第19話
イグセリカは眼前に構えた両手を、そこにはない何かを握り潰すように形作り力を込めていく。
その動きはイグセリカの操作する魔力の塊にそのまま伝わっている。粘土のように自由に変形し動く白金色の魔力が、ドラヴィオラを捕縛し身動きが取れないほどに圧迫する。
頼む。このまま無力化されてくれ。
イグセリカがそう願ったのも束の間。
「つまんねえことをしてんじゃ、ねえ!」
全身を包みこんでいたイグセリカの魔力を、ドラヴィオラはわずかな身体の捻りだけで掻き切った。
イグセリカは表情に驚愕を張り付かせた。
一度ならず二度までも、しかも身動きの取りにくい中空で。
全く手抜きはしていない。圧殺しない程度に加減はしているが、それでもこれまで人に向けたことがないほどの圧力を加えていた。相手がこの用心棒でなければ、とっくに人体など全身の骨が粉々になっているほどの。
それを、こうもいとも簡単に。
着地と同時にドラヴィオラが駆ける。
フェイントの素振りもなく真っ直ぐに向かってくる。振りかぶられた右腕。
愚直といえるほどわかりやすい攻撃性。イグセリカもまた素直に防御態勢に移行。硬質化させた魔力を固めた盾を前面に展開する。
ドラヴィオラの拳が打ち付けられる。衝撃の震動が盾を超えて肉体にまで届いた。ただ真っ直ぐ突き伸ばされた拳が、恐ろしい威力だった。
不敵に笑うドラヴィオラ。
全身に漲る魔力は荒々しいが、それ以上に美しい流れだ。自分にはできない芸当を惜しげも無く披露する相手に、ある種畏敬の念さえ湧いた。
イグセリカはドラヴィオラのように、魔力を自分の肉体に留めることが最も不得手だった。
なぜなら魔力を使おうとすると必要以上の魔力が勝手に溢れ出てきて、肉体の中に留まってくれないからだ。
どんなに制御しようとしても、勢いよく出る湧き水がいずれ川や滝となってどこかに流れ出てしまうように、放出し続けないと上手くコントロールができなくなって周囲を巻き込んで弾けてしまう。
対してドラヴィオラは、一寸の無駄もなく流麗と言えるほど完璧なまでに肉体に流れる魔力を制御し、全身に均等に巡らせている。それが肌の表面で水面の波紋のように見えるほどに。
その点で、魔力を体外に垂れ流し続けているイグセリカとは対極的だった。
本人の才覚はもちろんのこと、長き時に育まれ受け継がれた技法とそれに適応した肉体そのものをもって初めて成せる業だと視てわかる。
「その魔力の使い方……。それにその柘榴色の髪に褐色肌。隣国パルナトケのものだな。難民か」
ドラヴィオラは答えない。が、笑みは消えていた。
「聞いたことがある。隣国には体内で魔力を練り込み身体能力を向上させることに特化した少数民族がいるって」
噂に聞いた。その民族の戦士たちは、魔力刃すら素肌で受けることができるほどの強靱さを誇るという。
そしてその強さを求める外からの圧力から逃げるために抵抗し、そのせいで彼女ら民族自体が迫害に遭っていることも。
「だったら、どうだってんだ?」
「なおさらわからないだけだよ。あんたが領主様の味方をしていることが。コルベクニス伯爵は難民の受け入れには消極的だった。保護政策には税金が多額にかかるからね」
「あのおっさんは他人を都合のいいようにしか利用しねえからな。そっちの期待はしてねえよ」
「じゃあなぜ……」
「黙りな。ワタシはさっさとお前を倒してさっきのやつらを追う。領主が殺されでもしちゃあ、こっちが困るんでね」
「アルトたちはそんなことはしない! あたしたちはただ不当な扱いを正したいだけだ!」
「同じことなんだよ。こっちにとっちゃあな!」
ぶつかり合う衝撃音が大きくなるたび、二人の語勢も負けじと勢いづいていく。
ドラヴィオラの一方的なラッシュが続く。盾ごしの厚い魔力の中にいても響いてくる絶え間ない衝撃の連続は、まるで山小屋の中で嵐を過ごしているかのようだった。噛み締めて耐え抜く。これを破られさえしなければ負けることはない。
ドラヴィオラが、今度は地面に腕が触れそうなほどに腰を落とし低い姿勢で地を駆け回り込む。狼のごとき俊敏性。
疾い。盾の脇をすり抜け、イグセリカの側面に迫る。
身体を捻り盾を向けるには時間が足りない。しかし、イグセリカはむしろその場から動かなかった。
ドラヴィオラは勢いを利用して転身、イグセリカの後頭部を狙い回し蹴りを見舞う。
「オラァ!」
鈍い衝撃音。だがイグセリカは平然としていた。
盾が瞬時に移動していた。イグセリカは見向きもせぬまま片腕を掲げるだけでそれを防いでみせたのだ。
ドラヴィオラは跳び退って、燃えるように揺れ放出され続けるイグセリカの全身の魔力を値踏みするように見やる。
「その魔力量。ただのひけらかし、ってえわけじゃあなさそうだな」
「自分でも止められないだけだよ」
「垂れ流しか」
「人の魔力を糞尿みたいに言うな」
「贅沢なやつだっつってんだ」
イグセリカの防衛体勢は、硬質化させた魔力を展開する盾が主体となる。大きさは望むままに変えることができ、獣魔を相手にするときは自分の背丈以上の大盾を造り出し抑え込むこともあった。
そしてそれだけではない。イグセリカが魔力を使うと自動的に湧き出て全身を覆う魔力。その魔力が届く範囲に限り、全身のあらゆる角度に瞬時に盾を形成し直すことができる。
たとえ死角から打たれたとしても容易に崩れるものではない絶対防衛。
頭と手足を引っ込める亀のようにドラヴィオラの拳打に耐え、先に行った二人を追わせないようにエンジンで先回りし必要であれば突進を繰り返して消耗させる。
それがこの場でのイグセリカの戦闘指針だった。
飛び掛かり斜め上空から拳を振り下ろすドラヴィオラに、イグセリカは盾を移動させて弾く。
相変わらず痺れる一撃。だが慣れてきた。速度にも十分対応できている。最初にいなされたときは驚いたが、十分通用する。
追撃を警戒しエンジンで大きく旋回、距離を取って次の攻撃に備えた。
ドラヴィオラは追ってこなかった。肩透かしを食らったように脱力して見てくる。
「どうせてめえの目的はワタシの足止めだろ。守りばっかで攻撃にキレがねえ。注意を引き付けるためだけに引っ掻いてるようなもんだ。魔力刃くらい使ってこいよ」
「使うわけないだろう。あたしは殺し合いをしにきたわけじゃないんだ」
魔力刃はあくまで、獣魔など人に危害を加える獣を駆除するために用いるもの、という信条がイグセリカにはある。
人に対して使うのは、戦争など命のやり取りを前提とした戦場、あるいは野盗と遭遇した場合などの自己防衛の必要があるときだけだ。易々と人に対して使っていいものじゃない。
アルトには獣魔狩りのためにその技法を教えた。そしてその心構えも同様に。
その鉄則を自分が破るわけにはいかなかった。
ドラヴィオラはその内心を知ってか知らずか、挑発的に笑う。
「ワタシの一族の話を知ってんだろ。本当に魔力刃が効かないかどうか。試してみりゃあいい」
バジリコックのときとは違い、イグセリカには攻撃の意志はあるし、十分人を昏倒させられるだけの魔力質量はぶつけている。
それでも敵わない事実は認めざるを得ない。噂通りの強靱な肉体を持っているのかもしれない。だが、だからといって。
「そういうわけにはいかない。あたしは、人を殺すための力は振るわない」
その決意は、相手を舐めているからではない。イグセリカはそう信じていた。
ドラヴィオラの方は口をへの字に曲げ不満そうにぼやく。
「てめえの本当の強さを見せてみろ、なんて青臭えことはワタシは言わねえぞ。そりゃ少しはどんな奴が来たかとちっと楽しんだがよ。今のてめえの言葉だけでこっちが上だってことがわかったからもういいわ」
「ふざけるな。あたしはまだ負けてない」
「のされねえとわかんねえか。なら、てめえに本当の武を見せてやる」
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