第46話
月の石。
ひと目でわかった。
だが、それがここにあるのが解せない。
魔力を排した物質世界でイグセリカたちを葬ったとき、月を穿った人類の兵器のせいか。
いやしかし、あのときは散った全ての砕片は圧縮し塵も残っていない。
だとすれば、あのときの人類が事前に月の破片を持ち帰っていたのだと考える方が自然だろう。
月面に化学技術を持ち込み私のいる居城まで攻めこんできたのだ。研究用として月の地層の一部を母星に持ち帰っていたとしてもおかしくはない。
それが数千万年、幾度もの人類の勃興と文明の盛衰を経て今の時代に出土し、目の前にいるウィチャード・ラグナーの手に渡ったのだ。
私は星の活動までは制御していない。さほど意味がないからだ。
自然に地殻変動を繰り返すうち大陸の形は変わり、旧人類の住んでいた地層の大半は地下に埋まる。その上にできる新たな人間の社会もまた地政学的に変化し別のものになるが、結局あの四人を生み出すことには変わりないからだ。
この人類世代において出土したのは、全くの偶然と言う他ない。
「一体、それをどこで手に入れた」
「流浪の行商人だ。不可思議な性質を持つ鉱石があると見せられ、私が買い取った。よく調べてみれば斯様な特質を持っていた。やつには価値がわからなかったのだろう。二束三文で私は盟王国の運命をも左右するこの石を手に入れたのだ」
月の石には魔力を貯め込む性質がある。
月自体の大きさは母星のクォーター程度しかないが、それでも母星全体を覆う膨大な魔力層を容易く収容できる容量があった。
ウィチャードが見せた月の石はせいぜい人の頭程度の大きさしかないが、満たせればその魔力質量はあのイグセリカも塵も同然なほどになるだろう。
シルリィの目にただの真っ暗な空間として映りその正体が判然としなかったものの正体は、月の石に込められ凝縮された莫大な魔力だったのだ。
「そんなものを使って何をするつもりだ?」
「知りたければついてくるがいい」
ウィチャードに害意はない。
無防備な背を曝し、一人で奥に進んでいく。
ここに及んで今さら罠ということもないだろう。ウィチャードはそんなものが私に効くと打算を働かせるような阿呆でもない。
私は彼の後に続いた。
奥に進むほどに、筒状の水槽が姿を現し、数も多くなっていく。
人間が、その中で裸のまま保管されている。ここにいるだけで、ざっと五十人ほどか。
大人、子ども。男。女。赤髪、黒髪、金髪。
「攫ってきた人間か」
「そうだ」
何の感慨もなく、ウィチャードは肯定した。
これだけの人数、城内に堂々と正面から運び込めるものではない。
私たちが城に潜入する際に通ってきたあの裏口。
あれは王族の逃げ道などではなく、搬入口だったわけだ。
「魔力を多く持つ人間を選び連れてくるのは骨が折れる作業だったが、ベリオがよく働いてくれた。あれは野心に優れていて狡猾だ。人さらいには適任だった」
ウィチャードは己が人間でありながら、他の人間を資材か何かのように語る。
人を人とも思わぬ発言だ、と私が言うのも筋違いではあろうが。
「しかしただの人間では駄目だ。より多くの魔力を持っている人間でなければ効率が悪い」
歩きながら覗き込むと、水槽の人間にはタグがつけられていた。名前、年齢、性別、出身地。
「データは細かくとってある。どんな人間ならより魔力を保有できるのか。その特徴を抽出して効率よく素材を集めるためにな」
ウィチャードが一際大きな水槽の前で足を止める。
その水槽は月の石の台座とコードが繋がれており、中には成人の男が裸で浮いていた。
金属のプレートに名が刻んである。その男は、ケイン・マクガネルと言うらしい。
「これは一年前、最初に被検体となり魔力抽出の核となった男だ。魔力を絞りとった人間のほとんどは廃棄するが、この男は核となったためここに保存している。ベリオの元部下だったらしいが」
「イグセリカたちを呼び寄せたのもこのためか」
「ああ……。その名前は最近聞いたな。ベリオがえらく執心していた。常人ならざる魔力を有していると」
そこまで言って、ウィチャードは何かに気づいたように振り返った。
「そうか。そいつらが魔王の求める人材というわけか。惜しいことをした。魔王が認めるほどの人間なら、あの石にどれほどの魔力を注ぎ込めただろうか」
たとえあの四人の魔力を全て月の石に注ぎ込んだとしても、おそらくまだ余裕がある。
イグセリカが十六歳のときに起こし辺り一帯を荒野にした魔力暴発でさえ、あの月の石のかけらがあるだけで抑え込めただろうほどに容量は大きい。
「あの石は未だ限界を迎えていない。あんな小さな鉱石の中に、すでに千人以上の魔力が内臓されているにも関わらずだ」
「見れば判る。それだけあれば爆発的に解放するだけで街の二つ三つは壊滅し焦土と化す」
がしかし、それがウィチャード・ラグナーの英雄だと?
「だがそんなものを英雄と呼ぶのは些か風情がないな」
「英雄が武力の象徴であるなら、差し引いて、強烈無比な破壊力を持つ兵器はそれだけで英雄と言えるとは思わないか、魔王よ」
確かに銀狼英雄バンガの蛮勇を再現するならば、そこに人間的意志が宿る必要はない。
敵を殲滅せしうる火力を有しているという事実のみがあればいい。
そして生物ではないなら、バンガのように死の空白に憂慮することもない。盟王国の行動原理を考慮すれば、無駄を削ぎ落とした英雄像はまさにウィチャードの語るようなものになるだろう。
だが私は即答した。
「言わない。それは私の求める人類の頂点とは全く異なるものだ」
私は単純な火力のみを欲してイグセリカたちを待っているわけではない。
私はウィチャードの語るものを英雄とは認めない。
そしてウィチャードは、私の答えに首肯してきたのだ。
「なるほど。私も同意見だ」
「……なんだと?」
ウィチャードの話の文脈が理解できず、私は眉を捻る。
「おまえは、この兵器を使って世界を支配しようとしているのではないのか?」
英雄を造り出そうとしているウィチャード・ラグナー。
目の前に枯れ木のように頼りなく立つ男はしかし、世界征服を目論み覇者となりたがるような野心の大きさを持っているようには見えない。
「私は単なる学者だ。そんな大層な願いは持っていない」
ぽつりと、ウィチャードは続けて口にした。
「私は幼少期から常々疑問だった。私が持っているものは、本当に私自身のものかどうか」
「自分のものかどうか……?」
「自分の肉体、財産、人生で得るもの全ては、本当に自分の所有物であるのかどうか」
「くだらぬ疑問だな」
「魔王よ。貴様は自分が持つその偉大な力が自分のものであると疑いがないようだな」
「当然だ。脆弱で互いに支え合わないと生きてすらいけない人間とは違い、私は私としてしか存在していない」
ウィチャードは私が腐したのを無視して続けた。
「魔力も同様だ。なぜこの世界に、魔力というものがあり、人はそれを操れるのか。大気、大地、植物、獣魔、なぜそれぞれ形態を異にしていながら、等しく魔力を有しているのか。疑問だったのだよ。この魔力というものは、本来決して自分のものではないのではないかと」
つらつらと連ねるウィチャードの疑問に、私は容易に答える。
「疑問の答えは容易だ。この私こそが魔力の根源だからだ。お前たち人間は私の力を借りているに過ぎない」
「魔力の根源……、魔王……か」
「魔力とは私を構成する一部分でしかない。人間は、私が造り出した広大な海で漁猟をしているちっぽけな漁師ということだ」
「お目こぼしをしてくれている、というわけか」
「自然、魔力を研究するということは私を知るということでもある。つまり魔力研究者であるお前が私の存在にさほど驚かなかったのは、魔力の奥底に私の存在を垣間見ていたからか」
海がある限り、その底に何が潜んでいるかを知りたがるのが人間だ。
ウィチャードは私の見解に不可解そうに首を捻った。
「貴様は何か……まだ勘違いをしているようだ」
「なに?」
「私は、生物学者だ」
生物学者?
それは私が想像していたウィチャード・ラグナーの姿とは全くかけ離れたものだった。
「貴様の言う通り、人間は脆弱だ。弱いからこそ疑問を持つ」
「簡単に認めるのだな」
私は自分の弱さを隠さないウィチャードのあまりに矮小さに苦笑を漏らした。私を謀ったとはいえ、所詮はただの人間か。
そしてウィチャードはそんな私の内心を読んでいるかのように続けた。
「逆説的に、疑問を持つ限り皆脆弱なのだ。魔王。貴様は一度も疑問を持ったことはないのか? 貴様がここにいるのは、疑問を持ったからなのではないのか?」
花嫁たちはなぜ私に叛乱する?
ウィチャード・ラグナーとは何者だ?
「もし疑問を持ったのなら、それが貴様の弱点だ。魔王」