第45話
「ウィチャード・ラグナー」
「それは私の名だ……お前は何者だ」
「アルトゥール・リープマン」
「初めて聞く名だ。しかしお前は、今……自分の名を口にしたのか?」
「どういう意味だ?」
「お前がその名を口にしたとき……どこか他人の名を騙っているような印象を受け取った。いや……中身のない空虚な名と言った方が正確か」
「私の名に中身がないだと?」「いや――その通りだ」「私は、魔王だ」
「魔王? 魔王だと?」
ウィチャードはその単語を繰り返し、そして。
「魔王か」
私が魔王であることを伝えても、ウィチャード・ラグナーは動じなかった。
私が少年の姿をしているから馬鹿にしたのでもなければ、言葉に陳腐さを感じたからでもない。ウィチャードは、ただひたすらに淡々とその事実を受け入れ、呑み込んだのだ。
頭のどこかで気づき感じ取っていながら見つからなかった存在が、とうとう目の前に現れたような、そんな受け止め方をしていた。
「驚かないのだな」
ウィチャードは、物静かで淡々とした声質の、頬のこけた長髪の背の高い男だった。年齢は四十以上ではあるだろうが、見ようによってはもっと老人にも青年にも見える。奇妙な印象を受ける男だった。
どれだけこの地下に棲んでいるのかは知らないが、肌の青白さから陽の下に出てこない生活を長年続けていることは見て取れる。
ウィチャードは私に向き合い、緊張感など感じないまるで抑揚のない声で言った。
「盟王国には古くから『魔王』を題材にした物語があるのを、知っているか?」
「いいや。知らない」
「その物語によれば、魔王は木の妖精であり王冠を被り尻尾を持ち、子どもを熱病に冒し殺すのだという。その魔王が子どもの姿をとっているとはな。皮肉めいた姿ではないか」
私はウィチャードと世間話をしにきたわけではない。その話を切って捨てる。
「どうでもいい話だ」「ウィチャード・ラグナー」「私は知るためにここに来た」「お前はここで何をしている」
ウィチャードの答えは簡潔だった。
「世界に必要なものを造っている」
「世界に必要なもの?」「一体何のことだ」
「この世界に対する不足を満たそうということだ。魔王。貴様はこの世界に、今何が必要だと思う?」
ウィチャードの問いに私が答えてやる義務などないが、奴の問いかけには思考を深くさせるような不思議な響きがあった。
「世界に必要なものか」「それは……」
この世界を作ったのは私だと言っても過言ではない。
つまり世界に必要なものは、私にとって必要なものだ。
それは、あの四人の花嫁以外にはない。
「人類の頂点に立つに値するもの、とだけ言っておこう」「……何をそんなに驚いている?」
答えた私を、ウィチャードは目を見開いて見つめていた。
「不可思議なこともあるものだ。まさか……魔王と名乗る者と意見が一致するなどと」
「同じ、だと?」
「この世界に必要なのは、人類の頂きに君臨するもの。つまり、英雄だ。この世界には英雄が足りていない」
「英雄を、造っている?」
私の方が言葉に詰まっていた。
「そうだ。英雄の不在。それこそが世界の不足」
ウィチャードは続けて私に聞いた。
「魔王よ。盟王都に眠る英雄、バンガ・ロクシミリアンの名なら聞いたことがあるだろう」
銀狼英雄バンガ・ロクシミリアン。
イグセリカが憧れ、今の盟王都の成立に大きく貢献した尊き英雄。
「……ああ」
「バンガは旧国メレアスとペリザンドを統合し、一つの国としてまとめあげた稀代の英雄だ。その強さは他の追随を許さず、一人で万の兵を葬ったとされるまさに一騎当千、最強の武人だった。この国で生まれたものは十になる前に歴史の中でその名を学び、彼の偉業を百年経った今も絶えず記憶に刻み続けている」
隣り合う大国同士、雌雄を決する大戦が巻き起こり、勝敗は銀狼英雄バンガを擁するメレアス側の圧倒的勝利で終わった。
私もイグセリカの村にある書物で彼の話は読んだことがある。
幼いころから血気盛んな男で喧嘩では一度も負けたことがなく、一方で負けた相手には寛恕を与える懐の深い人間であったとも。
「だが実際は、戦争そのものがバンガ当人によって引き起こされたものだったことは、もはや極一部の人間しか覚えていない」
「なに……?」
「彼の者は、自らの武力を誇れる場所を常に欲していた。自分の足の届くところで戦があれば、何を置いても赴き参戦したという。敵だろうが味方だろうが関係ない。自分と何の縁もない戦であっても乱入し、周囲の兵士たちを区別なく殺戮した」
ウィチャードの話は私にも初耳だった。
そもそも私はイグセリカの村に来るまでこの盟王国のことはまるで知らなかった。
イグセリカの魔力暴発が起きて居場所がわかるまで、私は山の中で眠り続けていたのだ。歴史は伝えられているものを本や学者から聞きかじっただけにすぎない。
「だがいつも望むときに戦争があるわけもない。一時の平穏に膿んでいたバンガは、待つよりも裏から手を回した方が容易に戦争を起こせることに気づいた。要人の暗殺、誘拐、強姦、強盗。あらゆる手を使って戦争の火種を燃え上がらせた」
「つまり、この国も」
ウィチャードは頷いた。
「当時、メレアスとペリザンドは、不仲ではあったが互いに戦争の不利益を理解していたため直接の対立は避けていた。そこに目をつけたのがバンガだ。彼は養父の家系がメレアス側にあったため、それまでの功績を利用し王族に近付いた。そして第三王女を和平のためと嘯きペリザンドに派遣させた。そして自らも隠れてペリザンドに潜入し、ペリザンド兵を装い王女の寝室を襲い、犯して殺したのだ」
「当然、メレアス側は怒り狂っただろうな」
「そうだ。そうしてついに勃発した戦に嬉々として馳せ参じたバンガの活躍によって、メレアスは圧倒的な勝利を収めた。それが盟王国が誇る英雄の真の姿だ」
「馬鹿馬鹿しい。そんな男が世界に求められる人類の頂点なものか」
それは単なる野蛮な戦狂いだ。
「しかし事実として、斯様な英雄が生まれれば国は成長し、戦を経て大国となり、偉人と称えられる。敗戦国は英雄に慄き諾々と取り込まれることを受け入れた。盟王国はバンガの意志を継ぎそれを盟王国発展の礎に据えた。それは今の時代の盟王国にとっても甘美であり、そして同時に毒でもあった」
「毒?」
「忘れられないのだ。英雄が残した愉悦と優越をもたらす圧倒的勝利の味が。新たに次の勝利を摂取しなければ、疼いてしまうほどに」
あえて自分から斬り込み敵愾心を植え付け、戦争に打ち勝ち相手を吸収し、さらなる成長を遂げよう。
その姿勢がこの盟王国の国家戦略であり、運用には象徴たる英雄が不可欠、というわけだ。
ウィチャードが何をしようとしているのかが私にもわかってきた。
しかし、英雄を造る、だと?
「盟王国はバンガの再来を望んだ、が、この百年、無念なことにバンガを超えるどころか並ぶ強さを持つ逸材は一人として生まれなかった」
「だから人為的に生みだそうというわけか。ウィチャード。お前が」
目的こそ異なるものの、ウィチャードもまた私と同じように人類を超越するものを望んでいる。
もし私がここに来ていなければ、ウィチャードは自分の英雄を生み出し、そしてまた盟王国に戦争を起こさせたのだろう。盟王国はウィチャードの英雄によって肥大し、そしていずれあるいは、世界全体を巻き込む大きな戦争をも。
……――。
ここで一つ、私は認めがたい事実を明言化せねばならない。
私が幾度もやり直してきた世界。
私はイグセリカたちが育つまであるがままに任せていた。花嫁たちが私に刃向かうという結末を同じゅうする以上、その過程もまた似通ったプロセスを辿っているはずである。
イグセリカたちは、ウィチャードの英雄ともいずこかのタイミングで邂逅したに違いない。
そして……、考えたくはないが、イグセリカたちは取り込まれたのだ。ウィチャードに。
私の花嫁たちがウィチャードの英雄に負けていたという事実を受け入れるためには、私は一時的に自らの心を押し殺し、ただ言葉が在るように在る意味だけを呑み込む必要があった。
遺憾なことだが、そう解釈しなければイグセリカたちがウィチャードに寝返り、私に刃向かった理由になりえない。
この場ですぐさまウィチャードを殺すのは容易だ。
だがウィチャードの意味する英雄がどんなものなのか。私がウィチャードに完全な勝利を告げるためには、私はそれを知らなければならない。
「ウィチャード・ラグナー」「私に見せてみろ。お前の英雄を」
人類が、ウィチャードが、生み出した人為的な英雄。
いかにして人工的に英雄を造り出すかは知らないが、全てを知った上で私はウィチャードの存在を全て否定する。
拒めばいくらでも拷問して聞き出すつもりだったが、ウィチャードはあっさりと頷いた。
「いいだろう。魔王と名乗る者が望むのなら」
そして、背後にある台座を指し示した。
「これが何かわかるか。魔王」
台座の中心に鎮座するのは、灰色の石だった。
そこに幾本ものチューブが繋がれている。
「この石は魔力を圧縮し貯蔵する性質を持っている」
ウィチャード・ラグナーが示した灰色の鉱石。
私はそれに見覚えがあった。
忘れるわけがない。他の誰でもないこの私がかつてそれを最も利用していたのだから。
あれは、月の石だ。
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