第58話
炎のように揺らめく赤黒い魔力。
私の背中から展開されたそれは鳥類の翼のように大きく開きはためく。
「アルトくん!?」
異形と化した私を見てシルリィが驚愕の声をあげた。他の二人も私の急変に目を見開いている。
「師匠のことは任せてください」
構っている暇はない。それだけ言って私は飛んだ。
私の翼は魔力刃が特殊な構造で編まれてできている。イグセリカのエンジンのような放出系の推進力ではない。
私の翼は空間そのものを断裂し、そこに生まれた虚無を空間が埋める力を利用している。
虚無はとても不安定な存在だ。空間はそこに虚無が生まれたとき、その虚無を埋めるために周りの空間を寄せ集める。
それはさながら、布地に丸い穴を開け、無理やり拠って縫い繋げるようなもので、虚無の周囲の空間は引っ張られ凄まじい圧力を生む。
空間は重い。その重さが私を押し出す。
切断する範囲が広くなるほど速くなり、イグセリカのエンジンよりも小回りが利きやすい。
さすがに今の子どもの姿の私には自分の身長の五倍程度の大きさの翼しか作れなかったが、それでもイグセリカに劣らないスピードで空中を移動できる。
私は翼が空気を断裂するとき特有の金属の断裂音のような爆音を辺りに響かせながら、数秒でイグセリカのもとに辿り着いた。
目の前に降り立った私を見てイグセリカが目を剥く。
「アルト!?」
その直後だった。トール・ライフルが巨人の脳天に命中した。
音は全てがトール・ライフルの衝撃に塗り替えられた。
全身が震えるドラムに置き換わったかのような轟音。その音波だけで人ひとりなど簡単に吹き飛びそうな衝撃。
「――ぐっ、――――!」
衝撃に耐えるイグセリカの呻き声の気配が私に伝わってくる。
巨人の首元から股までを一直線に貫いたトール・ライフルは、その勢いを殺すことなく地面に突き刺さる。
盟王都の石煉瓦で舗装された地面はまくり上げられ、その下の土の塊が隆起する。
巨人は、トール・ライフルに中の月の石ごと貫かれていた。
巨人を象っていたウィチャードの人造精霊は、その形状を保てなくなりブレる。
くる。
私は移動のために背中に展開していた翼を、今度は前面に向け、巨大な魔力刃として機能させた。
巨人の形に押し込まれていた千人分の魔力が、一息に解放された。
音速で迫り来る超高温の爆風。それを真正面から受ければ、さすがの私でも少年アルトゥール・リープマンの形を保てなくなる。
だから私は、魔力刃で爆発を割った。
魔力刃の本義は、斬ることではなく空間に割り込むことにある。空間断裂により爆風はそこより先には進めない。
イグセリカと少女を背後にして、爆風が彼女たちに及ばないように亀裂を入れる。
爆風は割かれ私の横を通り抜ける。それでもなお皮膚が灼けるほどに熱く勢いも凄まじい。
爆風が過ぎ去ったころには、辺りは灼けた石の臭いで充満していた。
トール・ライフルで月の石を砕いたおかげか、かなり爆発の威力は分散されたようだ。それでも巨人のいた周囲一帯は焦土と化しているが、思ったより範囲は狭かった。
「アルト……、なんだよね?」
背後からイグセリカの声が聞こえて、私は展開していた魔力刃を収める。アルトゥール・リープマンとして偽装していた貧弱な魔力で作りだしたものではない、魔王としての私が振るう、本物の魔力刃だ。
これでもう、イグセリカにも誤魔化しようがないな。
「助けにきて、くれたのか?」
「まさか飛び出していくとは思いませんでしたよ」
トール・ライフルが生み出した周囲の惨状を見て、イグセリカは息を呑む。
「いや、ここまでのものとは……。すまない……。あたしはこの子を助けたくて」
自分の見積もりが甘かったことに負い目を感じているのか、イグセリカはぼそぼそと言う。
彼女の無思慮な行動を責めても今さら何も生まれない。私は小さく溜息をつき、一言だけ返して手を伸ばす。
「師匠らしかったですよ、とても」
イグセリカは数度パチパチと驚いたように瞬きを繰り返し、
「ありがとう、アルト」
私が差し出した手を強く握り返して立ち上がった。




