第11話 一章 ―白亜の栄光― 11
「お前」
激しく咳き込む少女が煙の中から姿を現した。顔は煤だらけ。セシルだった。自警団の詰め所で寝ていたはずの彼女は、傷を負った左足を庇いながら脱出してきたのだった。
だが目の前まで来て安心したのか、両膝を付いて激しく息をして倒れた。激しい雨に打たれ、体力も消耗しているようだった。キサラは自分の疲労も気にせず、セシルの身体を起き上がらせた。
「無茶しやがって」
セシルの身体は軽かった。肩を上げて立たせると、気力を振り絞って自分から立ち上がった。どうやら何か目的があってここに来たようだった。
「キサラ、あなたさっき言ってたでしょ。『敵わなかったら死ぬだけ。けど死ぬ前にやれる事がある』って」
「あぁ……」
セシルはずぶ濡れになって薄手の衣は下着まで透けていた。下は膝丈まであるか無いかの蒼いスカート。そんな姿を男達の前で晒しても、恥じらいの表情は一切見せない。それを隠そうともせず、狂獣に向かって立ち向かう。
「あたしもやるわ。力を貸すから。このまま死んでたまるもんですか」
周りの隊員達も、無茶だと言う。ごもっともな意見であった。何も武器も持っていない女の子がいきなり現れて、一体何が出来るのかと。
「お嬢ちゃん、気持ちは嬉しいが君が戦ってどうにかできる相手じゃない。下がるんだ」
一人の隊員が肩をつかむ。セシルは鋭い眼差しで睨んだ。美しい銀髪から覗く黒い瞳は、どこか力強さを孕んでいた。それ以上何も言わず、隊員は離れる。
「さっきあいつの腕千切った技、キサラのでしょ?」
「そうだ。だが、俺の力はもう限界に近いんだ。もう一発放てるかどうか……」
「そのためにあたしがいるの。剣を貸して」
キサラは血糊が固まった剣を鞘から抜いた。良く見ると、剣にはヒビが入っていた。今にも砕け折れそうである。恐らく、先ほどの攻撃のエネルギーに剣自体が耐えられなかったのだろう。
皆はそれを見てショックを隠せなかった。鋼鉄の剣にヒビが入るほどの衝撃は、普通では無いからだった。
「お前、どれだけ無下に扱ってやがるんだ」
隊員の一人が怒り口調でキサラに言った。だが本人はそんな風に扱った覚えは当然無く。
「いえ、昨日の侵入者騒ぎが起きるまで、この剣は新品同様に研ぎなおしておいたからピカピカだったんですが……」
つまりそれは、キサラの力が強すぎたという事。元々そんなに質の良い剣でも無かった事からそれは窺える。
「参ったわね。これじゃ、あたしが魔力強化した所で剣が持たない」
すると横から腕が伸びてきて、一本の剣が差し出された。
「使うがいい」
レム隊長の剣だった。隊長の剣は特別だ。王から授与された、世界でたった一本しかない剣であった。タナトス王国の宝剣であるそれは、元々魔の力を蓄積しやすい鉱石で出来ている。魔力付与などの魔の力を受ければ、その剣自体の威力は増す上に、使う人間も少ない労力で技を出す事が出来る。
「いいんですか? それは隊長の――」
「今は、奴を倒す事が先決なのだ。でなければ我々は滅亡だ。頼むぞ、キサラ」
レム隊長の瞳は真っ直ぐだった。他には何も無い澄んだ瞳。周りを見ても、隊長の剣を持つ事に異論は無い。
「キサラ、さっきのをもう一発だ!」
「そうだ。ガッツリかましてやれ」
キサラは頷く。右手で宝剣を受け取ると、セシルに向かって掲げた。
「始めるわ」
セシルは両手の平を伸ばして剣に力を込める。両手の先から淡い光が放たれ、彼女の身体から滲み出てゆく輝きが、剣に吸い込まれていった。それは希望の光。魔と呼ぶにはあまりに希望に満ちていた。
徐々に辺りも暗がりになってゆく。天気さえ良ければ、今頃は夕刻のはずだった。気温も冷えてゆく。手元すらも見えなくなってくる闇の中、暴風雨は収まらず横っ面を叩いてゆく。その中で輝いているのはロードオブバーミリオンの溶岩のような身体と激しい爆炎。そしてセシルから放たれている希望の光。
「お嬢ちゃん、何者だ?」
それを見ていた隊員の一人も、思わず聞いた。セシルは何も言わない。魔力を剣に注ぐ事だけに集中している。代わりにキサラが答えた。
「こいつは……教会のシスターですから」
何か含んだ言い方だった。セシルは一つ頷く。
「昔から補助系の魔法を勉強してたんですよ。こいつとは古い知り合いなんで」
本当かどうか、それを確かめる術は無かった。それよりも今は、猛る狂獣。隠れた彼らを見つけようと躍起になっている。
火の魔法が街を次々に破壊してゆく。エクスプロードよりは弱いが、それでも人間の街一つを飲み込むのは楽なものであった。
地面から立ち上る炎の竜巻。風に煽られて更に火柱は伸びてゆく。フレアトルネードの魔法。緩やかに、そして確実に建物を飲み込んでゆく。
恐らく街の半分ほどは既に被害が出ているに違いない。このままでは本当に壊滅の危機が訪れる。
「絶対許さねえぞ。俺達の街をこんなにしやがって」
炎の怪物、狂獣ロードオブバーミリオン。キサラの瞳は真っ直ぐに怪物を捉えていた。剣に魔力が蓄え続けられる。それはセシルの体力を奪ってゆく。怪我をしている弱った状態での魔力補給は、自分の血液を分ける行為に等しい。
「そろそろ……いいでしょ。さぁ、チャンスは一度きり」
剣を包み込む淡い光。暗闇の中で輝くそれは、セシルの手を離れても、自らの浮力で浮き続けた。魔を蓄えた宝剣。それは溢れんばかりの威力を伴った、一発限りのものに違いない。
「さぁ、そろそろ終わりだな……!」
キサラの両手に、剣が握られた。