第19話 二章 ―劣妖と人外と追跡者と― 6
陽も落ち、荒野の気温は指先までかじかむ冷え方になっていた。キャラバン隊の一つのテントの中にお邪魔し、良く煮込まれた豆のスープをご馳走になる。器を通して伝わってくる温もりを逃がさまいと、両手ですくうように器を抱いた。二人はリィンを少し離して対面で座り、食事を摂る以外にほとんど口を開く事は無かった。
今いる皮張りのテントは、ある一家のものだった。キャラバン隊に入って移動中の商家らしい。五十歳過ぎの人のいい夫婦に、まだやんちゃ盛りの十五歳ほどの男の子がいる。歳もほとんど変わらない事から、一緒に料理を手伝ったキサラ達はすぐに仲良くなる事が出来た。
商家のおばさんが、気まずい空気の三人の壁を取りはらった。
「あんた達、ありがとうねぇ。この歳になると火起こしが大変なのよ。うふふ」
商家の家族は既に食事が終わったようであり、こちらの様子を見に来たようだ。両手にはバスケットが抱えられている。
「いえ、俺達ほとんど準備をしないで来てしまったものですから。助かりましたよ。あの程度の手伝いならいつでもしますって。それにしても、まさか夜の荒野がこんなに冷えるなんて思いもしませんでした」
年齢相応の皺が刻まれた表情ではあったが、息子を見るような優しさのにじみ出る様はどこか安心させる。
「タナトス王国は年中温厚な気候だものね。こんなに寒いのなんて想定できなくても当然」
スープを啜りながら聞こえ辛い声でセシルが補足した。
「うふふ。食事を作るの手伝ってくれたお礼に、これどうぞ三人で食べて。この前安く仕入れる事が出来たから、作ってみたのよ。おいしいかしら」
と言ってバスケットから差し出された物は、ユグドラシルベリィのパイだった。黄色と橙の中間色のような色合いに、ラメのような銀色の粒が混じっている。香りは上品で、花の蜜のような独特さがある。
「って、このユグドラシルベリィって貴重なんじゃ――」
「大丈夫よ、まだ沢山有るんだから」
ユグドラシルベリィは世界の最果てにある、大樹ユグドラシルの付けた実である。香りと甘酸っぱさが強く、強力な滋養強壮の作用がある。現地では大量に取れるらしいが、ユグドラシルから離れているこの辺では貴重であり、流通量は少ない。手に入ったとしても高値で取引される事が多いようである。それを今日知り合ったばかりの旅人に分け与えるなど人が良いとしか思えない。それか、何か裏があるか。
「うむ、美味いではないか」
「ってお前よ、何で一番最初に食ってやがるんだ。あぁん?」
ずっと無言だったリィンが一番最初に手を付けていた。口いっぱいに頬張り、いいトコ育ちな割りに下品な食べ方が、一層彼の印象を悪くさせた。
「ほらほら、ケンカしないの。じゃあね」
おばさんは仕切りの向こうへと消えていった。商家の一家とはテントの中で仕切りを挟んで東と西に分かれている。ただ、同じテント内であるため仕切りを外せば簡単に行き来できるし、話し声もまる聞こえである。そこは贅沢を言える立場ではないが。
「なぁお前そろそろ話したらどうだ。腹ごしらえも終わった事だしよ。さっきみたいに『腹が減って力が出ない』なんて言い訳はもう出来ないぞ」
「い、言い訳ではない。本当の事だ」
鎧が重いのかリィンはテントの壁に身体を預けている。丹念に切り揃えられたダークブラウンの前髪が、彼の態度の悪さとは対照的にお坊ちゃんに見せている原因であろう。
「承知した。では話そうではないか」
口の周りにはベリィのソースが丸く、円状にこびり付いている。そのくせ整えられた眉は厳かに逆ハの字に固められている。真剣なのかふざけているのか天然か。そのどれなのか判断するにはまだ一緒に居る刻は短いが、恐らく天然臭い。
「あぁこのお茶美味しい」
全く聞く気の無いセシル。
「まずこの件に関しては、最初に起こった出来事から話さねばならない。全ての始まりは三ヶ月ほど前だった」
「そんな前の話かよ」
早速退屈だといわんばかりにテーブルに肘を突く。普段から用件は手短かに、が癖になっているキサラにはそういった過程を話されるのは苦痛だった。
「いいから聞け」
リィンは続ける。
「我がベルクラント公国は元々温暖な気候だ。それは敵国の民である貴様らも存じてはいるだろう」
「いちいち敵国の民だなんて言い方するなよ。感じ悪ぃなぁ。それと、貴様らって言い方もどうにかなんないのか」
口元をぴくりとさせ、唾を飲む。
「失敬。では素直に名前で呼ぶ事にする」
「そうしてくれよ」
「温暖な気候が続いていた我が国に異変が起き始めたのが三ヶ月前。ある日を境に徐々に雪の降り積もる天候の荒れた日が増えた。気温も一気に下がり、寒いといったものではなく極寒ともいえる気候になったのだ。そして今もそれは元に戻らぬのだ」
「お茶おかわりもらってもいいですか?」
空気を読まずにセシルは席を立ち、仕切りを開けて商家の居る方へと向かっていった。リィンは瞬時にかっと怒鳴る。
「女、私の話を聞け!」
「あぁ、セシルは放っておけ。気ままな奴だから」
なだめに応じ、何とか癇癪を収めるリィン。
「承知した。では話を続けよう。その荒れた天気が続くお陰で、今のベルクラント公国には作物が全く実らないのだ。元々他国からの輸入を最低限にして、自国での作物の生産に力を入れていたのが我が国だ。このままでは民は食糧が不足して飢えてしまうだろう。
天候の原因を一刻も早く突き止め、一日も早く元の国に戻さねばなるまい」
キサラの顔が意地悪く歪む。
「へぇ。そんじゃあ、ウチの国の生誕式典にお前らんトコの暗殺部隊が乗り込んできたのは、本気でまともな土地を奪うとかいう目的があったんだな」
「その話は私は分からない。一騎士でしかないのでな。ただ、そういう非礼な動きがあったのならそれは認めよう」
肩を竦め、何ともやり切れない感覚が頭を駆け抜ける。急に疲れの差した感覚がキサラを襲った。
「……ま、そんな事でお前を責めたって仕方ねえのは分かってるよ。実行させたのがお前じゃねえ事くらいは馬鹿でも分かるしな。話を戻してくれ」
さりげなくリィンの立場を馬鹿にした発言にも取れるが、肝心の言われた本人は気付かなかった。
「学者達が言うには、何らかの力が影響して天候の悪化に繋がっている可能性があるという。恐らく魔法的な超常現象に似た力だろうという事だ。急激に気温が下がり、雪が降り落ちるのは人工的な力ではない。寒気を呼び寄せている何かがあるはずなのだ」
「で、シエラを追っている理由は?」
「一ヶ月ほど前に皇宮へと忍び込み、宝物を盗み出した可能性があった。皇宮に勤めている何人もの兵士や侍女が、皇都ミュールスレストから急いで逃げ去る耳の長い金髪の女を目撃しているのだ。しかも身分証代わりのパスを船に乗る際に使った記録が残っていた」
「それ、完璧じゃないの」
と、いつの間にかセシルも話に入っている。しかもうんうんと妙に迫真がかった頷きを繰り返していた。
切り替わりの早さに唖然としているリィンだが、僅かの動揺も見せずに話を続けた。
「盗まれたのはある宝石だ。名をセルリアンオーブという。水のような空のような、青く澄んだ美しい宝石なのだ」
「おいおい……」
キサラは溜め息に似たものを漏らした。
「思いっきりこっちと同じじゃねえかよ。こっちは炎を司るカーネリアンオーブが盗まれてんだぜ。そのシエラって女に。カーネリアンオーブが封印していたのは炎の怪物狂獣ロードオブバーミリオン。つまり、お前の国にも『居やがる』って事なんだな。怪物さんが」
シエラの目的が少しはっきりした。恐らく彼女は手当たり次第に盗んでいるわけではない。怪物に関係した宝石をピンポイントに各地から盗んで回っている可能性があった。恐らくタナトス王国に来たのもそれが目的だったのかもしれない。
タナトス王国は今考えてみれば、炎を司るカーネリアンオーブのお陰で温暖な気候が保たれていた可能性もある。だとすれば先ほどのリィンの話から察するに、セント・ベルクラント公国の所有物であったセルリアンオーブが司るのは冷気、水に関係したものであろう。温暖化する炎の力と違って、極寒化する冷気の力は直接死に繋がる。事態はタナトス王国以上に緊迫したものかもしれない。
そして天候に影響が出たのは、オーブに綻びが生じている証拠な可能性があった。真実だとするならば、ベルクラント公国の怪物さんが復活してしまう日も近い。
国同士として考えるならば敵同士である。だが同じ人間だと考えれば見殺しにする事は出来ないのがキサラの性分であった。
(どうする。俺はどうするのが正しいんだ)
だが、キサラの中で答えは既に出ているようなものだった。