第41話
サラは、それ以上の言葉を発することなく、ただ吹き消えるように絶命した。
「なんで……、わたしは何もしていない。本当に……」
血に濡れたガントレットでサラの遺体を抱き、グウィレミナは声を震わせる。
それは脇に立つドラヴィオラにも判っていた。戦った上で、全力でぶつかったがゆえによく判っていた。
グウィレミナに物質を見えなくすることはできない。そんなことができるならとっくに自分に対してやっているはずだ。なのにサラに突き刺さった剣は、まるで光のヴェールを被っていたかのように無色透明で存在し突如現れた。
まず間違いなくあそこにいる男が殺した。その確信があった。あの卑しい歪み上がった笑みは、秘密が漏れたことを防いだことに安堵した笑みだ。
だがあの男の能力を知らない人間から見れば、グウィレミナがサラを串刺しにしたように見えなくもない。
あの男に誅伐を下せるのは、この場には自分たちしかいない。
「貴様ああああああああああああああああッ!!!!」
怒りにまかせた魔力の爆発力で地を蹴りドラヴィオラが突っ込む。
だがそのドラヴィオラの特攻を止めたのは、他ならぬグウィレミナの操る無数の武器の塊が織りなす分厚い壁だった。
「なんで止める!」
「駄目だ! あの人は王立騎士軍ヴェストリ師団の師団長だ!」
「だからなんだってんだよ! あいつはサラを殺したんだぞ! てめえも見てただろうが!」
「わかっている! わたしだって腑が煮えくり返っているんだ! だが貴様が手を出すな! それは我々の仕事だ!」
「んなこと知るか馬鹿野郎!」
「何か、きっと何か理由があるんだ! それを、それを知るまでは、わたしは騎士の秩序を破るわけにはいかない!」
「頭がかてえ!! さっさとどけえええええええええええ!!!」
ドラヴィオラが追おうとするのを、グウィレミナは全力で防ぐ。
再び争いの匂いが沸き立つ中、ベリオは悠々と身を翻した。
「中隊長が止めたか。あのまま突っ込んでてくれてたら顔面串刺しだったんだがな。ま、死なれたらもったいねえから助かったのはこっちか」
褒美にあの中隊長は副師団長と同じ培養槽に入れてやろう、と心に決め、ベリオは「へっ」と皮肉めいた笑みを浮かべた。
全く。どこまでも忌々しい一家だった。
副師団長に似て、姪のサラも昔から全てが清廉で正しければ物事が上手く進むと信じ込んでいるおめでたい頭で出来上がっている。
しかし呆れて物が言えないとはこのことだ。
国家事業の秘密をべらべら喋るやつがどこにいる。
こっちの姿を見せておけば大人しくするかと思って放してやったら、中隊長に縋り付いていきなり全て暴露しようとしやがった。
後でじっくり監禁して調査資料とやらを回収しようとしていたのに、手順を全て跳び越えて口を封じなくてはならなくなった。
しかし漏洩は防いだ。こういうときのために自分の能力は隠し通してきたのだ。
返り血を浴びることなく相手を見えざる剣で絶命に至らせる。
無血のベリオ。
かつてはそう呼ばれていたこともあった職業暗殺者。歴代が盟王国の暗部に席を置いていた、その一族に連なる者。その技術は盟王国の英雄譚の裏で密かに磨かれてきたサンジュリオ家の粋。
自身の魔力で剣全体を覆い尽くし、光を屈折させ人の視覚から消し去る。投擲、あるいはその場に固定することによって、相手に気づかせぬまま刃を相手の懐に滑り込ませることができる。操作できる剣の最大数は四振り。
おきれいな英雄譚の煌びやかな英雄たちでは決して持つことのない、だが国の発展のためには必須であり世代を超えて磨かれ続けてきた、裏の英雄としての能力。
本来は暗殺が主な使い方だが、今回は近くになすりつけるのに丁度良い能力の持ち主がいた。 バレることはない。それに、ここにいるのは半分以上が自分の息が掛かった騎士ばかり。
中には中隊長のように何も知らないマクガネル派もいるが、大半は自分がサラを離し距離を取ったことを目撃している。疑いは持つだろうが弾劾までは起こらないだろう。こういうときのために、自分の能力は身内にも隠してきたのだ。
しかしそれにしても、副師団長がそこまで調べていたとは知らなかった。
特務隊とメイヴェル家を使って秘密裏にことを進めていたが、どうやら目ざとく繫がりを見つけたらしい。
まことに英断だった。副師団長をはやめに被検体にしたのは。
サラにその調査資料が見つかったようだが、それももう心配ない。大義名分のもとに殺すことができた。
これで自分に反抗してきそうなのは、サラと知り合いだったらしいあの中隊長と難民の生き残りの女か。
どっちにも黙ってもらうことになるのだから、ああ、もう何も問題がない。
そろそろ伝令がウィチャードのもとに届いている頃合いだろう。ここにご馳走があるとわかれば、あの陰気くさい工場で皮算用してほくそ笑んでいるに違いない。
工場。
兵器工場。
あれを工場と呼ぶのはあまり正しくない。
兵器開発を行っているのは間違いないが、ぜんまいやネジで動くような規格品を製造している場所ではなく、便宜上そう呼んでいるだけに過ぎない。
整備場。研究室。実験室。どれもしっくりこない。
言うなれば、育成室が正しいかもしれない。
例えば、蟻の幼虫の部屋のような。母虫が大切に育み大きくさせていくときのような。
いずれにせよ、この国の発展にとって最も重要なものを造り出そうとしているのは間違いない。
手狭な城内地下では機材の置き場もなくなり、その移設計画が進んでいた。王室主導のもと移設候補地レースが巻き起こり、各地の領主からぜひ我が領地へとと、莫大な金が動いた。
そして動くのは金だけではない。
王室のご機嫌を取るために送られる女、男、奴隷、獣魔。人が快楽を貪るために必要なものが惜しまれることなく盟王都に送られた。おかげさまで大分美味しい思いをさせてもらった。
その中で一つ奇異な贈り物があった。
クーシェル地方領主がよこした書簡だ。凄まじい強さを誇る騎士候補生を送るから便宜を図ってくれ。必ずや兵器工場移設に貢献できる人材だ、と太鼓判を押されていた。
どんなものかと試験場に行ってみれば、身体の特徴を見て即座にわかった。一年前に一族ごと手に入れた難民の生き残りだった。その上、裏切り者を追わせていた特務隊をぼっこぼこにして去った野郎だった。
どうやって難民風情が貴族騎士の試験に参加できたのかはわからないが、追加の被検体が向こうからやってきたことにほくそ笑んだ。
隣国パルナトケに古来より住まう少数民族。
独自に発達した魔力の使用法により、やつらは生来より魔力を体内に溜め続け、それを狩猟や戦闘に利用する。
被検体として、いや、餌として最適だった。戦闘を行わない女子どもですら一般人よりも魔力を貯め込んでいた。
しかしあの赤髪の女。こいつだけは格が違った。
騎士試験を利用して捕らえようとしたが、途中で感づかれて拘束できなかった。思っていた以上の暴れ者でその場にいた候補生含め三十人を返り討ちにして街に逃げた。
逃げる際にやつが試験場にいた見学者の一人を盾にして逃げたことを利用し、ついでに昨今噂も大きくなってきた誘拐事件の犯人であると嫌疑を掛けて指名手配したのだが。
まさかその際に盾にされた女、サラ当人がやつを匿っているとまでは思わなかった。
予定外がいくつも起こったが、結局はこうして自分に都合良くことは進んでいる。
「ハハッ。せいぜい暴れまくって消耗しといてくれよ」
周りの雑魚騎士どもにはあいつらを留めておくように命令しその場を後にした。どうせ時間稼ぎにしかならないが、今はそれでいい。
さて、ウィチャードを急かしにいくか。あいつは研究に熱心なのはいいが、どうにも腰が重い。ケツを蹴り上げてやらないと先に部下たちの方が全滅しかねない。
うまくあいつらを捕らえられれば計画はかなり前進する。昇進まであと少しだ。王立騎士軍ヴェストリ師団師団長などという、近衛隊の下位騎士にすら見下される肩書きなど誰にでもくれてやろう。
あれが完成すれば世界がグラリスニア盟王国のものとなる。そして自分がその司令官になるのだ。
いや、国としての在り方すら変わるのだ。王族の支配する王国ではなく、軍部総司令が統治する軍事大国へと。
そうなればこの騒ぎも全てが帳消しになるだろう。
真なる英雄がこの世界に誕生するのだから。
事態についていけず案山子になっていたイグセリカに、ドラヴィオラが怒声を浴びせる。
「おい、木偶の坊師匠!」
「え? あ、あたしのことか……?」
「他に誰がいんだよ! てめえがあいつを捕まえてこい! ワタシがぶっ殺してやる!」
「やめろ! 民間人が手を出すな! でないと私がおまえたちを討たなければいけなくなる!」
ドラヴィオラがベリオの後を追おうとするのを必死に止めながらグウィレミナは叫ぶ。
たとえ師団長の独断による不法行為だったとしても、それを罰するのは自分たちだと強く自負する者の悲痛な忠告。
追え。止めろ。ドラヴィオラ。グウィレミナ。二人に真逆のことを言われ、イグセリカは動けない。
「あたしは――どうすれば……くそっ」
どう判断すればいいかわからない。
この場での正解がわからない。
あの女性は、サラは、自分を助けてくれた。仕事もなく空腹で困っていたときに三人で食べた塩ゆで野菜は、調理法こそシンプルだったが格別なものだった。
怒りはある。なぜあの女性が殺されなければならないのかと指が離れないくらい拳を握り憤っている。
「てめえ、サラの馴染みなんだろ! なんで殺したやつを庇う! てめえが矛を向けるべきはワタシじゃねえだろうが!」
ドラヴィオラの言いたいこともわかる。殺したやつを吊るし上げてやりたい。サラは、自分の恩人なのだ。
「貴様が師団長を殺せば私たち騎士が正当な裁定の機を失う! 私は師団長を法の下の処刑台に送らねばならないのだ! 私に正義を失わせるな!」
でもグウィレミナの言うことももっともだ。
自分の立場を弁えず怒りにまかせて復讐したって、今度はそれが自分の罪になる。盟王国の法の守護者である騎士の制止を振り切って、ここ数日の間に出会っただけの人のために復讐を果たすには、自分にはまだ背負っているものがありすぎる。
「あたしは……あたしは……っ」
どうすればいい? 何か、この場を動かすための、自分が動くための言葉が欲しい。
と、浮かんできたのはなぜか弟子の顔だった。
がっかりした。この期に及んで、助けを求めようとした相手は自分が育ててきた弟子なのか。
こんな状況で、いや、こんな状況だからこそ、か。
いつのまにか自分の中でこんなにも大きく育っていた、弟子への期待と、嫉妬と、畏怖。
弟子に頼りがいがあることは喜ばしいことのはずなのに、なぜか湧き出てくる抵抗感と、嫌悪感。
これまでずっと感じていながら、師匠としての義務感で誤魔化し目を逸らしてきた自分の中で渦巻く黒い感情。
それらを呼び起こす正体はおそらく、自分になくて弟子にはあるもの。
互いに揺るがぬ信念と感情をぶつけ合うドラヴィオラとグウィレミナを見つめ、イグセリカはあまりの『自分のなさ』に動けないままでいる。
思わず弟子の姿を探してしまった。
弟子が同じ場所に立っていれば何か行動できたであろうと、確かめるような仕草で。他ならぬ自分で認めるようなものだった。
しかし、いつの間にかアルトとシルリィはいなくなっていた。棒立ちのまま、周りをぐるぐると見渡すことだけしかできなかった。
イグセリカは人生で最も無力を感じていた。
情けなさ過ぎて漏れた嗚咽を、聞きとれた者はその場には誰もいなかった。
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