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第28話



 盟王都メレアスとペリザンド旧市街特別自治区。


 百年ほど前、この土地には二つの国家があり、ほぼ隣り合うように二つの街があった。

 互いに啀み合い、幾度も戦争を繰り返したその二国の歴史は、ある一人の英傑の誕生によって終止符が打たれた。

 それが銀狼英雄、バンガ・ロクシミリアンだ。


 現在の盟王国の元となったメレアス側に生を受けたバンガは、他者の追随を許さない無双の力を誇っていた。

 瞬く間に各地で戦績を積み上げ、彼が二十代も半ばになる頃には、ペリザンド側が手も足も出なくなるほどに成長し、無条件降伏を成し遂げた。

 戦争の最中にあったあらゆる残虐と迫害を平定しこの地に和平をもたらしたと、イグセリカが憧れ、何度も私に物語った英雄だ。

 圧倒的な勝利を収めたメレアスは、敵対国家の首都であったペリザンド旧市街を盟王都の一部として残すことを認め、その寛大さを称えられた。

 その逸話は更なる人口と文化の流入を呼び、産業、軍事、学問の拡大を成し、この百年で盟王国の地位を盤石のものとした。


 一方で、元ペリザンド市民は表面的には仲良くやっているように見えるが、特別自治区と付されているように、彼らは民族同士の繫がりを保持し今でもテリトリーを守っている。

 今でこそその境界は曖昧で出入りは自由だが、一部には元ペリザンド市民しか住んでいない排他的な地域も小さいながらあるようだ。


 二つの街の統合から端を発したこの盟王都は、今では東西南北の扇状に拡がる外郭と王城のある中央を合わせ五つの区画に分けられ、今も人口増加に伴い拡がりを続けている。

 この街が正式名称で語られるとき、その前後の文脈によって街の色は裏表が異なって見えてくる。

 表では争いあった二つの国をまとめた偉大なる英雄の功績として、そして裏では、全く歯の立たない理不尽な力に屈した無力の成れの果てとして。

 勝者と敗者の感情がこの街には同居している。


「うわああ! すごいなああ!」


 人目を憚らず見るもの見るもの全てに叫ぶイグセリカ。 


「ねえー! こっち! こっちいこ!」


 腕をぶんぶん振り回して招きながら返事も待たず走るシルリィ。

 真っ直ぐに歩けないほどの人混み。一本の通りだけで全て眺めるのに一日はかかるようなひしめき合った商店や屋台。風化し削れつつも歴史の名残をそのまま残した石壁。剣を空に掲げる英傑の銅像。風に靡く色とりどりの旗の数々。


 田舎者には物珍しいものが数え切れないほどあるのはわかるが、いくらなんでもはしゃぎすぎじゃないだろうか。 

 私にも初めて見る景色ではあるが、もっと技術発展の進んだ世界を見たことがあるだけに、さほど感慨もない。舞い上がる二人の後ろを黙ってついていくばかりだ。

 そのとき、私たちの行く手を阻むように声をかけてきた者がいた。


「へい、君たち。見たところ盟王都に慣れてなさそうだけど、旅行者かい?」


 彫りの深い端正な顔立ちの男だ。清潔に整えられた金髪に高級そうな洒落た衣服。イグセリカよりも背が高く肉付きもいい。


「はしゃいでいる君たちが、まるで湖面で踊る妖精のように見えて思わず俺も誘われてしまったよ。観光でもしてるのかい?」


 馴れ馴れしく男はイグセリカとシルリィに交互に目を配る。堂々とした立ち振る舞いには自信に溢れ、顔が煌めいていた。

 私は男の顔面を凝視して注意深く正体を探った。

 もしや、キサマがウィチャード・ラグナーなのか……?


「そんなところかな」

「俺、近くにいいところを知ってんだけど、よかったら一緒に行かないかい? 詳しい地元人じゃないと知らない穴場の場所なんだ」

「ええ? まあ確かにこの辺りには疎いけど」

「心配はないよ。俺は盟王都のエキスパートだから。俺のエスコートに任せれば終わったころには君たちもすっかり盟王都っ子の一員さっ」

「どうしよっかな。シルリィ、どう思う?」

「うーん、確かにどこに何があるかもわからないもんね。詳しい人がいたら心強いかも」


 私は二人が相談しあっている隙を見て男の胸ぐらをがしっと掴み、私の頭の位置までぐいっと引き寄せて小声で訪ねた。


「名を名乗れ」

「え、えっ、な、名前? 君なに? 俺は、ジ、ジョウイだけど」


 ウィチャードではないか。ならば用はない。


「去れ。この二人はキサマ程度の男には不釣り合いだ。世界を掌握できるくらいの力をつけてから出直してこい。この私が直々に相手をしてやる」

「ひ、ひぃっ」


 男は怯えた顔で逃げ去っていく。この程度で怯む程度の俗物がウィチャード・ラグナーであるはずがない。

 ちっ。つまらん人間に手間をかけさせられたものだ。男の背中を私は唾棄するような視線で見送った。


「あれ? せっかく案内してくれそうな人だったのにどっか行っちゃった」

「師匠、ああいう手合いは相手にしてはいけません。脳みそを色欲に支配されたただの愚物ですから」

「アルトくん? な、なんか目が怖いよ……?」


 ここにきて一つ、私の計算外のことがこれだった。

 イグセリカやシルリィの整った容姿は、どうやら人間の男の性的関心を強く惹くようなのだ。


 村でも言い寄られることは多々あるようだったが、私は村中の男の名と身元を調べ尽くしウィチャードではないことを確認していた。その上で、要らぬ虫が二人につかぬように裏工作もしていたのだが。

 しかし盟王都は村とは比較にならないほどの人口がいる。寄ってくる男の数も尋常ではない。どうやらさっきの男は先鋒だったようだ。次の機会を窺っていたらしい別の男が再びイグセリカたちを食事に誘っている。


 私はウィチャードかどうかを確認してから適当に追い払い、歩みを進める二人についていく。

 しかしこの数の多さでは、寄ってくる男の誰がウィチャード・ラグナーなのか、一人ひとり調べあげていたらキリがない。


 私にも都合がある。四六時中イグセリカたちと行動を共にするわけにもいかない。ここにはドラヴィオラがいる。できれば彼女とコンタクトし、イグセリカと和解するための導線を引きたいのだ。そのためにはある程度、イグセリカたちから目を離すことも必要になる。

 その間に言い寄ってくる男どもを逐一気に懸けていては私の気が保たない。

 ウィチャード・ラグナーが街中で異性交遊目的で声をかけてくるような軟派な男ではないことを祈るしかない。願わくば。頼むからそうであってくれ。


 そうしてほんの少しの間、頭を抱えていたときにふと見やると、二人がいつのまにか私の視界から消えていた。

 そうだった。私はその上でこの二人の勝手な行動を制御しなければいけないのだ。頭が痛い。盟王都は私が思っていた以上に気がかりが多くなりそうだった。

 さて二人をどう見つけようかと考えていた矢先、イグセリカはすぐに私のところに戻ってきた。そして手を差し出してくる。そこには何かきらりと光るものが握られていた。


「アルト! これあげるよ!」

「……これは、剣の形をしたペンダント、ですか? ありがとうございます」


 掌に乗る程度の大きさの銀細工だ。装飾はなかなか精巧で、革の紐で吊されている。

 私はイグセリカの意図にぴんときた。銀は鉱物の中で魔力を貯めやすい性質を持っている。そうした性質を利用して道具に魔力を込め活用する使い手もいる。


 花嫁たちの中ではグウィレミナがもっともその種の技術に長けていた。彼女は、物質の性質如何に関わらず、あらゆる道具に魔力を込め自らの武具へと変えることができた。


「これは何か目印とかお守りの類いですか?」


 魔力を込めた道具は人を助けるお守りになると信じられている。

 例えば、旅の無事を祈るタリスマンとして。勝利を導くエンブレムとして。子どもの安全を願うブローチとして。あるいは、憎悪や怨恨を込めた呪いの具現体として。

 魔力を込めた道具のほとんどはそんなおまじない程度のものしかないが、極々稀に魔剣や魔石といった特殊な効果を持つ道具として曰くがつくこともある。大半は眉唾物ではあるが。


 道具に魔力を込める技術はそれなりに難度が高い。そんなものがそこいらに売っているとは、さすが盟王都といったところか。

 見たところ私にも見えないくらいの微弱な魔力しか宿っていないようだが、イグセリカの初めて盟王都に来た不安を和らげるための小道具といったところだろう、と思ったのだが。


「いや? 何もないぞ。ただの銀細工だ」

「はぁ……? ではなぜぼくにこれを?」  

「単にそこの土産物屋で売ってたんだよ。かっこいいだろう! あたしも一緒のやつ買ったんだ!」


 満面の笑みでイグセリカは私に渡したものと全く同じものを見せつけてくる。


「……滞在中は無駄遣いはしないようにとシルリィさんが強く戒めていたと思いますが」


 貰った旅費の一部に滞在期間の費用も多少は加算して含まれていたとはいえ、私が随行した分旅費は増えすでに底が見えている。


「こっ、これは盟王都に来た記念の必要経費だろ! それにシルリィだって――」

「アルトくーん!」


 途中で後ろから呼ぶ声がして振り返る。


「見て見て! そこの屋台で美味しそうな串焼き売ってたの! 盟王国の北の方でしか育てられていない特別な牛のお肉を炭焼きにしたんだって! ちょっと高かったけど良い匂いに抗えなくって買っちゃった! 一緒に食べよ!」


 両手に串を握ったシルリィが満面の笑みで走り寄ってくる。


「お! 美味そうだなあ! あたしにも頂戴!」

「はい! ちゃんと三人分あるよ!」


 嬉しそうに頬張る二人の横で、私は短く嘆息する。 

 まあいい。まだ盟王都到着初日。これまで大分我慢してきたイグセリカたちだ。最初の日くらいは大目にみてやるとしよう。





「危機的状況です。メイヴェル家の屋敷を訪れる予定の三日後までに、ぼくたちの資金が尽きかけています。前払いの宿代は除くとしても、残りの三日間、ぼくたちは一日一食、パンの一切れをさらに三人で分けるくらいのことをしないとなりません」


 メイヴェルが指定してきた日時は、旅路の遅れを考慮して数日間の余裕が持たされている。私たちの旅自体は恙なく進んだこともあり、到着はかなり早かった。

 たとえ一週間ほど早く到着してもつつましくしていれば余裕を持って滞在できるはずだったのだが、盟王都到着から今日までの計三日間、イグセリカたちの舞い上がりは収まらず、目につく露店や行商人を覗いては私の目を離れ散財を繰り返していたのだ。

 加えて、田舎者には馴染みのない物価の高さ。財布の軽さは必然だった。


「ぼくもついてこさせてもらった手前強くは言えませんが、あまりにも浮かれすぎだと思います」

「はい……」


 イグセリカとシルリィが同時に頷き項垂れる。


「ちょっと早いけど、メイヴェルさんにお願いしてお屋敷に入れてもらうのは駄目かな……?」

「師匠。今回は同じ伯爵でも田舎の貧乏領主に会うのとはわけが違います。こちらは招かれた客である上、相手は盟王都に住む正真正銘の貴族。王家の側近です。しかも用件がわからない状態で何がこちらの失態に繋がるかもわからない。そんな条件で『お金がなくなったので早めに用事を済まさせてくれませんか』なんて言えばどうなると思います? 礼儀を弁えなければ、帰りの旅費すら打ち切られる可能性もありますよ」

「うぐぐ……」

「うぅ~、いやだよぅ……。盟王都まで来たのに、村で一番辛かった日より食べるものが少ないなんてぇ」


 涙目でしゃくりあげるシルリィ。昨日まで別の屋台食を両手に持ってご機嫌で交互に囓っていた女の態度とは思えない。


「ぼくとしては師匠にもらったこの装飾品を売って食費に充てたいところですが」

「それだけは本当に勘弁してよ! 弟子に買い与えたものを売らせて食費にするとか師匠として情けなさ過ぎる! それに、あたしの分はもう返品したんだからいいじゃないか! それだけでも大分恥ずかしかったんだぞ!」


 これ以上師匠としての威厳の落ちようもないと思うのだが。


「じゃあどうするんです?」

「しっ、仕事を探そう! こんなに広い盟王都なんだ。きっと日雇いの仕事は余るほどあるはずだし!」

「……探そう?」

「い、いや! 探す! あたしが! アルトはあたしが稼いでる間、盟王都のことを調べておいてくれ! メイヴェルさんに何か頼まれるとしても、盟王都の地理や情勢を知っていた方がいいと思うし!」

「はい。ではそうさせてもらいます。実は気になることもあるので」

「気になること? それってなあに?」


 シルリィが首を傾げる。

 ドラヴィオラが今盟王都でどうしているかだ。が、二人の前で正直にそんなことは言えない。


「ぼくは旅の途中、師匠たちを呼び寄せたメイヴェル伯爵家のことが気になって、同船した行商人に

訊ねてみました。その行商人は盟王都のことには詳しいと自賛していましたので、ぼくがメイヴェル家のことを聞いたのですが、『そんな名前の貴族は聞いたことがないなぁ』と言っていました」

「え、それって……」

「ですので、ぼくは少しメイヴェル伯爵家について調べてみようと思います。単に世間的には目立たない分家である可能性もありますし」

「アルト、どうしてそんな大事なことを早くあたしたちに言ってくれなかったんだよ?」

「師匠たちが道中も盟王都に入ってからも舞い上がってはしゃぎまくり、ぼくが口を挟もうとしても『細かいことは気にするなって! アルトは気にしいだなあ』と笑ってあしらわれたからですが?」

「すみませんでした……」


「じゃあ、わたしもアルトくんを手伝おっか?」

「いえ、聞き回るならぼく一人の方が動きやすいですし、街の住民も警戒心が薄くなるでしょう。安全面でいえば盟王都は騎士軍のおかげで治安は悪くないようですし、昼間なら子どもが一人で走り回ってても問題ありません。それに」

「それに?」

「シルリィさんは自分の罪悪感が減るからと買う物買う物全て三人分買い込んでくるので消費額で言えば師匠より多かったことを思い出してほしいです」

「すみませんでした……」

「今日から面会予定の日まで、師匠とシルリィさんは最低限、伯爵家当主と面会するにふさわしい健康状態を維持できる程度の生活費は稼いできてください。いいですね?」

「「はぃぃ……」」





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