第20話
再度身構えるドラヴィオラの、その威容が変化していた。
彼女の肉体に宿る魔力の光を見て、イグセリカは自分の目を疑った。
「魔力の色が手足で違う……? そんな馬鹿な」
ドラヴィオラの前腕から先は紅く、そして膝より下は蒼く輝いていた。
行使する際に浮き出る魔力は、人それぞれによって色や質感が異なる。
その色は大抵の場合、一人に対して一色だし、成長の過程で多少の色が変わることはあっても、生涯で大きく変わるようなことはない。
それは自分という人間の身体の、癖みたいなものだ。髪の色や肌の色のような、自分でコントロールできる類いのものではない。
だが目の前の女戦士は、両手両足に真反対の色をした魔力を湛えている。
身体の中で違う色の血液が同時に流れているのと同じようなことだった。生物として成立しえないありえないはずの現象だ。
「風の流れと共に大地を走る自由な流浪の民だったワタシらが、土地を追われ逃げ続け、殺され殺し、なお生き延び一族を守るために見出してきた力だ」
ドラヴィオラが跳んだ。また真正面からの殴打。
イグセリカはさきほどまでと同じように対応した。どんなに魔力で強化された強い膂力を誇る相手であっても、ただの拳打なら防ぎきることは容易だ。
刃すら備えないただのパンチが、厚さ一メートルはある強固な魔力の盾を突き抜けることなどできないのだから。
そのはずだった。
「が、あぁっ!?」
ドラヴィオラの紅い拳が盾に打たれた瞬間、自分の胸に鈍痛が走った。まさに殴られたような。
痛がるよりも、何が起きたかわからず思考が乱れた。
(打撃が、直接あたしまで通ってきてる――!?)
それは発勁、遠当てと呼ばれる類いの拳闘術の奥義に近いものだった。
打撃箇所と繋がる離れた部位へ、打撃そのもののインパクトの位置をずらす技術。
ドラヴィオラの紅い魔力で強化された拳は、生涯をそれのみに捧げた拳闘家が老境に至りようやく手に入れられるその技術を、思うがままに振るうことができるのだ。
その一発だけですぐに気づく。己があまりにも不利な状況に立たされていることを。
イグセリカの肉体に纏う魔力の厚い層。
イグセリカは体質上、魔力を使おうとする限り全身から湯水のように溢れ出てくる。壊れた蛇口のように、どばどばと出てきてしまうのだ。エンジンのような使い方は、その体質を上手く活用するために見出したものだった。
流出していくだけの魔力の完全な制御方法をイグセリカは身に着けていない。せずとも枯れることはなく困ったことがなかったからだ。
その才能は、今この場では意味を全てなくした。
ドラヴィオラにとっては、イグセリカの大量の魔力は肉体の表面積が増えたに過ぎず、拳打を当てればいい箇所が広がっただけなのだ。
「くっ!」
イグセリカはエンジンを逆噴射し距離を取る。
ドラヴィオラが接近戦やめなかったということは、彼女の拳打は大気の薄い魔力を伝達させることまではできない。そう見越しての退避だった。
ドラヴィオラが突っ込んでくる。やっぱりそうだ。
イグセリカは盾ではなく、両腕にもエンジンを形成、下方に向けて爆発的に噴射。高く飛び上がる。
盾が通用しないなら、距離を維持して避け続けるしかない。
「勘はいいな。一歩足りねえが」
「なっ――!」
上から、声がした。
仰げばドラヴィオラが自分より高い位置にいた。
ただ高く跳び上がった、だけじゃない。
イグセリカは思考を乱された。こっちが飛び上がることを見抜いてタイミングを合わせてきたのだとしても、あまりにも反応が速すぎる上に、彼女は地上とは自分の身体を挟んで真逆の位置にいた。
一体、どうやって。
ドラヴィオラは腕を振り上げ、組んだ両手をハンマーのように思いきり振り下ろしてくる。
咄嗟に盾を向けてしまった。それが悪手だとわかっていながらも。
「しまっ――」
鈍器で殴られたような衝撃が、盾を通してイグセリカの脳天に届いた。
真っ白になって、エンジンの制御を失い墜落する。
落下のダメージは自分の魔力がクッションになって軽減してくれたが、頭をまともに殴られて目が回った。幼いころに父親にげんこつで殴られたときよりも遙かに強烈な殴打だった。
思えば昔のそのげんこつが、人生で一番痛い経験だった。魔力の制御を身に着けてから、獣魔相手だろうとろくに怪我をしたこともなかったのだ。今、それは塗り替えられた。
頭が割れるように痛い。頭蓋骨が陥没せずに済んだのは幸運だったかもしれない。
そうじゃない。手加減された。だから生きてる。
イグセリカは認めがたいその事実を、頭の中ではっきりと言語化した。
(このままじゃ、負ける――)
質量で勝っているだけではこの女戦士は下せない。
「空中なら分があるとでも思ったか」
ドラヴィオラは地面に立ち、片足を上げていた。ただ持ち上げているだけではなかった。台の上に乗せるような形で、そこに体重をかけている。
足の下には何もない。だが確かに彼女はそこに物体を感触し、足を置いている。
イグセリカはまた理解した。あの蒼い脚は任意の場所で大気を踏み台にできるのだ。
空中を駆け上がることも、飛び込んだ勢いを殺すことなく鋭い角度で急激に方向を変えることも容易。箱の中で跳ね回るゴムボールのように、何もない場所を縦横無尽に駆け回る。
近付くことも距離を置くことも許されないこの状況に、口元を引き締める。
(ただぶつかっていっても、チャンスを与えるだけ。もっと効果的な攻撃手段が要る)
逃走する選択はない。弟子との約束を果たせなくなる。ここでなんとしてもこの女戦士を無力化しないとならない。
弟子に対する強迫観念のような、師匠としての面目を維持しようとするその姿勢が、イグセリカを焦らせ、すべきではないと頭でわかっていながらも、半ば無意識のうちにそれを形作っていた。
イグセリカの右手周辺の魔力が形を変える。
それは腕を延長させるかのように棒状に伸び、先は尖っていた。
刃渡り七十センチほどの、ロングソード程度の魔力刃。
イグセリカが右手に拵えたそれを見て、ドラヴィオラは口の端の笑みを深める。
「ようやく理解したか。舐めてかかっていい相手かどうか」
魔力刃と、両脚のエンジン。
人間戦車騎士のごときイグセリカを前にしても、ドラヴィオラは怯まない。困難すら己の成長の糧とさせようとする戦人の立ち姿。
「……」
魔力刃の刃先を向ける。ドラヴィオラの挑発はもはや頭に入っていなかった。
(斬るとしても、肩や脚の端の方だ)
魔力刃とは、そういうものだ。当てる箇所を選ばなければ、簡単に人の命を奪う。それでも相手の筋ごと切り裂き再起不能にまで陥れてしまうかもしれない。そんな憂慮を捨てきれずにいた。
イグセリカは人を殺したことがない。
理性のない獣魔はいくらでも捌いてきたが、どんな悪党であれ人間を殺したことがない。
野盗やならず者なら叩きのめせば簡単に追い返すことができたし、殺す必要がなかった。逃げる相手を追うほどの嗜虐思想は持ち得なかったし、どれほど追い詰められようともその最後の一線だけは越えてはいけないと決めていた。
しかし、今の相手はそのどれにも当てはまらない。
イグセリカは突進しながら魔力刃を振るう。
だが躊躇いのある剣線はすぐに察知され、わずかに身体をずらすだけで簡単に避けられた。
苛立ちが募る。わずかにでも当てさえすればこちらの優位に傾くはずなのに、そのわずかが届かない。
なのに向こうは遠慮の欠片もない。殴られ続け、なんとか隙を見出そうとした。見つけたと思った瞬間、すぐに消える。遊ばれている。
肩口を狙って突きを放つ。
ドラヴィオラはそれを身体を捻りながら、大きな土管の中を螺旋状に走る要領で避け、すり抜け様に一発仕掛けてくる。
意味をなさない盾も、防衛本能に応じて自分の意識とは裏腹に思わず出してしまう。殴られるときに頭を両腕で抱えて庇ってしまうように。
後ろに抜けたドラヴィオラを追って振り返、ようと上半身を捻った瞬間、頬を真横から殴られた。仰け反り体勢が崩れる。
「こんのぉ――!」
闇雲に振るった、半ばやけくその、やぶれかぶれの振り返りざまの一閃。
どうせ避けられると高を括っていた。
(しまった――!)
ドラヴィオラはさらに追撃を試みていた。それは丁度自分の剣線の先で。
自分の失態を呪った。
イグセリカの魔力刃は、ドラヴィオラの腹に真一文字に迫っていた。筋肉も内臓も背骨も、まとめてぶった切る致死の線上。
「やっちまったなあ」
ドラヴィオラが嗤う。
違う。こいつ、わざとだ。
止められない。
「――っ!?」
がちん、と硬質の音がして魔力刃はドラヴィオラの肌の手前で止まっていた。
肌を切り裂くどころか、鉄の剣であったら刃毀れを心配するような堅い感触だった。
斬れたのは、彼女が纏っていたたった一枚の布だけ。
「言ったろ。利かねえって」
にやりと笑みを浮かべるドラヴィオラ。全身の魔力が今度は黄金色に変わっていた。
おそらく肉体の頑強さを極限まで向上させる技能の類い。魔力刃すら通らないほどの。噂は本当だった。
そしてそれ以上に、瞬時に魔力の質を体内で切り替え攻守を使い分ける巧みさ。
思わず身震いし、目を見開いてドラヴィオラを見返し、呆けて、覆せないほどの隙が生まれた。
「がぶふっ――!」
イグセリカの腹に向けて撃たれたドラヴィオラの紅い拳が、イグセリカの纏っていた魔力の層を突き抜け、土手っ腹に直撃した。
バチッと、弾けて意識が途切れかけた。が、歯が砕けそうなほどに食い縛って持ちこたえた。
だが身体は動かなかった。イグセリカは落ちるように膝を地面につき、そのまま前のめりに伏した。
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