第42話
城壁の前でシルリィに魔力刃を見せたのは単なるポーズではあった。
私が魔力刃を消すと、あからさまな安堵の息を吐くシルリィ。
「ほんとにお城に穴を開けるんじゃないかってびっくりしたよ」
「さすがに領主の館ほど壁も薄くはないですからね。魔力刃でも限界があります」
本音を言えば邪魔な建造物も人間も全て消し去ってさっさとウィチャードを見つけたいところだったが。
「一度門番に尋ねて見ましょう。女子ども相手なら、城内を少し見学したいと頼めば中に入れるかもしれません」
「そんなことできるかなあ?」
「まあ見ててください」
私はひとり正門の脇に立つ中年の騎士に近付いた。
「あの! かっこいい騎士のおじさん!」
「おう、どうしたんだ。坊主?」
「ぼく、お城の中を見てみたいんです。すこしだけでいいから、中に入っちゃだめですか?」
「そうかあ。立派な城だろう? だがごめんなあ。ここには今は誰も入れないんだ」
「嘘だー。さっき中に入った人を見たよ。なんでぼくはだめなんですか?」
「さっき? いや、ここは開門時間が決まっていて、その時間外は近衛騎士でもなければ中には入れない決まりなんだ。今日は来た記録もないし、ここ二時間くらいは一度も門は開けていない。見間違いじゃないか?」
門が開かれていない? じゃあさっきの騎士はどうやって。
「見間違いじゃないもん! 絶対誰か入っていったよ! ぼくを入れさせたくないからって嘘ついてるんでしょ!」
「お、おいおい。騒がないでくれよ。そうだ。お城の一部は三日後に一般公開される予定だから、そのときに見に来たらいい。空みたいに高い屋根に絢爛豪華な家具。きっと驚くぞお」
得意気な中年騎士に曖昧に頷いておき、私は話を一段落させてシルリィのところに戻った。
なぜか彼女はおねだりするように胸の前で両手を組み、顔を薄らと赤らめていた。
「ね、ねねね。あのね……。その声で一回だけ、一回だけでいいから、『お姉ちゃん』って呼んで、ほ、ほしいなあ?」
またシルリィがよくわからない方向に走り出した。軌道修正。
「ぼくたちが追っていた騎士は、どうやら正門から入ったようではないみたいですね」
「でもお城の中にいるのは確かだよ。構造はよくわからないけど、歩いているのがわかるもん」
さっきの騎士は一体どこから城内に入ったのか。
私たちが追いつくまでに、正門が開かれた形跡はない。城壁は周囲を取り囲み、乗り越えるにはあまりにも高くそんなことをすれば目立ち過ぎる。
「どうする? 他の方法を考える?」
「いえ、潜入はします。ルートを変えましょう」
「でも、正門以外入れる場所なんてなさそうだよ? そもそもこのお城って昔敵国から王族を護るためにかなり堅牢に造られてるっていうし」
「地中に隠れる土竜も、入り口とは別に逃げるための出口を造っておくものですよ。堅牢な城砦ほど、緊急時に要人が隠れて逃げ出すための通用口があるものです」
正門は馬車が通れるほどに大きいが、今は鉄格子が降ろされていて子どもでもすり抜けることはできそうにない。
問題は、その抜け道がどこにあるかだが。城の中にはウィチャード・ラグナーがいて、騎士はそこに向かっているはずだ。必ず道はある。
「どこかに別の入り口があるはずです。シルリィさん、あの騎士がどこから入ったのか、魔力の軌跡を追うことはできませんか?」
「無理だよお。人が通った後の魔力の後なんて、風が吹くだけで消えちゃうもん……」
今のシルリィにはまだそこまではできないか。
「ひとまず城壁を一周してみましょう。何か痕跡が見つかるかもしれません」
という私の思惑はすぐに裏切られた。
城壁には正門以外に入り口はなく、見える範囲に人が入れるような排水路もなかった。
一体、さっきの騎士はどうやって城内に入った?
もしウィチャード・ラグナーが王侯貴族の関係者であるなら、ベリオの指示でなら正門の脇にある通用口から堂々と入ればいいだけだ。だがそれはさきの中年騎士の話からしてそうではなさそうだ。
もしや、ウィチャード・ラグナーの存在は公には知られていないのだろうか。
囚われている、という可能性もある。身柄を捕らえた上で、何かしらの研究開発をさせられているのだとしたら、騎士が隠れて報告に向かったのも納得がいく。
そこでふとシルリィが声をあげた。
「あっ。あそこ」
「どうしました?」
「ほんの少しだけど、魔力の痕が残ってるの」
「あの騎士のですか?」
通りがかったのはなんら変哲もない古びた民家の並びだ。
シルリィはそのうちの一棟を指し示した。カーテンは閉め切っており、外からでは中の様子を見ることはできない。
私とシルリィは辺りを窺いながらその民家の玄関に近付いた。
「これは……魔力に感応して開く仕組みになっているようですね」
ただの民家にそんな鍵を備え付ける必要などない。つまり、ここが進入路というわけだ。
試しに私の魔力を当ててみた。しかし薄らと光り感応したものの、開きはしなかった。
暗号化された専用の魔力錠か。動力路に魔力を正しい順路で流す方法を知る者しか解錠することはできない。
魔力刃で叩き切ってもよかったが、小賢しい警報でもついていたら面倒だ。
細かい迷路状になっていて、この大きさならその選択肢はおよそ数千通りといったところだろう。
私なら全ての手順を一瞬で追うこともできるが、シルリィの目の前ではやはりそんな目立つことはできないし、やる必要もない。
この程度の暗号錠など、彼女ひとりでも容易に解ける。
「シルリィさん、この暗号錠、さっきの騎士の魔力を辿るように解くことはできませんか?」
「ええっ、できるかなぁ……」
恐る恐る、シルリィはその細い指先で鍵の迷路をなぞる。
「こ、こうかな……? こっち、かな……」
魔力を展開しながら鍵を凝視し、その細い指を蝸牛の速さで進めていく。
ただ、一度も道を間違えることはなかった。
カチリ、と錠が開いた。
「で、きたぁ……!」
「さすがシルリィさんです」
彼女もまた私の花嫁のひとり。アルトゥール・リープマンと過ごしたこの数年、全く成長がなかったわけではない。魔力暗号など、本来の彼女にとっては子どもの手をひねるようなものだ。
私たちは慎重にドアを開き、様子を窺いながら中に身体を滑り込ませる。
見張り役などはいない。灯りのない部屋にはいくつか扉があったが、床の埃の様子から使われているのはただ一つだけだと分かった。
そのさらに奥には、地下へと続く、雑に作られた石階段があった。
警戒しながら進んだが、特段おかしなものは見当たらなかった。降りた先の通路は、ただの薄暗く湿っぽい通路でしかなかったのだ。
そこを抜けると、がらりと内装の雰囲気が変わった。
「ほんとにお城の中に入れちゃった……」
「できるだけ見つからないように進みますが、もし見つかったとしても堂々としていましょう。城の中の人間を全員把握している人などいませんからね。おどおどしていれば怪しまれますが、こっちから挨拶するくらい堂々としていれば使用人くらいはやり過ごせるもんですよ」
「アルトくん、なんか慣れてない?」
宮仕えだろうと騒がれては面倒なだけだ。城内はかなり広い分隠れる場所も多い。私たちは気をつけながら騎士の向かう方角を目指す。
「アルトくん、わたしたちがあの騎士さんを追わないと、すごくまずいんだよね?」
「はい。とてもまずいです」
「そっか。……どうまずいの?」
ここまで来てまだ聞いてくるか。面倒だがここでごねられてもつまらない。
「まず師匠たちを呼び寄せたメイヴェル家ですが、兵器工場建設反対の応援として呼んだというのは全くの嘘です」
「えっ!?」
「あれは計画の妨害になりそうな将来の敵を釣るために仕組まれた罠です」
「ほ、本当に……?」
「盟王都に詳しいと自称する商人も知らない貴族、屋敷の近隣住人さえその姿を見かけたことがないという秘匿性。そして騎士軍師団長との怪しい繫がり。これを主導しているのは、おそらく騎士軍です」
「騎士軍が? でも、盟王国の騎士は正義の象徴だよ?」
「正義もときには暴力が必要、と自分を正当化するのが大きくなった組織が陥る最終形ですよ。人類はいつも理想と正義をひっくり返し、理想のために正義の解釈を変える」
「ほえ……」
「ああ、これはもちろん本で読んだ知識ですが」
ぽかんと私の経験則を聞いていたシルリィを適当に誤魔化しておく。
所詮、人類の掲げる正義など後ろめたさをなくすためのおためごかしに過ぎない。
ましてや、ここにはあのウィチャード・ラグナーがいる。
「王様も知ってるのかな……。そんなことが起きてるって」
「王室が関与して全て把握しているとは限りませんが、さっきの騎士がここに来た以上、全くの無関係ということはないでしょうね」
あるいは王室も既に傀儡となっているかだが。なにせ場所が場所だ。
幾度も私に四人の花嫁たちを操りけしかけてきたウィチャード・ラグナーがいる。一個の王国くらい配下に置くなどわけもないだろう。かつての物質世界では世界軍を掌握していたくらいだ。
いや、しかし、それにしても。
王城の奥に進むほどに、私は自分の鼓動が強くなっていくのを感じ取っていた。
ひどく人間的で下等な感情だが、だが、だがしかし、これを否定するためには私は私の全存在をも否定しなければならなくなる。
この興奮を。この昂揚を。
私は認めざるを得ない。
果たしてウィチャード・ラグナーはいかにして花嫁たちを誑かし、洗脳したのか。
もし私がここにいなかったとして、いかにこの国に集った四人を傀儡とし、私を敵だと認めさせたのか。
その手管に、私自身の目的は別として大変興味がある。
不思議なものだ。
あれほど私を煩わせたウィチャード・ラグナーをいざ前にして、湧き出てきたのは殺意よりも興味関心だった。
なれば私は認める必要がある。ウィチャード・ラグナーを一個の対等なる存在として。
私は必ず会わなければならない。
魔王たる私が、ウィチャード・ラグナーという一人の人間と、誰にも邪魔されない場で。
花嫁たちの叛乱の真実を解き明かすときがついにきたのだ。




