い」
「いいんです。俺……いや僕達はシエラの後を追います。彼女に会って、一体何が起きているのかを確かめる必要があります。このままシエラを放っておく事は許されない、そんな気がします」
「頼んだぞ。恐らく、何かが起き始めている。この老いぼれの身にもそれだけは分かる。各地で今までに見られなかった異変が起き始めておるからな。だが、その原因ともたらす結果が何なのか、今の時点では分からない。原因の一つが、そのシエラという少女ならば……。いや、やはり老人ではなく坊主達が会うべきだろう。恐らくお前達はそれが目的で彼女を追っているのだろうからな」
キサラは力強く頷いた。任せてくれといわんばかりに。
「世界のバランスを崩す宝石を既に二つも手中に収めているんです。これ以上の悪行は許せませんよ。シエラがどんなにいい女であろうともね」
この先に待っているのは険しい山岳に囲まれた廃墟のみ。そこで続く道は行き止まりであるという。この町からでも遠くに連なる山の中腹に、それらしき建物が一つ存在するのが見える。何が目的で向かったのかは分からないが、良くない黒い予感だけはキサラの頭の片隅で霧が掛かったように幕を被せている。
「まさかその少女、六宝珠を手にしておるのか。しかも二つとな。まずいぞ、早く引き離さねばオーブ同士が共鳴してガーディアンが復活するだろう」
「六宝珠? 宝珠――オーブは三つじゃなかったんですか。僕はそう聞いているんですが。だから、その対になるガーディアンも三体だと」
「何を言っておる。表の宝珠と対になる裏の宝珠が三つずつ。それで六宝珠だ」
キサラの額に嫌な脂汗が浮かぶ。
「けど、炎の怪物――ガーディアンですか? 炎のヤツはもう倒しています。この手で」
歯を食いしばりながら右手を振りかざす。確かにロードオブバーミリオンはキサラの手で止めを刺されたはずだ。
「倒したとしても復活するかもしれぬ。宝珠は何人たりとも解呪できぬ呪いによって、もう何百年もの間この世界を苦しめ続けているのだ」
「そんな、何とか防ぐ方法は無いんですか」
リゲルは鼻から息を吹き、頭を捻った。
「すまぬ、ワシには分からぬな。オーブの事を研究している専門家ではない。ただ、宝珠同士を引き離せば一時的にでも共鳴は抑えられるはずだと思うのだが」
「やっぱり、取り返す必要があるな……」
リゲルは一足先に宿へと向かっていった。
「すまぬ。今のワシでは力にはなれぬようだ。ただ、もしアルデバランの首都ミアキスに来る事があればワシを訪ねてきなさい。ミアキスにはオーブの専門家がゴロゴロしている。紹介してやれるだろう」
「ありがとうございます」
「少女の事、頼んだぞ」
老師の後姿を見送り、キサラはすぐさま山の中腹にある廃墟を見据えた。廃墟の先に道は無い。まだこの町に戻ってきていないとすれば、恐らくまだいるのだ。
(覚悟しとけよシエラ。お前の身に何が起きているのかこの目で確かめてやる)
「で、私のこの服装の事すっかり忘れてない?」
突然背後から声が降り掛かる。
「まさか私がこんな格好なのに、『今から廃墟に向かうぞ』なんて言わないわよね。もう夕方よ?」
眉をぴくつかせながら引き攣った笑顔を向けているセシル。破れかけの衣服を纏って既に一日。その姿には苦笑するしかなかった。さすがにセシルだけではなくキサラ、リィンも疲労が出ている。
「分かった、明日の朝一で行こう。お前の服も……何とかしないとな」
「そう。それでいいの。一年後の世界の平和も大事だけど、もっと大事なのは今の休息」
と、一行も宿に向かう事にしたが、リィンはなぜか茂みの影で気絶して倒れていた。一緒に隠れていたセシルは何も語ろうとはせず、ただ笑顔で足早に戻っていった。