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第23話



 ドラヴィオラは顔を顰めてその単語を繰り返した。

「マジュツシ? なんだぁ、そりゃあ?」

「あたしは生まれたときから人より持っている魔力が多かった。だから、あたしは人よりも強くなれた。けど最強ではなかったんだって、あんたと会って痛感した。あんたに勝つためには、まだ、足りなかったんだ」


 イグセリカが纏う、白銀色の魔力。肉体の枠を超え大気の中でも漂い続けるそれは、決して凡人では持てない量の魔力が成せる現象だ。


「そんだけあってまだ足りないってか? わたしに届かねえのは魔力の多さ少なさのせいじゃねえ。てめえの技術の未熟さのせいだ。それだけを呪ってさっさと消えろ」


 むしろドラヴィオラは同情的だった。

 その目は、道具だけには恵まれて、その恩恵だけで上達したと喜び技術を磨いてこなかった子どもを見るような、見下した憐みに染まっていた。

 しかしイグセリカは、そんな彼女の勘違いを正した。


「違う。自分ですら持て余すほどの魔力を使いこなすのに、腕が二本と脚が二本じゃ足りなかったんだ」


 あまりの突拍子な発言にドラヴィオラが脱力する。腕がもう一本欲しいとでも言い出すつもりか、と。


「……どん底まで阿呆なのか。てめえは」


 ドラヴィオラの侮蔑には動じず、イグセリカはその我が儘を続ける。


「あたしはもっと魔力を、自由に、思うがままに、望むままに、恣に、使いたかった。あるとき、一つの可能性を見つけたんだ」


 人の集中力には、限界がある。

 どんなにマルチタスクが得意な人間でも、両手で同時に文章を書くのがやっとだろう。

 これがさらに足の指にペンを挟んで文章を三つ、四つと同時にとなると、こなせる人間はもはや大道芸の域に入ってくる。

 イグセリカはその大道芸を、恵まれた魔力量と才覚ですでにこなしている。

 エンジンを稼働させるときは、両腕両足全体に意識を集中させる必要がある。それに加えて魔力刃や盾を造り出すとなれば、常人ならざる集中力も求められる。

 しかしイグセリカはそれを見出した。自分の肉体の中で、たとえ四肢が塞がっていたとしても、自分の意志を介在させ魔力に影響をもたらせる更なる場所。それは。


「自分の声に、言葉に、魔力の支配権を委ねる。それが、魔術。あたしが到達した新時代の英傑としての結論だ」


 言葉は人間が己が意志を伝える神経だ。

 言葉に魔力制御のための集中力を委託する。


「あたしの魔力よ! 前に進め!」


 イグセリカが叫んだ。

 すると、イグセリカを覆っていた魔力の挙動が変化した。腕も足も動かしていないのに、纏う魔力が前方に向かって動き出したのだ。

 だが――ドラヴィオラはぽかんと口を開ける。 


「なんだこりゃ……。これが魔術ってやつか?」


 イグセリカの正面に滞留していた魔力が、徐々に伸びてきた。粘土を手で引っ張ったように。のろのろとドラヴィオラに向かっていく。

 避けるまでもない。触れたところでダメージにすらならない程度の緩慢な動きだ。


「言葉で魔力を操作する、っつう発想には感心したがな。大仰にほざいといてこれが切り札ってんならがっかりもいいところだ」


 パシン、と手の甲で弾かれる。


「わかるか? てめえのやってることは、ワタシへの侮辱だ」


 ドラヴィオラが踏み出した。怒りの籠もった力強い一歩。


「っ! 魔力よ、あいつを殴れ!」


 エンジンで大きく退きながら再度試す。さっきより多少速くはなったが、やはり威力などないに等しい。

 イグセリカもわかっている。自分でも想定以下のしょぼさだった。

 練習では鉄の板を折り曲げるくらいの物理的なインパクトは生み出せた。今は両手両脚にも意識を向けドラヴィオラにも注意を払っているせいか、制御が分散されてうまくいかない。


「おらぁ!」


 ドラヴィオラに正面から拳で撃ち返された。イグセリカの魔術で移動した魔力は霧散し立ち消える。

 襲ってきた風圧を腕を交叉させて防ぐ。相変わらず凄まじく痺れる一撃。

 腕で防御のための保持している盾は解除できない。ドラヴィオラ相手には意味のない代物ではあるが、それでも直接殴られるよりはマシだ。

 両脚に展開しているエンジンも同様だ。大気を壁にして自由に駆け回るドラヴィオラに対して無防備になる。

 さっきまでの退避と防御をこなしつつ、魔術を攻撃に回す。今はそれしかなかった。


「違う、もっと右だ! そのまま真っ直ぐ向かってぶつかれ!」


 ドラヴィオラはもはや避けるまでもないと認識したか、正面から受け止めた。

 かすり傷もなければ仰け反りもしない。多少強い風が向かってきただけのような抵抗しか感じていない。


「魔力よ! 行け! 突っ込め!」


 ただ命令口調で叫ぶだけではだめだ。明確に自分の魔力に何をしてほしいかを命じなければ。

 繰り返し自分の魔力に指示を重ねるが、イメージ通りに動いてくれない。


「でけえことを言う割にはうまくいかねえみてえじゃねえか。期待させやがって」

「あたしの魔力よ、あいつを――」

「しつけえ!」


 ドラヴィオラの拳がイグセリカを横から穿つ。回り込まれて薄いところを狙われた。振動が頭を揺らし身体が浮くほどに吹き飛ばされた。


「がはっ!」


 倒れたイグセリカは草を掴む。身体に響く痛みに歯を噛み締めるが、意識は別のところにあった。


「違う。もっと、もっと魔力に方向性を求めるんだ。ただ声を出して言葉に乗せるだけじゃ駄目だ。言葉にもっと意味を乗せないと魔力は具体性を持ってくれない」

「ぶつぶつと往生際がわりぃな。ワタシだったらとても弟子に見せらんねえよ、そんな姿」

「くっ」

「時間の無駄だ。もう終わりにしようじゃないか」


 期待を潰された怒りか、失望の冷たい目でドラヴィオラは憎々しげに吠えて駆ける。

 エンジンで加速して逃げる。思いきり顔を殴られたせいか鼻血が垂れていた。

 繰り返し繰り返し言葉とイメージを変えそれでも上手くいかない。段々苛立ちの方が大きくなってきていた。


「もっと速く! もっと強く! あいつを吹き飛ばせ! まだ全然足りない! あたしの魔力だろ! 言うことを聞けよ!!!」


 自分の魔力を罵倒して何かが変わることを期待したわけではない。単なる破れかぶれの叫びだった。

 が、それが功を奏した。

 イグセリカの叫び声に呼応するかのように、魔力が風船のように膨れ上がり、弾けた。

 勢いよく弾けた魔力がドラヴィオラに突風となって襲いかかった。


「うおおっ」


 まるで山の頂で受ける強風を全身で浴びているかのような勢いに、ドラヴィオラがバランスを崩した。舐めてかかっていたのもあるだろうが、ドラヴィオラの足はその一時だけ確かに止まったのだ。魔術によって。

 イグセリカはその様子を見て生唾を呑み込み、呟いた。


「そういう、ことだったのか」


 ようやくわかったのだ。

 足りなかったのは、破壊に対する憧れだ。躊躇いのなさが、自分の求める破壊を生む。撃った後のことなんか、どうでもいいじゃないか。

 暴走した十四歳のあの日から魔力の操作を覚えたのは、自分のせいで誰かを傷つけたくなかったからだ。だから無意識に抑制していた。

 でも、今なら。イグセリカはその答えを掴んだ。

 形を変えてぶつけるなんてまどろっこしいことをせずに、ただぶっぱなしちまえばいいんだ。

 そして魔力に乗せる言葉には、自分の手足よりも強い意思を込められる。


「あたしの魔力に命じる――!」  


 イグセリカの眼前で魔力の塊が形を筒状に変えていく。

 言葉のイメージは、英雄バンガの伝記から借り受けた。彼の英雄としての偉容と勢威を示すための、力を具体化するための言葉だ。

 イグセリカが造り出した魔術の筒は、スレイプニル・エンジンと同じように筒状ではあったが、より歪で氷柱とも牙とも見えるような突起が幾本も生えていた。


「――今こそ、軍神とて灼きつくす閃炎となって撃ち払え!」


 そして魔術の筒は光を溜め、瞬いた。


「っ……!」


 ドラヴィオラの顔に初めて驚愕が浮かぶ。顔のすぐ傍を、一瞬にして熱線が通り過ぎていった。

 砲身はまるで開かれた顎門(あぎと)。そこから放たれる魔力の放射はまるで竜獣の息吹(ドラゴンブレス)の如く。

 顎門から放たれたレーザーのような閃炎は下から上へ。地面を焦がし奥の掘っ立て小屋を真っ二つに裂き上空に昇って大気を焼いて煙を巻き起こした。

 世界に魔術が生まれた、その瞬間だった。


「まだだっ!」


 イグセリカは自分の頬を叩いた。今の成功に自分で驚いてる場合じゃない。

 狙いが甘い。放射角が安定しなかった。隙が大きすぎる。反動で自分も後ろにかなり吹っ飛んだ。威力は申し分なかったが、まだ上げられる実感がある。

 もっと、もっと試したい。


「あたしの魔力に命じる――」


 顎の構築が格段に速くなった。収束していく魔力の彩度が変わるほど濃密になっていく。

 今まで移動に使用していた両手両足のエンジンを、今度は魔術の反動を相殺するために使った。


「――撃ち払え!!」


 発射。

 勢いよく放たれた魔力の放射は、ドラヴィオラへ真っ直ぐに突き進んだ。


「――っ!」


 ドラヴィオラは咄嗟に顔の前で腕を交叉し、魔力を滞留させてその放射を受けた。

 ダメージはほぼない。が、身体のあちこちは焼けたように黒い煙が立っていた。

 生身であったら腕の一本くらいは焼き切れていただろう。

 さらに幾度もイグセリカの魔術が撃ち放たれる。その度に精度と威力が格段に向上していくのが実感できた。

 それでもなお、イグセリカは自分の理想には至っていないことを強く自覚していた。まだ、撃ち足りない。まだ、改良できる。


 ドラヴィオラはさきほどの一撃でだいぶ警戒を強めたようだ。身構えて踵を浮かしている。でも逃げる気はないらしい。

 ありがたい。まだ試せる。魔力刃すら効かないこいつ相手になら。

 まだ撃っても大丈夫だと思えるくらいに頑丈な相手でよかった。今この場で、攻撃を向けてもよさそうなのはあんただけなんだ。


「すまない。あんたを傷つけるつもりはないんだ。でも……あと少しなんだ。あと少しで、魔術の完成形が掴めそうなんだ。今ここでやめたら、そこに届かなくなる。だから、頼む……当たらないように、避けてくれ」


 心底楽しそうな、イグセリカの笑みに。

「っんだ、そりゃあ!」

 ドラヴィオラは悪態をつきながら、続けて放たれた魔術を転がり疾駆して避ける。

 戦いの最中だというのに、思いついたことを試さずにはいられない子どものような、無遠慮に撃ちまくるイグセリカの無邪気。

 それが人を殺しかねない暴力だとわかっていながら、それでも自分が壁を乗り越え成長する実感が楽しすぎて、やめられない。




 目の前で好き勝手暴れているこの女は、この戦いをそうやって楽しんでる。

 そんなの、まるでどっかの英雄みたいじゃないか。


「――ハハッ」


 真剣に戦っていながらクソ舐めた態度だと憤りが噴き湧いたが、ドラヴィオラはそれをイグセリカに向けることができなかった。

 むしろ自然と出てきたのは快闊な笑い声だ。歯を剥きだしてするような。


 なんでかって――ワタシも同じように生きてきたからだ。わかるよ。楽しいよな。


 超えられそうな壁が見える度、脇目も振らず突っ走って立ち向かって強くなってきた。登れば登るほど雲が晴れていく山のように、上に行くほど視界が拓けるんだ。

 次の魔術を撃たれる前に追撃を加えんとドラヴィオラが疾駆する。大気を踏み場に縦横無尽に跳びはねるドラヴィオラを、イグセリカはエンジンの噴射で退避した。距離が開いた隙に魔術が始まる。

 稲妻のように大気を駆け不規則な動きでドラヴィオラは翻弄する。


 「――撃ち払え!」イグセリカの魔術が続けざまに放たれる。まるで質量を持った光線だった。身体を真後ろに大きく反らしてすんでのところで躱す。魔術は土を焼き木をなぎ倒した。腰を捻り大気を蹴って跳ぶ。


 魔術。なにより驚異的なのはその疾さだ。

砲口から射出された閃炎が着弾するまではほぼ同時。光と同じ速さと言っていい。

 だから瞬いた瞬間には射線から逃れていないと喰らってしまう。砲口の向きを予測して、イグセリカの詠唱が終わった瞬間には身体をずらして先の先を取る。

 イグセリカの魔術のわずかなインターバル。あの魔術とかいうのには顎門の中に魔力を貯める時間が必要だ。ドラヴィオラはその隙をついて急接近し、真横から獅子吼のごとき猛る紅い拳を走らせる。


 イグセリカの顎門の構築が更に速くなっていた。拳が届く前に閃炎が肩を掠めた。激痛が走るが、無視した。無視できるほど、目の前の相手しか見えていなかった。

 一撃を叩き込むチャンスはすぐにやってきた。さらにフェイントを増やして近付きイグセリカを包み込む魔力ごと殴り飛ばす勢いで叩き込む。

 衝撃がイグセリカを仰け反らせる。倒れかけたが力尽くで姿勢を戻した。


 まぁだ笑ってやがる。ワタシも同じか。  


 再び発射直後の隙を狙って飛び込んだ。甘かった。砲口の数が増えていた。間一髪、大気を蹴って真横に避ける。脇と股の間を抜けていく二本の光線。

 避けることはさほど難しくはない。まだ予兆が見える。だが距離を縮めることが格段に困難になった。あっちは魔術が外れればすぐにエンジンで離れてまた準備を始めるのだ。

 それでも攻め続けて、互いに決定打を入れあぐねている。


 このやろう。魔力量に底がないからって無茶苦茶しやがる。鎌首をもたげた顎門が五本も自分を狙っていた。まるでヒュドラのようだ。


 時間差で放たれてくるそれを、空中で右に左にと躱すが、すぐに次の光線が装填され思うように近づけない。

 こりゃ少し時間がかかりそうだ。ああ、はやく行かねえとやべえんだけどな。領主が日和って大人しくなると困ることになる。


 なのに、今はこいつと戦いたい。互いが納得できる、完全な決着をつけたい。

 その願いが二人の間で一致したとき、互いの攻撃の手が同時に止んだ。

 互いに魔力と体力が続く限りこの攻防は続く。相手の攻め手を悉く防ぎ躱し、先に力尽きた方の負けだ。


 だけどな。


「そんなつまらねえ終わり方でいいわけがねえだろうが。となったら、やることといやあ一つしかねえよなぁ?」

「手加減はしないからな。というより、手加減ができるほどまだ極まっていないんだ」

「舐めんな。そんくらいでワタシが死ぬか。手加減なんてしやがったら殺す前に殺してやる」


 互いに持てる全ての力を注いだ、正面突破。

 それでしか満足できる決着は着かないと両者が同時に悟ったがゆえの、嵐の前の停滞。

 ドラヴィオラは蒼い闘気を纏った蒼咆の両脚で一歩踏み込んだ。

 力強く、だが清涼な地響きが、周囲一帯の淀みを吹き払った。ただ二人のぶつかり合いのための空間を提供するかのように、風や音もその場から立ち退いた。


「来い」


 ワタシだって、まだ見せちゃいねえんだぜ。


 ドラヴィオラから真っ直ぐに向けられる金色の視線。口の端から漏れる、肺から滲み出る魔力を含んだ呼気が、細長く煙るように靡いて消える。


「あたしの魔力に命じる――」


 イグセリカが唱えはじめた。 

 魔力に通う神経を研ぎ澄ます。太く熱く。顎形の砲身が形作られ、喉奥に凝縮された魔力が溜まっていく。



 ――その直後だった。



「ドラヴィオラ・リオネス・グランジトー!」


 聞こえた叫び声に、二人が同時に振り向く。

 イグセリカは聞き慣れた弟子の声に。

 ドラヴィオラは、その少年が知らないはずの、自分の名を叫んだが故に。


「あなたが求めているものはもうここでは手に入らない。領主の計画は頓挫しました。あなたが争う理由はもうなくなった」


 後ろに共にいた女と領主を引き連れ、対峙したふたりを割るように声をあげ堂々と立つ少年の姿がそこにあった。






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