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第15話


 港町カルエン。領主の館のはずれにあり、領地内で一番大きな街だ。


 私たちは領主の館に向かう前に、賑わう港町の民衆食堂で英気を養うことになった。

 石造りの建物が建ち並ぶ街並みに、ハブ港としての役割もあるためか物資がそこらじゅうに積み重ねられている。

 筋骨逞しい船乗りや漁師に、彼らを艶やかに誘う娼婦たち。あちこちで商人同士の交渉と喧嘩が見られ、地元の住民たちはそれを景色の一部として受け入れている。


「しかし今さらですが、師匠たちが館に向かったとして、もが、領主が館にいなければ徒労に終わってしまいますね」

「それなら問題はないよ。情報屋によればしばらく遠征の予定はなく館にいるはずだ。それに、近く村の使者が訪れることを前もって書簡で伝えてある。おそらく読まれる前に握り潰されているとは思うけどね」

「わーっ、このおさかなめずらしー!」

「自分の館の周囲をチンピラで固めるくらいですし、もが、今回も自慢の用心棒で追い返せるとでも思っているのでしょう。逃げ出さなかっただけよし、もが、ということですね」

「領主様は移動するときも例の用心棒を付き添わせているって噂だ。そいつがいる限り、領民からの抗議が来たところで逃げる必要すら感じないってところだろうね」

「ねー、これもおいしいよー!」

「つまり、どんな対策を練ろうとしてもその用心棒を倒さない限り要望は届かない、ということ、もが、ですね」


 私は言った後、口の中の食事を飲み込んで視線を隣のシルリィに向けた。


「シルリィさん、真面目な話をしているのでぼくの口に勝手に食べ物を突っ込むのをそろそろやめてもらっていいですか」

「えっ、でも……おいしいよ?」

「わかってますよ。ぼくはぼくのタイミングで食べますから。ぼくが喋ってる合間の隙を狙ってスプーンを突っ込む必要はないと言っているんです」


 私が言うと、シルリィはショックを受けたように口を大きく開けて固まった。


「ア、アルトくんに、おこられた……。わたしの方が、お姉ちゃんなのにぃ」

「いえ、怒ってはいないですよ。ただ話をするのに邪魔なだけです。スプーン持って待ち構えているのも気になりますし。それに、話の内容はシルリィさんにも重要なことですよ」

「わたしだってわかってるもんー……。わたしはアルトくんにもおいしいものを知ってほしくて……」


 唇を尖らせてぼそぼそと拗ねるシルリィ。


「まあまあ、アルト。シルリィも久しぶりに調味料ががっつり利いた料理が食えて嬉しかったんだ。大目に見てあげてくれ」


 イグセリカもシルリィには甘い。私は溜息をついた。


「わかりました。食べますから」

「えへ、へへへ。はい、あーん」

「勝負は明日だ。今日くらいは肩の力を抜いて、食事くらいはゆっくり楽しみなよ。アルト」





 その夜、商人向けの安宿で二人と一人用の部屋をそれぞれ借りて、私とイグセリカの二人、シルリィ一人の二部屋に分かれて宿泊することとなった。

 私は一人でも構わなかったのだが、なぜかイグセリカが私と同じ部屋を取りたがった。以前言っていた、保護者云々の自覚があるからだろうか。子どもという身分のためそれは仕方ないこととして私も承諾した。

 私とイグセリカがいるのは二階の角部屋で海に面した部屋だ。といっても窓から見えるのは眼下の酒場や娼館の灯りだけだが。


 その部屋の真ん中で、私は頭を抱えていた。


「師匠、今日一晩くらいは服を着て寝てくれませんか?」

「え? いーじゃん。誰も見てないんだし」


 イグセリカは素っ裸でベッドに腰掛けている。

 服の感触があるとリラックスできない質のようで、イグセリカは夜、いつも服を脱ぎ散らかしてから床に入るのだ。

 こういう性を裸族というらしいが、私には理解できない感覚だ。自室なら好きにすればいいと思うが、住み慣れない街の初めて泊まる宿でまで同じことをするとは。

 どうにも私の花嫁としての資格にふさわしくない振る舞いが身についてしまっている。少しは恥を知って欲しい。


「もしかしてあたしにどきっとしたか?」

「いえ、気品とかそういう類いの話です」

「なんだよいまさら。初めてじゃないんだし気にするなよ」


 そういってイグセリカはコップの水を呷ってプハーと豪快に息を吐く。どうやら私の苦悩を彼女に伝えるのはなかなか難儀なようだ。


「どうだい、アルト。うちの村に来てからこんなに遠出したのは初めてだろ?」

「ええ。ですが少々騒がしい街ですね。こんなに夜が更けたというのに、部屋の中でも外の喧騒が聞こえてくる。ぼくはもっと落ち着いた部屋の方が好みです」

「あー、なんだぁー? それってまさかシルリィと同じ部屋の方がよかったってことかぁー?ませてんなぁー」


 にやにや笑いながら意図のよくわからないことを言ってくるイグセリカ。どう曲解すればそういう結論に至るのか。私は小さく嘆息する。


「別にぼくはどちらでも構いませんが。どうしてそんなことを訊くんです?」

「へへ。いつもアルトが照れて話してくれなかったからな。つまりだな、えーと、おまえもそろそろ女の子に興味とか、出てきたりしたのかな、ってね!」

「いえ全く」

「えっ……? あ、そう、なのか……。アルト、あたししかいないし、別に恥ずかしがる必要はないんだよ?」

「師匠に対して何かを恥ずかしがる必要があるんですか?」

「えっ……。ちょ、待ってよ。あたし、アルトの師匠。あたし、なんでも聞く。だよね? あ、あるんだろ? ほんとは。なんかこう、思春期的などきどきした経験が」

「ありませんし、師匠は魔力の使い方や武芸の師匠でしょう。ぼくは色恋沙汰とは無縁ですから師匠が気に掛ける必要はありません」


 当然のことを言ったまでなのだが、反してイグセリカは顔のパーツが全て中心に集まっているのではないかと思うほど顰めた顔をする。


「やだっ! いーやーだっ! あたしはアルトの師匠としてそういうことも知っておく義務があるんだー!」


 ……またはじまったか。

 普段は村の男たちからも一目置かれているほど凜々しいイグセリカだが、時折こうして私と意見が食い違うと、最終的に駄々っ子のように手足をばたつかせて自分の意見を通したがるようになる。


「アルトの恋愛話を聞きたいの! あたしにもっと師匠らしいことをさせろー!」

「だからないですって」

「絶対ある! この前だって近所のエミーがおまえの家に行ってたの見かけたんだからな!」


 初めてイグセリカのこの状態を見たとき、私は絶句して対処に迷ったものだが、二年も経てば対処のしようも覚えてくるものだ。

「あれはエミーの母親がエミーに頼んでぼくの家まで夕飯を届けてくれただけですよ。そもそもエミーはまだ七歳でしょう。恋愛感情なんてぼく以上に無縁だと思いますが」


「むうぅぅ!」


 私に言い返せなくなると、イグセリカはあからさまにむくれてくる。


「いーよいーよもう! もうアルトなんか知らないから! 後で気になる女の子ができたってアドバイスもしてやらないし振られたときに慰めてもやらないからな!」

「師匠、そういう話をしているのではなくて」

「へん! アルトなんか村の女の子全員から振られちゃえばいいんだ!」


 彼女がこうなったときのお決まりの結末だ。朝には忘れたように機嫌は直っているから気にしたことはないが。

 このところイグセリカたちがやたらと私の異性関係を問いただしてくる。

 なぜそのようなことを気に懸けるのか私には理解できない。

 私の花嫁はまさにここにいるイグセリカだというのに。他の人間の女になぞ興味はない。


「ぼくには師匠がいればそれでいいです」

「…………、……――!」


 数秒黙考していたイグセリカが、突然頭からベッドのシーツに潜って包まりだした。

 どうしたというのだろう。何かいつもと反応が違う。


「師匠? どうしたんですか?」

「し、しらないっ!」

「何か変なこと言いましたか?」

「いい! いいっ! 顔を覗き込むな!」


 頑なにシーツの中に隠れようとするイグセリカ。

 何を言っても出てこないので私も諦めた。肩をすくめて席を立つ。するとシーツが喋りだした。


「アルト。どこに行く気だ?」

「少しテラスで夜風に当たってきます。この街は、風はとても心地よいので」

「ふんっ。気をつけろよ!」


 それきりイグセリカは黙り込む。

 私はまた小さく嘆息してドアに向かい、開いた。


「ひぇっ!?」

「シルリィさん? 何してるんですか?」


 膝立ちでドアに張り付いたような格好で、ネグリジェ姿のシルリィが気まずそうに笑ってくる。


「ア、アルトくんたち、どんなおはなししてるのかなー、って。えへ。ほ、ほら! わたし、お姉ちゃんだから! なんでも知りたくって!」


 私は眉を顰めつつ正直に言う。


「特に面白い話はしていないですよ。師匠がぼくの異性関係に関心があるようだったので、何もないと言いました。師匠はそれが気に入らないようで拗ねてます」

「そ、そうなんだ! じゃあわたし、今度こそ寝るね! おやすみ!」


 パタパタと離れていくシルリィ。


「……あっ」


 と不意に足を止めて恥ずかしげにもじもじしながら振りかえる。


「アルトくん、もしかしてわたしの部屋、来たかったり……する?」

「いえ、夜風に当たって涼んだらすぐ寝ますよ」

「あぅ、そ、そっかぁ! 別にわたしのとこに来たくて抜け出してきたんじゃなかったんだね!」

「師匠といい、いろいろ曲解が過ぎませんか?」

「えとね、アルトくん一人暮らしだし、人肌が恋しくなったりするんじゃないかなーって」


 ふむ。そういうことか。

 子どもの私が一人で暮らすことを選んだときは周囲から不安の声も上がっていたのは事実だが、そこまで心配するほどのことでもなかろうに。

「いえ、特には。生活がちゃんとできているか心配ということでしたら、たまに師匠が勝手にうちに来て泊まっていくので問題はないと思いますよ」


「えっ、イグセリカが?」

「ええ。知りませんでしたか? まあ師匠は家事なんて何もしてくれない上に、ぼくのベッドを占領してくるので置物以上に邪魔な存在でしかありませんけどね」

「イグセリカばっかりずるい……」


 シルリィの片方の頬があからさまにぷくっと膨れ上がった。

 むしろ私は押しかけられて迷惑しているのだが。


「それなら、わっ、わたしも今度アルトくんのおうちに行ってみても、いいかな……?」

「かまいませんが何もおもてなしはできませんよ。ぼくも師匠と同じで料理は苦手ですから」

「ほんと? 別におもてなしなんていいよぉ。んふ。楽しみー。あっ、アルトくんはわたしのとこにいつでも来てもいいからね。じゃあ今日はおやすみだね、アルトくん!」


 そうしてシルリィは機嫌良さそうにバタパタと足音を立てて自分の部屋に帰っていく。


「…………」


 どうにも近頃、二人が異様に私のことを探ってくることが気に掛かる。

 いつまでもこの調子なら何かしら対策を取らねばならないだろう。余計な詮索を繰り返されて、疑念を深められれば私が人間ではないことにいずれ勘づくかもしれない。


 それに、私との関係性もそうだが、やはりイグセリカたちの弱体化が気になる。

 あのイグセリカが、私が中にいたとはいえバジリコック程度にあんなに手間取るとは。

 私の知っている本来のイグセリカならば、あのような状況いたとしてもバジリコックの肉細胞のみを綺麗に剥ぎ取って私を救い出すこともできたはずだ。


 シルリィも同様だ。今の彼女は遠くまで自分の視野を届かせるくらいのことしかできていない。彼女が敵を討ち滅ぼそうと思えば、その規格外の視野と空間の魔力誘導を用いて数万の魔弾を超長距離から正確無比に叩き込むことができたはずなのにだ。


 この体たらくはなんだ?

 それでも常人よりも遙かに優れているのは認めよう。だが、あくまでもそれは人間の大半を占める凡人と比べてだ。私の目から見れば、とてもじゃないが褒められたものじゃない。

 テラスから見上げる月に、私は語りかける。


「私が近くにいる影響力は思っていた以上に大きいようだ。そろそろ機会を窺っておく必要が出てきたな」


 今後、あまり長期間彼女らの傍にいることはできなくなる。

 長くてもあと一年か、二年か。それくらいが限度だろう。それ以上は、彼女たちが私の花嫁たる実力に足らなくなる恐れがある。


「その前に、はやく、ウィチャードを見つけなければ……」







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