第22話 二章 ―劣妖と人外と追跡者と― 9
結局、一晩中寝る事が出来ないままリィンは朝を迎えた。目の下には軽くクマが張っている。対照的に、二人はすがすがしい朝だと言わんばかりに背伸びをしていた。
「よし、今日中に荒野を抜けるぞ」
「うむ。そうだ……な……」
声が淀んでいる。
「キャラバンからはかなり離れてるな。これなら盗賊団に見つかる心配も無いだろ。早い所町に移動して、情報を集めないとな」
丘の上からは、遥か遠くにキャラバンのテント群が見える。豆粒のように小さいため、夕べ走った距離は思った以上であった事が分かった。
「こうしている間にもシエラはどんどん私達から離れていってるはずよ。パラストにいるのは間違いないと思うけど」
朝食代わりに、タナトス王国から持ってきた干し肉をかじる。良質なたんぱく質を含んだ家畜『うなぎ牛』の干し肉は、旅人の糧食として良く用いられている。皆はキサラから受け取りそれぞれ胃袋に収めてゆくが、リィンだけはそれをかじって平静を保つのがやっとの表情である。たまらなく疲労が濃い。
「か、硬いぞ。何だこの肉は」
上下の歯で挟み、力を入れて千切る。目を閉じながら食いしばっている様子は、食べ慣れていない事を表していた。
「干し肉くらいお前も食った事あるだろ」
バッグから次に取り出したのはスパイス。ブレンドされた塩コショウだった。それを思い思いに振り掛けて食べるのが最高の味だとされる。
「初めて食べるな」
「へぇ、やっぱイイトコ育ちじゃないか」
リィンは心なしかムッとし、口をつぐんだ。
「今の私はベルクラントの一騎士。育ちなど関係無いだろう。今後、その話には触れないでくれたまえ」
何か気に食わない様子であった。貴族であるなら育ちを誇りに思うものなのかもしれないが、どうやらリィンはそれについて確執があるようだ。触れてほしくない話題だという事は明白であった。
「……分かったよ」
軽い食事を終えた一行はキャラバンと反対方向に歩き出す。歩き始めは地平線辺りであった太陽が完全に頭上に来た時には、既に振り返ってもキャラバンは見えなくなっていた。代わりに人の通った後のある街道を見つけた。ラバの蹄の跡が一定間隔で砂地の上に残っている。他にも荷車を引いた双輪の跡があった。遥か一直線に続いている。砂嵐も多い地域であるため、跡が消えていないという事は通ってからまだほとんど時間が経っていないという事であろう。町が近くにある事を予感させる。
「もしかして、例の鉱山都市じゃないかしら」
パラスト丘陵地は元々人口が少なく、町もほとんど無い。これだけ広大な大地にもかかわらず、土地が痩せていて作物が実らない事から生活しづらく、居つく人は滅多に居ない。鉱山という産業はあるが、良質な鉄が取れるがわざわざ要らぬ武力で土地を奪ってまで独占する価値は見られない。武力を行使するよりも貿易で買い取った方が遥かに安上がりであるからだ。パラスト産の鉄は産出量が多い事からそこまで値が張るものではない。特別なエルシア鉄なら話は別だが。
「もしかしたら鉱山都市に、あの女が居るかもしれぬな」
町が少ない土地という事は、それだけ居つく事が出来る場所も少ない。いわば遮蔽物の少ない広場でかくれんぼをしているようなもので、一箇所隠れられる家があったら探すべき場所はそこしか無いのである。
「そうと決まったら、とっとと目指すぞ。早くまともな飯が食いたい」
「むしろそれが目的なキサラ君なのでした」
セシルの下らない茶化しを無視する。
「お前達の仲も微妙であるな……」
この二人の過去に何があったのか、出会ったばかりのリィンは知る術も無い。恐らく二人に話す気も無いだろう。太陽は早くも西に傾きかけている。同時に遥か遠く、山と建物の連なった集落が確認できた。今夜は野宿しないで済みそうである。
鉱山都市スコールは小さな集落であった。山の麓に広場を造り、それを囲むように簡素な住宅が並んでいる。働いている鉱山夫達が主に住んでいるようだ。施設という施設はあまり無く、一軒が宿屋を経営している以外は特に目立った店も無い。だが疲れ果てた旅人が体を癒すには十分すぎるほどのものだった。
「この町に、金髪の女が来たりしませんでしたか?」
宿屋の恰幅の良い女主人にキサラは聞いた。首を捻って少々唸り、少しの間を置いてから女主人は答えた。
「あぁ、来たねぇ」
三人の目が真剣味を帯びる。
「一昨日だったかねぇ。夕方に水を汲むため広場に行ったんだけどサ。そりゃまた綺麗な金髪の女の子が、夕暮れの中でベンチに座ってたのサ。何だか両手で頭を抱えながら下を向いて、ぶつぶつと独り言を漏らしてたから何だか危ない子かと思ってあまり気にしなかったけどねぇ。良く考えたらこの町にあんな綺麗な子は居ないし、旅人って雰囲気でもない感じだったねぇ。水を汲んで戻ってきてもまだその子は居たよ」
「やっぱり、ここに来ていたんだな」
キサラの目は鋭くなっていた。
「そしたら目の前でその子立ち上がって、夕暮れ時だっていうのに鉱山の方に歩いて行っちまったんだよ。呼び止めたんだけど、無視されちゃってねぇ。頭ふらふらとしながら。まるで正気じゃないみたいだったけど」
リィンの視線は窓の外に向いた。視線の先には例の広場が見える。そこにある赤いベンチ。その視線の更に先には険しい鉱山が。これから夜になろうというのに入っていくのは気が知れない。
「……一体何を考えているんだ、シエラ」
「どうする、キサラ。鉱山、行ってみる?」
「いや、もう行ったのは一昨日なんだろ。だったら今から行ってももう居ないさ。無事であれば、な。そこから先、どこに向かったか情報は無いのか……」
泳ぐような視線をしているキサラの耳に、女主人の言葉が入ってくる。
「確か、今この宿に泊まっているお客さんも金髪の子を見たって言ってたような」
「本当ですか。一応、話を聞いてみるか」
「あ、ちょっと気難しい人だから注意していきなさい。何だか、どっかの国のお偉いさんらしいんだけど。何でこんな小さな町に来ているのかねぇ」
三人は頷くと、宿屋を後にして町の中にいる『お客さん』を探しに出た。