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第22話



 イグセリカではドラヴィオラには勝てない。

 しかし仮に「これまでイグセリカの傍にアルトゥール・リープマンがいなければ」という条件を付け足していたら、勝敗は逆転していただろう。

 かつて、私の前に現れたドラヴィオラが残したイグセリカへの評がある。


「ワタシは、あいつに……一度も勝てたことがねえ。あいつの魔力の層は厚すぎて、ワタシの拳が届かねえんだ。どんな鋼鉄よりも硬く堅い。魔王。ワタシを殺したからっていい気になるなよ。イグセリカが、必ず貴様を殺す」


 私の魔力で首だけで生かしていたドラヴィオラは、私との短い対話の中で確かにそう言っていた。

 大気や生物体内に普遍的に存在する魔力だが、その活用方法は使い手それぞれだ。

 イグセリカが自分の肉体に収まり切らない魔力量を肉体外部で形状変化させ様々な効果を持たせることも。

 ドラヴィオラが肉体に流れる魔力を極限まで追求し、常人及ばざる身体能力を恣に駆使することも。


 四人の花嫁だけとっても、魔力の使い方には個人差がある。

 使い方が異なれば、つまりそこには相性が生まれる。

 ドラヴィオラは四人の中で最も高い攻撃性能を有しているが、魔力が肉体に留まっている以上、リーチの短さという弱点がある。極限まで極めた俊敏な身体能力は、むしろその弱点を補完するためのものであるといってもいい。そのため全身を全方向から莫大な量の魔力で包み込んでいるイグセリカに攻めあぐねるわけだ。


 しかし、私の影響ではあるがイグセリカは想定を大幅に下回る成長率だ。強度も技術もまるで基準に達していない。

 私の影響力がそれだけ大きいということだ。今のドラヴィオラと比べて、その練度に二割以上の差はあるだろう。

 つまり、ドラヴィオラの拳はイグセリカに届きうる。


「イグセリカが負けるって、アルトくん本気で言ってるの?」

「はい。今の師匠に、あの用心棒に勝てる要素はありません」

「いくらアルトくんの話でもすぐには信じられないよ。あのイグセリカだよ?」

「用心棒はまだ全力でもありませんでした。それなのに、師匠はやぶれかぶれなやり方でようやく用心棒の隙を作れたのです」

「そうだけど……」

「ですから、シルリィさん。ぼくたちは手分けしてはやく領主を見つけ出し、この戦いを終わらせる必要があります。ぼくたちこそが、師匠を守るために。用心棒が戦う理由をなくしてしまえばそれは叶います」


 私たちがイグセリカを守るという方向に主題を曲げられ、シルリィは苦々しそうに唇を歪ませる。

 まだイグセリカが負けるという話が信じられないといったような顔をしていたが、最後には自分たちが置かれている状況を理解したようだ。


「わかった。アルトくんを信じる。でもこれ以上危ないことをしちゃダメだよ?」


 真剣な表情で頷き、シルリィはそう言い残して階段を駆け上がっていった。

 これでシルリィ払いもできた。

 そして私は二階に行く振りをして、一階の倉庫に向かった。

 シルリィも常に私を見ているわけではない。だが、二階に向かわない私にいずれは気づくだろう。


 彼女が追いつく前に、領主を尋問する。

 彼女が館の中の領主を見分けられなかったのは、私にとってまたとない幸運だった。

 その理由に私はすぐに思い至った。それは、領主がおそらく裸だったからだ。

 厄介事は用心棒に任せて、自分は逆らえない女中を好き放題しているといったところだろう。

 まだ少女らしいうぶさが残っているシルリィには、領主が倉庫で女中を手込めにしているという発想が生まれなかったのだ。

 他の男三人の服装に大きな違いが見られなかったのは、おそらく彼らの身分がそう変わらないからだ。玄関の扉だけでわかるほど華美に過ぎる見栄っ張りさを見るに、従者と同じレベルの服装など着たりはしない。


「つまりここにいる男が領主である可能性が一番高いわけだ。ハウマン・コルベクニス」

「なんだぁ……貴様?」


 光のない目で人形のように項垂れ、涎を垂らしされるがままに股を開かされている女の足首を掴んでいる醜い髭面の男。

 床に散らばる衣服だけはやたら豪華なくせに、髭は生えるがままに伸ばし自分の身体のケアなど微塵も気にしていないと思えるほどの体臭を漂わせる小汚く小太りの、金を着ることが好きなだけの小男だ。


「なんでガキがこんなところにいやがる。おい、ガキ。吾輩は大人のお楽しみ中なんだ。さっさとここから出ていけ」

「飢える領民をほったらかしにしておいて、女を玩具にする方が大事か」

「貴様、村の人間か? ふん、どうせまた税金の話だろう。ガキまで使うようになったか。卑しいやつらめ。やらんやらん。生きていられるだけありがたいと思え」

「どうでもいい。税金のことなど私には」

「ああ? じゃあなんでここに来た。用がないなら帰れ。ガキ。二度はねえぞ。今回だけはガキサービスで見逃してやる」


 再度の女の方に向く領主の後ろから私は続けた。


「お前に時間をとられたくないのだ。私の質問に答えろ」

「消えろっつっただろうがあ!!」


 領主が傍の木箱を乱暴に蹴飛ばして私に憤怒の表情を向ける。


「聞こえなかったか!? 聞き分けがねーのは卑しいクソ親譲りか。ああ!? 貴様どこから来た! 今すぐおまえの村の税金を上げてやるからな! 吾輩に逆らえばこうなるんだ、わかったか!」


 ピリ。

 と部屋の空気が軋んだ。


「あ、お、おおお?」


 吐く言葉が理性を失い、瞬時に領主の顔に大量の脂汗が浮かび滴り床に垂れる。

 ほんの刹那。一秒にも満たない寸毫の時間だが、見えただろう。私の姿が。


「私の花嫁たちの踏み台ごときが手間を取らせるなよ。今この場に立っているだけのことですら、私には蛞蝓の後ろを歩かされているようでただでさえ不愉快極まりないのだ」


 領主が女から手を離し、女は抵抗なく床に頽れる。後ずさる領主は目を見開いたまま無意味に口をあぎとうばかりだ。


「貧乏田舎領主が大層な偉ぶりようだな。いっぱしの貴族気取りか」

「な、何なんだ、貴様は……」

「私の質問にのみ答えろ。今のと同じものをもう一度見たくなければな」


 領主が息を詰まらせる。理解したとみて私は続けた。


「お前が雇っているあの用心棒。彼女はなぜお前に従っている?」

「用心棒? ……あ、ああ、ドラヴィオラか。あやつは吾輩が拾ってやったのだ。難民のキャラバンに匿われていたのをな」


 難民? ドラヴィオラは外国出身ということか。近隣諸国のいずれかの出なのだろう。


「ドラヴィオラはどんな恩義があろうと、仕える者の下卑を見過ごすような女ではない。何か弱味でも握ったか」

「き、貴様があやつの何を知っているのかは知らんが、むしろあやつの方こそが吾輩の用心棒になりたがったのだ。理由なんてしらん。金が欲しかったんだろう。いつも物欲しそうな顔をしてく……る…………」

「彼女たちを侮辱できるのはこの私だけだ。糧にもなれぬ個体風情が私の花嫁に罵辱を与えることは輪廻の流れに逆らうほどの無礼と弁えろ」

「っひい……!」


 領主は二歩後ずさりすると足を引っかけて尻餅をついた。

 あまり魔力をひけらかしてシルリィに見つかるのもつまらない。脅すのもこれくらいにして……本題の本題に入るか。

 私は領主に近付き軽く腰を曲げ視線の高さを合わせた。

 そして、この姿となって初めて、その名前を人間に向かって口にした。


「次の質問だ。お前は、ウィチャード・ラグナーという名の男を知っているか?」

「ウィチャード……? い、いや、知らない。初めて聞く名前だ」

「本当だな?」

「本当に知らない。盟王都でも聞いたことはない……」


 領主の怯えた顔に刹那の揺らぎもない。本当に知らないようだ。

 いくらゲスの田舎領主でも、立場上人脈は広いだろう。

 ドラヴィオラはウィチャードの思惑によってここにいるわけではないということか?

 しかし領主の用心棒をする前から接触していれば領主も知り得ないだろう。やはり聞くなら本人にか。どうにかして彼女を抑え込んで、話をする方向に仕向けたいのだが。

 そのとき、領主が気になることを口にした。


「そ、そいつはもしや、例の不法難民キャラバンにいたやつか……?」 


 キャラバン。諸外国から陸上を荷台牽引用獣魔で移動し輸出入を行う商隊の総称だ。砂漠や荒地、危険な獣魔生息域を横断するため、大抵は国家に委託された護衛隊も随行する。

 中には国から脱出するべくキャラバンを装う難民や、輸出入が禁止されている違法薬物や違法魔性鉱物、珍しい獣魔の死骸などを持ち込む悪徳もいるようだ。


「どういうことだ? ドラヴィオラも難民キャラバンで拾ったと言っていたな。それがウィチャードと何か関係しているのか?」

「し、知らん。吾輩は何も知らん……」


 往生際の悪い領主の喉に、私は指先に生んだ小さな魔力刃を突きつける。生唾を呑み込むおぞましい音が私にも届いた。


「話せ」

「……一年前に不法難民で組織されるキャラバンが盗賊に襲撃されるという事件が、西の領境付近であった。女子ども含めて三十人以上はいたらしいが、ほとんどが殺されたそうだ。死体は見つかっていない。獣魔に喰われたか、盗賊が持ち去ったなんて噂もある」

「それがドラヴィオラとどう関係している?」

「あやつはその難民の生き残りだ。あやつを保護した別のキャラバンがそう言っていた。吾輩が拾ったのはその後だ……」


 ドラヴィオラが襲撃された不法難民キャラバンの生き残り?

 領主がドラヴィオラとウィチャード、そして不法難民キャラバンの話を結びつけたのは、私が立て続けに問うたからだろうが、実際にウィチャードがその中にいた可能性はなくはない、か?

 それならあのドラヴィオラが、自らの信念も顧みず下卑た領主に加担している理由にも納得がいく。


 彼女が欲しいのはおそらく金銭的な報酬ではないのだろう。襲撃者と消えた仲間の情報か。

 追及の手を止めたくはなかったが、ここでタイムアップだ。私は言葉を切った。


「アルトくん!」


 ばあん! とドアを勢いよく開き、シルリィが飛び込んできたのはその直後だった。


「アルトくんが変なところに行ってたから戻ってきたよ! アルトくんがそういうことに興味が出てきたのはわかるけど人のを覗いちゃだめなんだから! って、わあ! アルトくん何してるの!? 裸のおじさんと!?」

「シルリィさん。この人が領主様ですよ」

「アルトくんだめだよ! おじさんとはいえ人の裸なんて見たら!」


 シルリィが話を聞かずに私の両目を後ろから覆うように手で隠してくる。


「シルリィさん。ぼくのことはいいのであそこで自失している女の人を介抱してあげてください。怪我もしているようなので」

「えっ? わっ、大変! 何があったの!? アルトくん、あんまりまじまじと見ちゃだめだからね!」


 シルリィがまだ虚ろではだけている女のもとへ小走りで寄っていく。薬でも使っていたか、女はこの最中でもぼうっとしたまま動こうとしなかった。


「き、貴様らは一体何なんだ。その女も、貴様と同じ化け物なのか……?」


 無垢な少年の笑顔で答えてやる。


「逆らわない方がいいですよ。彼女はぼくよりも強い。そしてぼくたちだけじゃない。なぜ自慢の用心棒がぼくらを素通りさせたと思うんですか? ぼくの仲間が彼女を押し止めているからです。今日ここにきた全員が、ご自慢の用心棒に匹敵すると思ってください」

「何……?」 


 法螺も必要ならば吹く。法螺であることが悲しくなるが。

 しかしそこで領主は予想外の反応を見せた。


「お、お前たち。どうやら腕が立つようだ。ど、どうだ! 吾輩の下で働かないか? これから先、吾輩の領地ではおまえらのような強い人間がもっと必要になる。正式に吾輩に雇われるなら、貧乏な農民や傭兵の生活からはおさらばできるぞ。どうだ?」


 私は顔を顰め返答に詰まった。

 言い逃れのための屁理屈かとも思ったが、それにしては「これから先」という言葉が引っ掛かった。その場逃れの言い訳なら咄嗟には出てこない具体性だ。


 ここはひとまず……予定通りシルリィたちの問題の方に移るか。

 私は改めてこの裸の男が領主当人であることを彼女に説明した。彼女は口をあんぐりと開けていたが、なんとか呑み込んだようだ。


「わたしたちは仕事が欲しいわけじゃなくて、税金の見直しをしてほしくてここまで来たんです。お願いです、領主様。これ以上税金をとられてしまうと、みんなが暮らしていけません。どうか、もっとみんなが楽になれるようにしてください」


 裸の領主に、シルリィが私が教えた通りに悲壮感を漂わせ涙目になりながら恭しく頭を下げ訴える。しかし。


「そ、それはできない」


 やはり陳情程度ではこの愚物を動かすに足りないか。

 即座に拒絶した領主に、私はシルリィに聞かれないように耳打ちする。


「私を手間取らせるなと言ったはずだが?」

「ふ、っひ。……ひぃ」

「どうした。さっきまで無抵抗な女に向けていたソレが消え入りそうなほど縮こまっているようだが」


 さらに私は己の眼のみを、領主にだけ見えるように、アルトゥール・リープマンを形作っている魔力層を指先で剥いでみせた。膜を除けるように。

 すぐに戻す。あどけない少年の顔が戻る。領主の歯ががちがちと鳴り始める。 


「お前ができる答えはイエスのみです。でなければ、魂の回帰すらできぬほどの滅びが訪れると知ってください」


 ここまでして渋るならば、いっそ後でイグセリカたちにバレないようにこっそり殺してしまうか。ウィチャード・ラグナーとの繫がりもないなら存在価値はない。

 しかし領主はここにきて突如大声を張り上げた。


「ま、待て! 貴様らは吾輩が私腹を肥やすために税金を上げているんだと思っているんだろうが、それは違う! ひとまず聞け! 吾輩は領地の繁栄のために税収を上げる必要があっただけだ!」


 いきなりの主張に、私とシルリィは無言で顔を見合わせる。

 ふむ。


「今も飢えに苦しんでる人がたくさんいるのに、どの口で繁栄なんて言えるの!」

「シルリィさん、とりあえず聞いてみましょう。何かのっぴきならない動機があるようです」


 ここまで脅されていながら一歩も退かないのはある意味たいした胆力だ。

 聞くだけ聞いてやろうと私は顎で示して領主に続きを促した。


「全ては、盟王都だ。盟王都は今、ある施設の建設候補地を探している。貴様たちのような強者が、その施設を守るために必要なのだ」





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