第35話
至極無念なことに、イグセリカたちに私の疑念を伝えても完全には理解されなかった。
「あっはっは。アルトは突拍子もないことを言うなあ」
「アルトくんが怪しんでるのはわかるけど、まだ判断ははやいんじゃないかなあ」
この無垢な花嫁たちはまだ未熟で権威の前にひれ伏してしまう平民根性が根強い。相手の立場に踊らされ、自分の意志を貫く強さが身についていない。
私は初めて自分の存在を呪った。私の影響による弱体化が少なくないとはいえ、ここまで人格にも変化をもたらすものだと私は初めて知ったのだ。
というより、むしろお願いだから私の影響であってくれと思う。私の求める花嫁がこんな阿呆どもとは信じたくない。
「あんま小難しいこと考えるのはやめて、せっかく盟王都まで来たんだ。まだ時間もあることだし、あそこに寄っていこう」
「あそこ?」
「盟王都に来るなら絶対訪れたかった場所があるんだ。アルトも一緒に行くだろ?」
そう言ってイグセリカが私を連れていったのは、盟王都の観光名物にもなっている王立中央自然公園だった。
公園の中心には煉瓦敷きの広場があり、住民の憩いの場にもなっている。なにより目を惹くのは、そこに聳え立つ三十メートルは超える銅像だ。
「アルトを盟王都につれてきた本当の理由は、これなんだ」
「本当の理由、ですか?」
「この英雄の姿をアルトにも見せてやりたかった。あたしの憧れる、理想の英雄像だからね」
私は銅像を見上げる。
銀狼英雄バンガ・ロクシミリアン。
王国建国の立役者にして稀代の英傑。
先だって領主とドラヴィオラの奇策の際の話に出て来た、浮浪者の子どもが貴族の養子となりその後名だたる戦で活躍した英雄譚の主人公だ。
筋骨隆々のその威容は見る者を圧倒させ、王城に背に視線を遙か遠くの大地へ向け、盟王国のさらなる発展を導こうという意志が伝わってくる。
「あたしは、バンガみたいになりたいんだ」
とイグセリカは声を弾ませる。
「戦争に出たいって意味じゃないぞ。真似したいのはその生き様だ。無類の強さを誇っていながら、負かした相手には慈悲を向ける高潔さも持ち合わせている。見た目は豪快だけど、性根は優しくて人想いなんだ」
「盟王国がここまで大きくなったのは英雄バンガのおかげ! っていっつもイグセリカ言ってるもんね」
イグセリカが大きく頷く。
「昔、盟王都ができる前、ここには二つの国があった。戦争になったけど、バンガの活躍のおかげで盟王国の元になった国が勝ったんだ。でも、バンガは相手の国を滅ぼすことは望まなかった。なんとか二つの国が共生できる道を探して、今の盟王国が出来上がったんだ」
グラリスニア盟王国。その首都たる王都メレアスとペリザンド旧市街特別自治区。街の名前の元となったのが、百年前にこの地に存在した国のものだ。
私の読んだ歴史や史伝では、彼の英雄は当時、世界中で見ても異常なほどの強さを持っていた人間個体だったと記述されている。
魔力の蓄蔵量は獣魔を軽々と超え、竜獣相手にすら一人で立ち向かったなんて逸話も残っている。人間の伝えた歴史など真偽のほどは疑わしいが、実際に英雄バンガがペリザンド国家を圧倒し無条件降伏を成し遂げたのは事実だ。
それだけを見れば、今のイグセリカたちよりも遙かに素質はあると言えるだろう。
だが私にとって必要な人間はあくまでイグセリカたち四人だ。過去に生きた偉人など全く以て取るに足らない存在でしかない。
彼女らが成長しきれば、地上で敵う人間などいないのだから。
「……そうだ。あたしはバンガを見据えてる。偉大なる英雄バンガを。こんなに大きな相手を」
得意気だったイグセリカが、不意に物憂げな表情を浮かべ銅像を見上げた。
「師匠?」
「アルト。英雄バンガをしっかり見ておくんだよ。そして、お前の師匠としてのあたしのことも。あたしはきっと、彼のような立派な人になってみせるから」
その憧れがイグセリカの強さの根幹になっているのなら、否定する意味もない。
「……はい」
イグセリカは私が頷いたことに、照れくさそうに、ただそれ以上に誇らしげに青臭い笑顔を作ってみせた。
それから私たちはしばらくの間、バンガ像の周りを歩き散策した。
「さてと。まだメイヴェル卿との約束の時間まで余裕あるし、どっかで昼飯食ってくか」
そんなイグセリカの案にシルリィが乗り、公園を出て通りを歩いていたときのことだ。
シルリィが何かに気づいて歩みを止めた。
「ねえ、イグセリカ。あの人」
シルリィの指さす先に、一人の女がきょろきょろと辺りを窺いながら走っていた。
「あ! こないだの!」
イグセリカも気づいて声をかけながら小走りで寄っていく。
「あのー、あたしたちです! この前はありがとうございました!」
「おかげさまでお腹いっぱいになりました!」
女は二人に気づいて振り返る。整った顔立ちではあるが、どこか薄幸な印象のある陰気な女だった。
「貴女たちは、あのときの……」
そして女は安堵したように深く息を吐いた。
「よかった。ご無事だったんですね……」
無事? 女の吐いた言葉の意味を図りかねて首を捻る。
私が聞き返す前に、女はすぐに顔を上げ、必死の目で訴えた。
「あのっ、それはそうとこの辺りで黒髪の男性を見かけませんでしたか? 丁度貴女くらいの背の高さで、頬に傷のある」
女はイグセリカを差してから、傷の位置を示すように自分の頬を指さした。
「見たっけ?」
「ううん。さすがに通りすがりの人は全部覚えてないよ」
二人が首を振ると、女は見るからに項垂れる。
「そうですか……」
「人を探してるなら、まだ時間もあるしあたしたちも一緒に探しますよ?」
「そうそう。こないだのお礼もしたいし!」
女の表情に、わずかに一瞬だけ期待の色が灯った。
しかし、すぐに光に押し返される闇のように後ろに引いていった。
「いえ……。個人的なことですので……」
そう言って二歩、三歩と下がる。
「すみません、急ぐのでまたいずれ……あっ! あの、どうか、二度とメイヴェル家には近付かないでくださいね」
「え?」
「お願いします。では……」
女は後ろ髪を引かれているような顔をして去って行った。
「師匠、今の方は?」
「この前仕事が見つからなかったときに野菜を持って帰ったろ。そのとき野菜をくれたあったかい人だよ!」
「命の恩人だね!」
ああ、そういえばそんなこともあったな。
「気になることを言っていましたね。メイヴェル家には近付くなと」
二人は意見を求め合うように見合う。
「どうしたらいいんだろ?」
「恩人にそう言われたら断り切れないよな……」
「でも、後一時間くらいしたら行かなきゃだよ? 黙っていなくなるのは失礼なんじゃないかなぁ」
「だよなあ。すっぽかすのも気が引けるっていうか」
ここまで条件が揃っていながらまだまごついているのか。「もうちょっと様子を見よっか」と二人で頷きあっている姿を見ていると頭痛がしてきた。
さっきの女、オリンゲンのことを何か知っている様子だった。それに、女が言っていた男の特徴は、おそらく私が会ったあの浮浪者になりすましていた男のことだ。
事態が繫がりはじめた。
ここでまたオリンゲンに会いにいったところで罠に嵌まるだけなのは目に見えている。
イグセリカたちは何事もなかったかのように大衆食堂に入り、昼食を注文してテーブルにつく。そして出てきた料理の香ばしい匂いに鼻を膨らませ食器を握る。
状況の何もかもが緩慢でいつまでも纏わり付く汗のように温く鬱陶しい。
できればまた抜け出したいが、いちいち一人になるための理由を考えるのも面倒になってきた。
この際もはや雑でいい。イグセリカたちに知性的な行動を期待するのは時間の無駄だ。
「ぼくは用事があるのでお二人は時間までここでお茶でもしていてください」
「どこいくの?」
「ちょっと野暮用です。小一時間程度で戻ってきます。時間が来ても帰ってこなかったら先にメイヴェル家まで行っていてください。後で向かいますので」
そう言って了承も得ないまま席を立ち上がると、イグセリカが普段より厳めしい声で止めてきた。
「待て。アルト」
「なんでしょうか?」
「最近のアルトの素行には目に余るものがある。人を疑ってばかりで、今度は何だ? 気に入らないからって一人でどっか行くつもりか。ちゃんとした用事ならあたしたちにちゃんと内容を伝えてから行け」
イグセリカがこんなときにいちいち保護者面をしてくる。
しかし私にも二人を連れず一人になりたい理由がある。
浮浪者の男と知り合いなら、さっきの女もドラヴィオラのことを知っている可能性がある。できれば今のところは二人には伏しておきたい。
仕方あるまい。また一芝居打つか。
「実は……さっき気になる女の子がいたんです。勇気を出して声をかけてみようかと」
こんな理由なら囃し立てはするだろうが、弟分の色恋沙汰に関心のあった二人なら喜んで送り出してくれるだろう。
と思ったが故の演技だったのだが。
「なんだって! どんな子かあたしにも見せろ!」
「待って! わたしもついてく!」
二人同時に勢いよく立ち上がる。
くそ、話題を間違えた。
「い、いや待ってください。ぼく一人で十分です。あまり大勢で行くと逃げられてしまいます」
「問題ない。シルリィ」
「任せて! 見えない場所からちゃんと行く末をわたしが見てるから!」
本当に、心底迷惑極まりない能力だ。
最初の説得を面倒くさがったがために余計に関心を惹き付けてしまった。こんなところで無能を発揮した自分にすら怒りが湧いてくるほどだ。
「いい加減にしてください!」
私がテーブルに両手を叩きつけると、さすがに二人も絶句した。
「もう、ぼくを見張るような真似は止めてください! ぼくだって一人前の男なんです! いつまでも師匠やシルリィさんにつきまとわれたら何もできないままじゃないですか!」
食堂中に響き渡るほどの声を張り上げて私は二人に怒鳴りつける。アルトゥール・リープマン一世一代の怒り顔だ。
「それは、そうなんだけど……その……」
「アルトくんが、初めて声を荒げて怒った……ふへへへへ」
なぜこいつらは、私が怒ったのに嬉しそうなのだ? 人間とは、人が怒っていれば慌てるか宥めるのが普通なのではないのか?
私の常識がおかしいのか? 本気で自分を疑った。
「ふざけないでください!」
ここで引けば二人の思うつぼだ。私はさらに声を荒げて椅子を押し倒す勢いでテーブルから離れる。
「もし追ってきたら師匠たちとは絶交です! シルリィさんもぼくを魔力で見たら二度と口を利きませんからね!」
二人の返事も待たず、私は走り去るように食堂を後にした。
そうしてその場の勢いで怒ったふりをして飛び出してきたわけだが。
あの二人のことだ。あれだけ言っても追いかけてくる可能性はある。もうこの際、あの女と話さえできればいい。シルリィは見ることはできても遠くの会話を聞くことはできない。
すぐに後を追いたいところだが、時間が経っていてもう行方はわからない。
しかし公算はある。あの浮浪者と知り合いなら、先に会っておけばさっきの女とも接触しやすいだろう。私はまずあの男に再び会うことを優先させた。
「潜伏しているのは再開発地区と言っていたか。若干遠いな」
再開発地区は盟王都の外縁だ。
街中でバジリコックのときのように走るわけにはいかないが、馬車を追い越す程度ならさほど驚かれたりはしないだろう。足にわずかに魔力を溜め、走る。
私は十分程度でそこに辿り着き、
そして、あの男の死体を見つけた。
死体は物陰を覗けばすぐに見つかるような場所にあった。隠すつもりなど最初からなかったかのように野ざらしにされていた。
男は背中から壁に寄りかかるように項垂れ、目を開けたまま息絶えている。
おそらく、殺した後に移動させたのだろう。死体の周囲には血がついていない。喧嘩の末に殺されたように見せるために物陰に乱暴に投げられたような格好だった。
「なぜこの男が……」
こんな場所で人知れず死んでいることなど誰が予測できよう。おかげで繫がりかけた情報があっけなく霧散していった。
一方でオリンゲンに対する疑惑は深まるばかりだ。メイヴェル家を張っていた男がこのタイミングで死んでいるのは、あまりにも時宜が良すぎる。
しゃがんで男の死因を探った。
胸に剣で刺された痕と、腹を真横に切り裂かれた痕がある。
腹の方は鉈やナイフも考えられるが、胸の方は間違いなく諸刃の直剣だ。そんな形状の刃物を持っているのは、この辺りでは騎士以外にはいない。
血の固まり具合から死後すでに一日以上は経過しているようだ。
追っていた騎士に見つかり殺されたとみるのが妥当だろう。
困ったことになった。
これでは男からオリンゲンのことも聞き出せず、女の行方もわからない。
一度戻るか。イグセリカたちからあの女とどこで最初に会ったのか聞き出してその周辺を探るしかない。
そう考え直し、振り返った直後だった。
「てめえが殺したのか? アルトゥール・リープマン」
今後の活動の励みになりますので、もしよければ既読感覚で「いいね」や評価をお願いします!
そして続きを読みたいと思っていただけたら是非ともブックマークもお願いします!




