第20話 二章 ―劣妖と人外と追跡者と― 7
だが、キサラの中で答えは既に出ているようなものだった。助けるにしても順序というものがある。人々を助けるためにはまずその原因を取り除かねばならない。
(けど、俺は誰かを助けるなんていう、自分の力量以上の事が出来るんだろうか。自分一人の命も守れるか分からないってのに)
キサラ自身が一番良く分かっている事であった。誰かを守るなんていう驕った事は、力量を付けてから言葉にするべきだと。
(他人を助けられる器なのかは自分自身では分からない。でも俺は、もう目の前で人が死ぬのは嫌だ。もう、あんなのは嫌なんだ……)
ロバートの幻影は心の中に宿っている。見守る目の前で鼓動を止めた。あの時の無力さは、後味が悪いなどというものではなかった。本当に自分の力が無能で、何のために剣を握っているのか分からなくなったほどだ。全てを投げ出して逃げてしまおうか、そんな考えもふと過ぎった。
だが逃げなかった。目の前の現実を受け入れる事は生きるのと同等に難しかったが、それでも進まなければならなかった。考える余裕も無く更なる不幸が迫って来ていたのだから。
「キサラ、お前がどう考えるかは分からぬ。私とお前は敵国の兵士同士。敵国の民の事を気にしている暇は無いのだろう? 現にお前達も自国を守るためにここにやって来ているのであろうしな」
「確かにそうだけどよ、敵だろうが味方だろうが同じ人間には変わりねえ。俺はそういう差別は嫌いでね。助かるならみんな一緒に助かりたいだろうが」
と、パイを乱暴にかじりながら篭った声を出す。
「ほら、口の中に物を入れながら喋らないの」
セシルも同じ事をしながら注意しているので、人の事を言えないはずなのだが。
「要するに、リィン? 一言でまとめると、キサラはみんな助けたいみたいよ」
「まとめすぎだ」
皆が皆ちぐはぐなので話がなかなか進まない。
「なるほどな。私も同じ考えではある。だが、こうして少人数だけで話していた所で解決する問題でもない」
「何だよ、お前も中途半端に正義感持ってんのか」
「なっ……」
右手を大きく振りかざし、声を荒げる。
「騎士として当たり前の事だ! 私達は人々を守るための尖兵。弱き者の盾、それがベルクラント公国の誇り高き騎士だ」
「でもお前、弱いじゃねえか」
痛い所を突かれたように、「うっ」と小さく声を上げる。
「そ、それは貴様がその女にヘイスト(速度増加)を掛けてもらってズルしたからだろう」
二人に指差す。キサラも面白くなってきたというように、眉をひそめた。
「へぇ、それじゃ補助無しだったら俺の負けだった、って事なんだな。たださっきは、無駄に体力使いたくないからズルしただけだったのにな。狂獣ロードオブバーミリオンに止めを刺した力量も、随分とナメられてるもんだなぁ……」
自身が強いだなどと驕るつもりは無い。ただ、王都を壊滅の危機に陥れた怪物を倒したのは紛れも無いキサラの功績である。あの出来事で、直前のオーブ紛失の失態こそ許されなかったものの、名誉挽回に一役買っているのだ。こっそりと給与やボーナス査定にもプラスされているようである。オーブを取り戻して王都に戻った暁には、昇進は確実であろう。それほどまでに、王都スレンスブルグではキサラの活躍が評価されている。また、それによる本人の自信も付いていた。
狂獣ロードオブバーミリオンに対峙した際、余りある力を放出した影響で前に使っていた鋼鉄の剣はヒビが入って砕け散った。新しく支給された鋼鉄の剣は、まだ寸分の曇りも無い。その鞘に、キサラの手が掛けられようとしていた。
「キサラ、ここはテントの中よ。迷惑が掛かるでしょ」
「ごもっとも」
珍しくまともな指摘をする。
「リィンもリィン。もう少し仲良く出来ないわけ? ま、私は貴方の事眼中に無いんだけど」
「冷たい女だな。まぁいい。何だか興も冷めてきてしまった。今日はもう休みたくなってきたぞ」
「ご勝手に」
どこまでもリィンに対して素っ気無い態度のセシル。単に気に入らないのか、興味が無いのか。キサラの言うとおり、本当に気ままな女である事は間違いない。
「ま、付いてくるなら勝手にしろよ。来ないなら来ないで別にいいけどよ」
三人の間には妙に険悪な空気が漂っていた。張り詰め、ピリピリとした。元々同じ国同士の出身とはいえ、キサラとセシルの仲も良好というわけではない。単に知り合いのレベルであるだけだ。
厳密に言えば詳細な事まで互いに知ってはいるのだが、現在はそういった会話は滅多にしない。既にそういう仲ではないのだから。
「あの……」
テントの向かいから、商家の息子が顔を出してきた。セシルが笑みを投げかける。
「なに?」
「セシルさん、ちょっといいですか? 見てもらいたいものがあるんです。外に来てくれますか」
正直な所、そんなに格好良くはない。ニキビだらけの顔はどこか卑屈で、女受けとは縁が無さそうではある。
「私? 何かしら。ちょっと行ってくるわ」
席を立つ。だがキサラは呼び止めた。
「……いや、行くなよ」
「でも、見てもらいたいものがあるって――」
「こんな夜遅くにか? いいからここでじっとしてろ。見てもらいたいものがあるなら明日でもいいだろ」
「でも……、やっぱ行ってくるわ」
テントを潜って勝手に出て行ってしまった。
「お、おい! ったく、勝手にしろ」
「良いのか。放っておいて」
言葉を投げかけるリィンだが、キサラは首を振るだけで言葉では答えようとしなかった。
それから十分、二十分と時間が過ぎたがセシルは戻ってこなかった。どこか苛々した様子で、キサラの左足は貧乏ゆすりを始める。素っ気無い冷たい女ではあるが、何故か放っておく事は出来ない。
「遅いな」
既にリィンはテーブルに頭を着けて軽く寝息を立てている。キサラは一人でセシルが戻るのを待っていた。あの頃が思い出される。まだ彼女が屈託の無い真っ直ぐな笑みで見つめてきていた頃。
(あれからもう、一年経ったんだよな)
「はぁっ……はぁっ」
突然、テントの入り口を突き破る勢いでセシルが飛び込んできた。激しく肩を上下させ、両手を膝に着いて呼吸は荒い。ランプの暗い光に照らされ、遠目でも分かるほどに衣服が乱れている。割と豊満な胸が垣間見える下着の中で揺れている。
「どうした! 何があった」
「キサラ……今すぐここから逃げないと! じゃないと私達捕まっちゃう」
「それより、お前のその姿は何だ。まるで乱暴でもされたようだ」
ブラウスは破られ、スカートも端が切れてスリットのようになっている。垣間見えた下着が痛々しい。
「あいつか。あのドラ息子がやりやがったんだな」
「そう。あの子実はとんでもない子だったわ。キャラバン隊の護衛の正体は盗賊団で、彼は盗賊団の仲間だったみたい。仲間と一緒に私の事乱暴しようとしてきて――何とか逃げてきた」
「何だそりゃ。最初から目ェ付けられてたってわけか。確かに、お前ほどの見かけだけ美人はそんなにいねぇからな。そういえば最初に声を掛けてきたのもあのドラ息子だった」
「一言余計よ。盗賊の一人に怪我させて帰ってきたから、早く逃げないと報復が来るわ」
疲れた表情でキサラは立ち上がった。
「ったく、余計な事に巻き込まれやがって。お前と来たらいつもこれだ」
月明かりの中、テントを後にせざるを得なくなってしまった。そうは見えないが不幸体質な女が同伴すると苦労する。
「ほら、リィン起きろ」
キサラは背中を蹴飛ばした。