第15話 二章 ―劣妖と人外と追跡者と― 2
貨物船は穏やかな海の航海に乗り出した。甲板で二人、徐々に遠ざかってゆく岸を見つめながら名残惜しそうに買い溜めした菓子をつまむ。安っぽいスナック菓子はあまり腹の足しにはならない。一つの袋を二人で回し、減ってゆく。キサラは指で二つずつ、セシルは一つずつつまむ。
「で、キサラ」
海面を激しく揺さぶって進むスクリュー。そこから吐き出される奔流を見つめるセシル。
「宛はあるのよね? 捜索の」
「ねぇよ」
キサラは間髪入れず返した。波の音に混じってカモメの鳴き声、スナック菓子を租借する音だけがその場に流れた。
隣ではセシルが早速固まっている。
「無いってわけはないでしょう?」
「仕方無いだろ、ねぇんだから。大体、あのシエラって女がどこ行ったかも分かんないんだしよ」
シエラ・エタートルに旅券を返して見逃した日から、既に五日が経っている。案外近くの町にいる可能性もあるし、もしかしたら追いつけないほど距離を進んでしまっている可能性もある。都合良く考えれば、相手は別に逃亡しようとして進んでいるわけではないので、思わぬ拍子に出くわすかもしれない。
国としては見つけてもらわなくては困る。別方面に出発した捜索隊も無数にいるが、発見するのは誰しも平等に難しい。一つキサラが他の人より有利だと考えられるのは、キサラはシエラ・エタートルの顔を良く覚えている事だ。他の捜索隊にはシエラの顔も知らない人が多く入っている。そのため、キサラが精一杯の似顔絵を描いて配ったのである。
だが美術的センスに疎いキサラの似顔絵はかなり怪しく、一晩中かけて一生懸命描いた似顔絵には苦笑いが募った。似顔絵が当てにならないとすると、他に探す要素としては身体的な特徴しかない。
肩口で切り揃えられた金髪に空色の瞳。服装は変わっているかもしれないので当てにならないが、逃亡時の服装はパーカーシャツを羽織り、レギンスの上からホットパンツを履いた活動的な姿であった。
一番の特徴はその耳の形状。レッサーエルフィールであるシエラの耳は、エルフィール族の血を継いでいる証の尖った耳をしている。この辺りにはエルフィールは住んでいない。その耳さえ見つければすぐに分かるはずである。
「あなたねぇ……。ま、いいわ」
責められてもキサラにだってどうしようもなかった。半ば王都を追放のような形で捜索に出されたキサラとしても、歯がゆくて仕方ないのだから。
「この付近にある町は三箇所。あれから五日だし、もしかしたらまだ近くの町にいるかもしれない。今は近隣の町を捜索するしか出来る事はねぇよ」
船は既にタナトス王国の領海を出ている。国外に出るのは久々であった。ここから先は広大な平原が続く、どちらかというと平和な土地である。人は少なめだ。
パラスト丘陵地。一人の温和な領主が統治する、争いが少ない土地である。領地自体は小さく、正確に言えば国として定められていない。全般的に勾配が多く、作物の育ちにくい痩せた土地が多々見受けられる。そのため、占領しようとする国も無く今まで保ってきた、ある意味奇跡に近い土地である。
タナトス王国から出ている船で行ける他の土地は、どちらかというと戦争や内乱が絶えない、危険度が高い土地のためにシエラが向かった可能性も低いと踏んだ。そのためにまず最初はパラスト丘陵地へと爪先を向けたのである。
「ろくな町も無いから、居たらすぐ分かるだろうな」
「あら、キサラ意外と知らないのね。ろくな町も無いだなんて。パラスト丘陵地は作物が育たない代わりに、鉄の産地でもある。良質の鉄鉱石が取れる山脈があるから。あなたの持ってる剣だって、多分パラスト産の鉄のはず」
「鉄の産地か。そういえば聞いた事があった気がする。パラストの唯一の産業だからな」
「それを言っちゃお仕舞いなのだけど」
パラスト丘陵地の産業は文字通りそれだけである。もっと有名なものは確かにあるのだが、それは生産的なものではない。
「産業じゃないけど、有名な建物はあるよな」
「あるわね。行きたくはないけど」
噂では、遥か昔王政だった時代の城が存在するらしい。王家が亡び、王政が廃止されて打ち捨てられたという。今では完全な廃墟と成り果てており、モンスターによって荒らされてゴーストキャッスルと呼ばれているらしい。
「まさかそんな所には行かねえだろ。あの女」
肩をすくませ、目を流した。
「さぁどうでしょうね。部落種族レッサーエルフィールの思考は、私達には分からないから」
チョコレートを一粒口に放り込むセシル。手すりに腕を乗せ、顎を置いた。おきらくな姿勢で風を流し受ける。気を緩めていたらしく、キサラに浴びせられた言葉に不意を突かれる。
「部落種族? そんな呼び方すんじゃねえよ、馬鹿」
「え」
言葉の響きから、キサラの心は決して平穏でない事は誰しも分かる。岸に着くまで暇で、口が寂しいという理由で菓子をほおばり続けていたが、止めた。荷物を肩に担ぐと、踵を返す。
「俺、船室に行く。また後でな」
甲板に一人残されたセシルは、呆然とチョコレートを噛む事すらしばらく忘れていた。口の中の体温で少しずつ溶け出す事でようやくその行動を思い出せた。
「何、怒ってんのかしら」
セシルには理解できなかったようであった。