第31話
メイヴェル伯爵家、応接間。
大人が優に寝そべれそうなソファの真ん中に座るのは、その大きさに不釣り合いな痩せた色白の男。彼がこのメイヴェル伯爵家当主オリンゲン・メイヴェルその人だそうだ。
確かに噂通り当主としては若い。三十代半ばといったところだろう。だが容姿に関しては噂とはかけ離れている。髪は黒くおかっぱで頬はこけ、中背だが猫背でより小さく見える。
気弱な表情を張り付かせ、オリンゲンはおどおどと訊ねてくる。
「旅費……足りませんでしたか?」
面会が始まった直後になぜそんなことを聞いてくるのかと言えば、イグセリカとシルリィの二人が部屋の隅にいても聞こえそうなほどの腹の音を響かせているからだろう。
「いえっ! 足りました! すごい足りました!」
「これは修行の一環ていうか! 自分を追い込んでなんちゃらするようなやつです!」
路銀が足りなくて腹が満たせなかったと言えば失礼にあたると思ったのか、二人はそんな言い訳を勢いで通していた。
オリンゲンはその理由に納得したようだ。不思議なことに。
「そうでしたか。ご一緒に食事を摂ってから詳しい話を、と思っていましたが、そういう事情ならこのまま――」
「いえ! ご一緒させてください!」
「修行は昨日までって決めてたので!」
イグセリカとシルリィの目が血走っている。
この二日ほどは三人で分けた硬くなったパンの一切れを一時間くらい噛み続けて飢えを誤魔化していたほどだから無理もないのだろうが。
結局二人は都合のいい仕事を見つけられず、今日の面会までほぼ水だけで過ごしてきた。
どこからか貰ってきた野菜は一日で食い尽くし、明日こそは仕事が見つかるよと余裕ぶった結果がこの様だ。
私は、私が彼女らの傍にいると魔力的な弱体化を招くと思っていたのだが、もしかすると魔力だけではなく知能的な退廃も引き起こしているのかもしれないと思い始めたくらいだ。
「う、うまい! 噛んで呑み込めるのがこんなにうまく感じたの初めてだよ!」
「し、幸せえ! 舌とお腹が喜んでるよお!」
移動した先のダイニングで振る舞われた料理は一級品だった。イグセリカもシルリィも空っぽの胃袋の前に出された肉汁滴る馳走を前にして我慢できず遠慮もなしに頬張っている。マナーなどお構いなしだ。
まだ向こうの要求もわからないにも関わらず貪り食うとは。ほとほと呆れ果てたる思いだ。
あの浮浪者然とした男の助言を無視して私が二人を止めなかったせいでもあるのだが。
あの男も結局正体はわからず仕舞いだ。騎士崩れのようにも思えるが、この街の情勢を考えると王室に対するレジスタンス、元ペリザンド市民である可能性もある。助言を鵜呑みにもできない。
今はまだどちらが私たちにとって有意なのかが判断しづらい。だから私もここに来ることを自ら選んだ。
「君は食べないのかな?」
不意にオリンゲンが私に顔を向ける。
常に笑顔を絶やさない奇妙な印象の男だ。
痩せ型で物腰は丁寧。だがあまり貴族らしいオーラがない。衣服を着せ替えれば、そこらの一般人と見間違えてもおかしくないほどに存在感が薄い。笑っているというより真顔が笑顔として形作られていると言った方が正確かもしれない。
「いただきます」
「お付きの従者かと思い言及しませんでしたが、この少年は?」
ぶっきらぼうな私にも笑顔を崩さない。
イグセリカが私の頭に手をぽんと置いて高らかに宣言する。
「実は、あたしの自慢の弟子なんです!」
「そうでしたか。勘違いをして申し訳ありません。それは将来が楽しみですね」
「そうなんですよ! まあまだまだあたしが教えなきゃいけないことは沢山あるんでしばらくはつきっきりで鍛えてやんないといけないんですけどね! でもアルトならできるってあたしは信じているっていうか! アルトじゃないとあたしについてこれないだろうなっていう!」
あっはっはと笑い声をあげる機嫌のいいイグセリカは無視する。
「師匠たちを盟王都まで呼んだのは、何か頼みたいことがあったからでしょうか?」
オリンゲンは鷹揚に頷いた。
「では、そろそろ本題に入らせていただきましょうか。あまりお弟子さんからお師匠様との鍛錬の時間を取り上げてしまうのも忍びないですから」
オリンゲンはテーブルの上に両肘をついて組んだ両手に顎を乗せ、言った。
「お二人は、今王室が推し進めている兵器工場建設に反対なされていると聞き及んでおります。そこに相違はありませんか?」
三人ともスプーンを持つ手が止まる。
目の前にいるのは伯爵の爵位を持つ貴族、つまりは王室の側近だ。兵器工場が王室主導で進められているならば、そこ異を立てるということはつまり王への謀反を意味しかねない。
「それは、その……」
責められていると思ったか、シルリィが口ごもる。
「ああ、畏まらないでください。何もそれを糾弾しようというつもりではありません。むしろその逆です」
「逆?」
きょとんとする二人。
「王室も一枚岩ではありません。タカ派が推し進めている今の計画はいたずらに諸外国との対立を煽るだけ。そう考えている派閥もあり、私も同じ気持ちです」
現在、王室には国王と王位継承権を持つ公爵、つまり息子である王子が五人いるらしい。話によれば、工場建設を推進しているのはそのうちの三人で、残り二人は消極的なのだそうだ。メイヴェル家はそちらについている、ということだろう。
イグセリカとシルリィは互いに顔を見合わせ、安堵の笑みを見せる。
「じゃあ、メイヴェル卿も……」
「ええ。お二人をここに呼び寄せたのは他でもない。我々と手を組みませんか?」
「手を組む……?」
「兵器工場は王室が絡み大きな利権が動いています。事業が開始されれば方々で利益を求める動きが活発になり止めることも難しい。そうなる前に、私はその計画を止めたいのです。ですが現状、反対派はまだ少数です。我々はもっと協力者が欲しい。できれば各分野で活躍する実力者を。あなた方は類い希なる魔力の使い手で、獣魔の数々を討伐した実績がある。もし協力できたら大きな頼りになると思ったのです」
「いやぁ。事実ではありますけど!」
「わたしたちにそんな存在感あるかなぁ!」
二人揃って後ろ頭を掻いて照れる。すぐに図に乗る阿呆どもだけでは話が進まない。私が口を挟む。
「ぼくもお尋ねしていいでしょうか?」
「ええ、どうぞ。お弟子さん」
「ぼくたちが兵器工場に反対だという話はどこから?」
抑揚のない私の質問に、オリンゲンはわずかな間を挟んで口を開く。
「半月ほど前、王城で会合がありましてね。そこにコルベクニス卿がいらっしゃいました。なんでもやたらと強い領民に反抗されて計画が破綻しかけたものの、卿の機転によって覆すことができたと。私はそれを聞き、さりげなくどんな相手だったのかを聞き出すことに成功し、あなたがたを探し当てたということです」
筋は通っているか……。
「手紙に詳しく内容を含めなかったことはご容赦いただきたい。何せ王室の大きな思惑が噛んでいるため、どこから情報が漏れるかわからないものですから」
「いえっ、そんな、あたしたちは大丈夫です!」
「こおして呼んでもらえただけでも光栄なので!」
貴族の機嫌取りに余念がない二人はこの際気にしていても仕方が無い。
「メイヴェル卿はクーシェル地方の情勢にもお詳しいようで頼もしく感じております。ところで、メイヴェル卿はコルベクニス卿から師匠たちの話を聞いたとおっしゃいましたが、コルベクニス卿が推挙された皐月隊候補生が試験場を襲撃し逃亡したと聞きました。そのことについては?」
私の話にイグセリカたちは驚いていたが、オリンゲンの笑顔は崩れなかった。
「とても遺憾なことです。私はその場にいませんでしたが、すんでのところで騎士軍西方守護、ヴェストリ師団の騎士たちが食い止め、被害もなかったと聞いています。しかし、かなりの手練れだったようで、惜しくも逃がしてしまったようですが……」
「騎士が……」
「卿は彼の者を推挙した責任を問われましたが、元々血縁ではない単なる傭兵であったとか。口先八丁で騙されたのだという卿の主張が認められました。コルベクニス卿は兵器工場の推進者。王室の擁護があったことは否めませんがね。これでよろしいですか?」
「……申し訳ありません。出しゃばったことを申し上げました」
「構いませんよ。お弟子さんは年齢の割に随分明晰のようだ。それに礼儀もきちんとしている。その将来性に免じて許してあげましょう」
「恐れ入ります」
微妙な違和感が気に掛かる。
この男は本当に私たちの味方なのか?
「さて。お二方もこちらの提案に乗るかどうか考える時間も必要でしょう。そしてこちらから声をかけておきながら失礼かと思いますが、私もあなたがたの実力をこの目で見てみたい。試すようであれですが、明日、騎士の訓練場でテストをさせていただきたいのです」
「テスト?」
「ああ、難しく考えないでください。魔力でどんなことができるのかを見るだけですので」
「はあ」
曖昧に頷く二人は、まだそれが何を意味するのか全くピンときていないようだ。
「明日、ここに同じ時間にまたおいでください。私が案内しますので。それが終わりましたらまた食事でも摂りながら歓談でもしましょう」
「ほ、本当ですか!?」
「はい。それとご安心ください。私の提案に乗るか否かに関わらず、故郷へお帰りの際は私が旅費を手配しますので」
「あ、あの、実はわたしたち、初めての盟王都ではしゃぎすぎてすでにお金が……」
オリンゲンの人の良さそうな笑顔にハードルが下がったのか、シルリィがそんなことを言い出した。
「わかりました。帰りに当座の生活資金をお渡しします。こちらの都合で呼び出したのですから困ったことがあればなんでも言ってください。可能な限り対応させていただきますよ」
「あ、ありがとうございますぅ~」
涙すら流している。この女に遠慮という概念はないようだ。脳内溜息が止まらない。
そして私たちはオリンゲンに見送られながら館を後にし、宿への帰路を辿る。
「めちゃくちゃ良い人だったなー!」
「ね! ごはんも美味しかったー!」
やっぱ盟王都ってあったかいなー! と叫んでいる阿呆どもは放っておくとしてだ。
初めから胡散臭さはあったが、ここまであからさまに優遇されると余計に疑惑が深まるばかりだ。
私としてはもっと時間をかけて相手の腹を探りたいところなのだが、全く以て情けない理由で私たちはオリンゲンの提案を無視することができない。
「いやー、これで昨日みたいな一日一食パン一枚生活から抜け出せるね!」
「これだけあれば臨時のお仕事も探さなくてもよさそうだもんね!」
「ああ! もう張り切っちゃうよね!」
「明日のテスト、わたしたちの一番いいところ見せなくちゃね!」
頭を抱えて嗚咽を漏らすことすら今の私の絶望を表現するには物足りない。
相手が何を企んでいるのかもわからないのに手の内を全て明かすような真似をしてどうする、と言ってやりたいが、この脳内花畑花嫁どもには真面目に受け取ってもらえないだろう。
しかしわからないことだらけだ。
関係があるとするなら、やはり先だって会ったあの浮浪者然とした男か?
彼はドラヴィオラに助けられたと言っていた。そこに騎士か貴族が関係していたのなら、逆恨みで登用試験を利用された可能性もなくはない。
いずれにせよ、ドラヴィオラが自分から騒ぎを起こしたとは思えない。
私の両側を歩いている脳筋花嫁や少年愛偏向花嫁と違って、ドラヴィオラは物事をよく捉え自分の利になることをしっかり見据えている。そんなデタラメな行動をするわけがない。
やはりドラヴィオラ本人から事情を聞くほかないか……。
しかし、彼女は一体今どこへ……?