第47話
「……」
口ごもった私を、ウィチャードは言い負かした子どもを見るような目で見下ろしてくる。
「ウィチャード・ラグナー。お前は一体、何なのだ」
こうまでするウィチャードが何者なのか。
幾度も花嫁たちを私にけしかけてきたウィチャードが何を考えているのか。
ウィチャードは、ただの人間ではないのか?
ウィチャードはその答えを、ゆっくりと話し出した。
「私はかつて、心を失った子どもだった」
心を失った、子ども?
「生まれてから十を過ぎるまで、自発的に行動せず、感情も露わにしない奇妙な子ども。人形のような身体と虚ろに開く目から得た記憶以外、私に持っているものは何もなかった」
確かに目の前に立つひ弱そうな男は感情の起伏が少ないようには思う。
生物に稀に起こる遺伝情報のエラーか。本来、生来的に持ちうる脳の機能を持たずに生まれてきたのだろう。
だが目の前のウィチャードは言葉を発し、わずかだが笑みも浮かべている。
後天的に開眼したということなのか?
「親は食べ物すら自分から口にしない私に手をこまねき、私をどうにか他の子どもと同じようにできないか手を尽くした。だが、とうとう父親は私に愛想を尽かし家を去り、無力な母親だけが取り残された。無論、奇妙な子を持つ母に手を差し伸べる者はおらず、母は孤立した」
生物は概ね、自分たちの集団の中に生まれたイレギュラーを忌避する。
それは生物種の群れが限られたリソースをより優位な個体に分けるための本能的な働きだ。
だが人間は、ときにそれを残酷なまでに拡大してぶつける。
「そして私が十のとき、母はつまらぬことで死んだ。私がいたせいで村の中で孤立し、食糧も分けてもらえず、隣村まで乞食にいった先で野盗に襲われたと、後になって聞いた」
そんな話を、ウィチャードは無感情に続ける。
「最後まで、私は一度も笑顔どころか泣き顔ひとつ母親に見せることはなかった。家族も居らず空腹にすら苦しむ様子を見せない私は、そのまま野垂れ死ぬ寸前だった」
そんな状態で十歳まで生き延びたのなら、母親はウィチャードをそれでも愛していたのだろう。ウィチャード本人にはわからなかったに違いないが。
「ときを同じくして、瀕死の獣魔がいた。人よりも大きく猫のような四肢と尾を持つ獣だった。騎士か傭兵にでも追われていたのだろう。小さな農村の片隅にある私の襤褸家に、その獣魔は迷い込んできた。獣魔は私を見つけた。身動きすら取らない人間の子どもだ。獣魔にとってはかっこうの獲物に違いない」
人間である以上、誰であっても多かれ少なかれ魔力は有する。それがどんなに歪な形であっても。
そして魔力を有する生物は獣魔の捕食対象だ。
「だがその獣魔は私を喰わなかった。それどころか、私に寄り添った。もはや喰う体力もなかったのか、私に残るわずかな体温を求めたのかはわからない。村人は私を見捨てていたが故に、私の家を訪れることはなく、獣魔も見つかることはなかった」
獣魔は繁殖から最もかけ離れた存在だ。自分以外の生物に対する慈悲や庇護欲といった感情など持ち得ないはずだ。
「互いに命の灯火は消えかけていた。先に力尽きたのは獣魔だった。糞尿にまみれた私の隣で、獣魔は光の粒となり散った。獣魔の死体から漂う光の粒は、次第に私の耳や鼻や口に入り込んできた。私はその光景を虚ろな目で見続けていた。いつしか獣魔の死体は全て光の塵となり、私の身体に溶け込んでいた」
人間と、獣魔の融合……?
異なる生物同士の融合は私も過去にやったことがある。体内を走る魔力を無理やり繋ぎ合わせ、肉体の可動域を増やすことも、別の生物の機能を付け足すことも、通常その生物単体では不可能な魔力反応を起こすこともできる。その分、寿命はそう長くはない。
それが自然状態で起こったのは、まさに奇跡というほかない。その獣魔は死に際に寄生する宿主を求めていたのだ。弱っていたとはいえ、肉体だけは完全だったウィチャードに。
ウィチャードはそのときの瞬間を、こう表現した。
「灰色の絵画に一滴の虹色の絵の具が零れ落ち、瞬く間に色彩が広がっていくようだった」
一筋の光を掴もうとするように、ウィチャードは片手を空中に掲げた。
「私の中に獣魔が宿ることにより、私は知性と情動を獲得した。肉体だけがあり空っぽだった私は、他の人間と同じ世界を手に入れたのだ」
泥の中から這い上がり、光を掴んだ男のその言葉には、しかし喜びは一欠片も混ざっていなかった。
「私が生まれて初めて抱いた感情は、怒りだった。私をデザインした者に対する怒りだ」
そう騙るウィチャードの表情は、其の名を冠する感情を内に秘めているとは思えないほど淡く、水の底に沈む石のように物静かだった。
「私は目覚め、怒りに吠えた。なぜ他の人間には与えられているものが私には与えられず生まれてきてしまったのかと」
「……」
獣魔との融合によって、ウィチャードが本来持っていた機能が復活した、のではない。
ウィチャードは文字通り知恵や感覚、それによって生まれる反応を生み出す機能自体を喪失していた。
獣魔は自らの肉体を死に際に光の粒状に分解し、ウィチャードに宿った。その際にウィチャードに足りなかった脳機能を埋め合わせ補完したのだ。
『獣魔が寄生する際に、持っていた自分の機能をウィチャードに与えた』と言い換えることもできよう。
それがウィチャードの持っていた記憶や脳みそと溶け合い統合され、今私の目の前に立つ男、私の花嫁たちを叛乱させたウィチャード・ラグナーという奇妙な男ができあがったというわけだ。
「そして疑問を持った。今この新しい世界を目にしている自分の感覚は、本当に自分のものなのか。人間を構成する要素。命、知能、意識、意志。感情。魂。そして魔力。あらゆる自分が持っているものは、本当に自分のものなのか」
与えられたからこそ、ウィチャードは確信と疑問を得たのだ。
「私は仮説を得た。人が持つあらゆるものは可譲性がある。他でもない生ける人形でしかなかった私が、獣魔から知性と情動を与えられたことでそれを証明した」
自分が持っているものを疑う。
それは人の知能が高いからこそ持ちうる進化の原動力なのだろう。
しかし、私はまだ懐疑的だった。それがウィチャードの思うつぼだとわかっていながら。
『魔力のない物質世界であっても同じことが起こり得たのか?』
いかに物質世界のウィチャードが同じ発想を得たとしても、生体同士の融合は、魔力がなければ成し得ない。魔力がなければ獣魔も存在しない。
だが魔力を排した物質世界であっても、ウィチャード・ラグナーは花嫁たちに影響を与えていた。というよりも、そもそもウィチャードの存在に気づいたのはあの物質世界に端を発していた。
そこで不意に、私の記憶が蘇った。
『ちげーよ……。まあ、聞きな……。おもしろいもん、ってのは……月面でも……俊敏に動いたり、フルサイズ弾薬をほぼ反動なしに、撃てる、ように……可変疑似重力、発生装置を、備えた宇宙服やら……、百万人規模の世界統一軍を……たった一人で統括する……超絶、人工知能やら……』
イグセリカが散り際に、私に放った言葉。示唆はあったのだ。
人間は、魔力がなくとも欠落した部分を他の何かで補おうとするものらしい。
それが例え、捉えどころの無いつかみ所の無い意識や感情、知性、そして魂といったものであったとしても。
言葉を換えれば、魔力に頼り切りの魔王たる私には思いも至らない極地に、人間は辿り着いていたのだ。
「私は与えられた。ならば私もまた、与えることができるのではないか? そして、優れた要素を全て与えられた人間こそが、真に完全と言えるのではないか? その前提に立った研究結果が、これだ……」
ウィチャードは両手を掲げた。青白い魔力が宿る。
「私は、魔力の半生命化に成功した」
「これは……」
ウィチャードから浮かび上がったいくつもの魔力の塊が、小動物ような四肢を持つ形を象り自由意志を持ったように跳ね、走り、動き回っている。
私はこの現象を知っている。
極々稀に、偶然と偶然が折り重なって魔力自体が生命力を持つことがある。
自律行動をし、生物の意識が宿っているかのような行動をする。
そのほとんどは自然発生し、短ければ数秒、長くても数時間、誰も気づかぬまま消えていくが、何らかの好条件下で大きく育てば、ときに災害級の天象を起こすこともある。
こういった肉体を持たず魔力のみで生きる存在を、精霊、と私は呼んでいる。
それをウィチャードは自ら生み出したというのか。
「簡単に言えば、魔力で簡易的な脳神経を造り出し、独立した行動をすることを目的とする。今はまだ……虫にも劣る極単純な動きしかできないがな」
「大したものだ。私の知る限り自分の魔力で精霊を生み出した人間はいない」
「精霊……。そう、その言葉はしっくりくる。名前はまだつけていなかったが、人造精霊と呼ぶのがふさわしいだろう。この人造精霊に、人間の持つあらゆる要素を与えることが、私の研究だ」
パズルのピースが一度でぴったりと嵌まったときのように、ウィチャードは腑に落ちた表情で頷く。
「魔王、貴様はこの石を爆発させれば都市が滅ぶと言ったが、私の考える使い方は違う」
「言わずともわかる。月の石に溜めた魔力で人造精霊を作ろうというけか」
「ああ、そうだ……。これを使って、人間を超える人間を私は造り出してみたかった。私が与え、私が造り出した、欠落のない、真なる人間だ」
ウィチャードは月の石の台座を愛おしそうに撫でる。我が子を愛でるように。
「だからこそ、人間の魔力に拘った。魔力を集めるだけなら獣魔の方が効率はいい。だが知性との親和性を考えるなら、人間の持つ魔力の方が融通が利くのだ。英雄兵器という形を取ったのは、研究を続けるためにこの国の為政者を納得させ、金と素体を集めるのに都合がいいからだ」
人間は争いの中で技術を発展させる……。
「モデルは英雄バンガだ。戦を求め、あまねく敵を下し、そしてまた新たな敵対者を血眼になって探すだろう。そうなるように定めた。まさしくバンガの再来となるように」
月の石に込められた魔力量はもはや人間の常識を遙かに逸脱している。
それが兵器として運用されれば、現世人類で敵うものはどこにもいない。
私の花嫁たちであっても、だ。
「いずれはこれ一つで獣魔の頂点、竜獣をも超える、人類にとって最高の英雄、最強の魔力兵器となる。さすれば究極、人間は神を、私をデザインした者をも屠る槍となる。私の英雄とは、そういうものだ」
それが最大の理想であり終着点。
そしてウィチャード・ラグナーが魔王たる私に矛を向け続けた理由だったのだ。
力説していたウィチャードは、そこで全身の力を抜くようにふっと肩を落とした。すると同時に、繰る人造精霊は一斉に消え去った。
「完成まではまだ長い時間がかかる。私は生涯をこの研究に捧げるつもりだった、が……私の研究もどうやらここまでのようだな」
「その通りだ。私の花嫁たちにお前の影響は与えさせない」
ここで私がウィチャード・ラグナーを殺すことは覆らない。
だがさきほどの騎士のように一瞬にして消す飛ばすようなことはしない。
これは私なりの敬意の表象である。
「花嫁……?」
「ウィチャード。お前にだけは教えてやろう」
これまで数え切れないほど翻弄されてきた過去を。
私が人類を滅ぼし造り直してきたサイクル。その説明にウィチャードは表情を変えず淡々と聞き込んでいた。
「私の想像を絶する信じがたい話だ。しかし貴様の花嫁は、なぜ完成しない?」
学者の性、とでもいうのだろうか。ウィチャードは私の話を無下に切り捨てるでもなく質問を返してきた。どこまでも疑問の絶えない男だ。
「私の花嫁たちは、幾度も私に刃向い攻撃を仕掛けてきた。その度に私は花嫁たちを殺し、やり直した。その結果は私にとって失敗を意味するからだ。そして不可解なことに、花嫁たちは死に際に必ずお前の名を私に告げるのだ」
「私の名を……?」
「私は花嫁たちの叛乱の原因がお前にあるものだと思った。故に、私は自分の姿を偽り、彼女たちと共に過ごすことにした。花嫁たちがお前とまみえる前に、私が先にお前を見つけ出し接触を妨害するために」
「なんとも壮大で……なんとも矮小な計画だ……。とても、天上の存在のやることとは思えないな……」
「私は超越者であるが、人類の活動全てに手を貸しているわけではない。私は全能の神ではない。せいぜいが万能存在というところだ。しかるに、私はただ花嫁たちの成長を待つことしかできない」
「泥人形を作っては出来が悪いと押し潰し、また懲りもせず泥を集める子どものようだ」
「なんとでも言うがいい。だがそれが人類に課せられた永劫回帰の正体だ。人類の社会とその構成員それ全ては私の理想の花嫁を作り上げるためのシステムに過ぎない。同じサイクルを繰り返すがゆえに、同じ魂を共有しているとでも言える人間も他に多数生まれる」
「――つまり魔王、貴様が」
「ああ。ウィチャード・ラグナー。お前を生み出したと言えなくはない。ただそれは、人類の繁殖による遺伝子の拡散と収束の結果だ。お前のようなエラーが生まれたのは私の意図したところではなく、単なる偶然の副産物に過ぎない」
「通りで、私のことを知っているわけだ……。神だと思っていたものがそんなことのために人間を造り出したのだと知れば、宗教家どもは発狂するだろうな……」
「私に憎悪を抱くか? ウィチャード・ラグナー」
私は挑発的な笑みで顔を歪めウィチャードを見返した。
しかし、ウィチャードは首を振った。
「いいや、抱かない」
肩透かしを食らって、私は聞き返した。
「……なぜ」
「いずれわかる」
語る気がないならいいだろう。無理に感情を煽るつもりも必要性もない。ウィチャードの憎悪の有無など、私にとっては磨き落とせるガラスの汚れ程度に過ぎない。
「しかし称えよう。ウィチャード・ラグナー。お前は唯一、私の世界の枠組から抜けだそうとした存在だった。そして」
私は人差し指をウィチャードに突きつける。
「お前が消えれば、私の花嫁たちは、完成される。私の使命は、全うされる」
ウィチャードは一呼吸つき、ゆっくりと天井を見上げる。
「……不思議なものだな。恐怖よりも貴様に認識されたことの喜びの方が勝る……。貴様の言う永劫回帰、それが本当だとするなら、次の私はもっと上手くやることだろう」
「いいや。二度と魂の回帰は起こらない。花嫁たちの叛乱の原因であるお前をここで殺しておけば、結末は変わる。繰り返されてきた無限回廊は此度で終焉を迎えるのだ」
告げると、ウィチャードがくつくつと、噛み殺すように笑う。
「ならば――私も最後の抵抗をしよう」
ウィチャードは再び全身に青白い魔力を纏い始める。
「未完成ではあるが、名付けるなら……そう、知性の欠けた精霊、頭部のない人間――デュラハン。今ここに、私の命を以て全てを解き放つ」
「そんなことをわざわざ目の前でさせると思うか」
私は右手の人差し指と中指を真っ直ぐ伸ばし、ウィチャードの胸目がけて魔弾を撃った。
避ける動作もしないままウィチャードはそれをまともに喰らい、壁際まで吹き飛ぶ。
皮膚もあばら骨も剥がれ、心臓が剥き出しのまま、ウィチャードは呻く。
纏っていた魔力のおかげで即死は免れたか。だが長くは保たないだろう。
「お別れだ。ウィチャード・ラグナー」
ウィチャードは震える手で私の背後を指さした。
「もう遅い……」
振り返れば、動物を象ったウィチャードの魔力塊が、月の石と融合しているところだった。
あれは、ウィチャードの人造精霊。一つだけ残していたのか。
自ら魔力を纏ったのは、あれから注意を逸らすための囮か。
「せいぜい、貴様ご自慢の花嫁とやらと乗り越えてみせるがいい。魔王」
剥き出しのウィチャードの心臓は、その言葉を最後に鼓動を止めた。